国際関係論の理論 -第19章 リアリズムの現代的視点-

Japanese translation of “International Relations Theory”

Better Late Than Never
19 min readJun 27, 2018

国際関係論についての情報サイトE-International Relationsで公開されている教科書“International Relations Theory”の翻訳です。こちらのページから各章へ移動できます。以下、訳文です。

第19章 リアリズムの現代的視点
フェリックス・ロッシュ、リチャード・ネッド・リボウ(FELIX RÖSCH & RICHARD NED LEBOW)

冷戦の終結以来、リアリズムはその根本に戻っています。リアリストの学者たちは、基礎的な思想家、人生と政治に対する彼らの悲劇的な理解、倫理に対する彼らの実践的な関心、説明的物語の出発点としてや非常に文脈依存性が高い将来へ向いた予測としての理論の理解への新たな関心を示しています。トゥキディデス(Thucydides)、ニッコロ・マキャヴェッリ(Niccolò Machiavelli)、エドワード・ハレット・カー(Edward Hallett Carr)、ラインホルド・ニーバー(Reinhold Niebuhr)、アーノルド・ウォルファーズ(Arnold Wolfers)、ジョン・ハーツ(John Herz)、ハンス・モーゲンソー(Hans Morgenthau)、ハンナ・アレント(Hannah Arendt)の著作は、世界政治に関する彼らの異なる視点にもかかわらず、「何度も繰り返される問題」についての同様の懸念に突き動かされているため、驚くべき思想の統一を示しています(Morgenthau 1962, 19)。それらの問題の1つは、社会の非政治化です。リアリストたちには、現代の社会では、人々が公衆の中で自由に関心を表明することがもはやできなくなり、集合的に彼らの社会に貢献する能力が失われてしまったのではないかという懸念がありました。結果的に、リアリズムは、この発展への批判と「矯正」(Cozette 2008, 12)として認識することができます。最初は少し奇妙に思えるかもしれませんが、リアリズムが今日の世界にどのように関係しているかを見る1つの方法は、ネオリアリズムのようなリアリズム理論の後の発展の一部を論じるのではなく、初期の学者を通じてそのルーツを振り返ることです。この理由から、本章ではリアリズムを再考して、(おそらく)最も古いIR理論と、(確実に)最も重要なIRの理論のファミリーについての現代的な視点を提示します。

リアリズムの現代的視点の基礎

20世紀半ばのリアリストは、しばしば「古典的」リアリストと呼ばれる多様な学者の集団でした。彼らの地理的中心地は(いくつかの例外を除いて)米国にありましたが、彼らのほとんどは、1930年代のファシズムと共産主義の台頭のために退去を余儀なくさせられたヨーロッパからの移民でした。彼らは、リベラルアーツという似通った広範な中等教育を受け、人々は公共の場で他者と関わることによってしか自分自身を人間として体験することができないと信じていたという点で共通の人文主義的世界観を共有していたにもかかわらず、彼らの多様性は、その幅広い職業でも証明されています。1919年にアベリストウィスの大学において第一次世界大戦の恐怖を踏まえて最初の教授職が設立されたとき、IRはヨーロッパで徐々に制度化されただけであり、IR学者として訓練された人はいませんでした。代わりに、彼らは歴史家、社会学者、哲学者、法律家、さらには神学者でした。彼らのほとんどは後から振り返ってようやく、IRに結び付けられました。おそらく最もよく知られているリアリストであるモーゲンソーであっても、国際関係論ではなく、政治科学と歴史の教授職を務めていました。しかしながら、この多様性にもかかわらず、20世紀半ばのリアリストたちは、彼らが前任者の多くと共有していた見解である、生の悲劇的な見方に合意しました(Lebow 2003; Williams 2005)。これは、人々や指導者たちが、不完全な情報に基づいて意思決定を行い、彼らの行動の予測不可能性に対処し、そして、社会の中と社会の間で相容れない価値観の衝突を処理しなければならないためです。とりわけ、彼らは、指導者たちが賞賛すべき目的を達成するために時には(暴力などの)非倫理的手段に頼らざるを得ないし、その際にはそれらの手段が指導者たちの求める目的を達成するかどうかの事前の知識を持たない、ということを認識しています。

