国際関係論 -第15章 環境-

Japanese translation of “International Relations” edited by Stephen McGlinchey

国際関係論についての情報サイトE-International Relationsで公開されている教科書“International Relations”の翻訳です。こちらのページから各章へ移動できます。以下、訳文です。

第15章
環境
ラウル・パチェコ-ヴェガ(RAUL PACHECO-VEGA)

今日、私たちの惑星は70億人以上の人口を抱えています。しかし、これらの個人のそれぞれを養っていく能力は、人口増加、気候変動、森林減少、漁業の崩壊、砂漠化、大気汚染、淡水の不足によって脅かされています。私たちの共有するグローバルな環境問題の全体像は、地球規模の気候変動(または地球温暖化)としてよく知られている課題をはるかに超えています。実際のところ、しばしば忘れられている要素の1つは、人間とその環境との複雑な関係です。環境保護をめぐる対話の最初の時期に、地球の資源は私たちの集団的消費のためにあると主張した人々もいました。しかしながら、成長には限界があり、これは国際関係にとって重要な一連の問題を提起します。私たちの人口は1900年から2000年の間に4倍になりました。この成長は、突然の気候変動の影響とともに、急速な工業化と急激な都市拡大によってさらに複雑化し、この地球の生物を維持する能力を圧迫する負の環境的な変遷のパーフェクトストームを形作っています。IRの学習者として、環境は多くの成し遂げるべき仕事が残っている分野の1つであることを認識すべきです。なぜなら、特に環境保護への協力的アプローチは、失敗した場合の重大な意味合いにもかかわらず、非常に功罪相半ばした記録を有しているためです。

国際関係と環境問題の関係

国際協力の取り組みが、社会の福利、環境の質、あるいは国家間の長期的関係の構築にさえ実質的な影響を及ぼしているかどうかを評価することはしばしば困難です。評価の1つの形式は、環境に焦点を合わせた「メガコンファレンス」の研究を通して行われます。これらの大規模なイベントでは、各国政府、政府間事務局、NGO、学術界、産業界の代表者が集まり、環境の状態に関する対話を行います。彼らは通常、間近にある特定の問題に焦点を当てています。これらのメガコンファレンスを興味深いものにするのは、その目標が、環境を保護し、地球規模の課題を解決するための具体的な戦略に関する合意と意見の一致に達するための生産的な共同作業に従事することであることです。

歴史的に最も注目を集めてきた2つの環境問題は、気候変動と生物多様性です。これらの問題は1992年にリオデジャネイロで開催された地球サミット、正式には環境と開発に関する国連会議で浮上しました。それにもかかわらず、大部分の学者は、1972年に開催された人間環境に関する国連ストックホルム会議のことを、環境に焦点を合わせた最初の大規模な会議として思い出すでしょう。ストックホルム会議は、環境保護のための最初のグローバルな協調メカニズムである国連環境計画(UNEP : United Nations Environment Programme)の出発点でもありました。この会議は、参加者が人間の健康と環境や生態系の健康とを明示的に結び付けた最初の会議でもありました。

グローバルな環境の統治における第2のマイルストーンは、1987年にブルントラント報告が出版されたことです。このレポートは、私たちが利用できる資源を単純に使用(および悪用)することはできないという考え方を考慮に入れた、開発のための新しいモデルの必要性を概説しました。この新しいモデルは、持続可能な開発と名づけられ、環境保護に関する世界的な対話に永続的に含まれるような部分となりました。ブルントラント報告は、持続可能な開発が経済、環境、社会という3つの主要な要素を持つと定義しています。この概念は、のちに地球サミットにおいて、その遂行のために提案されました。

3番目のマイルストーンは、1992年の地球サミットでした。この会議の主な成果は、生物多様性の喪失と急速な気候変動という2つの最も重要な環境問題と、これらの2つの課題に対応する政府間事務局と協定の必要性の認識でした。世界の国家の大部分、161カ国が、将来の世代が相応の生活することを可能にするとともに、現在の世代の生活環境を促進するグローバルな開発モデルの必要性に関する宣言に署名しました。非常に多くの国家が持続可能な開発の概念とそれを運用する必要性についての合意に達したという事実が、地球サミットの重要な貢献となりました。活動家の関与は、リオサミットをはじめとする環境問題に関する国際会議での標準となりました。非政府組織は当初から交渉の一部とみなされ、2000人以上の非政府代表が参加しました。

