国際関係論 -第12章 接続性、通信および技術-

Japanese translation of “International Relations” edited by Stephen McGlinchey

国際関係論についての情報サイトE-International Relationsで公開されている教科書“International Relations”の翻訳です。こちらのページから各章へ移動できます。以下、訳文です。

第12章
接続性、通信および技術
アンドレアス・ハグマン(ANDREAS HAGGMAN)

ラッカー(Rucker 1983, 108)の言葉では、「人類とは、共有された食べ物と空気によってつながれた、単一の広大なタペストリーです」。この意味で、人類全体が物質世界を介してつながっているのは正しいです。しかし、そのような接続があらゆる種類の統一性をも生みだすと仮定するのは間違っています。国際関係のなかでは、私たちが人類を考えるとき、私たちは単一の、均質で平和な一群を考えるのではなく、独自の最終目標を達成するために競争し、強制し、協力する多くの異なる派閥を考えます。これらの派閥は、民族的、人種的、宗教的な分け方のようなグループに属している場合もあれば、国民国家である場合もあります。彼らはまた、非常に大きいものから非常に小さいものまで、どのような大きさの尺度をとることもできます。しかしながら、重要なことに、これらのグループのどれも、それらの中に含まれる個々の人間から独立したものとしては存在しません。個人は人間性が存在する基本単位です。このようにして、個人はより広範なシステムと共生しており、個人と広範なシステムとは互いに相手を形成し、影響を与える役割を果たします。人間性は人体だけでなく、人間の心の中にあるアイデア、信念、意志から成り立っています。この定義を考えると、人類がつながっていることはどういう意味になるでしょうか?物理的な意味では、断絶は常に存在していました。それぞれの人間の心は、あらゆる他者とは別個に存在するある一つの人体の中に含まれています。しかしながら、人類をつなぐことができるというのは、形而上学的な地平、すなわちアイデア、信念、意志の上にあります。例えば、共通の目的へ向けて多くの個人が団結するということは、行動につながる心のつながりを表しています。そのような団結は、もちろん完全な偶然や無意識の行動によって生じることがあります。しかしながら、より強力な結びつきは、団結が意識的な相互作用から起きるときに生じます。したがって、接続性の概念の中心には、他の人とコミュニケーションする能力があり、私たちは今日ではますますこれをデジタルな手段によって行っています。

インターネット

インターネットは世界中の数百億の機器を結びつけている、接続されたコンピュータネットワークの集まりです。これらの機器には、サーバー、パーソナルコンピュータ、携帯電話、ビデオゲーム機などが含まれます。車や家電製品などの他の機器も、ますますインターネットに接続されています。インターネットに接続された機器は、ネットワークリンクを介して互いに接続されています。これらのリンクは、物理ケーブルまたは無線接続のいずれかです。物理的なケーブルは、2つのコンピュータを一緒に直接接続するために使用される小さなケーブルから、大陸を接続する大型海底ケーブルに至るまで、様々な形状と大きさのものがあります。無線接続は、目には見えませんが、家のWi-Fiネットワークから宇宙の衛星へのリンクまで、同様の規模で機能しています。インターネット上のコミュニケーションは、これらのネットワークリンクのあらゆる組み合わせを横断する可能性があり、国際関係では熱く議論されているトピックになっています。

同義語としてよく使われますが、インターネットは「ワールドワイドウェブ」(www)と同じではありません。ウェブは、インターネット上で動作する多くのサービスのうちの1つに過ぎず、ウェブブラウザを介してテキスト、画像および他のメディアを含む文書を表示することができます。インターネット上の他のサービスの例には、電子メール、音声およびビデオ通信およびオンラインゲームが含まれます。厳密な言い回しが重要な法律や規制の分野では技術的な概念を混同することは深刻な影響を与える可能性があるため、インターネットとウェブとを区別することは重要です。この章では、接続されたデジタル機器やサービスの全範囲としてインターネットを想定する必要があります。個々の機器またはサービスについて詳細に議論するときは、どの機器またはサービスが話されているかを明示します。