この悲劇的な見通しは、これらの古典的リアリストたちが著作を行っていた文脈を考えれば理解できます。トゥキディデスはペロポネソス戦争の時代に生きていました。この時は、古代ギリシャ世界でアテネがその優位性を失っていました。マキャヴェッリの人生もまた、ルネッサンス戦争(1494–1559)の間に北部イタリアの支配権を奪おうとしていた教皇、フランス人、スペイン人、その他の軍隊の繰り返される紛争の影響を受けました。イデオロギーの台頭とともに、現代のリアリストたちは、約200年前に始まった発展のクライマックスをついに経験しました。フランス革命に結実する啓蒙思想時代以来、人々は、宗教的な拘束具から解放されました。しかし同時に、彼らは共同体の感覚を失ってしまい、それは、ナショナリズム、リベラリズム、マルクス主義などのイデオロギーによっては表面的にしか復元できず、しばしば暴力的な紛争という犠牲を伴いました。リアリストは、20世紀初頭の文化的危機に関するドイツの議論に例示されているように、このような共同体の感覚を失ったことは、共通して受け入れられる価値観の低下を引き起こしたという公衆の心情を共有しました。これにより、彼らはイデオロギーの誘惑により敏感になりました。これは、イデオロギーがアレントが「世界の説明」(Arendt 1961, 469)と呼ぶものを提供し、人々が人間としての意欲を自身の中に向けることを可能にするためです。

ジョン・ハーツは、人々が食べ物や住処を求めることにより世界の中での生存に心を砕くことを確実にするような自己保全の推進は、人々が他人からの攻撃を確実に避けることはできないため、安全保障上のジレンマを引き起こすと主張しています(Herz 1951)。対照的に、モーゲンソーは、自分の社会的・政治的な生活世界への貢献によって達成される、自分自身を証明するための追求について、より関心がありました(Morgenthau 1930)。人々は自分自身や自分たちの生きている世界についての不完全な知識を持っているため、成功は困難です。状況が変わった場合や知識が進歩している場合、どのような政治的決定であっても常に一時的なものであり、改訂の対象となります。彼らの野心が無駄であることを認識することで、別の悲劇的な生の側面が前面に出てきます。モーゲンソーにとっては、この悲劇的な側面を受け入れることは、それを超越するための第一歩です。人々は彼らの存在を批判的に内省することができ、自分自身の努力によってのみ人生が意味を持つようになることを理解することができます。しかしながら、近代においては、情報に基づく判断を下すための基礎としての価値観を失ったため、人々の生活はスティーヴン・トゥールミン(Steven Toulmin)が「確実性の探求」(Toulmin 1990, 35)と呼んだものに特徴づけられていますが、熟考が必然的に伴う自己批判の困難にうまく対処できる人はほとんどいません。ニーチェが指摘したように、多くの人は、何らかの形の共同体に埋め込まれているという幻想に満足しています。したがって、国民国家レベルにおいては、人々が人間の条件を妨げるものと同じ欠点によって特徴づけられる政治的共同体に住んでいるために、悲劇が大きく立ち現れています。

これらの動力があらゆるレベルの人々に影響を及ぼすことを考えて、リアリストは国内政治と国際政治を区別しません。むしろ、これらの人間の動力は人々の関係を通じて政治に影響を及ぼし始めるため、彼らはどのように描かれているものであったとしても政治的共同体に焦点を当てます。これらの関係において、権力は決定的な役割を果たします。自分自身を証明するこの動力のために、他者を支配する能力を得ようとする政治主体の野心に対抗するような、人間の間の関係、グループの間の関係および国際関係における力のバランスが進化します。この力のバランスは安定していませんが、主体たちが安全保障上のジレンマに直面しているため、進化しています。これは、不確実性のために主体たちは恒常的な恐怖の中に生きていることを意味します。これは彼らにさらなる力を蓄えるよう強制し、潜在的な敵に同じ反応を引き起こすことになります。したがって、力のバランスにつながるのは、物理的または物質的な制約というより、感情的な不安です。それゆえ皮肉なことに、人々と共同体が何らかの形で共通のアイデンティティーを共有していると、彼らは、より簡単に協力し、力のバランスを取る必要がないため、力のバランスはそれが最も必要とされていないときに最もよく機能します。