第4のマイルストーンは、2002年の持続可能な開発に関するヨハネスブルグ世界サミットでした。その目標は、政府間、学際的、部門横断的な協力的パートナーシップを確立することでした。理論的には、これは環境活動家が各国政府と相互作用し、協力する方法を強化するものでした。異なるタイプのパートナーシップが明確にされ、非国家主体は設計段階から実施段階まで考慮されました。しかしながら、首脳会談後、実施の面ではほとんど進展が見られないという認識が広まり、メガコンファレンス疲れの感情を引き起こしました。これを改善するために、2012年の国連持続可能な開発会議(リオ+20とも呼ばれる)は、持続可能な開発へのコミットメントのフォローアップの仕組みを作り出しました。また、開発のための具体的な目標の妥当性、および広範な持続可能な開発目標への移行の必要性を強調しました。さらに、この会議の成果文書は、持続可能な開発の実施に向けた具体的な地域イニシアティブを定義しています。

2015年のパリ協定は、地球温暖化の水準を摂氏2度以下に維持するために行う必要のあることが多くの国々の間で合意されたことを表しました。合意が達成されたという事実は、グローバルな気候に関する交渉の共同体にとって画期的なものでした。これまでの交渉は、国際的に合意された炭素排出量の目標に達するよう国家を強制する戦略について、意見の不一致と合意の欠如により特徴付けられていました。これは、主に石油、天然ガス、石炭などの化石燃料をエネルギーとして燃焼させることによって放出される二酸化炭素が、地球温暖化の主な原因であるため重要です。それにもかかわらず、パリ協定は、急速で影響の大きいグローバルな環境の変化に対処するために必要な具体的な目的、達成目標、政策について、多くの国が合意できることを示しました。それが確立したプロセスはまだ完全には実現されていませんが、今後の年月で国家が遵守することが期待されます。

気候変動は、私たちの惑星の唯一の生態学的な問題ではありません。しかし、環境を保護するためのグローバルな行動の触媒となる役割は誇張ではありません。最も無視されている問題の1つは水です。地球は3分の2が水で覆われていますが、そのうちの一部である真水(飲むことができ、農業に利用できる)は、近隣諸国で争われたり、人口増加のために不足したりしています。気候変動の影響に加えて、水へのアクセスは真正な関心事です。気候と環境の分野では他にも多くの課題が残っていますが、近い将来、グローバルな水の統治の枠組みが議題の中で大きな課題となる可能性があります。

共同利用資源理論

メガコンファレンスの簡単な歴史を見終えたので、気候と環境に関する論争の内容についての議論にうつることができます。公共財の概念は、非排他的で非競合的な財という本来の定義から来ています。他の誰かがそれを利用する量を減らすことなく、いつでも誰でもアクセスできるものを考えてみてください。公共財の最良の例は知識です。この場合、インターネット上で見つけた情報の例を使用することができます。すべての知識は、いったん解放され公共の消費のためにオンライン化されると、消費において非排他的であり、非競合的です。特定のウェブサイトを禁止している一部の国などで知識伝達手段にアクセスできない場合を除いて、知識と学習を消費する人を除外することはできません。あなたはまた、消費において非競合的な経験をしています。空気は公共財のもう一つの例です。通常の状況下では、誰もあなたが肺へと空気を吸い込むことを止めることはできません。あなたが空気を吸うという事実は、他の誰かがそれを楽しむ機会を得るのを妨げるものではありません。これが完璧な公共財の定義です。公共財とは常に、消費において非競合的であり、アクセスにおいて非排他的です。

