国際関係論の理論 -第4章 構成主義-

Japanese translation of “International Relations Theory”

Better Late Than Never
16 min readJun 23, 2018

国際関係論についての情報サイトE-International Relationsで公開されている教科書“International Relations Theory”の翻訳です。こちらのページから各章へ移動できます。以下、訳文です。

第4章 構成主義
サリーナ・ゼイズ(SARINA THEYS)

構成主義のIRへの登場は、しばしば冷戦の終結に関連づけられています。冷戦の終結は、リアリズムやリベラリズムなどの伝統的理論が説明できなかった事態でした。この失敗は、国家は力のために競争する自己本位の主体であるという確信や、国家の間の力のバランスを規定する国家間の不平等な力の分配のような、それらの中核となる教義のいくつかに結びつけられます。国家に支配的な焦点を当てているために、伝統的な理論は個人の作用を観察するための十分なスペースを開けていません。結局のところ、冷戦の終結を確実にしたのは、国家や国際機関の行動ではなく、普通の人々の行動でした。構成主義は、社会的な世界は私たちが作り出すものであると主張することによって、この問題を説明しています(Onuf 1989)。主体(通常、指導者や影響力のある市民のような強力な人物)は、彼らの行動や相互作用を通じて国際関係の本質を形成し、時には再形成します。

構成主義の基礎

構成主義は、世界のことを、そして私たちが世界について知ることができるものを、社会的に構成されたものと見なします。この見解は、現実の性質と知識の性質とを指し、それは研究の言語において存在論と認識論とも呼ばれています。アレクサンダー・ウェント(Alexander Wendt)は、アメリカにとってイギリスの500個の核兵器は北朝鮮の5個の核兵器よりも脅威でないと説明することによって、この現実の社会的な構成を示す優れた例を提示しています(Wendt 1995)。これらの識別は、核兵器(物質的構造)によってではなく、物質的構造に与えられた意味(概念的構造)によって引き起こされます。米国と英国との間の社会的関係と、米国と北朝鮮との間の社会関係は、これらの国家によって同様の方法で認識され、この共有された理解(あるいは間主観性)がそれらの相互作用の基礎を形成する、ということを理解することが重要です。この例はまた、社会的文脈を理解しない限り、核兵器そのものはどのような意味も持たないことも示しています。さらにこのことは、構成主義者が世界政治への考え方や信念の影響を含めることによって、物質的な現実を超えて進むことを示しています。これにはまた、現実とは常に構成の途上のものであり、変化の見通しに開かれているということが伴っています。言い換えれば、意味は固定されておらず、主体が持っている考え方や信念によって時間の経過とともに変化することができます。

構成主義者は、作用と構造が相互に構成されていると主張しています。これは、構造が作用に影響を与え、作用が構造に影響を与えることを意味します。作用は、誰かの行動する能力として理解することができ、構造とは、物質的および概念的な要素からなる国際的なシステムを指します。上述したウェントの例に戻ると、このことは、米国と北朝鮮との間の敵対する社会的関係が、間主観的な構造(すなわち、両国家で共有されている考え方や信念)を表している一方、米国と北朝鮮は、敵対する既存の構造や社会的関係を変えたり強化したりする能力(すなわち、作用)を持っている主体であることを意味します。この変化または強化は、最終的には両国家の信念と考え方によって決まります。もしこれらの信念や考え方が変化すれば、社会的関係は友情のものへと変わる可能性があります。この姿勢は、国際システムのアナーキーな構造が国家の行動を決定すると主張するリアリストの姿勢とはかなり異なっています。これに対し構成主義者は、「アナーキーとは国家が作り出すものである」(Wendt 1992)と主張しています。これは、アナーキーは、主体がそれに割り当てる意味によって異なる方法で解釈できることを意味します。

