視点:文化人類学への開かれた招待 第2版 —第14章 文化と持続可能性:人新世の環境人類学—
Japanese translation of “Perspectives: An Open Invitation to Cultural Anthropology, 2nd Edition”
コミュニティーカレッジ人類学協会(SACC)のサイトで公開されている教科書“Perspectives: An Open Invitation to Cultural Anthropology, 2nd Edition”の翻訳です。こちらのページから各章へ移動できます。
第14章 文化と持続可能性:人新世の環境人類学
クリスチャン・T・パーマー、ウィンドワード・コミュニティーカレッジ
ctpalmer[at]hawaii.edu
学習目標
•人類学者が人間と環境との相互作用を調べるために使用する方法と理論を特定する。
•政治生態学を定義し、それと人類学との関係を説明する。
•人新世を記述し、環境破壊における人間の役割を理解することに対して人類学がどのように貢献しているかを議論する。
•人類学が、主要な環境上の課題に関して、議員、活動家、企業、その他のものとの公共の議論および公共政策の作成にどのように貢献するかを説明する。
人新世を生きる
私たちは、風、降水、天気、気温などの気候が人類の集合的影響によって変化している惑星に住んでいます。私は、環境に対する人間の影響を理解することに興味を持ち、人類学にたどり着きました。私は学部生として民族植物学を勉強することから始め、環境科学の修士号を取得しました。私が人間と環境の動態を調査するにつれ、科学者は世界の差し迫った環境問題の多くに対処するために何をする必要があるかをほぼ特定しているものの、政治的、文化的、経済的な力によって妨げられて、推奨される変更のほとんどが採用されていないということに私は気付きました。人類学者のアプローチは全体論的です。彼らは、人間と環境の相互作用の複雑さを完全に探求するために、政治的、文化的、経済的要因の相互作用のすべてを同時に理解しようとしています。したがって、私は、人類学が私たちの種の直面する最も重要な問題のいくつかを理解し、対処し始めるための良い出発点を提供してくれると感じました。たとえば、私たちはどうすれば、他の種の福利を犠牲にすることなく、基本的な人間の必要性を提供することができるでしょうか?なぜ多くの人々が環境の保護を大切に思うと言うのに、それについて何もしないのでしょうか?どのような政治的、経済的、文化的要因によって、世界の指導者がグローバルな環境課題に対する解決策に同意することが妨げられているのでしょうか?このような質問に答えるには、私たちは、人間が集団としてどのように考え行動するか、すなわち、私たちがお互い、他の種、および私たちの周りの世界と相互作用するための社会的・文化的に媒介されるやり方を理解しなければなりません。
環境人類学にたどり着く
多くの点で、学問分野としての人類学はこれらの質問に対処し始めたばかりです。2014年12月、フランスの人類学者ブルーノ・ラトゥールは、ワシントンD.C.で開催されたアメリカ人類学会の年次総会で立ち見が出るほど満員の聴衆に向けて話し、人新世と人類学との関係について議論しました。[1]人新世とは、森林を野原や牧草地に変え、石油、ガス、および石炭を大規模に燃やした結果として、人間の活動の影響が地球の基本的な地球化学的循環を変えたような地質時代の紀(または世)を表すために使われる用語です。地球の大気を変えたのは人間の活動であるため、人類学者は、人間とその文化的なシステムの影響を考慮することによって、地質学、化学、気象学の研究に重要な貢献をすることができます。ラトゥールが指摘したように、人類学の学問分野は、さまざまな人間の集団が行う選択の背後にある理由を決定し、社会科学と自然科学を橋渡しし、文化的な普遍性(すべての人間が共通に持っている特性)と特殊性(興味深い文化的な差異)の間の矛盾を研究することによって、現在の環境危機の主要な構成要素への洞察を提供することに対して独特な資格を有しています。
この章では、人類学者が環境問題の分析と解決策にどのように貢献してきたかを要約します。私はまず、人間と環境との相互作用の人類学的分析の短い概要から始め、その後、人間と環境の相互作用に向ける人類学的な視点が時間とともにどのように変化してきたかを探ります。私は、この章の最後で行動を呼びかけます。これは、学生たちに対して、人類学から学んだ教訓を活用して現在の環境危機を生み出した種類の思考に挑戦し、それらの人類学的アプローチが彼らをどこに導くかを見るように勧めるものです。環境の持続可能性の問題が私たちの種と地球の未来についての科学的な会話や一般的な会話の中心になりつつあるため、環境人類学は重要性が増していくエキサイティングな下位分野となっています。
人間と環境
自然人類学と考古学の両方を含む古典的な4分野アプローチから人類学を考えると、それらの分野が歴史的に取り組んできた質問の多くは、私たちの種と環境との長期的な関係性に関連していました。約200万年前、気候変動によりアフリカの森林の量が減少して草原が拡大し、初期のホミニンの分散(複数のホミニンの種の地理的拡大)につながりました。それはまた、ホミニンの種が直立歩行し、道具を作って使用するために手を解放することにつながりました。その後の気候変動、特に氷河期に関連する氷河の膨張と収縮も、ホモ・サピエンスが地球の新しい部分に拡大することに貢献しました。
およそ1万年前の人間の農業の始まりまで早送りすると、ホモ・サピエンスの世界的な拡大とその最初の恒久的な居住地および都市中心部とが、どのようにして農業(環境と相互作用するまったく新しい方法)の発展につながったかがわかります。最初に単純に野生植物の成長を促すことにより、後に作物を植えて灌漑し、植物や動物を栽培化・家畜化することにより、初期の人間が景観を形作る能力は、人間と地球との現在の問題のある関係への道を歩み始めました。人間の食事、道具、建築についての考古学者の質問は、必然的に古代の文明が環境とどのように相互作用していたのかを探ることになります。たとえば、考古学者は、人間と自然のプロセスの両方を通じて時間とともに景観がどのように変化したかを理解するために、数千年にわたるさまざまな種類の花粉の相対的な頻度と年輪を調べます。
多くの考古学者は、農業の到来によってもたらされた生産性の向上のことを、文明の基盤であり、人間がより大きな集落に住み、工芸品の生産に特化し、社会的階層を発展させ、最終的に数学、筆記、科学を発展させることを可能にしたものとして認めています。この視点からは、社会的複雑さの種子は、肥沃な三日月地帯を取り巻く丘陵で栽培化された最初の穀物の中に含まれていました。他の人は、農業の効果が純粋に有益であったという考え方に疑問を呈しています。たとえば、マーシャル・サーリンズは、採食(狩猟採集)社会を「原初の豊かな社会」と呼び、狩猟採集民は農業社会や産業社会よりも多くの余暇時間、より健康的な食生活、より多くの社交の時間、より大きな社会的平等があったと指摘しました。[2]彼はまた、狩猟採集民がすべてを持っていたからではなく、彼らが食糧、住処、社会性の基本的な必要性を簡単に満たすことができたからこそ彼らは豊かだったと述べました。他の人たちは、科学、医療、通信技術の進歩に目を向け、農業によってもたらされた発展によって私たちはより恵まれた状態になっていると主張し、サーリンズに反論しました。サーリンズの農業に対する(およびその後の文明に対する)批判は、非工業化の提案と見なされるべきではありません。むしろそれは、西洋文明とその技術開発が必然的に人間社会の改善を表すという仮定に対する挑戦です。おそらく、資本主義と工業化に対抗する最も強力な議論とは、それらのシステムがもたらした環境崩壊の現実的な可能性です。
サーリンズの分析では、種としての人間は必然的に歴史を通じて進歩しているという考え方に疑問を投げかけ、「必需品」がどのようにして文化的に構築されているかを考えるよう私たちに促しています。私たちは、幸せであるために、本当に車や携帯電話が必要なのでしょうか?本やワクチンはどうでしょうか?テクノロジー、農業、および輸送における革新の多くは、私たちを支える自然のシステムの犠牲の上に成り立ってきたため、私たちは環境への影響との関係の中で人間の「進歩」について考える必要があります。化石燃料への依存に由来する気候変動、化学産業の拡大による有毒な副生成物、および工業化された農業による土地、土壌、水の汚染の影響は、物事がますます良くなることを期待する人類の歴史の展望に対する重大な挑戦となっています。
初期の社会の崩壊の考古学的証拠、たとえばインダス川渓谷のハラッパーの都市群、中央アメリカのマヤ、イースター島のラパ・ヌイなどは、多くの先史時代の文化の実践が、何らかのレベルで、環境的に持続不可能であり、森林破壊、土壌の塩化、または侵食につながったという冷徹な警告を与えてくれます
たとえば、考古学者は、環境の視点からマヤの多くの都市の崩壊を調査しています。[3]近くの湖底からの花粉のサンプルを調べた後、彼らは、トウモロコシ畑や松林などのさまざまな生態系の相対的な豊富さを経時的に決定しました。彼らは、マヤのコパンの都市周辺の人口の増加に伴う高地の森林伐採が、この都市の衰退につながった要因の1つであることを発見しました。農業生産を増やし、家の建設、調理用の火のための燃料、石灰(大規模な建設プロジェクトの石膏を作るために使用されました)の生産に向けた木材を収穫するために、土地が切り開かれました。この研究は、先史時代の集団が適切な環境管理システムを欠いていたことが、複雑な都市社会を維持する能力に影響を与えた可能性があることを示唆しています — これは今日の社会にとっての警告です。