共同利用資源理論は、私たち自身の意志のままにしておくと、私たちが消費するために利用できるすべての資源を使い果たしてしまうと述べたギャレット・ハーディン(Garrett Hardin)に由来しています(Hardin 1968)。あなたがエビの漁師であると想像してみてください。あなたは家族を養うためにエビを釣り、売る必要があります。あなたが釣りに行く小さな集水域には1万匹のエビがいるとしましょう。しかし同時に、この海には99人の漁師がいます。全員が協力して、すべての利用可能なエビの100分の1だけ捕獲すれば、それぞれ100匹のエビを売ることになります。もしある漁師が100分の1以上を捕まえると、他の漁師に悪影響が及ぶでしょう。ハーディンは似たような例を用いて、もし資源消費者が自分勝手に行動すれば、彼らが保全するはずの資源を使い果たしてしまうという点を指摘しました。ハーディンはこれを共有地の悲劇と呼びました。閉鎖された水域、土地の区画、森林の大域的な区域はすべて共同利用資源です。それらは消費においては競合的ですが、非排他的です。

私的財、共同財、クラブ財および公共財の4つの特定のカテゴリに財を配置することによって、共同利用資源の理論を要約することができます。この分類枠組みは、2つの次元を有します。最初の次元は排他性です。もし誰かが財にアクセスするのを防ぐことができれば、その財は排他的です。第2の次元は消費における競合性です。枯渇するような財は消費において競合的です。もし私がリンゴを消費すれば、私はすでにそれを食べたので、あなたは同じリンゴを食べることはできません。食料、衣類およびその他の物的対象などの私的財は、取引可能であるため購入および獲得することができます。結果として、これらの財は消費において競合します(もし私が車を買うなら、誰もその同じ車を買うことができません)し、排他的です(もし買うお金を持っていなければ車を買うことはできません)。

消費において非競合的で非排他的な財は公共財と呼ばれます。これらは誰もが享受できるものです。それらを消費しても、他の誰かが同じ消費機会を持つ可能性は減りません。空気は公共財です。ある時間において単に他の誰かが呼吸しているために、呼吸することができなくなるという心配をすることなしに、誰もが呼吸することができます。最後に、共同利用資源とも呼ばれる共同財は、非排他的であるものの消費において競合する財です。漁業における魚、森林の中の木、帯水層や湖の水。これらの天然資源はすべて共同財であり、したがって共同利用資源です。共同利用資源を非常に興味深くしているのは、エリノア・オストロム(Elinor Ostrom)によって開発された理論で、人間が利己的であると想定されているにもかかわらず、希少性の条件に直面すると、私たちは共同利用資源(私たちの「共有地」)を自己組織化し、持続可能な方法で管理できるということです(Ostrom 1990)。オストロムの仕事がそのような影響を及ぼした理由の1つは、資源の統治に対する彼女の協力的アプローチの理論がハーディンの共有地の悲劇のモデルと矛盾していたからです。オストロムは、(例えば)すべてのエビを釣りたいと思うほどに利己的である代わりに、漁業者たちは共同体の福利のために自分の消費を減らすという共通の合意を構築するであろうことを発見しました。明らかに、これは比較的小規模な例です。グローバルな共有地を守るために私たちがグローバルな協力を達成することができるかどうかはまだ分かりません。これについて考える1つの方法は、以下に述べるように、グローバルな公共財のレンズを通して見ることです。

グローバルな共有地としてのグローバルな環境

おそらくあなたは、共有された環境は共同体と個人とが協力して保護するような資源であることに同意するでしょう。しかし、環境管理の責任が政府にあるというもう一つの考え方があります。このことを考える方法の1つは、グローバルな共有地としてのグローバルな環境という概念を使用することです。結局のところ、地球規模の環境問題は本質的にグローバルなものです。しかしながら、国際協力を達成するのは困難です。米国の例が示すように、様々な理由で協力を避ける有力な国々がいます。長年にわたり、米国は、気候変動に関する国際協定、すなわち京都議定書(2015年のパリ協定への前身)に署名することを拒否して、世界の二酸化炭素排出量を削減するための多くの国際的な取り組みを阻害してきました。ここで引用できるその他の例がいくつもありますが、グローバルな問題を解決するために有力な国が協力を拒絶することは、懸念すべきことだと言えば十分です。各国を、(森林政策での)具体的な保全目標や、(気候政策での)排出削減目標や、(水政策で)河川の汚染基準などにコミットさせるのは困難です。なぜなら、それぞれの国が、他の国の目標と競合する可能性のある独自の国家開発目標を持っているので、共同作業の共通基盤を見つけるのが難しいためです。