デジタル商業

商業は人間の相互作用の基盤です。歴史を通じて、財とサービスの取引は、人間同士が結びつく機会を提供しコミュニケーションの方法を必要としてきました。交換、同意、契約は、口頭で、書面で、あるいは視覚的な手段で行われてきました。インターネットの急激な成長に伴い、業者や私的にものをやり取りする人たちが商業目的でこのチャネルを採用することは避けられませんでした。商業のオフラインからオンラインへの移行は、人間の相互作用とコミュニケーションに影響を与えます。現代経済において、商業は、長いサプライチェーンと、商品の生産と輸送に影響を及ぼす複数の仲介者を含んでいます。商品をアイデアから構想へ、そして最終的に買い手に到達させるためには、まず原材料、次に製造業者、取次業者、販売業者、および顧客(さらに加えて、おそらく1人か2人のマーケティング担当者)が必要です。このプロセスの各段階では、特に販売の時点では、相互に作用する個々の人間を必要とします。しかしながら、デジタル商業を介せば、このプロセスの中の多くの仲介業者を排除することができます。顧客は、(直接的には)決して他人とやりとりすることなく、数回のクリックまたはタップで製造業者から直接商品を購入することができます。例えば、テレビを購入するには、以前は電器店のようなより一般化された小売店を訪問し、販売代理人と話し、そして購入する必要があったでしょう。今度は小売店が、テレビを製造元から購入した卸業者から調達するでしょう。しかしながらインターネットのおかげで、いまや商品を購入しようとしている人は製造業者のウェブページにアクセスし、テレビを購入して家まで届けてもらうことができるので、伝統的な商業チェーンのほとんどを実質的に切り離し、非常に限定された対人コミュニケーションで済ませることができます。

商業活動を行うこの方法は、いくつかの点で大量生産が出現する前の取引を連想させます。会合や商売の中心であるアゴラ(広場)に集まった古代アテナイ人の時代から、商業は非常に個人的なものでした。商業の中心地としての公共市場は、AmazonやeBayのようなウェブサイトを通じてインターネットにより再び有効になっています。ここでは、製造業者と生産者は、供給業者や代理店の確立された長いチェーンを必要とせずに、顧客に直接到達できます。アマゾンはアゴラに類似しているかもしれませんが、デジタル商業が国際関係にどのような影響を与えるかについてのより良い例は、シルクロードでしょう。古くには、シルクロードはヨーロッパとアジアを結ぶ6000kmの貿易ルートでした。それは商業貿易を促進するだけでなく、異なる文化の間でのアイデア、さらには宗教の流れを可能にしました。それは事実上、物品と情報の両方を流通させる貿易業者と拠点からなる広大な分散ネットワークでした。重要なことに、これらの流れは、シルクロード沿いを旅した人々の間の個人的なやりとりによって具体化されました。

古代のシルクロードは、現代のデジタルな対応物とその名前を共有しています。Silk Roadは、2011年に初めて設立されたオンライン市場であり、ユーザーの匿名性を維持する特別なWebブラウザの形で「Torネットワーク」によって提供されるソフトウェアを使用してアクセスおよび運営することができます。支払いはビットコインという脱中央化されたデジタル通貨で行われたため、銀行カードの詳細を含む個人情報を明らかにせずに買い物客が購入することを可能にしました。事業者は仮名で運営していました。取引プロセスの匿名性の側面は、現代のSilk Roadと古代のシルクロードを区別するものであり、インターネット時代の商業の非個人化を例示しています。Silk RoadとTorは、特定のソフトウェアやアクセスパスワードなどの特定の手段でしかアクセスできない「ダークウェブ」と呼ばれるインターネットの発展を象徴しています。国際関係の分野におけるこれの影響は、最終的にこのSilk Roadを閉鎖した警察活動において最も明白です。Silk Roadのウェブサイトを摘発した後に表示される保持ページには、11の言語を話す13カ国の国旗に囲まれた米国と欧州の多数の法執行機関の紋章が飾られていました。インターネットは陰の活動の場を提供しており、これらと闘うという課題は国際的な領域で行われます。

