国際関係論の理論 -第18章 先住民の視点-

Japanese translation of “International Relations Theory”

Better Late Than Never
16 min readJun 26, 2018

国際関係論についての情報サイトE-International Relationsで公開されている教科書“International Relations Theory”の翻訳です。こちらのページから各章へ移動できます。以下、訳文です。

第18章 先住民の視点
ジェフ・コーンタッセル、マーク・ウーンズ(JEFF CORNTASSEL & MARC WOONS)

先住民であることとは、人と人との間、そして自然界と間の複雑な関係を尊重し、更新することです。国連は、世界各地に住む数千の先住民族の一員であることは何を意味するかについての多面的な実用的定義を提供しています。これには、自己同定、歴史的連続性、特定の領域へと結びつく場所に基づく存在などの要素が含まれます。この定義は、特有の統治システム、言語、歴史的経験、文化、知識の獲得方法についても論じています。重要なこととして、それは、(通常は希望に反して)ある国家内に存在しているにもかかわらず、自らの領土を維持し、自分たちは異なる集団であると主張しようとする共同体を表現しています。他方、国家は領土主権と法的に認められた政府システムという異なる原則の周りに構築されており、歴史的に先住民の人々を管理し、強制し、さらには景観から排除しようとさえしています。国家間関係についての既存の支配的な枠組みは、国家主権に根ざしています。先住民の視点からは、これは暴力、破られた条約、先住民とその土地に対する権力の不当な行使によって確立されています。これは、先住民の世界観や国家中心モデルの狭い枠を超えるように推し進める反論を弱体化させ、軽視し、排除し、ついには挑発しています。先住民の視点と複雑な関係を探求することにより、私たちは国際関係論とその理論のファミリーの中心にある多くの前提から生じる問題をより明確に見ることができます。

先住民の視点の基礎

ヨーロッパで発明された現在の支配的なグローバルな政治的および法的秩序は、国家を中心としたものであり、それは今日ほとんどの人が使っている地政学的世界地図に示された個別の境界線を作り出すためにどこにでも広がっています。1648年のウェストファリア条約は、数十年にわたる残酷な暴力とヨーロッパ全土に固有の紛争に終止符を打ち、国家主権の総合的で永続的な概念を固めました。そこでは、国民(または人民)間のアナーキー、紛争、無秩序に対するヨーロッパの対応は、互いの主権を相互に認識する国家によって強化された国家間関係のシステムを構築することでした。国際関係における先住民の理解は国家間のアプローチとは異なり、特に、先住民族が自然界との神聖な約束や相互依存性を更新し、行動する方法について異なります。土地、文化、共同体との関係を再び要求し、再生することを必要とする先住民の復興の主張は、国際社会に対する代替となる肯定的なビジョンを促進し、支配的な国家間モデルに挑戦します。

国家主権の概念は、現代の国家建設戦略を煽り立て、ほとんど例外なく、先住民族の破壊を招きました。各国家は、教育、軍事的な征服、そしてその他の国家主導の取り組みを通じて、文化、価値観、歴史、言語、通貨(など)を共有する共通の人々のビジョンを構築しようとしています。これはしばしば国家のアイデンティティーと呼ばれ、愛国心やナショナリズムなどの考え方と関連しています。先住民とヨーロッパの帝国との出会いにおいては、彼らが幾度となく厳しい選択に直面するのを(そもそもその選択が彼らの前に置かれたとして)目撃してきました。ジョージ・マニュエル(George Manuel)とマイケル・ポスランズ(Michael Posluns)が指摘しているように、

植民地制度とは、常に、植民地大国が「共通の善」であると判断したもののために、他の人々を支配する方法である。人々は、自分たち自身を統治することができる方法を想像するための己の能力が破壊されているときにのみ、共通の善を確信することができるようになる(Manuel and Posluns 1974, 60)。