文化、植物、および経済の間の複雑な関係についてのもう1つの興味深い話は、カリブ海地域のサトウキビプランテーションの発展に関するものです。人類学者のシドニー・ミンツは、私たちの甘いもの好きがいかにしてアメリカ大陸における奴隷貿易、工業化、資本主義、植民地化の発展につながったかを記録しました。[4]彼は、どのようにして砂糖が、香辛料や薬として上流階級に付随する贅沢品から、工場労働者の通常の必需品になったかを調べました。工業化に伴う砂糖の消費の増加は、アメリカ大陸での奴隷制度と植民地化プロジェクトを継続するための経済的インセンティブを提供しました。ミンツの研究は通常、環境人類学とは言われませんが、人間とサトウキビの関係性についての彼の注意深い記録は、人類の歴史を形作る上での特定の植物種の重要性を明らかに示しています。
人間が狩猟や採集、農業、森林伐採を通じて環境とどのように相互作用するかという質問は、人間の集団がどのようにして基本的な必要性を満たし、生き残って発展し続けるかを理解する上で中心的なものです。これらの過去と現在の文化的構成を批判的かつ慎重に調べることにより、人類学はそのような環境についての質問を理解するための貴重な視点を提供してくれます。
持続可能性と公共人類学
環境人類学は、人類学者がより大きな公共の討論に参加する機会を提供します。たとえば、アメリカ人類学会は最近、「グローバルな気候変動に関連する問題への人類学の貢献を認識し、新しい研究の方向性を明確にし、講座のカリキュラムの開発とこの問題への人類学的理論・方法の適用とを含むこれらの問題への人類学的調査を支援および促進するための行動と勧告をアメリカ人類学会に提供する」ことを意図した、人類と気候変動に関する声明を公表しました。[5]このような声明は、現在の科学的および政治的議論への人類学の貢献の重要性を強調しています。
人類学者は世界中の環境問題に関与するようになっています。たとえばブラジルでは、彼らは先住民グループと協力して土地の権利を主張し、森林破壊を防ぎ、河川の生態系を脅かす大規模な水力発電プロジェクトの建設に反対しています。[6]他の人は、生物多様性の主要な保全戦略としての世界中の保護公園の開発に挑戦し、地域のコミュニティーに対するそれらの保護公園の影響を調査しました。[7]これらの多様なトピックの研究は、人々の集団が環境とどのように相互作用するかを理解するために、アイデンティティー政治、場所とのつながり、文化的信念の重要性を強調する民族誌的視点を組み込むことから利益を得ています。また、この研究は、環境保護主義と保全が西欧と北米で開発された一連の信念、仮定、世界観に基づいたものであり、環境保護主義者が他の文化で働くときには翻訳されなければならないものである、ということを思い出させてくれます。
環境人類学は自然に人類学的な視点を活用して、公共政策の決定、土地利用の管理、そして、権力の存在する場所や伝統的な環境運動でしばしば軽視されている先住民族の共同体、都市の少数派、および他のグループの擁護に対して情報を提供し、それに関与します。その意味で、環境人類学とは、持続可能性についての同様の質問に対処している他のさまざまな学問分野に情報を提供し、それらとつながる1つの方法です。あなたが人類学を研究することを決意するかどうかに関係なく、環境問題に対する人類学的洞察の価値を理解することは、あなたが現代社会における環境問題の複雑さと潜在的な解決策をよりよく評価し理解することを可能にしてくれるでしょう。次の節では、人類学者が歴史的に人間と環境の動態を見てきたさまざまな方法を探求し、主要な理論、方法、アプローチのいくつかと、それらが時間の経過とともにどのように発展してきたかを強調していきます。
文化生態学
初期の文化生態学者
環境について体系的に考えた最も初期の人類学者の1人は、レスリー・ホワイトでした。彼の研究は、文化進化論(つまり、文化は、生物と同様に、時間とともに進化し、単純なものからより複雑なものへと進歩するという考え方)という、以前の人類学的概念に基づいています。ホワイトは、植物や動物を栽培化・家畜化し、化石燃料に蓄えられたエネルギーを獲得し、そして、原子力を開発するにつれて、どのようにして文化がエネルギーの使用能力を通じて進化したのかを記述しました。[8]この視点から、「人間の文化的進化は、(技術の進歩を通じて)自然環境に対する支配が増大するプロセスとして最もよく理解された」。[9]ホワイトの結論は、フランツ・ボアズの歴史的個別主義と対立しています。歴史的個別主義は、ある文化を他の文化よりも進んだ、あるいは進んでいないというラベルを付けるような進化に基づく理論を拒絶し、代わりにそれぞれの社会をその特定の歴史に基づいて発展した独自の存在と見なしました。初期の人類学者と同様に、ホワイトは人類学のことを、文化の違いを理解するための科学法則を作り出すことができる自然科学と見なしていました。しかしながら、彼のモデルは、私たちの社会が私たちの欲求と必要性を満たすために新しいエネルギー源をますます利用する際の変化の性質を調査するときに役に立つものです。彼は、米国経済が活況を呈していて、私たちの技術の将来が有望であった時、そして環境運動がそれらの技術によって引き起こされる害についての意識を高める前の時代に執筆していました。
50年前には未来はどのように見えていたか
ナショナル・パブリック・ラジオのこの「Planet Money」エピソードは、1964年の万国博覧会での技術進歩への熱狂を捉えています。このとき、そのような技術がもたらす環境被害についてはほとんど知られていませんでした。1964年に人々は未来をどのように見ていましたか?彼らの未来についての考え方は、今日の私たちの考え方とどのように違うでしょうか?
人類学者のジュリアン・スチュワードは、文化生態学という用語を初めて使用して、文化が環境をどのように使用し、理解するかを記述しました。ショショーニ族の間での彼のフィールドワークは、彼らがシエラネバダ山脈とロッキー山脈の間のグレート・ベースンの乾燥した地勢に適応していた複雑なやり方を強調していました。彼は、松の実、草の種、ベリー類、シカ、ヘラジカ、ヒツジ、レイヨウ、ウサギに依存した狩猟と採集の自給自足の経済が、どのようにしてショショーニ族の文化を形作ったかを記述しました。さまざまな微気候と資源の利用可能性の季節的変動についての彼らの詳細な知識が、彼らの移動パターン、社会的な相互作用、文化的な信念体系を構築しました。[10]スチュワードは、ホワイトが行ったように文化の単一の進化の軌跡を探すのではなく、異なる結果につながる複数の進化の経路を探し、文化が生態学的条件に適応できるさまざまなやり方を強調しました。
ホワイトとスチュワードはどちらも、人間の社会的・文化的実践が基本的な生存の(経済的な)必要性によって影響を受ける方法を強調するマルクス主義の概念である唯物論の影響を受けていました。2人とも科学者として訓練され、それが彼らが文化のバリエーションをどのように見るかを形作りました。スチュワードはまた、1960年代に開発された科学的アプローチであり、主に過去の社会と彼らの居住する生態学的な系との関係性に焦点を当てるものである、プロセス考古学の影響も受けていました。ホワイトとスチュワードの研究に代表される人類学の変化は、データを分析および解釈する際の科学的手法の使用の増加につながりました。その後の数十年間、人類学と考古学の両方の動きが彼らの科学的視点を批判し、その客観性に挑戦しました。このプロセスについては、私はこの章の後半で詳しく探求していきます。
豚とタンパク質
その後の人類学者は、ホワイトとスチュワードの仕事に基づいて事を進め、文化的信念と実践についての生態学的な説明を探しました。彼らはまた、新しく開発されたコンピューター科学を利用して、文化的および生態学的な系が自己調節して社会の安定性を促進するような動的フィードバックシステム(つまり恒常性)について考えました。この研究の魅力的な例には、パプアニューギニアにおけるロイ・ラパポートの仕事とインドにおけるマーヴィン・ハリスの仕事が含まれます。
マーヴィン・ハリスは、機能主義的および唯物論的視点から、神聖な牛についてのヒンドゥー教の宗教的信念を調べました。インドのヒンドゥー教徒の間では、牛肉を食べることは禁じられており、牛は特定の神々に関連する神聖な動物と見なされています。西洋の牛肉を愛する国の視点からは、そのような信念は不合理に見えるかもしれません。なぜジューシーなステーキやハンバーガーを食べたくないのでしょうか?ハリスは、ヒンドゥー教の実践を非論理的と見なした初期の学者を拒絶し、この実践はヒンドゥー教の生態系および経済システム内では完全に理にかなっていると主張しました。彼は、牛は文化的信念のために神聖であるわけではないと主張しました。そうではなくて、この文化的信念は、インドにおける牛の経済的および生態学的重要性のために存在しました。したがって、牛に関するヒンドゥー教の制限は、ヒンドゥー教の神学の結果というよりも、地元の生態系に対する「適応的な」反応でした。[11]ハリスは、牛乳の生産、燃料と肥料のための糞、畑を耕すための労働力、最下位カースト(不可触民、彼らはすでに儀式上は不純だと見られていたため、牛を屠殺して食べ、皮をなめすことができました)への肉と皮の提供における牛の重要性を探りました。
ロイ・ラパポートは、高地ニューギニアのツェンバガ族の生業の実践を調査しました。彼らは、タロイモ、ヤムイモ、サツマイモ、サトウキビを植え、豚を飼育する集団でした。ラパポートは、カロリー摂取量、環境収容力、相利共生などの科学用語と概念を使用して、ツェンバガ族が資源を管理するために使用する方法を説明しました。豚の個体数が一定のしきい値を下回っていると、くずを食べて村をきれいに保つことや、豚によっては傷つけられない比較的大きな果樹のある整備された庭で雑草を食べることなど、多くの利点をもたらしました。個体数がしきい値に達すると、豚は雑草やごみよりも多くのものを食べ、庭で問題を引き起こし始めました。それに応じて、人々は定期的な儀式の饗宴を使って個体数を減らし、生態系を平衡に戻しました。ラパポートは、ハリスと同様に、生態学の概念を使用して、ツェンバガ族の生業の実践を理解し、それによって文化的信念の役割を軽くし、生態学的な制約のことを強調しました。