国境を越えた連携が難しいことを踏まえたうえで、私たちは、これらの国々が互いに話し合い、環境保護の具体的な目標に合意するための枠組みを構築する国際的な環境協定を作成します。最も知られている国際環境条約のいくつかは気候変動の分野(京都議定書のような)に特有のものですが、あまり知られていない他の例 — 環境問題における情報へのアクセス、意思決定への公衆の参加、司法へのアクセスに関するオーフス条約 — も同様に意義があります。環境問題に関する個人レベルで行動することの最大の問題の1つは、情報の欠如です。オーフス条約批准国は、各国の市民が化学物質の処理と排出に関して直面する可能性のあるリスクを理解するためのデータを共有することで合意しています。この情報はまた、環境活動家が産業界に説明を求め、汚染排出の削減を確実にするのに役立ちます。

グローバルな権利および国内の環境政治と政策

私たちは誰もが自分の環境を享受し、生きていくために資源の一部を使う権利を持っているため、健康的な環境とグローバルな共有地への権利は、私たちの集合的な環境に気を配るのが私たちの共通の責務であるということを示唆する概念です。健康的な環境への権利の国際的規範の実施を通じて、人権とグローバルな環境規制を結びつけることが可能です。これは国際関係の研究者のための新しい研究分野であり、地球上のすべての人が健康的な環境への権利を持っているという一般的な考え方、または規範に基づいて確立されています。各国家は異なる能力を持ち、規範を実施する技術的専門知識の程度が異なるにもかかわらず、憲法上に環境権を規定する国の数は急激に拡大しています(Gellers 2015)。現在80の国家が、憲法にそのような法文を制定していますが、この規範を基本的人権として受け止めるには、まだかなり遠いところにいます。

もちろん、政府の関心を環境問題からそらす他の多くの懸念もあります。鉄鋼や石炭などの汚染度の高い特定の産業で規制を増やすことは、雇用に悪影響を及ぼす可能性があります。直接的に、あるいはエネルギー料金のようなものを通じて「グリーン」税を設定することは、納税者や事業に負担をかける可能性もあります。したがって、環境法制が経済成長と繁栄に損害を与えると見なす傾向があります。それはまた、国内の状況では不人気で、法律制定やある事案では法律の提案すら難しくなる場合もあります。そのため、多くの国内法が推進力を得ているのを見ることは勇気づけられます。健康な環境への人権が憲法上制定されている国の数は、グローバルな共有地を保護するために、協調的な国境を越えたネットワークを構築するのに役立つかもしれません。出発点は、国内やグローバルな生態系への人間の影響を減らす必要性に対する共有された理解でしょう。人権を健康な環境へと押し広げるパラダイムを共有することは、各国政府が国際的な環境協定に積極的に参加するよう誘導するかもしれません。それにもかかわらず、これらの協定を調整する方法を見つけることは重要であり、この挑戦​​は、国家の遵守を確実にするためのグローバルな環境組織が必要かどうかの疑問を提起します。

各国家の中だけでなく、国際的に作られた解決策が、この地球の市民のための最良の状況をもたらします。そして最も重要なのは、それが遵守されることです。IRはしばしば、締約国が不正行為をしたり、協定から離脱したりする現象に関心を持っています。おそらく、私たちの長期的な繁栄と安全にとって、気候や環境の分野よりもコンプライアンスが重要である分野はないでしょう。

私たちはグローバルな環境組織を必要としているでしょうか?