マニュエラ・ピク(Manuela Picq)は、先住民族を土地や資源から遠ざける国家建設の努力に対する先住民の戦いについて話す中で、先住民の視点が国家中心の視点に3つの具体的な課題を提示していると示唆しています(Picq 2015)。第1に、彼らは部族、土地/水域、自然界に対する権威を主張することによって、国家の究極の権威に挑戦します。第2に、彼らは、支配的なシステムに挑戦するとともに、その外側に位置するような先住民の見方を強調することによって、国家中心のシステムの植民地的な基盤をさらしだします。言い換えれば、私たちが知っているような国家は、その存在の点で、文化帝国主義、暴力、破壊、大量虐殺に根ざした植民地化や移住のプロセス、そして最終的には先住民のアイデンティティーや土地との関係の根絶(人々自身の根絶ではないとしても)の恩恵を被っています。第3に、先住民の人々の世界観と慣習は、権力を分かち合い、国境や行きわたっているグローバルな国家システムを越えて考えた場合にはどのようになるかと想像するように私たちに挑戦しています。

自己決定の原則は、国家を持たない先住民族に対し、主権を(再)主張し(再)行使する方法を提供しています。自己決定は、先住民の人々が国際社会によって認識されるような政治主体を創造するための道を提供します。このプロセスは、人々が自由に自分たちの政府を形成し、自らの事柄を自由に制御するべきであるという考え方に基づいており、この考え方は、国連を支える倫理と適法性の中心的なものです。この性質の先住民の主張は、過去1世紀、特に1945年以降に脱植民地化が重要な国際的なプロセスになったときに重要な牽引力を得ました。自己決定権の源は、確かに論争のもととなっています。先住民族にとっては、それは、故郷、水域、聖なる生きた歴史、動物の国、植物の国、儀式、言語そして自然界との複雑な関係から発せられるものです。植民地政策に由来する、国家の自己決定権の源は大きく異なっています。例えば、15世紀にさかのぼる発見の原理(Doctrine of Discovery)は、非キリスト教徒が居住している土地は、合法的に「発見」され、王によって所有された領土として主張できるということを支持していす。その他の発明された政治的および法的構造もまた、国家の法律の歴史と慣行に組み込まれており、民族の間の関係についての代替的な先住民の概念を否定する国際慣行を形作っています。

国家主権と先住民の自己決定の間の緊張の一例は、カユガ(Cayuga)の首長デスカヒ(Deskaheh)による、まず1921年に英国への、次に1923年に国際連盟へのヨーロッパ訪問の物語で見ることができます。ホウデノサウニー(Haudenosaunee)の6つの民族の長としての地位のために、彼は、ホウデノサウニーとカナダの人々の間の紛争が手詰まりになったとして、長い大西洋横断の旅をせざるをえないと感じていました。彼は、彼らの土地に対してカナダ国家が自分勝手に宣言した主権を押し付けていることに抗議したことにより、彼の部族の人々が収監されているのは不公正だと感じており、これは侵略に等しいと主張し、「私たちは私たちが生まれたような自由な人間として生きると決意している」と述べました(League of Nations 1923, 3)。その土地は、共有された土地に対する共有された権威と、同じ領域を共同で統治する平等な民族としての人々の間の相互尊重という代替的な見方を表現する条約の対象であり、今もまだ対象となっています。これは、1つの人々による排他的な領土権に関するウェストファリア的な見方とはほとんど対極にあるものです。しかしながら、デスカヒ首長の訴えは、関係する国家が彼らの仲間の1つ、すなわちカナダの国内の問題に干渉することを拒否したため、ロンドンでもジュネーブでも、誰の耳にも届きませんでした(Corntassel 2008)。彼は最終的に何も手にすることなくヨーロッパを後にし、カナダの植民国家によってほとんど蹂躙されていた彼の故郷から亡命し、直後の1925年にニューヨーク州で亡くなりました。

デスカヒ首長の時代からいくらかの進歩があり、それらの進歩は現在では著名な場に現れています。先住民族の権利に関する国際連合宣言(UNDRIP)は、各国家に「先住民族は自己決定の権利を持っている。その権利に基づき、彼らは自らの政治的地位を自由に決定し、自らの経済的、社会的および文化的発展を自由に追求する」ことを認めるよう促しています(United Nations General Assembly 2007: 3)。また、国連内には、自己決定の中心にあると多くの人がみなすこと、すなわち、先住民自身、彼らの共同体、彼らの領土に影響を及ぼすすべての問題に対する先住民の拒否権を支持する勢いがあります。表面上では、この宣言は、以前は国家のみに与えられていた力を、先住民族にも確保しているように見えます。ホワイト・フェイス(White Face)が指摘するように(White Face 2013)、共謀している国家は、最終的に第46条として入り込んだような制限的な言語が含まれるまで、それを採用することを拒否しました。この宣言の第46条は、「本宣言のいかなる規定も、主権独立国家の領土保全または政治的統一を全体的または部分的に、分断しあるいは害するいかなる行為を認めまたは奨励するものと解釈されてはならない」と述べています(United Nations General Assembly 2007: 14)。第46条は、2012年に正式に拒絶されたものの、上述した発見の原理、あるいは少なくともその影響を永続させるものとみなすことができます。残念ながら、UNDRIP第46条を介した発見の原理の法的創作は、他の国家間の法的な道具立てとともに、先住民族の自己決定権を損なうような深刻で破壊的な形で、先住民族に影響を与え続けています(Miller et al. 2010; Special Rapporteur 2010)。