これらの初期の文化生態学者は、文化のことを、社会的および生態学的な平衡に到達し、それを維持しようとしているものと見なしていました。この考え方は、自然のバランスと、そのバランスを維持する上での生態系のさまざまな構成要素の重要性を強調した、当時の生態学的な考え方と一致していました。しかしながら、植民地化、グローバル化、工業化が世界中に広まるにつれて、環境と文化は急速に変化していました。これらの初期の事例の多くでは、人類学者はこれらのより大きなプロセスを無視していました。
長期にわたる動的な遷移と撹乱(嵐、干ばつ、エルニーニョ現象など)のプロセスを通じて生態系がどのように変化するかについてのさらに複雑なモデルを生態学者が開発し始めるにつれて、環境に対する人類学的アプローチも変化しました。次の節では、自然環境の悪化の増大に応じて環境運動が発達する際の、人類学におけるこれらの変化を調べます。
初期の人類学者は、さまざまな人々の集団が時間の経過とともに環境とどのように相互作用したかを理解しようとする試みで知られていました。彼らの仕事は、汚染、熱帯林の伐採、種の絶滅、侵食、地球温暖化などの現代性に関連する環境問題には一般に直接的に関与していなかったにもかかわらず、将来の環境人類学者の道を開きました。世界中の人々がこのような問題を知るにつれて、環境人類学者も注目し、それらの問題とそれに伴う保全運動(特に、いまだにほとんどの人類学研究の主な焦点である開発途上国でのもの)を分析し始めました。
民族生態学
スラッシュアンドバーンと焼き畑式耕作
伝統的に、人類学者は都市社会ではなく、遠隔地にある小さなコミュニティーを研究していました。その研究の多くは、儀式、政治組織、および親族関係の構造を検討するものでしたが、一部の人類学者は民族生態学、すなわち伝統的な社会による植物、動物、生態系の使用と知識に焦点を当てました。これらの社会は、食物、薬、および建築材料を自然の世界に大きく依存していたため、そのような知識はしばしば彼らの生存にとって不可欠なものでした。
ハリスとラパポートは、人類学者として、豚の儀式的な屠殺やインドにおける牛の神聖さのような一見奇妙な慣習を取り上げ、その人々の文化と環境の文脈の中でその慣習を説明することによって、奇妙なものを馴染みのあるものにしようとしました。この研究は、人々がやっている物事を、なぜ、どのようにして行うのかを説明するだけでなく、彼らが住んでいる環境における彼らのシステムの利点も説明します。メディア、環境活動家、科学者によって長らく悪者扱いされてきた土着の慣行は、スラッシュアンドバーン農業です。それは、小規模農家(そのほとんどは熱帯の開発途上国)が森林を伐採し、数週間木材を乾燥させた後、それを焼いて、耕作のために土地を開拓するものです。当初、農家は主にイネ、マメ、トウモロコシ、タロイモ、マニオクなどの多年生作物を植えます。その後、彼らは徐々に木の作物を導入し、その区画は木を再成長させるために放っておかれる一方で、彼らは作物のために新しい畑を切り開きます。毎年、土壌の肥沃度が低下し、元の区画で虫が問題になると、新しい土地が伐採されて置き換えられます。環境保護主義者と開発業者は、森林破壊の主な原因としてスラッシュアンドバーン耕作を非難しており、多くの熱帯諸国の政府は、農民が森林を伐採して燃やすことを禁止しています。
人類学者はこれらの描写の仕方に挑戦しており、スラッシュアンドバーンの耕作者が彼らの環境に関する詳細な知識を持っていることを記録しています。彼らの農業プロセスは、適切な条件下では無期限に持続可能です。[12]人口密度が低く、土地の供給が十分である場合、スラッシュアンドバーン耕作は高度に持続可能なタイプの引き延ばされた輪作です。その耕作では、一年生植物が数年の間植えられ、次に樹木の作物、そして森林が続きます。これは、土壌の栄養素を再構築し、樹木の倒壊や嵐が定期的に森の小さな部分を切り開く森林の撹乱の自然のプロセスを模倣するものです。彼らは、スラッシュアンドバーンの代わりに焼き畑式耕作という用語を使用して、この実践が本質的に破壊的なものであるという考え方に挑戦しました。鳥が木に巣を作り、開かれた場所に排泄をしたり、小さなげっ歯類が種子を運んで埋めたりするため、周囲の森林のおかげで、切り開かれた場所に植えられた種によって畑がすぐに森林に戻ることができます。さらに、自然のプロセスを模倣することにより、この小さな区画は、森林の特定の地域に多種多様な微気候を作り出すことで、生物多様性を高めることができます。
伐採された森林が再成長することができず、代わりに、開かれた土地を牧草地または恒久的な農地に変えるような産業的な農業、牧畜、または伐採作業によって置き換えられた場合には、このシステムは崩壊します。[13]また、このシステムは、新しい移民の到着または政府の土地接収により小規模保有者が管理する土地の量が減少したために、彼らがより定住的になることを余儀なくされる場合にも、崩壊することがあります。その場合、地元の農家はそれぞれの地域でより頻繁に作物を植え直さなければならず、土壌の肥沃度は低下します。外部市場のために換金作物を植えたいという欲求もこれらの変化を悪化させる可能性があります。なぜなら、食物がもはや地元の消費のためだけに栽培されるのではなくなり、より多くの土地が農業に投入されるからです。人類学者の研究は、これらの伝統的な実践の持続可能性を明らかにしました。それらは、外部の力が地元の農家に対して伝統的な農業システムを変更するよう圧力をかけたときにのみ破壊的でした。
植物、人、文化
民族生態学の1つの分野は民族植物学です。これは、食物、建築、染料、工芸品、および薬物のための植物の伝統的な使用を研究します。科学者は、現在世界中で使用されているすべての医薬品のうちの60%が、もともと植物原料に由来していると推定しています(現在、多くは化学的に製造されています)。たとえば、アスピリンはヤナギの樹皮から作られ、心臓切開手術で使用される重要な筋弛緩薬は、中南米の先住民集団が矢やダートに使用する毒であるクラーレから開発されました。そのような発見を踏まえたうえで、民族植物学者は世界の遠隔地を旅してシャーマン、治療師、伝統的な医療専門家の知識を記録しました。彼らはまた、向精神性植物と、文化を越えたそれらの使用を見てきました。
アマゾンの人々が知っていて、あなたが知らないこと
民族植物学者のマーク・プロトキンによるこのTEDトークは、アマゾンの先住民から学んだ薬用植物に関する重要な知識の事例について説明しています。
民族植物学の仕事は学際的であり、一部の民族植物学者は人類学者ですが、多くは植物学者であるか、他の学問分野から来ています。民族植物学を研究する人類学者は、植物標本を収集するための科学的方法、および植物分類システムと基本的な生態学に関する実用的な知識を持っていなければなりません。同様に、考古学者と古植物学者は、特に植物や動物の栽培化・家畜化に関して、先史時代の人々と植物の関係およびその使用を研究しています。
カヤポプロジェクトは、ダレル・ポージーと20人の自然科学者および社会科学者のグループによって組織された有名な民族植物学的研究です。彼らは、ブラジルのカヤポ族の人々が、地域が乾燥したサバンナのようなセラードからアマゾンの熱帯雨林へと変容したときに遭遇したさまざまな生態系をどのように理解し、管理し、相互作用するかを調査しました。[14]さまざまな生態系に対してカヤポ族がつける名前と、サバンナにおける森林の飛び地を拡大するために彼らが特定の植物の種を植えて世話をする方法を記録することにより、このプロジェクトは、先住民族の集団が彼らの生きる環境を形成する複雑な方法を示しました。また、このプロジェクトは、カヤポ族が森林の生産性をより高めるために、森林をどのように世話、管理、強化したかを記録しました。
ポージーはまた、ベレン宣言の起草に貢献した活動家でもあります。この宣言は、政府や企業が先住民族の知的財産権(特に薬用植物に関して)を尊重し正当に補償することを求めました。彼は、世界銀行からの資金を使った大きなダムの建設に抗議するために、カヤポの指導者たちを伴ってワシントンD.C.に行きました。多数の国際グループからの圧力により、このダムの建設は停止しました(最近、このダムのための計画が復活しました)。ポージーがカヤポ族を熱帯雨林の守護者として特定したことは、先住民族と環境保護の道徳的な高みとについての西洋の考え方に共鳴する強力なシンボルを提供しました。
近年、一部の人類学者は、先住民が環境に対して本質的に有益なつながりを持っているという考え方(一部の人が、生態学的に高貴な野蛮人の神話と呼ぶもの)が正確であるかどうかに疑問を呈しています。
生態学的に高貴な野蛮人の神話
高貴な野蛮人のイメージは、何世紀も前に西洋文化の中で発展しました。ヨーロッパ人による探検と植民地主義の初めから、ヨーロッパ人は、彼らが遭遇した「原住民」のことを、性的放縦さ、怠惰、食人、および暴力と結びつけて、主に否定的な用語で記述しました。ロマン主義の芸術家や作家が現代性と工業化を拒否し、人々に対して理想化された、より単純な過去に戻ることを呼びかけるにつれて、その描写は変わりました。また、その反動運動は、先住民族の社会をエデンのような無垢の状態に住んでいる単純な人々として称賛しました。フランス人の画家ポール・ゴーギャンによる南太平洋への旅の光景を描いた作品は、このアプローチの典型であり、原住民の色彩豊かで気楽で自然な存在を称賛しています。これらの物語の継続的な影響は、ディズニーのポカホンタスの描写や、原始的なナヴィ族がエキゾチックで活気に満ちた自然界と密接に結びつき、その守護者となっているジェームズ・キャメロンの2009年の映画「アバター」で明らかです。同情的な人類学者を含むキャメロンの描写は、西洋の資本主義のことを、利益のために自然を破壊しようとするものとして批判しています。
ディズニーのポカホンタス:「風の色」の歌
ディズニーのポカホンタスは、生態学的に高貴な野蛮人のステレオタイプの多くを提示しています。それらのステレオタイプとは何でしょうか?私たちはそのような描写を他のどこで見るでしょうか?