構成主義のもう1つの中心的な問題は、アイデンティティーと利益です。構成主義者は、各国家は、他の主体との相互作用を通じて社会的に構成された複数のアイデンティティーを持つことができると主張しています。アイデンティティーは、主体が何者であるかという理解を表しており、それが彼らの利益が何であるかを知らせます。構成主義者は利益と行動はアイデンティティーからなると主張するため、アイデンティティーは構成主義者にとって重要です。例えば、小さな国家のアイデンティティーはある利益の集合を意味しますが、これは大きな国家のアイデンティティーが意味する利益の集合とは異なります。小さな国家はおそらくその生き残りに重点を置いているのに対して、大きな国はグローバルな政治的、経済的、軍事的な支配に関心があります。しかし、ある国家の行為は、その国家のアイデンティティーに沿ったものでなければならないことに留意すべきです。したがって、ある国家はそのアイデンティティーに反する行為をすることができません。なぜなら、国家の選好を含むアイデンティティーの正当性に疑問を投げかけるからです。この問題は、主要なグローバル経済での大きな力にもかかわらず、ドイツが20世紀後半に軍事大国にならなかった理由を説明するかもしれません。第二次世界大戦中のアドルフ・ヒトラー(Adolf Hitler)のナチス政権の残虐行為の後、ドイツの政治的アイデンティティーは独特の歴史的事情により軍国主義から平和主義へと移行しました。

社会的規範もまた構成主義の中心です。社会的規範は、一般に「所定のアイデンティティーを持つ主体のための適切な行動の基準」と定義されています(Katzenstein 1996, 5)。特定のアイデンティティーに適合する国家は、そのアイデンティティーに関連する規範に準拠することが期待されます。この考え方は、ある種の行為や行動が他のものよりも受け入れ可能であるという期待から来ています。このプロセスは、「妥当性の論理」としても知られています。そこでは主体は、所定の方法で行動します。なぜなら主体は、その行動が適切であると信じているためです(March and Olsen 1998, 951–952)。規範をよりよく理解するために、統制的規範(regulative norms)、制定的規範(constitutive norms)、規定的規範(prescriptive norms)という3つのタイプを特定することができます。統制的規範は行動を命じ、制限します。制定的規範は、新たな主体、利益または行動のカテゴリーを創出します。規定的規範は所定の規範を規定しており、それを促進する者の観点からは悪い規範はありません(Finnemore and Sikkink 1998)。規範は、受け入れられる前に「規範のライフサイクル」を経験することに注意しておくことも重要です。関連する国家主体の十分な数がそれを採用し、それを自分たちの慣習に内在化させた場合にのみ、規範は期待される行動になります。例えば、構成主義者は、人類の生存のために行うことが正しいことであるため、大部分の国家が一緒になって気候変動緩和の政策を策定していると主張するでしょう。これは、何十年もの外交と支持運動を経て、大勢の市民がその指導者が遵守することを期待するような適切な行動になっています。一方で、リベラルは、継続的な経済成長と革新的な科学的解決策を追求するほうを好むため、気候変動の政治の概念を拒絶するかもしれません。またリアリストは、気候政策が短期的な国益に与えるダメージのために、それを拒否するかもしれません。

すべての構成主義者は上記の見方と概念を共有していますが、構成主義の内部にはかなりの多様性があます。伝統的な構成主義者は、何が主体の行動を引き起こすかというような「何が」タイプの質問をします。彼らは、世界を因果関係で説明することが可能であると考えており、主体、社会的規範、利益、アイデンティティーの間の関係を発見することに興味があります。例えば、伝統的な構成主義者は、主体がそのアイデンティティーに従って行動し、このアイデンティティーがいつ目に見えるようになるかどうかを予測することが可能であると仮定します。アイデンティティーが変化していることがわかると、伝統的な構成主義者は、国家のアイデンティティーのどの側面が何の要因によって変化するのかを調べます。一方、批判的な構成主義者は、どのようにして主体が特定のアイデンティティーを信じるようになるかというような「どのように」タイプの質問をします。伝統的な構成主義者とは対照的に、彼らはこのアイデンティティーが持つ効果には興味がありません。むしろ、批判的な構成主義者は、アイデンティティーを再構成したい、すなわち、アイデンティティーの構成要素が何であるかを知りたがっています。彼らは、それが、人々の間で書かれたり、話されたりしたコミュニケーションを通じて創造されたと考えています。言語は、社会的現実を構成し、変化させる能力があるため、批判的な構成主義者にとって重要な役割を果たします。しかしながら、ほとんどの構成主義者は、スペクトルのこの2つの極端な端部の間に位置しています。