先住民の自己決定は、ケベック、カタルーニャ、パレスチナ、クルディスタンなどの非国家の民族の自己決定の努力と混同すべきではありません。東ティモールや南スーダンの成功を目指して、これらの国家運動は、現在存在するような国家間システム内に完全なメンバーとして含まれることができるように、独自の国家を望んでいます。一方、先住民の自己決定運動は、システムそれ自体に、より妥協しない根本的な課題を投げかけています。たとえほとんどの先住民族がその完全な撤廃を求めていないとしても、彼らは自分たち自身の条件でもって含まれる方法を模索しており、それはウェストファリア的な国家主権の考え方を拒絶する傾向があります。世界中に約5000の先住民族がいることを考えれば、そこには自己決定権を主張する多くの方法があります。多くの先住民の選択肢は、人々の間の関係を支配する包括的な原則の堅固な一群が必要であるというまさにその考え方を却下し、人々の間や私たちを支えている環境との間の平和を促進するための複数のアプローチに寛容でなければならないと主張しています。

先住民の視点とバッファロー条約

主権と自己決定の国家中心的な表現に挑戦するような、先住民族の国際関係に関する新しく現れてきた研究があります。アニシナーベ(Anishinaabe)の学者、ヘイデン・キング(Hayden King)は、「私たちの政治的世界観では、国家と主権は溶けてなくなる」と述べています(King 2015, 181)。先住民族は、平和、友好、新たな戦略的提携を促進する新たな連合、条約、協定の確立を通じて、互いの連帯を表明してきました。先住民の国際関係は永続的で神聖であり、外国との条約を作ることは、先住民族が互いの外交関係を継続することを妨げていません。例えば、ハイルツク・ネーション(Heiltsuk Nation)とハイダ・ネーション(Haida Nation)との間の平和、尊重、責任の条約(Crist 2014)は、1850年代以来、両ネーションの最初の平和条約であり、「私たちの土地と水域に対する大きな困難、そして私たちのネーションの外からの勢力により生じた資源の枯渇」という前提を根拠としていました。この条約は、ポトラッチの儀式を通じて2つの先住民族の間で制定され、ハイルツクの水域で国家が認可した商業的なニシン漁業によってもたらされる共通の脅威に挑戦しようとしました。

2014年には、米国とカナダの国境に沿って生息する先住民族の間で、別の歴史的な条約が発効しました。イイニイワ(iiniiwa)は、ブラックフット族(Blackfoot)のバイソンに対する名前であり、プレーリーの生態系における土地、人々、文化的慣習と深く長い関係を持っています。ブラックフット族の学者のリロイ・リトル・ベア(Leroy Little Bear)は、彼らの故郷でのバイソンの役割について論じるとき、以下のように指摘しました。

プレーリーの景観の中の自然の生物工学者としての役割を果たす中で、彼らは、植物の共同体を形作り、栄養素を運ぶとともに再利用し、草原の鳥、昆虫、小型哺乳類に有益な生息環境の可変性をもたらし、ハイイログマ、オオカミ、ヒトに豊富な食糧資源を提供した(Little Bear 2014)。

残念なことに、19世紀におけるバイソンの広範な殺戮は、プレーリーの生態系の悪化をもたらし、これによりブラックフット族の人々の健康と福利の悪化ももたらしました。バイソンの抹殺は、この地域の先住民族の文化的慣習にも影響を及ぼし、イイニイワを先住民の故郷に復活させるための共同体主導の行動の必要性を促しています。