先住民族の集団の肯定的な描写にもかかわらず、生態学的に高貴な野蛮人という考え方は、先住民族の文化における世界観と複雑さを理解しようとするのではなく、先住民の人々を西洋文化の反対として構築された想像上の「他者」として扱う傾向があります。同様に、先住民の環境に対する態度についての素朴な解釈は、その文化についてそれ自身の用語で正当な観察をするのではなく、単に想像上の西洋の理想を別の文化に投影しているだけかもしれません。
アマゾンのカヤポ族と、インドネシアの熱帯雨林に住んでいるペナン族として知られる別のグループは、過去に彼らの伝統的な領土に伐採のための道路を通す計画や、彼らの土地の大部分を沈めるようなダムを建設する計画に直面していました。これらの先住民族の共同体は、森林を保護するために、時にメディアや環境団体とつながりのある人類学者の助けを借りて、組織を作りました。熱帯雨林の保全と先住民の権利という2つの理念の組み合わせは強力であり、メディアの注目を集め、保全のための資金を調達することに成功しました。彼らの成功は、大規模な開発プロジェクトを停止するための取り組みに先住民グループが参加する後発の事例へとつながりました。これらの動きは、特に象徴的な形で強力でした。なぜなら、彼らは、環境的に高貴な野蛮人という西洋の長年にわたる考え方と、ヨーロッパや北米での環境への関心の高まりを明確に表現したからです。[15]
一部の人類学者は、これらの同盟はしばしば不安定であり、常に正確であるとは限らない先住民グループの想像上の理想に基づいていると指摘しています。彼らは、西洋のメディアが先住民族のことを生態学的に高貴な野蛮人だと想像しており、その見地からは、先住民族の共同体がその象徴的な純粋さとそれに伴う力を失った場合、先住民族が特に脆弱になる危険性があると主張しています。生態学的に高貴な野蛮人のイメージは、彼らが何らかの非環境的な実践を促進していると見られたり、厄介な国家政治に過度に関与したりすると、崩壊する可能性があります。さらに、国際的な活動家と先住民族の集団との同盟は、彼らの愛国心に疑問を投げかけ、自国内での彼らの地位を弱める傾向がありました。これらの先住民族の集団は、認知度といくつかの重要な勝利を達成しましたが、彼らは否定的な報道に対して脆弱なままであり、彼らのイメージを注意深く管理する必要がありました。
生態学的に高貴な野蛮人などといった描写は、先住民の「他者」についての過度に単純化した描写に依存していることに注意しておくことが重要です。たとえば、一部の先住民族の集団は、西洋の環境保護主義者が保存したいと望んでいる動物を狩る場合であったとしても、本質的な環境保護主義者として描かれています。多くの場合、先住民族の集団にとってより重要な質問は、土地の権利と政治的主権を中心に展開しています。環境に対する懸念は、個別に存在するのではなく、これらの問題に関連しています。これらの違いの影響については、次の節で説明します。そこでは、人々と保護公園の議論について説明します。
土地の請求権と地図作り
人類学者が伝統的な生態学的知識を活用して先住民の権利を前進させるのに成功した方法の1つは、先住民族の集団のために、彼らが伝統的な土地についての法的所有権または管理を確立しようとするのを擁護したことです。これは、1960年代と1970年代にアラスカとカナダで最初に行われました。先住民族の集団は、狩猟、採集、およびその他の生業の実践のために、季節ごとの動きを地図に描きたいと望んでいました。この地図は、彼らが対象の土地を使用すること、そして、それが彼らの継続的な物理的および文化的生存のために重要であることを実証します。
それ以来、開発途上世界にわたるいくつもの共同体が、同様の戦略を採用し、地理学者や人類学者の助けを借りて彼らの土地の境界を定めています。多くの場合、先住民族の集団が使用する土地は、人口密度が非常に低いために空いている場所であると見なされ、開発業者は土地が使われていないものであり占有できると考えています。先住民族の共同体による地図の作成では、彼らの土地に対する請求権を示すような名前、関係性、および人間の歴史を風景に刻むことによって、これらの見解に挑戦します。この地図は、大規模な開発プロジェクトに対する地元の抵抗を組織するための重要なシンボルと道具になります。
たとえば、非政府組織(NGO)のネイティブ・ランズは、ホンジュラスのモスキティア地域の地図の作成を支援しました。2万平方キロメートルからなるこの地域には170の共同体が含まれていましたが、ほとんどの政府の地図では実質的に空の場所であると示されていました。それよりも前に、裏取引を通じて、この地域全体に対してストーン・コンテナ・コーポレーション(段ボール箱や紙袋を製造していたシカゴに本拠を置く企業)に伐採権が許可されていました。[16]1990年代初頭にネイティブ・ランズが関与するようになったとき、地図の作成は、この地域の多様な共同体を結び付け、彼らの存在を伝え、伐採権の終了を主張するために利用されました。この土地に先住民族が存在することを伝える地図の力は、特に先住民族の集団が法的所有権を欠いている場合に重要なものです。
政治生態学
質問をする科学
1960年代に、社会科学と人文学の理論的運動は、現代性と科学が持っていると目される利益に挑戦し始めました。これらの運動の一部は、フェミニストとポスト植民地主義の理論家によって導かれました。彼らは、科学のことを、世界中の女性と植民地化された人々を従属させるように共謀している家父長制の一部として見ていました。環境科学の中では、科学の客観性を疑問視するこの動きは、政治生態学(多くの人類学者とともに地理学者、政治科学者、社会学者、および他の社会科学者を含む多様な分野)において見ることができます。政治生態学の主要なメッセージは、一見厳密に科学的(つまり、非政治的)であると思われる環境についての質問を調べることの重要性です。たとえば、原因と結果の質問は、科学的客観性の一見中立的な言葉によって覆い隠されることのある政治的および経済的課題で構成されています。私たちの注意を主に開発途上世界の保全の政治的側面における権力の動態に集中させることによって、政治生態学者は、保全のための取り組みがしばしば望ましい目標を達成できないことの理由を示しています。
政治生態学の初期の影響力のある研究で、ピアーズ・ブレイキーらは、土壌侵食は、過剰な人口、粗悪な農業慣行、環境ストレスなどを含む、国の政府によって非難された多くの要因によって引き起こされるのではないと主張しました。代わりに彼らは、税金などの国家の政策が、農家を、持続不可能な農業の実践を奨励する資本主義経済システムに追いやったことを発見しました。[17]この視点からは、主に地元の問題であると思われていた土壌侵食は、実際には国の政治と関連しており、その大きな文脈の中で対処する必要がありました。ひとたび国家の政策と土壌侵食の間の関係に注目が集まると、問題の解決策は、単純に小規模農家により良い土壌保全技術を教えることだけではすまなくなりました。それには、持続不可能な農業の実践を使用するインセンティブを提供する政府の慣行と経済的な条件を排除することが求められました。
政治生態学は、地元の行動を制約するような政治的および経済的システムの確立における政府および企業の影響にしばしば焦点を当てるとともに、環境破壊と環境保全に関する標準的な物語に挑戦しています。政治生態学について学ぶことは、環境志向の人々にとっては困難な場合があります。なぜならそれは、彼らが彼ら自身の立場の多くとそれらを支える科学とを再考することを要求するからです。
修正主義者の環境史
政治生態学における私のお気に入りの仕事のいくつかは、熱帯での森林破壊の原因と結果に挑戦するものです。たとえば、ジェームズ・フェアヘッドとメリッサ・リーチは、西アフリカの国ギニアの熱帯の森林破壊を調査しました。[18]この国家の森林局とその後の保護団体は、そのサバンナにはかつての広大な熱帯林の小さな断片しか含まれていないと述べました。管理者、森林監督官、および植物学者は、この劣化が、農業用の畑を作るために森林を伐採して燃やした地元の村人によって引き起こされたという考え方に基づいて、森林政策を作成しました。フェアヘッドとリーチは、歴史的な記録、口頭の歴史、歴史的な航空写真を注意深く研究することで、これらの物語に挑戦しました。その代わりに、彼らは、残っている森林の断片は地元の村人によって植えられたものであり、この村人は村の周りに徐々に有用な種を植え、植林のために土壌を改善し、他の有益な生態学的変化を生み出していると主張しました。この村人たちは、以前は森林だった地域の森林破壊の原因などではなく、何世代にもわたる重労働を通じてサバンナだった地域に森林を作りました。これは植民地時代の物語を覆すものです。
別の魅力的な物語は、アマゾンでのウィリアム・バリーの仕事から来ています。バリーはダレル・ポージーの友人であり、彼らの研究により、バリーはアマゾンの熱帯雨林が完全に自然なプロセスではなく、どの程度人間の生産活動の産物であるのかについて考えるようになりました。バリーは、原始的なグループが、土壌肥沃度の低下、タンパク質を提供する動植物の不足、彼らの行動を制約する他の制限要因などといった脆弱な熱帯の生態系によって課せられた制約に、どのように適応することを余儀なくされたかを説明した初期の人類学者に反対しました。バリーは、ポージーによって議論されたカヤポ族の森の飛び地、ババスヤシの森、竹の森、マラバ近くのブラジルナッツの森、つる植物の森など、人間の活動によって作られたか、あるいは大幅に変更されたと思われるアマゾンの多種多様な生態系を調査しました。彼の控えめな推定では、地球上で最大の熱帯雨林であるアマゾンの少なくとも12%が先住民の介入の産物であると推定されました。この結論は、熱帯雨林とそこに住んでいた人々についてなされていた2つの主要な仮定に挑戦しました。1つ目は、先住民族の集団が熱帯雨林の厳しい環境に適応することを余儀なくされているという考えです。それに代わって、バリーは、彼らが自分たちの必要性にとってより良いものを提供するように生態系を開発した資源管理者であることに気付きました。2番目は、アマゾンが原始的で、手つかずで、太古の姿であるという考えです。[19]もし私たちがこの分析を他の地域や生態系に拡張すると、それは「手つかずの自然」という考え全体に挑戦することになります。世界で最も野性味にあふれており、人間が少なく、最大の熱帯雨林がすでに高度に人為的である(すなわち、人間によって形作られている)ならば、他の場所での野生について想定されている考え方に対して私たちは何が言えるのでしょうか?