しかしながら、人間の動力は、彼らを非政治化する可能性があるので、力のバランスの進化を超えて、社会にさらに劇的な影響を与えます。この懸念は、ハンス・J・モーゲンソーのリアリズム的思想にとって中心的なものです。彼はより一般的な友人/敵という区別に反対し、政治的なものをすべての人間に内在する普遍的な力と定義するとともに、この普遍的な力は、必然的に他者に焦点を当てる一方で、それは同時に個人間の関係によってのみ存在することになるとしました。人々が利益を表明する結果として生じる議論は、「競争のアリーナ」を作り出します(Galston 2010, 391)。一緒に行動することによって個々の能力を実感し、力を体験することで、人々は自分自身や自分の生活世界についての知識を身につけながら、自分のアイデンティティーを発達させます。

しかしながら、人間の不完全さの悲劇は、イデオロギーの発展を促進するので、政治的なものを危険にさらします。ほとんどの人が自身の不完全さに直面することができないことを考えれば、イデオロギーは何らかの形態の存在論的な安全保障を提供します。これは、イデオロギーが人々に秩序の感覚をもたらすとともに、イデオロギーが歴史的および現在の社会・政治的出来事に説明を提供するために、それが当初の人生の無意味さを隠すのに役立つことを意味します。特に古典的リアリストたちにとって、ファシズムや共産主義は、彼らの時代の最も暴力的なイデオロギーであったため、彼らの心を占めていましたが、彼らはまたアメリカのリベラリズムとナショナリズム一般の傲慢にも批判的でした。

リアリストたちにとって、イデオロギーは社会・政治的な現状を維持することを目指しており、人間のいかなる活動もこの具象化を維持する方向に向いています。現在の社会・政治的現実は所与のものとして認識され、根本的に変更することはできません。人々が自由に自分の利害を発言し、政治的共同体の構成と目的についての考えを共有できるような政治の発展は、潜在的に社会・政治的変化を促すため、社会・政治的な現状維持を危険にさらします。リアリストは、この非政治化に対処するために、マックス・ウェーバー(Max Weber)の言葉で「責任の倫理」と呼ばれるものを提示しました。リアリストは、ほとんどの人が自分の人生に責任を負うことを望んでいない、またはできないと確信していましたが、彼らはまだ、意思決定が「知的誠実さ」(Sigwart 2013, 429)によって導かれる倫理を主張していました。思考と信念は、他者の立場に向かって共感を示す自己批判的なプロセスにおいて文脈化されなければなりません。結果として生じたアレントが呼ぶところの「言説の倫理」は、集合的にしか起こりえません。アメリカにおける地元で開かれる会合は、共通の関心を共有するすべての人々が集まることを可能にするため、アレントがこれを説明するための完璧な環境を提供しました。しかしながら、結果として人々は、彼らの立場を変える準備ができていなければならず、国内・国際政治の道徳的ジレンマに積極的に責任を負わなければなりません。