2014年9月23日に、8つの先住民のネーション(ブラックフット・ネーション(Blackfeet Nation)、ブラッド・トライブ(Blood Tribe)、シクシカ・ネーション(Siksika Nation)、ピイカニ・ネーション(Piikani Nation)、フォート・ベルクナップ・インディアン居留地(Fort Belknap Indian Reservation)におけるアシニボイン・トライブ(Assiniboine Tribe)とグロ・ヴァント・トライブ(Gros Ventre Tribe)、フォート・ペック・インディアン居留地(Fort Peck Indian Reservation)におけるアシニボイン・トライブ(Assiniboine Tribe)とスー・トライブ(Sioux Tribe)、セイリッシュ・クートネー連合インディアン居留地(Confederated Salish and Kootenai Indian Reservation)におけるセイリッシュ・トライブ(Salish Tribe)とクートネー・トライブ(Kootenai Tribe)、ツー・ティナ・ネーション(Tsuu T’ina Nation))が、モンタナ州ブラウニング近くのブラックフットの領土に集まり、歴史的なバッファロー条約に調印しました。それは米国・カナダ国境の両側の先住民族を巻き込み、イイニイワをプレーリーの生態系に戻すよう求めました。それが、ここ150年以上で最初の署名された国境を越える先住民条約であったことを考えると、バッファロー条約は古い同盟を更新し再生する方法でもありました。それには、以下のような地域主導のいくつかの目標が概説されていました。そこには、部族とファースト・ネーションをイイニイワ保護に関する継続的な対話に関与させること、北部大草原地帯の部族とファースト・ネーションの政治力を結集させること、イイニイワの復活のための国際的な呼びかけを進めること、条約の過程で若者を引き込むこと、北部大草原地帯におけるイイニイワと草原との古代の文化的、霊的な関係を強化し、更新することが含まれます。

先住民の国際関係の例として、上述の条約の条項は、先住民族が「世界の様々な人々の全員との結びつきの関係を拡大する」ための手段としての条約制定の神聖な性質を示しています(Williams 1997, 50)。バッファロー条約は、先住民族を署名者とすることに加えて、イイニイワを先住民の故郷に復活させるにあたり、連邦、州および地方政府、ならびに農民、牧場主および保護団体が関与するビジョンも概説しています。個々の先住民族としてのこれらの共同体は、イイニイワの復活を促進する能力が限られているでしょう。しかしながら、統一されたビジョンをもつことにより、彼らは集合的に、イイニイワを彼らの故郷の約630万エーカーに戻すことを容易にするような彼らの自決権を発揮しました。

バッファロー条約は、定期的な更新と再解釈が必要な生きた文書でもあります。条約が締結されてから2年後、署名者の数は8から21に増えました。2016年9月、署名者はこの地域への16頭のイイニイワの予定された再導入を祝うパイプの儀式をバンフ国立公園で開催しました。署名者たちは、バッファローの人口を回復させることに加えて、バンフのトンネル・マウンテンの名前を「神聖なバッファロー・ガーディアン・マウンテン」に変更するようカナダのアルバータ州政府に呼びかけました。イイニイワの再生と永続化のビジョンはまた、イイニイワが住む場所を反映して景観を変えることも必要とします。先住民の条約制定の新たな形態は、先住民のネーション間(inter-national)の関係を構成する複雑な外交と精神的な再覚醒を反映しています。

結論

国家と先住民族の間の力の不均衡、そして世界観の違いは、私たちの国際的なシステムの中に残っています。IRの学問分野内での発展と批評、そしてそれが理論化されているやり方は、先住民族が、土地、文化、共同体、および関係性が後の世代に向けて繁栄するように、彼らの場所に基盤を置く存在を維持するための闘いを強調しています。国際関係に関する先住民の理解は、自然界との取り決めの再活性化、先住民族間の同盟の(再)確立、グローバルな広場における外交活動の中での先住民の支持運動など、多くの形で起こります。これらの努力は、支配的な国家を中心としたシステムが、人々の間の関係だけでなく自然界と惑星との関係をも理解し、​​構築する彼らのさまざまな方法を含むよう挑戦します。より具体的には、彼らは、究極の国家主権に関するウェストファリア的な考え方に挑戦し、自分たちの故郷と部族とに対する彼らの関係についての自己決定権を回復する方法を模索しています。

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