環境史家のウィリアム・クロノンは、「野生に伴う困難、あるいは間違った自然への回帰(The Trouble with Wilderness, or Getting Back to the Wrong Nature)」というエッセイでこの質問に直接取り組みました。[20]クロノンは、人間の手が触れていないと思われる自然を祝福することで、私たちは、自分たちが毎日触れ合っている自然を守ることを忘れがちだと主張しました。もし私たちが、定義上人間と人間の活動を除外する野生の概念にのみ焦点を当てるならば、私たちは人間が自然とよりうまくやり取りするのに役立つ方法を無視してしまうかもしれず、そしてそれは内部に誰もおらず農業や都市部に十分に配慮しない保護公園を作るような保全政策につながる可能性があります。それは、人が自然と触れ合うためには文明を置き去りにしなければならないことを意味します。クロノンは彼のエッセイを嘆願で終えました:
もし野生が(単に)そこにあるのをやめ、ここに(もまた)存在し始めることができるならば、もしそれが自然であるのと同じくらい人間味のあるものになり始めることができるならば、おそらく私たちはこの世界の中で(庭園の中だけでなく、荒野の中だけでなく、その両方を包む家の中で)なんとか正しく生きていくという果てしない仕事を続けることができます。[21]
クロノンの行動への呼びかけとは、人間が自分自身を自然の完全な一部とみなし、その関係性の中で責任を持って行動する方法を探すことです。ある意味では、彼のメッセージはブルーノ・ラトゥールの人新世についてのものに似ています。自然が人間の活動の外側には存在しないことを認識することによって、私たちは自分たちの生活様式が環境に与える影響と折り合いをつけなければなりません。一部の人は、これが自然を安っぽくし、神聖さや重要性を低下させると考えるかもしれませんが、人間が環境に影響を与えているさまざまな方法を理解すれば、私たちと環境との相互作用をよりよく認識し、評価できるようになるでしょう。自然を人間の活動の外側にあると見なすのではなく、私たちは、食糧生産、輸送、居住システムが環境にどのように影響するかを考慮する必要があります。
人と保護公園
一般的に、私たちが自然について考えるとき、私たちは国立公園やその他の種類の保護地域は、さまざまなカテゴリーの下で保全のために取り置かれていると考える傾向があります。米国では、これらには国立公園および州立公園、森林、荒野地域、保養地域、野生生物保護地域が含まれます。ほとんどの場合、人々は娯楽や科学の目的でこれらの地域を訪れることを許可されていますが、その中に直接住むことはできず、規則によって認められる活動の種類が規制されています。保護された地域は、自然についての西洋の見方(自然を文化から切り離し、自然を保護するために人間を排除しなければならないと想定しています)から発展しました。保護地域を取り分けるようなこのモデルは、世界の残りの場所に輸出されており、河川の流域や絶滅の危機に瀕した動植物の保護、人々が自然と交流するための空間の提供など、数多くの環境目標のための最も一般的な戦略として存続しています。
保護地域の最も一般的な例は、国立公園です。米国では、国立公園は非常に人気があり、「アメリカの最良のアイデア」と呼ばれています。私は国立公園の熱狂的なファンですが、私はまた、この概念に付随する問題も認識しています。たとえば私たちは、このような公園の「自然な」状態は、ほとんどが最近の現象であることを忘れがちです。多くのネイティブアメリカンの集団が、公園を「自然」にするために組織的に公園から排除されました(そしてほとんど補償されませんでした)。サウスダコタ州のブラックヒルズにあるラシュモア山とワイオミング州にあるデヴィルスタワーは、ネイティブアメリカンの聖地の真上にあります。世界のその他の地域、特に開発途上国では、ほとんどの保護地域は、数十年または数百年にわたってそこに住んでおり、その土地に対して正当な請求権を持つ人々の集団によって占められています。一部の人は、自分たちの土地が保護公園に変わっていることに気づいてさえいないかもしれず、ひとたび知らされた場合には、従うことが期待される新しい規制にショックを受けます。最悪のシナリオでは、彼らは補償なしで立ち退きを強制され、環境難民になります。そのような集団の視点からは、政府はその土地に住んでいる人々よりも象、トラ、または風光明媚な景色を重視しているように見えるでしょう。
保護地域内および周辺の地域のコミュニティーと、国家の保全担当者および保護公園を支持する国際保全NGOとの間で生じた紛争は、「人と保護公園の議論」と呼ばれます。[22]コミュニティーは、保護公園のことをすべての人に利益をもたらす公共財を保存していると見なすのではなく、公園の創設のことを政府の役人が遠隔地の農村地域に権力を広げる取り組みと見なしています。そして、これらの否定的な見方は、地元の人々が動物の優遇的な取り扱いに憤慨し、それらを密猟するか、あるいは単に新しい規制を無視することを選択した場合には、保全努力を妨げることになる可能性があります。
保護団体は、地元のコミュニティーを保護の取り組みに参加させるためには彼らの経済開発を支援しなければならないことを認識し始めています。地元住民が保護公園の警備員、ツアーガイド、研究助手としての仕事から恩恵を受けるとき、彼らは保全についてのプラスの経済的利益を認識し、その取り組みを支持します。このアプローチは、保全と開発を組み合わせるという、一般的には異なった目的をまとめることを目指しています。当初、このアプローチは、道路やダムなど、環境に大きな影響を与え、プロジェクトに資金を提供した世界銀行、米国国際開発庁(USAID)、およびその他の機関に否定的な報道をもたらしたようなインフラストラクチャーの建設を伴う開発政策への対応でした。現在、ほとんどの保全プロジェクトには開発目標が組み込まれており、通常、開発プロジェクトの環境への影響を評価しなければなりません。さらに、それらのプロジェクトの多くが失敗したため、政府とNGOは、保全と開発の枠組みの計画と運営に地元のコミュニティーを含めるようになりました。
保全と持続可能な開発
1990年代初頭から、ザ・ネイチャー・コンサーバンシーやコンサベーション・インターナショナルなどの環境保護組織や、世界銀行やUSAIDなどの開発機関は、保全と開発を結びつけるために取り組んできました。これらのアプローチの構造と成功の度合いは大きく異なります。いくつかのものは、地域のコミュニティーが、ラタンヤシ、ゴム、医薬品、果物のような非木材の林産物など、非破壊的な方法で熱帯雨林に依拠する産業を発達させるのを支援することを目的としています。このような製品の開発とマーケティングにおいて地域コミュニティーを支援することにより、そのプログラムは、人々に熱帯雨林を伐採するのではなく保存することを奨励する経済的な代替手段(持続可能な開発の一形態)を提供しています。
私が最もよく知っている保全と開発プロジェクトは、ブラジルのアマゾンにある資源抽出用の指定地に関連しています。私は、ブラジルのアマゾンの北西隅のアクレ州にあるブラジル人のゴムの木の樹液採取労働者によって確立された資源抽出用の指定地に関する修士論文の研究のために、ひと夏をそこで過ごしました。これらのゴムの木の樹液採取労働者は、熱帯雨林に住んでおり、天然ゴムを採取するために、木の樹皮に長く細い切り込みを付け、その日遅くに戻ってきて、木に吊るされた小さな容器に滴り落ちた樹液を集めます。ゴムの木はまとまっては成長しません。それらは森林全体に散らばっており、樹液採取労働者は毎日いくつもの道を歩いていく必要があります。多くの人はまた、何世紀にもわたって生きている古来の木から落ちるブラジルナッツを集めて販売しています。ブラジルナッツは商業的に栽培できないため、熱帯雨林から収集する必要があります。これらの経済活動はどちらも健全で成熟した森林を必要とします。また、ゴムは合成で製造することができますが、天然ゴムは合成の代替品よりも強く、長持ちし、柔軟性があり、熱に強いため、高品質の素材が不可欠な医療および航空産業での使用に最適です。
アマゾンでの牧場の拡大に伴い、ゴムの木の樹液採取労働者は、彼らが住んで働いていた土地の正式な権利を持っていなかったために、追い出されていました。地元の活動家シコ・メンデスに率いられて、樹液採取労働者は組織を作り、土地に残る権利を政府に請願しました。メンデスはその後、彼の活動に不満を抱いていた牧場の所有者によって暗殺されましたが、最終的には運動は成功しました。アマゾンの森林伐採を心配している環境保護主義者が、生計を心配している樹液採取労働者と力を合わせ、彼らは一緒になって、資源抽出用の指定地を作り出しました。そこは、連邦政府が所有するものの、樹液採取労働者の地元のコミュニティーによって管理される保護地域であり、彼らは自分たちが制定した環境規制に従っている限り、その土地に無期限にとどまることができました。このモデルは成功し、その後アマゾン全体で数百万ヘクタールを含むように拡張されました。
多くの保全および開発プロジェクトと同様に、資源抽出用の指定地の経済的利益が得られるのはゆっくりとでした。国際的な商品市場に対応してゴム価格が下落したとき、多くの家族はゴムの採取をやめ、自給自足農業に焦点を合わせました。実際には、一部の人々は牛の飼育に転向し、彼らが元々抗議していた破壊的プロセスの多くを小規模に模倣しました。規制の施行が不十分だったため、多くの家族が、古い焼き畑を熱帯雨林に戻すように放っておく代わりに、徐々に牧草地に変えていきました。
これらの課題にもかかわらず、土地の開発は、大きな区域の所有者がやって来て大面積を牧草地や大豆プランテーションに転換することを許可するような当初の計画に比べて、大幅に減少しました。同様に、ゴムの木の樹液採取労働者は、いまだ貧しいままですが、立ち退かされて都市のスラムに移動することを余儀なくされた場合よりも多くの資源にアクセスできました。資源抽出用の指定地は、ブラジルのアマゾンの広大な地域にわたって実施され、数千の小規模土地所有者に権利を与えたために、成功しました。
ブラジルにおけるゴムの木の樹液採取労働者の生活水準の改善と生物多様性の保全に取り組んでいる組織にとって大きな課題が残っており、このケーススタディは保全と開発モデルに関連する多くの問題を提示しています。多くの場合、経済的利益は限定的であり、保全の利点に関して妥協が必要です。通常、地元のコミュニティーも環境保護主義者もモデルとその結果に完全に満足しているわけではありませんが、指定地によって回避することのできる破壊の蔓延よりも妥協の方がましであることに同意しています。そのようなケーススタディに由来する政治生態学に関する研究は、議論が環境倫理にだけ関連しているものではないことを私たちに認識させてくれます。その議論には、土地、木材、石油などの貴重な資源をめぐる管理も含まれます。政治生態学は、保全プロジェクトの結果を形作り、そのようなプロジェクトから誰が恩恵を受けるかを決定する地元の政治的および文化的プロセスについて考えるように私たちを促します。
第一世界の政治生態学
政治生態学者にとって重要な課題は、これまでの研究のほとんどが開発途上世界で行われていることです。米国とヨーロッパで実施された研究は比較的少ないです。いくつかの新しい研究は、先進国における同様の質問に適用された場合に政治生態学がどのように見えるかを示すことを目指しています。そのような研究の1つは、カリフォルニア州のシエラネバダの丘陵地帯から来ました。そこでは、地元の保全組織、政府機関、およびその他のグループを含む参加型の保全プロジェクトが発展していました。彼らの目標は、開発と都市成長を制限するような、地域における環境管理計画を作成することでした。彼らはさまざまな環境団体と開発促進団体を対話に結びつけようとしましたが、激しい政治的反発に見舞われました。開発促進側の勢力は参加するのではなく、計画の支持者を郡政府の議席から排除してプロセスを脱線させるために、政治的に動員をかけました。第一世界の国々では、地元のグループが大量の政治的および経済的資源を動員してプロジェクトの運命に影響を与えることができます。これは、保護団体が一般に地元のコミュニティーよりも強力であるような開発途上世界ではありそうもないシナリオです。[23]
アメリカ西部では、野外活動や風光明媚な自然のために都市部から農村部に移動した郊外移住者であることが多い環境保護主義者と、採掘、牧場、農業などの採取産業に携わる長年の住民との間の衝突がよく見られます。多くの場合、コミュニティーは近くの公有地の重要性とそれらの土地の管理における連邦政府の役割とをめぐって激しく分断されています。開発途上国では、グループとしての政治的生態学者は、地元のコミュニティーを支持し、政府の介入に反対する傾向があります。米国では、左派寄りの気質と環境への同情によって、彼らは地元のコミュニティーを犠牲にして政府の介入の側に立つことがあります。一部の政治生態学者はこの矛盾を指摘し、米国を含む地元の運動と国家権力の拡大に反対する彼らの行動をより真剣に受け止めるよう求めました。[24]
第一世界に関連するもう1つの魅力的な政治生態学は、アメリカの芝生を調べたポール・ロビンスとジュリー・シャープによる研究です。それは、米国の都市部の土地の23%が芝生に充てられており、都市部が年間67万5000ヘクタールの割合で成長していることに注目しました。[25]さらに、それらの芝生の大部分には、肥料、除草剤、殺虫剤が散布されています。これらの化学物質は水路に流れ込むため、芝生は環境全体に対して多大な影響を及ぼします。ロビンスとシャープは、芝生の手入れの製品の広告を分析し、全国の世帯にインタビューと調査を行い、いくつかの驚くべき発見をしました。強烈で有毒な製品を使って芝生を手入れすることについての最も強力な指標の1つは、製品の環境への影響についての知識の不足ではなく、隣人の名前をどれだけよく知っているかということでした。彼らは芝生の共有地の道徳経済を説明しています。そこでは、健全な芝生を維持することは、コミュニティー、あなたの家族、そして自然へとつながっているという重要な価値観を表しています。芝生に関連する美意識と家族の価値観は、環境への影響についての懸念を上回っており、これは、水質保全の活動家が、米国での芝生について基調をなす文化的な考え方を理解し、対処しなければならないことを示唆しています。
生態学はどこに?