構成主義とブータンの国益

ブータンはヒマラヤに位置する仏教王国です。物質的な構成条件は、およそ745,000人の人口、38,394平方キロメートルの領土、弱い経済、および非常に小さな軍隊に反映されています。これに加えて、ブータンはアジアの2つの大国、北の中国と南のインドと国境を共有しています。ブータンの立地は地理的に敏感で、お互いのことを友人というよりもむしろライバルであると感じているこれらの大国の間の緩衝国家になっています。これに加えて、中国の指導部は、1950年代にチベットを併合した後、ブータンの領土もまた本土の一部であると主張しました。今日まで、ブータンと中国の間には現在も進行中の国境紛争が残っており、中国軍がブータンに数回侵攻したという報告があります。同様に、インドはブータンの外交政策に手を出しています。インド・ブータン友好条約(1949年)第2条では、「ブータンは、対外関係に関してインドの助言に導かれることに同意する」と記されています。この条項は2007年に改訂されましたが、インドは依然としてブータンに対して一定の影響力を有しているとの評論家の報告があります。

リアリストの観点からは、ブータンは地理的位置によって妨げられており、近隣諸国と力を競うことができないため、ブータンは好ましくない立場にあると主張するでしょう。国家主権の保護は、中国とインドの間のより大きな競争の結果に左右されるかもしれません。一方、構成主義の見解は、これらの構造的条件が、ブータンの国益を追求する能力を必ずしも制約しないと主張するでしょう。なぜなら、それらの構造的条件は、国家の行動に影響を及ぼす唯一の条件ではないためです。これらの構造的条件に与えられた意味もまた重要でなのです。例えば、チベットが中国に併合されたとき、ブータンは脅威を感じました。その結果、ブータンは北部で国境を閉鎖し、南部の隣人であるインドのほうを向きました。そのとき以来、ブータンは中国を潜在的な脅威と見て、インドは友人として認識しました。今日まで、ブータンとインドはお互いを友人として認識しているのに対し、ブータンは中国と公式の関係はありません。これらの社会的関係は、物質的な構造に与えられた意味から生まれた概念的な構造を表しています。しかしながら、ブータン、インド、中国の考え方、信念、行動に応じて、社会的関係が変化する可能性があることに注意することは重要です。例えば、中国とブータンの間の国境紛争に関する合意は、両国が互いをどのように認識しているかを変えるかもしれません。この変化は公式の関係を確立することにつながる可能性があり、その性質は敵意ではなく友情です。構成主義者は、彼らの調査対象として国家間の社会的関係に焦点を当てているため、これらの変化を検出して理解するためによい立場にいます。

ブータンはまた、自分たちをより大きな隣人たちと区別するための独特な国家アイデンティティーを発達させました。このアイデンティティーでは、ブータンのことを「世界で最後に生き残った独立した大乗仏教の王国」(Bhutan Vision 2020, 24–25)と称しています。「独立」という言葉の使用は、ブータンの国益(国家主権の保護)を直接指しています。ブータンの国家アイデンティティーは、ブータンの第4代国王が「ひとつの国家、ひとつの国民」政策を導入した1980年代に始まった、ブータン化プロセスを通じて社会的に構築されています。この政策は、ディクラム・ナムザ(Driglam Namzhag)として知られる行動規範の遵守を要求しました。この行動規範は、親族の強い忠誠心、両親、年長者、目上の人への敬意、そして支配者と被支配者の間の相互協力など、誓いの厳格な遵守に基づいています。それはまた、男性用のゴーと女性用のキラという国家的な衣装を着用するための規則を強化しました。これに加えて、ブータンの国語としてゾンカ語(Dzongkha)が選ばれました。ディクラム・ナムザは、この政策の目的が行動を導き、制約することにあるため、統制的規範と考えることができます。例えば、ブータンの国家アイデンティティーは、ブータン人が均質な一群を構成していることを示唆していますが、ブータンは実際には多民族、多宗教、多言語の国です。ガロン族(Ngalong)、シャルチョップ族(Sharchhop)、ネパール系のローツァンパ族(Lhotshampa)の3つの主要な民族グループがあります。これらの中で、ガロン族とシャルチョップ族は仏教徒であり、ローツァンパ族は主にネパール語を話すヒンズー教徒です。ディクラム・ナムザの政策は、ネパール語が学校でもはや教えられなくなり、1958年以前のブータンでの居住を証明できなかった人々は、国民でないとして分類したため、ローツァンパ族に重大な影響を及ぼしました。その結果、1990年代に何千人ものローツァンパ族がブータンから追放されました。したがって、この行動規範は、ブータン当局が文化的団結を創造し、国家アイデンティティーを創造するうえで最も重要な文化的独自性を市民に反映させるために使用されています。