デジタル通信

地理的分断を超えて他の人間とコミュニケーションをとるという考え方は、商業の考え方と少なくとも同じくらい古いものです。そのための主な手段は、書かれた言葉によるものです。これらの手段の最も直接的なものは、手紙です。なぜなら、それはある個人から別の個人へと特定のメッセージを運ぶために送られるからです。そのため、手紙は人と人との間の重要なつながりを表しています。デジタル時代には、毎日数千億のデジタルメッセージがある人から別の人に送られており、電子メールとインスタントメッセージが主要な書面通信手段としての地位を手紙から奪い取ってきました。手紙を郵送するプロセスは、この章の上で説明した長い商業的つながりに似ています。手紙を書いて郵便ポストに入れる送付者がいます。郵便局の労働者は、手紙を収集して選別センターに運び、そこではその手紙を機械(以前は人間でした)が正しい場所へと仕分けます。この手紙は、陸路、海路、および/または空路で物流センターに輸送され、さらなる選別が行われます。最後に、配達人はそれを規定の住所に届け、受領者はその手紙を受け取り、読みます。複雑な一連の仲介者を介して、送り手と受け手は互いに通信することができます。電子メールとインスタントメッセージにより、人間の仲介者はこのプロセスから完全に排除されます。送り手と受け手の間の唯一のステップは、電子メールまたはメッセージが正しい宛先にそのまま届くことを保証するいくつかの技術的やりとりです。このようにして、送り手と受け手は、直接的に、そして重要なことにほとんど瞬間的に、通信することができます。手書きされた手紙は、その目的地に到着するために、1日から1週間、またはそれ以上かかることがあります。これと比較すると、電子メールは、それがこの惑星を何回横切るかにかかわらず、通常、秒単位で到着します。国際宇宙ステーションへの電子メールでさえ、送信するのに数秒しかかかりません。

あなたは他の人にメッセージを送ることができる速度を当然のことだと思っているかもしれません。しかし、これは歴史的な比較の視点に置いてみる価値があります。伝説によると、マルティン・ルター(Martin Luther)が1517年にプロテスタント宗教改革を発表したとき、彼はヴィッテンベルクの教会の扉に論争を呼ぶ文書を釘付けにしました。この行為は、暴力的な混乱の過程を開始し、大惨事となった30年戦争が終焉した1648年に頂点に達しました。このようにして、ルターが文書を公に張り出したことの完全な効果は、成果を収めるまでに130年を要しました。彼の文書の現代的な同等物はソーシャルメディアの投稿になるでしょう。デジタル通信がほとんど遅延なしに移動することを考えると、メッセージはすぐに何百万人もの人々に配信されてそのアイデアを広め、運動を統括することができます。おそらくこれの最も良い例は、アラブの春であり、これはアイデアを広め、反応をまとめるためにソーシャルメディアを広範に利用したため、Twitter革命とも呼ばれています。30年戦争が現れ始めてから終わるまでには100年以上の期間を費やしましたが、チュニジアの革命は数週間しかかかりませんでした。このような事象を加速するに際し、デジタル通信が何らかの役割を果たしていることは明らかです。

到達範囲

商取引と通信のデジタル化によってのみ可能となった重要な理論の1つが、「ロングテール」の理論です(Anderson 2004)。この理論は要するに、製品をより安価に流通させ販売することができるため、販売者は多数の顧客(ヘッド)に訴える狭い範囲の商品に焦点を当てるのではなく、小規模な顧客ベース(テール)に訴える幅広い品目を在庫できることを示唆しています。例えば、Amazonのバーチャルな品物棚には、考えられるほとんどすべての種類の製品が含まれますが、小売店の物理的な棚は利用可能なスペースによって制限されています。インターネットを通じて、ニッチな製品は主流な製品と隣同士になって表示されます。インターネットを通じて文字通り世界的な聴衆へと到達できるようになり、最も曖昧なアイデア(例えば、政治的イデオロギー、宗教的信念、ビジネスベンチャーなど)でさえ、誰かしらに訴えかけることができます。この現象には利点と欠点の両方があります。

一方において、抑圧的な政権下に住む人々は、国内外でのコミュニケーション能力に限界があるかもしれません。デジタル技術により、この抑圧を回避することができ、不満の表明を可能にし、それがなければ視界から覆い隠されていたかもしれない問題に光を当てることができます。上記で議論したように、アラブの春が、好適な事例です。エジプトのムバラク政権は、これらが抗議活動を組織する上で果たしてきた役割を認識し、この国のインターネットサービスを遮断しました。それにもかかわらず、抗議者がムバラク体制を破壊することができたという事実は、インターネットがいかにして人々に抑圧を克服する力を与えるかを示しています。これは、コミュニケーションが積極的に抑圧されるのではなく、単純に無視されたり失われたりする場合にも当てはまります。コミュニケーションをするために「ロングテール」を使うと、人々は自分自身の話を聞いてもらう機会が増えます。コミュニケーションの到達範囲が広がるにつれ、斬新なアイデアの提示は、より小さな聴衆に提示される場合よりも、支持、反対、またはコメントを獲得する可能性が高くなります。例えば、駆け出しの起業家が彼らのアイデアを一般に公開し、現実化するために資金調達を呼びかける「クラウドファンディング」プラットフォームを考えてみましょう。アイデアは物理的な製品である必要はなく、政治的または宗教的な信念の表明でもあります。インターネットは、過去には道端に投げ捨てられていたかもしれないアイデアが牽引力を得ることを可能にします。このようにして、デジタル通信は知識の共有を増進し、アイデアの改革と改善につながる会話を促進することができます。