政治生態学者のアンドリュー・ヴァイダとブラッドリー・ウォルターズは、政治生態学の分野がますます政治的になっているようであり、さまざまなグループがどのようにして環境問題を使用して土地と資源の支配を得ようとしているかを過度に強調し、重要な生態学的な考慮事項を無視している、と指摘しています。[26]彼らは、政治生態学者は自然のシステムに関連する限界、制約、課題をより真剣に受け止め、地元の文化的および政治的システムに加えてそれらのシステムを研究する必要があると主張しています。フィリピンのマングローブ林の破壊に関する研究では、彼らはマングローブ生態系の破壊と管理における地元のコミュニティーの役割と、その地域での再植林を妨げる自然の限界の両方を調べました。次の節では、自然科学の理論を人類学に戻して統合する方法を創造的に考えつつも、同時に、科学が先入観のない客観的結果をもたらすかどうかを疑問視した人類学者の例を紹介します。これには慎重なバランスをとる行為が必要ですが、科学的知識および人類学的知識の貢献を尊重するアプローチを生み出すためには必要なことです。
環境人類学への追加のアプローチ
エコジャスティス:人種、ジェンダー、環境破壊
環境の正義を擁護する者の多くは、人類学者と政治生態学者です。彼らは社会的平等の観点から環境問題を検討し、社会的に疎外されたグループに不釣り合いに影響を与えてきた環境被害に関連する影響とリスクを特定します。たとえば、ハワイのオアフ島では、ごみ焼却場と埋め立て地が島の西側にあり、そこにはハワイ先住民やその他の低所得者層が多く住んでいます。[27]埋め立て地、焼却場、化学プラント、産業工場、核廃棄物貯蔵施設、およびその他の環境的にとって危険な施設が、有色人種のコミュニティー、ネイティブアメリカンの居住地、および比較的貧しいコミュニティーの近くに位置するのは偶然ではありません。経済的および政治的な力が欠如しているため、そのようなコミュニティーの住民は、それらの施設の設置場所を決定する大規模な産業や政府機関に影響を与えることができません。
環境的に有毒な仕事と廃棄物貯蔵施設が外部に委託されるとき、同じプロセスが働いています。たとえば、重金属から作られた有毒な構成部品を含む多くのコンピューターおよびその他の電子機器は、分解およびリサイクルのために西アフリカに出荷されます。[28]この手配は、北米とヨーロッパの比較的裕福な国の消費者にとっては経済的に理にかなっていますが、アフリカの労働者は目に見えず、心に留められることもなく、しばしば有毒金属からの適切な保護や危険に関するトレーニングさえなしで働いています。また、グローバルなサプライチェーンが拡大するにつれて、米国の消費者は、購入する衣服、電子機器、玩具の製造場所、その生産の影響、またはそれらを処分した後に何が起こるかを知ることはめったにありません。製品をゆりかごから墓場までカバーするような、これらの長く複雑な商品チェーンまたはサプライチェーンを見てみることによって、エコジャスティスに関心のある社会科学者はこれらの問題に対する認識を高めることができます。
人類学者は、エコサイド(環境的な破壊)とエスノサイド(文化的な破壊)を結びつける作業も行っています。世界中の多くの先住民コミュニティーでは、文化的な活動や信念は特定の景観や生態系につながっています。その結果、伐採企業や鉱業企業がやってくると、環境と文化の両方が破壊されます。エコジャスティス研究は、これらのつながりに注意を促し、文化と環境の両方、およびそれらの間の関係性を保護しようとします。ミクロネシアのマーシャル諸島の人々に関するバーバラ・ローズ・ジョンストンの研究は、この環礁に対する米国の原子爆弾実験の影響を記録するとともに、核実験によって破壊されて汚染された景観と彼らの文化との関係を慎重に文書化することによって、米国から損害賠償を求める主張を支えました。[29]
人類学者はしばしばこうした種類の研究プロジェクトに関与しています。なぜなら、彼らは世界中の遠隔地で活動しており、文化の差異や不平等の認識を高めることについての学問上の関心を共有しているからです。彼らはまた、人々の集団を区別し、不平等な待遇の基礎となるような、人種、階級、国籍、および他の社会的要因のカテゴリーを調べるための訓練を受けています。人類学者はまた、文化の多様性を評価する一方で、そのような違いに関係なく、人間の生活を普遍的に評価する全体論的な視点についても主張しています。
科学技術研究
科学技術の研究は、社会科学の手法を使用して、産業化した現代社会における科学の文化を分析する多様な分野です。政治生態学や民族生態学と同様に、科学技術研究は現代科学の客観性にある程度の疑問を投げかけ、科学のことを特定の文化的理解の産物と見なしています。これらの研究は、特定の文化的、政治的、経済的文脈の中での科学の発展を理解するために、科学の歴史にしばしば目を向けています。
この分野の初期の開拓者はブルーノ・ラトゥールであり、彼はこの章の冒頭で議論した人新世の考え方を導入した人です。ラトゥールの初期の研究には、スティーヴ・ウールガーと共同で書かれた研究「研究室の生活:科学的事実の社会的構築(Laboratory Life: The Social Construction of Scientific Facts)」(1979)が含まれていました。これは、科学的知識がどのように作り出されるかを特定するためにソーク生物科学研究所の研究室で参与観察という民族誌学的手法を使用して、科学的手法についての支配的な物語に挑戦しました。[30]他の研究では、ヒトゲノムプロジェクトにおける人種と先住民族の概念を検討したり、人類学者がグアテマラの熱帯雨林の生態系と相互作用する方法をリモートセンシング技術がどのようにして形作っているかを検討したりしています。[31]科学技術が私たちの周りの環境の生きた経験と理解にとってますます重要な部分となるにつれて、人類学者はそれらのつながりを当然ながら分析します。
科学技術を研究する多くの人類学者は、細事にこだわり大事を逸することのないように努めています。彼らは科学と科学的方法の重要な貢献を否定しているわけではありません。しかしながら、彼らはこれらの方法に固有の限界と先入観にも注意を払っています。
複数種の民族誌
複数種の民族誌は、世界における人間の中心性に挑戦しています。私たちが自分自身や世界の中での私たちの場所について語る物語のほとんど、特に人類学者によって語られる物語のほとんどは、ホモ・サピエンスを中心に展開しています。しかし、人類学者の中には、他の種がどのようにして決定を下し、どのようにして歴史に影響を与えることのできるようなある程度の主体性を行使するかについて考え始めている人が増えています。たとえば、ダナ・ハラウェイは犬について、そして犬と人間の関係が時間とともにどのように進化したかについて書いています。彼女は犬を擬人化する人々を批判し、読者に対して犬自身の言葉で犬を理解するように挑発しています。[32]
私たちはまた、人類の進化と文化の発展における細菌の役割について考え、病気、寄生生物、特定の種類の食物を食べることを可能にする共生腸内細菌が時間の経過の中で人間の歴史と文化の発展を形作る上で非常に影響力があることを思い起こすことができます。他の研究は、たとえば、人間以外の視点から植物と動物の栽培化・家畜化を再検討し、森林がどのように「考える」かを調べました。[33]他の種と生態学的プロセスを慎重に検討することにより、私たちはますます人間中心となっている焦点を中心部から外します。複数種の民族誌に関する研究の多くは、フェミニスト人類学者によって行われています。彼らは、すでに数十年間にもわたって、似たような形で私たちの種の男性に焦点を置いた歴史を中心から外すように働いています。
保全において人類学を適用する
森林再生
環境の人類学的分析は過度に理論的かつ抽象的であり、実際の実践や環境とともにあるいは環境の中で生きることを学ぶ仕事からはかけ離れているように見えるかもしれません。人類学者は、現実世界の論点や問題から切り離された、学術界の象牙の塔に隠れていると見られることがあります。しかしながら、応用人類学およびアクティビスト人類学は、人類学者が現場の問題に取り組み、直接的な違いをもたらすための道筋を提示してくれます。応用人類学者は、しばしば保全と開発の組織と協力して、成功のために地元の文化と実践についての正確な理解に依存しているプロジェクトを実施します。