この章の前半で述べたように、規範は確立する前にライフサイクルを経験しなければなりません。ブータンの場合、ブータン当局によるディクラム・ナムザの創設において、最初の段階である規範の出現を目撃することができます。第2段階の規範の受容では、国民の服装と国語としてのゾンカ語とを含むディクラム・ナムザを受け入れることがブータン市民に求められました。この受容が起こると、規範の内面化が起こります。このプロセスの完了は、ブータン市民の行動がこれらの規範と実践によって境界線がひかれることを必然的に伴います。この境界線はまた、ディクラム・ナムザの制定的な性質を示しています。これは新しい主体、すなわち特定の規則に従って行動し、行為するブータン市民を創出しました。例えば、これらの規範や慣習は今日まで規制されていることがわかります。例えば、ブータン市民は、国のイベントや学校や職場に通うときに、国の衣装を身に付ける義務があります。この規則は、先に説明したように、国家と国民の行動はブータンの国家アイデンティティーに関連する規範を遵守するべきであるために、重要です。この規制はまた、これらの規範が、規範の規定的性質を強調しているブータン当局によって、良いものとして認識されていることを示しています。

ブータンのエリート階級の人々は、ブータンを全体的かつ持続可能な開発パラダイムを推進するためのリーダーとする第2のアイデンティティーも創り出しました。このアイデンティティーは、ブータンの開発哲学、国民総幸福(GNH)に基づいています。GNHは、国家の経済のみに焦点を当てたよく知られている国内総生産(GDP)アプローチを批判しています。代わりに、GNHは、物質的な福利と心の霊的な必要性との間のバランスを促進します。それは、ブータンの政治・教育制度に組み込まれて、実行されています。ブータンのエリート階級の人々は、国際的にその構想を推進するためのプラットフォームとして主に国際連合を活用してきました。その後、国連は決議65/309を採択した。これは、幸福の追求は基本的な目標であり、国内総生産の指数は人々の幸福を考慮して設計されておらず、十分に反映していないと述べています。ブータンのことを、世界で最後に生き残った独立した大乗仏教の王国としての国家として、そして全体的かつ持続可能な開発パラダイムを推進するリーダーとして提示することにより、ブータン当局は独立した主権国家としての自国の地位を示すことができます。また、これによりブータンは国際的な視認性を高めることができ、それは近隣諸国との緊張が高まっている場合には有利に働きます。

結論

構成主義は、しばしば、行動、相互作用、および認識が現実を形作るという、明らかなことを単に述べているだけだと言われています。確かに、その考え方はこの理論のファミリーの名前の源です。私たちの思考と行動は、文字通り国際関係を構成します。しかし、この見かけ上は単純な考え方は、理論的に適用すると、私たちが世界を理解する方法に大きな影響を与えます。国際関係論の学問分野は、主流派の理論、特にリアリズムによって無視されている問題や概念に対処する際に、構成主義から利益を得ています。そうすることで、構成主義者は、社会的な世界で起こっている出来事についての代替的な説明と洞察を提供します。例えば、彼らは、国家の行動を説明するのは、物質的な力、富、地理的条件の分布だけではなく、考え方、アイデンティティー、規範もまたそれを説明できることを示しています。さらに、彼らの概念的な要素への焦点は、現実は固定されておらず、むしろ変化するものであることを示しています。

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