他方、ロングテールは社会の不名誉な構成員にも声を与えます。抑圧された人が声を上げることができるように、過激派もインターネットの暗い深みに足場を見つけることができ、そこでは悪いアイデアが取り上げられ、増幅される可能性があります。おそらくこれの最も有名な受益者は、イスラミック・ステートグループ(ISIS、ISIL、Daeshとも呼ばれています)です。インターネットを熟知した彼らは、特にソーシャルメディアを通じて、新たな構成員を募集し過激化させるとともに、プロパガンダを広めるために、多くのことをやっています。イスラム教徒を含めて、このグループを拒絶し、積極的にそのメッセージと戦おうとする人々は少なくありませんが、オンラインの世界では、多数派の見解が必ずしも他人の表現を排除するとは限りません。以前は、聴衆がいないため、邪悪な考えはあいまいさの中に消えていたかもしれませんが、ロングテールを持ってすれば、最も凶悪なアイデアでさえ支持者を見つけることができます。

手頃な価格

デジタル化の進展により、参入障壁が低くなり、これまで以上に多くの人々が商取引やコミュニケーションに参加しています。伝統的な長い物流チェーンは製品を動かすためにコストがかかります。チェーンに沿った各段階では、取扱店に手数料が必要となります。この手数料は、製品の価格を引き上げることにより顧客に引き継がれます。物流チェーンを短縮し、仲介者を削減することにより、製造業者はコストを削減します。製品の製造コストは同じままであっても、製品の配送、販売、マーケティングについては節約できます。これらの節約は、製造業者が同じ利益率を維持しながら、より低価格の形で顧客へと伝えることができます。この低い価格は、以前は高い価格によって離れていた顧客を潜在的に引き付ける可能性があります。商業のデジタル化は、製品をより手頃な価格にすることによって市場を開放することができます。

デジタル通信のチェーンも同様の方法で短縮されており、同様のコストの利益があります。しかし、通信の金銭的コストは、参入障壁となるほど高くはありませんでした。通信のデジタル化の利点は、主として価格ではなく、むしろ参加するために必要な技能の低下です。上に概説したように手紙で伝えるには、読み書きの両方が可能でなければなりません。20世紀の大衆教育の普及まで、これらの技能は人類の比較的小さな部分に限られていました。現在、ほとんどの先進国では識字率が高くなったため、デジタル通信は学習困難な人や教育が限られている地域で力を発揮することができます。ビデオメッセージアプリケーションのおかげで、リアルタイムの長距離通信を、対面通信によって実現することができます。これは、読み書きができるようにする必要性を回避し、すべての人が持つ対人コミュニケーションスキルだけを必要とします。もちろん、アプリケーションを実行するノートパソコンやスマートフォンなどの機器が必要です。しかしながら、これらの機器は安価になり、単一の機器を共有し、使いまわすこともできます。共同所有は、これらの機器の購入の初期コストを分散させるだけでなく、それ自体が人々が互いに接続するための手段です。ノートパソコンの周りに集まり、世界の反対側の親戚とビデオ通話する家族の能力は、さもなければ距離と時間によって困難にさらされる関係を維持するための強力な方法です。

地理的距離および/または通信手段へのアクセスによって以前に分断されていた人々は、今や、連絡が途絶えていた知人と再びつながり、地球の反対側にいる他人との関係を築くことさえできるようになりました。このように、デジタル通信は人類の同質性を高める可能性があります。誰もがつながっていれば、場所、人種、国籍、階級、富の間の分断をぼやけさせることができます。伝統的に人類を分離してきたこのような事柄を強調するのではなく、私たちを団結させるものに集中することができます。つまり私たちを人間とするような共有された価値観です。

依存

デジタル機器は、ますます人間活動を支えている新しい物流や通信とは切り離せなくなっています。この機器は、幅広い形状とサイズの種類を持ち、同様に幅広い範囲の機能を備えています。おそらく最も普及している馴染み深い機器はパーソナルコンピュータとスマートフォンです。多くの人々にとって、インターネットによって提供され、そのような機器を通じてアクセスできる簡易な接続性と豊富な情報のない生活を想像することは不可能です。したがって、これらの機器は、人類の重要な、おそらく必要不可欠な要素となっています。これらの機器が社会に浸透するにつれて、人間は人間性の一部をデジタル領域に譲り渡すことが考えられます。個人的なことであれ、社会的なことであれ、私たちの基本的な人間の機能の多くのためにインターネットを使用するということは、人間であるということの一部を形作るのに実質的にインターネットを必要とします。1945年に、ヴァネヴァー・ブッシュ(Vannevar Bush)は「memex」という考えを導入しました。彼はそれをこう述べています。