私たちのグローバルな環境を保護する責任者は誰でしょうか?この質問に答えるために、あなたはまず、グローバルな公共財を提供する高い目標を達成するのに役立つ特定のツール、すなわち国際環境協定に関するコンセンサスが現在あることを、前節から思い出してください。これらの協定は、しばしばメガコンファレンスによってもたらされ、国々が健康な環境への人権を認め、尊重することを要求することにより、グローバルな共有地を保護するのに役立ちます。しかしながら、次の大きな疑問は、同様に重要な問題です。誰がこれらの国際的な環境取り決めを実施するのでしょうか?各国が私たちの共有された環境の保護に協力するようにするためには、国際的な政府間事務局が必要だと主張する者もいます。これは、環境品質を向上させる努力を調整することを唯一の目的とする幅広い国際機関の形を取ることになるでしょう。

何年もの間、国連環境計画が、私たちのグローバルな生態系のネットワークと共有資源への挑戦に立ち向かう仕事が課されているという共通の信念がありました。これは1972年のストックホルム会議後の創設の初期段階では当てはまったでしょうが、予算の限られた、国家を特定の方法で行動させる権限がない小規模機関にとっては、地球環境を保護することは不可能な課題であることが明らかになりました。現実には、地球環境保全のための国家間の国際協力の強化に関心が高まっているにもかかわらず、異なるレベルの環境問題に取り組む機関、組織、プログラムの数の規模や複雑さが増加しました。残念なことに、突発的な気候変動の事象、森林伐採の増加、海洋、河川、湖沼の汚染の増加などへが頻繁に言及される事態は、私たちがこれらの複雑な地球環境問題を未だ解決できていないことを明らかにしています。また、国連環境計画が地球環境保全の任務を担うべき機関かどうか、あるいは新しい地球環境組織(Biermann 2000参照)を創設すべきかどうかについてはまだ合意されていないものの、国家、地域、地方レベルではなく、国際レベルでの集団的解決策に焦点を合わせることを確実にしなければなりません — 私たちはみな地球を共有しているのです。

楽観的な記述を付け加えるために、少なくとも1つのグローバルな環境協力の事例、すなわち2015年のパリ協定を見ることができます。これは、国連気候変動枠組み条約事務局長のクリスティアナ・フィゲレス(Christiana Figueres)が率いたもので、1つの政府間事務局だけで環境保護のための国際協力において何を達成できるかを示した例です。地球の温度上昇を摂氏2度以下に維持するという目標を達成するために、各国が引き受けるべき特定の戦術と戦略について世界の大部分の国が合意に達することができたという事実は賞賛されるべきです。さらに重要な点は、この協定が世界の2大汚染国である米国と中国の支援を確保したことです。この事務局はおそらく今私たちが必要とするグローバルな環境組織ではありませんが、それは重要な時期に重要な役割を果たしました。

グローバルな環境組織を持つべきかどうかをめぐる議論に決着がつくことはないかもしれません。しかしながら、もし私たちがそのようなものを設立しようとするならば、成功のチャンスを勝ち取るためには、すべての国家から最大限かつ完全な協力が必要でしょう。以前のメガコンファレンスと運動の例に基づくパリ協定の例は、環境を保護するための国際的な協力が高まっていることを示唆しています。これは、気候協定の性質に関するいくつかの国の政治的緊張の高まりにもかかわらず、将来への希望を提供しています。

結論

強固で、堅牢で、効果的かつ効率的なグローバルな環境ガバナンスを構成するのは何かについての共有された理解に関して、私たちにまだ多くのやるべき仕事が残っていることは明らかです。私たちは、環境問題に取り組むための国内政策の戦略と、地域および国境を越えたイニシアチブとをよりよく統合する必要があります。これは、柔軟性があり、地域レベルからグローバルなレベルまでさまざまなレベルを横断する環境を管理するモデルの条件を作り上げることを意味します。また、グローバルな公共財やグローバルな共有地の考え方に基づく枠組みは非常に有用であることも明らかです。しかしながら、同時に、どのような規模であっても集合的な行為は明らかに大きな課題であるため、それは大変な仕事です。さまざまなレベルの政府にわたって、幅広い問題分野にわたって、そして広範な政治的および政策的な主体にわたって協力を確保するための仕組み、モデル、戦略を見つけようとする試みは、経験が示すように、問題があり難しいプロセスです。今日、世界の国々は、地球温暖化と気候変動という主要な問題を含む、環境保護のための特定の目標に関連して共通の基盤を見つけることができています。希望は、この地球上で私たちが健康で幸せに生き続けることができるように、この趨勢を継続することにあります。

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