人類学者のジェラルド・マレーの博士論文は、ハイチの小規模土地所有者の土地保有権を調査するものでした。博士論文の作業を終えた後、マレーはハイチの森林再生プロジェクトについてUSAIDにプレゼンテーションを行いました。彼は、もしUSAIDが彼に「一台のジープと、自由裁量で使える5万ドルの当座預金口座」を与えてくれれば、彼は「農民の経済行動についての自分の人類学的主張を証明し、数百万ドルかかる農業省の茶番よりも多くの木を作り出すことができる」と冗談を言いました。[34]USAIDのプログラム担当者は彼の挑戦を受けて、ハイチを再植林するための400万ドルのプロジェクトを率いるよう彼を招請しました。ハイチの小規模土地所有者に対する彼の理解を使用して、彼はUSAIDのアプローチを劇的に変えました。土地所有者に対して木が環境サービスにとって価値があると説得するのではなく、彼は、薪、木炭、木材用に販売できる急成長する種を強調しました。彼は、小規模土地所有者に木を与え、彼らが望むときにいつでもそれらを収穫し販売できるようにすることによって、他の貴重な換金作物と同様に苗木を植えて世話するよう彼らを動機付けました。以前のプロジェクトでは、木の伐採は禁止され、樹木は政府に属していました。その結果、誰も木を手入れせず、最終的に家畜や放置によって破壊され、成熟することはめったにありませんでした。木を換金作物として扱うことで、農民は自分の土地に木を植えることの動機を得ました。これにより、土壌を安定させ、違法伐採を減らす(農民は自分たち自身の木々にアクセスできたため) というUSAIDの目標を達成しつつ、木を売ることからの直接的な経済利益を提供することができました。このプロジェクトは驚くべき成功を収めました — 最初の4年間で2000万本の木が植えられました。地元の農家の視点を理解することによって、マレーはハイチの小規模土地所有者を森林再生活動の障害と見なすのではなく、彼らと協力することができました。
多くの人類学者が保全および開発組織と協力して、それらが地元の文化を理解し、保全と開発プロジェクトを実施するのを支援しています。この作業は、人類学者が森林監督官、保全生物学者、農学者、および他の者と協力してプロジェクトを実施するようなチームで行われることがよくあります。人類学者はしばしば現地の言語を話し、人々の視点を理解し、実地での密接な観察に興味を持っているため、彼らは保全と経済開発を支援するために貴重な貢献をしています。
気候変動
2014年、アメリカ人類学会のグローバル気候変動タスクフォースは、人類学による気候変動の問題への関与をまとめた気候変動に関する報告書を提出しました。現在、気候変動はおそらく世界で最も重要な単一の環境問題であり、それに対する私たちの対応は、地球上での私たちの種の未来を形作るでしょう。その報告書は、気候変動に対する人間の原因と寄与を特定しているとともに、海面上昇によりキリバスのような場所の住民が島の家から避難を余儀なくされ、氷棚が溶けることでアラスカのイヌイットの集団の生業の実践と生活様式が脅かされるといった、気候変動がすでに及ぼしている影響のことを強調しました。これらの例は、気候変動の影響がどのようにして温室効果ガスの蓄積に最も寄与が小さいグループに不均衡に影響するかを示しており、世界中の気候変動の影響の社会的不平等を強調しています。
その報告書は、気候変動の要因を分析しており、消費、土地利用、エネルギー、人口増加に焦点を当てました。消費の人類学的分析は、私たちに対して、「必需品」と「贅沢品」のカテゴリーが文化的な構築物であることを思い出させてくれます。たとえば、何千年もの間、人間は携帯電話がなくても完全にうまく生き延びているという事実にもかかわらず、西洋社会では携帯電話は今や必需品として受け入れられています。グローバルな中流階級が拡大し、生態系に新たな要求を課すにつれて、気候変動の原因と解決策の可能性を分析するためには、社会階級およびそれと関連する消費慣行の文化的理解がますます重要になります。
報告書は、気候変動の言葉の多くと、気候変動がさまざまな人々のグループに与える異なる影響を無視してしまうような適応、脆弱性、回復力の概念に焦点を当てていることも批判しました。タスクフォースは、提案されたグローバルな解決策はトップダウンの管理戦略に焦点を当てており、温暖化する惑星の影響に対するさまざまな集団の脆弱性を構築している「貧困、疎外、教育と情報の欠如、および資源に対する統制権の喪失」という既存の社会的問題を考慮していない、と指摘しました。[35]また、この報告書は、特定の議論と問題の潜在的な解決策を形作る言葉の力を示しています。これは、人類学的分析の重要な要素です。
報告書の最後に、タスクフォースは、人類学者が地球規模の気候変動へ対処する取り組みに貢献するために行うことができる行動を推奨しました。これには、人類学の会議における二酸化炭素排出量の削減、学際的な研究チームとの協力による研究の継続、および、気候変動の議論への人類学的貢献の重要性を強調する研究課題への支持が含まれます。おそらく最も興味深いのは、気候変動の影響に対処し、緩和するための最も革新的で創造的なアプローチの多くが地方および地域レベルで起こっているという結論であり、これは、国内および国際的な行き詰まりを回避し、地方の現実を反映して地方の問題に対処するアプローチを開発するというコミュニティーの革新的な取り組みを認識しているものです。グローバルな気候変動の規模が、定義によって、地方の関与と解決策を排除するように思われる時には、地元のコミュニティーに人類学的に焦点を当てることは歓迎すべき視点の変化です。
保全団体で働く人類学者
人類学者は、コンサベーション・インターナショナル、ザ・ネイチャー・コンサーバンシー、世界自然保護基金などの国際的な保全団体で働き、国立公園局、ピース・コー、USAIDなどの政府機関と協力しています。また、彼らは、小規模な保全団体、都市計画イニシアチブ、環境教育グループ、環境活動家ネットワーク、および地球への私たちの悪影響を減らすことを目的としたその他のイニシアチブにも取り組んでいます。
文化資源の管理
文化資源の管理は人類学の成長分野であり、開発の脅威にさらされている考古学的な現場や歴史的な場所をカタログ化して保存し、長年にわたって人類学で開発されたさまざまな原則をまとめています。それはまず、「自然な」生態系と過去の人間の活動によって形作られた生態系の両方を保存する必要性を認識しています。人類学者は、自然と人間の多様性を結びつけることにより、人間と環境との経時的な相互依存性を認識しています。第2に、文化資源の管理者は、先住民コミュニティーが考古学的な現場に継続的に関与する必要性を認識し、管理計画と実践についての情報を知らせるために彼らの意見を求めます。文化資源の管理が標準的な運用手順になるにつれ、考古学者は地元のコミュニティーのメンバーや研究に利害関係のある他の人々と出会い始めました。これらの相互作用は考古学研究を改善し、この学問分野を強化する一種の文化横断的な橋を作り出します。最後に、歴史的な場所や考古学的な現場の破壊は、環境破壊の一形態であり、気候変動や種の絶滅と同じように、その破壊に内在する文化的価値観を批判的に調べることを必要とします。
結論
人類学の学問分野は、人間と環境の相互作用に関する独自の視点を提供するため、現代の環境問題の社会的、政治的、文化的な複雑さへの貴重な洞察を生み出します。人類学者は、複雑な環境問題を理解し解決するために、政府、保全団体、およびコミュニティーの集団と精力的に協力しています。ここでの議論が、環境と保全についてあなたが新しい方法で考えるような意欲をかきたてるとともに、あなたがこれらの議論を再構築し、私たちが直面している複雑な問題に対する革新的な解決策を開発するのに役立たせることを願っています。
ディスカッションのための質問
1.人類学者は、どのようにして人間と環境との経時的な相互作用を調べてきましたか?
2.生態学的に高貴な野蛮人の神話とは何ですか?この神話の最近の例は何ですか?この考え方による先住民族の人々に対する影響は何ですか?
3.政治生態学の研究は、伝統的な保全の取り組みにどのように挑戦していますか?環境問題の解決策として保護公園や生態系保護区を促進することに伴う問題は何ですか?
4.人新世とは何ですか?人類学の研究は、人間が「自然な」世界とどのように相互作用するかについての理解の向上にどのように貢献していますか?
5.現在の環境課題に関連する政策を検討する際に、人類学から得られるどのような洞察が、一般市民、環境活動家、政府関係者にとって最も役立つと思いますか?