一般的な仮定とは対照的に、リアリストは国民国家の擁護者ではなくその批判者であり、世界国家の可能性を探求することによりその危険を回避し、その欠点を超越することを目指しています(Scheuerman 2011)。さまざまな理由から、古典的リアリストは国家を「盲目的で強力な怪物(たち)」とみなしました(Morgenthau 1962, 61)。グローバル化と技術の進歩は、彼らが安全保障を提供する役割を果たすのを妨げるだけでなく、地球上の生命すべてを危険にさらすがために、それらは盲目です。この批判の特に強力なものはアロン、ハーツ、モーゲンソーに見られます。モーゲンソーは、核兵器の開発によって国民国家が特定の地域に対して権力の独占権を持つという主張をもはや支えることができないため、私たちは「夢の世界」に住んでいると主張して、彼の最後の公の場への登場において人類の見通しに幻滅した見解をもたらしました。さらに、天然資源の浪費は環境を脅かし、「廃棄物の社会」へとつながります(Morgenthau 1972, 23)。しかしながら、国民国家はまた、特定の地域と特定のグループの人々に対して主権を獲得する際に、これらの人々や他の人々に暴力を行使するために、強力でもあります。国民国家は自分たちの基準を普遍化し、20世紀初頭のヨーロッパにおけるファシズムの台頭で証明されているように、他の国家にそれらを押しつけようとします。ファシスト運動は、イタリア、ドイツ、スペイン、クロアチアなどの国々で権力を握った後、国際的な(最終的に第二次世界大戦に結び付く)戦争を起こしただけでなく、倫理的、宗教的、社会・政治的な少数派を排斥することにより国内でも暴力を行使しました。さらに、技術の進歩は人間の生活世界を複雑にし、社会・政治的な意思決定プロセスを加速させます。これは、公衆には説明責任を持たないものの、世界を社会的に計画しようとする試みの中で人々の日々の生活に大きな影響を与える科学的エリートの伸長に利益をもたらします。

ヨーロッパの移民危機に関する古典的リアリストの視点

2011年以来、数百万の人々がシリアにおける内戦のために住むところを失いました。これは、さまざまな政治的および経済的状況のために、アフリカおよび中東の他の国家からの移住の流れによって悪化しています。2015年までに、この問題はヨーロッパ — 多くの移民にとっての目的地 — において危機と宣言されました。この危機に焦点を当てることは明らかな選択ではないように思われるかもしれませんが、多くのリアリストは彼ら自身が難民や移民でした。実際、ハーツは彼自身のことを「すべての世界の間の旅行者」(Herz 1984, 9)として特徴づけており、モーゲンソーは、1937年にアメリカに到着する前にドイツから追放され、その後スペインからも追放されたため、「二重亡命者」(Frankfurter 1937)でさえありました。リアリズムはこの点を超えて、私たちが差異の平和的共存のための条件を調べることができるように、この危機に対して有用な洞察を提供します。難民問題は英国の国民が2016年の「ブレグジット(Brexit)」国民投票で欧州連合(EU)を離れることにした理由の1つとして認識されているので、これは重要です。それはまた、欧州全体における右翼政党の台頭と、2016年の米国大統領選挙でのドナルド・トランプ(Donald Trump)の勝利にも関係しています。難民と移民は、安全保障の言説の中で、脅威と測定可能な影響として明確に描かれています。

20世紀半ばの「古典的」リアリストの仕事を、この現代的な発展に関連づけることにより、IR学者は、安全保障が時間と空間の条件に依存し、とりとめのない文脈の中で確立されるということを理解することができます。これは、安全保障は異なる文脈で異なる意味を持ち、したがって、それは変形的であるということです(Behr 2013, 169)。これはリアリストの思想を、表面上は反対であるように見える批判的理論との親和性へと近づけます。どちらのグループも同じ源泉、そのうちの1つはもカール・マンハイム(Karl Mannheim)の「イデオロギーとユートピア」(Mannheim 1929)から刺激を受けたことを考えると、これは驚くべきことではありません。マンハイムの本の重要な概念の1つは、知識の条件です。これは、知識は常にそれが動作する社会・政治的環境に縛られていることを意味し、普遍的な知識が不可能であることを強調します。この概念を現在の難民危機に適用すると、私たちは、難民を安全保障への脅威として認識することは、人間の意志と政治機関の結果であると理解できます。例えば、英国は2015年に4万人を下回る亡命希望者を受けいれただけでしたが、難民の危機は英国のブレグジットをめぐる言説の支配的な推進力の1つでした。比較すると、同じ年に約89万人の難民がドイツを目的地として選択し、ドイツは全体の人口との関係で最も多い難民を受け入れたヨーロッパの国となりました。