用語集
人新世:人間の活動の影響が地球の基本的な地球化学的循環を変えたような地質時代の現在の瞬間(または世)を表すために提案された用語。人新世の時代が始まった時期については、いくつかの意見の相違があります。おそらくそれは、工業化とともに始まりました。
人為的:人間の活動によって生成される環境と汚染物質。
文化生態学:人間の文化的信念や実践と、それらの信念や実践が生じる生態系との関係を調査する文化人類学の下位分野。
文化進化論:19世紀および20世紀初頭の人類学で一般的であった理論で、社会は単純なものから高度なものへと段階的に進化したことを示唆しています。この理論は後に不正確であることが示されました。
エコサイド:環境の破壊であって、特に人間によって意図的に行われる場合のもの。
エコジャスティス:社会的不平等と、環境破壊や汚染物質から生じる危害およびリスクとの間の不利な関係を認識し、是正する運動。
エスノサイド:文化の破壊であって、しばしば意図的に、その領土の破壊または除去、強制的な同化、または文化変容を通じて行われるもの。
民族生態学:文化的信念および実践と地元の環境との関係。その構成要素には、民族生物学、民族植物学、および民族動物学が含まれます。
資源抽出用の指定地:主要な生態系を維持しながら、特定の天然資源(魚、ゴム、ブラジルナッツ、ラタンヤシなど)の持続可能な抽出を認めるように設計された、コミュニティーによって管理される保護地域。
郊外移住者:一般的に裕福な人々が、農村部に付随する自然、娯楽、および美しい光景の快適さのために、都市部から農村部に移動すること。
歴史的個別主義:すべての文化がその歴史のために独特の方法(人々と自然環境との相互作用を含む)で発展するという理論。
恒常性:特定の系(人体、生態系)が平衡に向かう動き。生態学では、これは生態系がある地域に関連する極相生態系にとどまるだろうという考え方に関連しています。
ホミニン:人間(ホモ・サピエンス)とその近親者および直系の先祖。
唯物論:人間の社会的および文化的実践が基本的な生存の(経済的な)必要性によって影響を受ける方法を強調するマルクス主義理論。
複数種の民族誌:人類学者が非人間の種を社会または文化の積極的な参加者として含め、その影響と行動を研究する民族誌学的アプローチ。
政治生態学:環境問題の政治的および経済的側面を強調する学際的な研究分野。
プロセス考古学:考古学研究における、科学的手法、仮説の検証、定量分析、および理論主導のアプローチへの移行。以前の類型論と記述的分析への重点からの脱却。
保護地域:風景の美しさ、生物多様性、娯楽的な価値、その他の理由により、環境保全のために確保されている土地。
遷移:時間の経過に伴うある領域内の種のタイプの変化。それは、たとえば森林火災の後に徐々に相互に置き換わるさまざまな生態系について記述します。
持続可能な開発:環境を傷つけたり、将来の世代の可能性を制限したりすることなく、現在の必要性を満たすことができる開発。
焼き畑:移動式耕作およびスラッシュアンドバーンとも呼ばれる農業の実践。畑は、切り開かれて、燃やされ、数シーズンにわたって作物を植えられた後、長期間にわたって休閑地に戻されます。
野生:人間の活動によって触れられていない、または変化させられていない自然な地域で、しばしばアメリカ西部の文化的構築物と見なされています。
著者について
私はハワイでハイキングやサーフィンとともに育ち、環境と保全に興味を持つようになりました。私はブリガム・ヤング大学ハワイ校で生物学と国際文化研究を学部生として学びました。これには、伝統的なハワイの治療師がどのようにして持ち込まれた植物種や病気に適応したかに関する研究も含まれます。私は環境科学の修士号をイェール大学の森林・環境研究大学院で取得し、そこでは私はブラジルのアマゾンの資源抽出用の指定地を調査しました。カリフォルニア大学サンタクルーズ校の文化人類学の博士号では、観光経済に移行しつつあったブラジル北東部の小さな漁業の町における観光、都市開発、および保全に焦点を当てました。
書誌情報
Balee, William. Cultural Forests of the Amazon: A Historical Ecology of People and Their Landscapes. Tuscaloosa, AL: University of Alabama Press, 2013.
Cronon, William. “The Trouble with Wilderness: Or, Getting Back to the Wrong Nature.” Environmental History (1996): 7–28.
Fiske, Shirley J., Susan A. Crate, Carole L. Crumley, Kathleen Galvin, Heather Lazrus, George Luber, Lisa Lucero, Anthony Oliver-Smith, Ben Orlove, Sarah Strauss, and Richard R. Wilk. “Changing the Atmosphere: Anthropology and Climate Change.” Final Report for the AAA Global Climate Change Task Force. Arlington, VA: American Anthropological Association, 2014.
Murray, Gerald F. “The Domestication of Wood in Haiti: A Case Study in Applied Evolution.” Anthropological Praxis (1987): 218.
Sahlins, Marshall. “The Original Affluent Society.” In The Politics of Egalitarianism: Theory and Practice, edited by Jacqueline Solway, 79–98. New York: Berghahn Books, 2006.
White, Leslie. “Energy and the Evolution of Culture.” In Anthropological Theory: An Introductory History, edited by R. Jon McGee and Richard L. Warms. Mountain View, CA: Mayfield Publishing Company, 2000.
注記
[1] Bruno Latour, “Anthropology at the Time of the Anthropocene: A Personal View of What Is to be Studied,” (paper presented at the annual meeting of the American Anthropological Association, Washington, D.C., December 2014) http://www.bruno-latour.fr/sites/default/files/139-AAA-Washington.pdf
[2] Marshall Sahlins, “The Original Affluent Society,” in The Politics of Egalitarianism: Theory and Practice, ed. Jacqueline Solway (New York: Berghahn Books, 2006), 79–98.
[3] Elliot M. Abrams and David J. Rue, “The Cause and Consequences of Deforestation among the Prehistoric Maya,” Human Ecology 16 no. 4 (1988): 377–395.
[4] Sidney Mintz, Sweetness and Power: The Place of Sugar in Modern History (New York: Viking and Penguin, 1985).
[5] S.J. Fiske, S.A. Crate, C.L. Crumley, K. Galvin, H. Lazrus, G. Luber, L. Lucero, A. Oliver-Smith, B. Orlove, S. Strauss, and R. Wilk, “Changing the Atmosphere: Anthropology and Climate Change,” Final Report for the AAA Global Climate Change Task Force (Arlington, VA: American Anthropological Association, 2014).
[6] Simone Athayde, “Introduction: Indigenous People, Dams, and Resistance,” Tipiti: Journal of the Society for Anthropology of Lowland South America 12 no. 2 (2014): 80–92.
[7] Paige West, James Igoe, and Dan Brockington, “Parks and People: The Social Impact of Protected Areas,” Annual Review of Anthropology 35 (2006): 251–277.
[8] Maria Panakhyo and Stacy McGrath, “Ecological Anthropology,” in Anthropological Theories: A Guide Prepared by Students for Students (University of Alabama), http://anthropology.ua.edu/cultures/cultures.php?culture=Ecological Anthropology
[9] Leslie White, “Energy and the Evolution of Culture,” in Anthropological Theory: An Introductory History. eds. R. Jon McGee and Richard L. Warms (Mountain View, CA: Mayfield Publishing Company, 2000), 249.
[10] Julian Steward, “The Patrilineal Band,” in Anthropological Theory: An Introductory History, eds. R. Jon McGee and Richard L. Warms (Mountain View, CA: Mayfield Publishing Company, 2000), 228–242.
[11] Marvin Harris, “The Cultural Ecology of Indian’s Sacred Cattle,” in Anthropological Theory: An Introductory History, eds. R. Jon McGee and Richard L. Warms (Mountain View, CA: Mayfield Publishing Company, 2000), 287.
[12] Harold Conklin, Hanunoo Agriculture. A Report on an Integral System of Shifting Cultivation in the Philippines (New York, United Nations, 1957).
[13] Richard Reed, “Forest Development and the Indian Way,” in Conformity and Conflict: Reading in Cultural Anthropology, eds. James Spradley and David McCurdy, 105–115 (New York: Pearson, 2011).
[14] Darrell A. Posey, Kayapó Ethnoecology and Culture (New York: Routledge, 2003).
[15] Beth A. Conklin and Laura R. Graham, “The Shifting Middle Ground: Amazonian Indians and Eco‐Politics,” American Anthropologist 97 no. 4 (1995): 695–710.
[16] Mac Chapin, “Indigenous Land Use Mapping in Central America,” Yale Forestry and Environmental Science Bulletin 98 (1995): 195–209.
[17] Piers Blaikie, The Political Economy of Soil Erosion in Developing Countries (London: Longman, 1985).
[18] Melissa Leach and James Fairhead, “Fashioned Forest Pasts, Occluded Histories? International Environmental Analysis in West African Locales,” Development and Change 31 no. 1 (2000): 35–59.
[19] この研究の詳細については、以下を参照。William Balee, Cultural Forests of the Amazon: A Historical Ecology of People and Their Landscapes (Tuscaloosa, AL: University of Alabama Press, 2013).
[20] William Cronon, “The Trouble with Wilderness: Or, Getting Back to the Wrong Nature,” Environmental History (1996): 7–28.
[21] Ibid., 28.
[22] Paige West, James Igoe, and Dan Brockington, “Parks and People: The Social Impact of Protected Areas,” Annual Review of Anthropology 35 (2006): 251–277.
[23] Peter A. Walker and Patrick T. Hurley, “Collaboration Derailed: The Politics of ‘Community-Based’ Resource Management in Nevada County,” Society and Natural Resources 17 no. 8 (2004): 735–751.
[24] Peter A Walker, “Reconsidering ‘Regional’ Political Ecologies: Toward a Political Ecology of the Rural American West,” Progress in Human Geography 27 no. 1 (2003): 7–24.
[25] Paul Robbins and Julie T. Sharp, “Producing and Consuming Chemicals: The Moral Economy of the American Lawn,” Economic Geography 79 no. 4 (2003): 425–451.
[26] Andrew P. Vayda and Bradely B. Walters, “Against Political Ecology,” Human Ecology 27 no. 1 (1999): 167–179.
[27] Rachel Harvey and Annette Koh, “Landfill in Paradise: Politics of Waste Management and Environmental Justice in Hawaii,” Anthropology News 53 no. 8 (2012):1–16.
[28] Richard Grant and Martin Oteng-Ababio, “Mapping the Invisible and Real ‘African’ Economy: Urban E-waste Circuitry,” Urban Geography 33 (1): 1–21.
[29] Barbara Rose Johnston, “An Anthropological Ecology? Struggles to Secure Environmental Quality and Social Justice,” Kroeber Anthropological Society 101 no. 1 (2013): 3–21.
[30] Bruno Latour and Steve Woolgar, Laboratory Life: The Construction of Scientific Facts (Princeton University Press, 2013).
[31] たとえば、以下を参照。Jenny Reardon, “The Human Genome Diversity Project: A Case Study in Coproduction,” Social Studies of Science 31 no. 3 (2001): 357–388 and Micha Rahder, “But Is It a Basin? Science, Controversy, and Conspiracy in the Fight for Mirador, Guatemala,” Science as Culture (2015): 1–26.
[32] Donna Haraway, The Companion Species Manifesto: Dogs, People, and Significant Otherness (New York: Paradigm, 2003).
[33] たとえば、以下を参照。Eben, Kirksey, ed. The Multispecies Salon (Duke University Press, 2014) and Eduardo Kohn, How Forests Think: Toward an Anthropology Beyond the Human (Berkeley, CA, University of California Press, 2013).
[34] Gerald F. Murray, “The Domestication of Wood in Haiti: A Case Study in Applied Evolution,” Anthropological Praxis (1987): 218.
[35] S.J. Fiske, et al. “Changing the Atmosphere,” 6.
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