私たちは自分の文章や行動が他人にどのように認識されるのか完全に確信することはできないため、これは、このプロセスが常に意識的に行われているということではなく、古典的リアリズムは人間が安全保障の客体であるだけでなくその主体でもあることを理解するのに役立つということを言っているのです。公的な言説では、人々は、国際的な外交政策のエリートに任せずに、安全保障の実体を再定義する機会があります。これらの言説は、すべての関係者の利益を含むため、暴力的に進化する可能性があります。この迫りくる危険を避けようとする中で、リアリストは、これらの言説を共通の善に変える可能性を高めるために、最近の研究者によって対話による学習と呼ばれているものの可能性を強調します。このような形態の学習は、難民、移民、地域住民の間の交流の一連の可能性があることに基づいており、それはすべてのグループが自らの立場に挑戦する意欲とともに共感と開かれた心を示すことが求められます。その結果、安全保障は再定義することができ、危機であると認識されていたことは、「かつては存在しなかった、認知や想像の対象としてさえも与えられていなかった」何かを創造する機会として最終的に理解されるかもしれません(Arendt 1961, 151)。

古典的リアリストは現代の国民国家の約束に懐疑的であり、最終的には世界国家につながるような世界共同体の確立を主張したことを思い起こしてください。このようなグローバルな共同体は、現代社会の非政治化を超越し、「グローバルな国家の守護者たちが慎重になる」ことを支援する助けになるでしょう(Scheuerman 2011, 150)。このような慎重さは、移住に関する学術的および政治的議論に加えるのに有益なものでしょう。結局のところ、ヨーロッパの移民危機の根源は、特定の国家やその中の特定の影響力のあるグループが、彼らの国境の比喩的および物理的な壁を強化し、移住者を国民の安全保障に対する脅威として認識することによって入国を制限(または阻止)することに決めたことでした。人々がさまざまなレベルで集結できるようにすることにより、政治の領域は国境を越えて推量することができ、人々が自らの関心をグローバルにやり取りし、国家のアイデンティティーを超越するようなアイデンティティーを徐々に発展させることを可能にします。またそれは、移住者や難民のさまざまなイメージが、2015年までにヨーロッパで広まったネガティブなものに取って代わることを可能にします。

古典的リアリストの文献の中に見いだされた柔軟性は、人々が多様な人間の利益に適応できるようにします。その結果得られた自己反映性と開かれた心は、異なる歴史的、文化的、社会・政治的または宗教的要因によって影響を受けた生の軌跡が受け入れられる助けとなります。政治的な領域では、人々はその差異が認められており、議論を通じて少なくとも基本的なレベルで市民に受け入れられる共通の基盤が確立されます。これを各国家内で行うことができるならば、グローバルなレベルで行うこともできる可能性があります。もしそのような目的が達成されれば、グローバルな市民というものが存在することになり、将来における移民危機は起こらないでしょう。古典的リアリストはこの結論にすぐには到達しませんでした。むしろ、モーゲンソーやニーバーのような学者は、国連や欧州連合(EU)の初期の形態のような国際機関に最初は懐疑的でした。しかしながら、彼らはすぐに、異なる主体が平和的に集まり、国際レベルで意見を交換できるような、政治が徐々に進化するための空間を(彼らが望むように使用された場合には)国際機関が提供することに気付きました。

結論

この章では、他のIR理論の教科書に見られるようなものとはおそらく似ていない、リアリズムに関する1つの視点を導入しました。私たちが熱望したのは、リアリズムに関するより繊細な視点を学生へ紹介し、リアリズムをネオリアリズムから引き離し、リアリズムが国際政治のより批判的な意識を育てるのに役立つことを証明することでした。それゆえリアリズム、特に古典的な形のものは、 — 何人かの批判者が示唆しているように — IR理論の歴史のごみ箱へ投げ捨てられようとしているものとは程遠いものです。それは、この学問分野に保持されている共通の仮定のいくつかに疑問を呈し、国際関係における現代の問題への解決策を提案し、私たちがより包括的な社会を作り出せる方法を示す足がかりとなりえます。

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