個人がすべての書籍、記録、および通信を保存し、非常に高速かつ柔軟性をもって調べることができるように機械化された装置。人の記憶にとっての拡大された親密な補助装置である。
(Bush 1945)

ブッシュの記述は、気味の悪いほどの先見性で、スマートフォンを正確に表しています。これが意味することは、このような装置のおかげで、有限な人間の心が、想像し、連想し、そして経験するというユニークな人間の能力を果たすために解放されるということです。

もちろん、そのような技術への依存は否定的な結果をもたらすことがあります。技術が消えたり私たちの使用が拒絶されたりすると、人間性の一部を失う可能性があります。エジプトのインターネットサービスが切断された例は、2007年のエストニアでサイバー攻撃により市民が銀行のような不可欠なサービスへのアクセスを失ったことと同様に、大規模な技術的脆弱性を示しています。10億人以上のユーザーを持つソーシャルネットワーキングプラットフォームであるFacebookを検討してみましょう。Facebookとその子会社Instagramは、今日写真の保管庫として使用されています。何億人もの人々が撮影時に写真をアップロードし、古い世代では通常は家に保管していた物理的なフォトアルバムを実質的に置き換えています。それにより、Facebookは視覚的な記憶のアーカイブになります。インターネットが誤動作した場合、Facebookとそれに含まれる思い出にアクセスできなくなります。思い出は個人的にも社会的にも、私たちを人間にするための重要な構成要素です。それらを失うことは、人間性の一部を失うことになります。この思い出の例は、重要な人間の機能を技術へ過度に依存することがいかに賢明でないかを示しています。

管理

インターネット管理の問題は最近注目を浴びていますが、これは主として、2013年に告発者のエドワード・スノーデン(Edward Snowden)によって流出された文書の暴露によるものです。この文書は、サイバースペースにおける米国の諜報能力の範囲を示しました。その多くは、ほとんどのインターネットトラフィックが米国内のサーバーを始点としたり、その中で終結したり、通過したりするという事実に基礎を置いています。これはもちろん、インターネット上の情報の流れへの前例のないアクセスを享受できるため、米国に大きな利点をもたらします。この不均衡を認識し、また自国の市民の権利が侵害されるおそれに反応して、いくつかの国はインターネットの国有化を強く求めています。これは、各国が自国の国境内にデータがとどまることを保証するモデルに移行することを意味します。これが不可能な場合、データは始点となる国の法律に従って扱われ、国際的な統治の枠組みによりバックアップされるべきです。これは権力の不均衡を是正することができますが、それはまたインターネットをばらばらに分断する可能性を秘めています。インターネットの利点の多くは、技術が斉一的に機能し、異なる地理的領域にわたってアクセス可能であることに依存しています。ばらばらに分断されたインターネットは統合が困難であるような一連の運用基準を必然的に作り出すことになります。中国は国家的なインターネット政策を運営している国の一例ですが、上記の理由とは異なる理由があります。「グレートファイアウォール」を通じて、中国政府は、外国のニュース配信元やFacebook、Google、Wikipediaなどの有名なウェブサイトなどの検閲を受けていない情報源へのアクセスをブロックしています。インターネットの全面的な利点は、大部分の中国ユーザーにとっては明らかに利用できず、技術の管理が国民を制御するための強力なツールになる可能性が示されています。

結論

インターネットは、以前には知られていないスケールで個人が他の個人と、システムが他のシステムと、そして個人がシステムとつながるような力を与えた、真に革命的な技術です。依存と管理のような問題は、現代の技術がまだ進行中であることを示していますが、覚えておくべき重要なポイントは、物流や通信にデジタルやその他の方法で参加することによって、それぞれの人間は国際関係のプロセスと進展に影響を与える可能性があります。書かれたり話されたりした言葉や貿易を通じて他の人間と交流することは、人類を繁栄させるものです。インターネットは、より多くの場所で、より多くの人々のために、より多い頻度で、より迅速にこれを行うことを可能にしました。したがって、私たちは食べ物と空気を共有するだけでなく、私たち自身の生活と他者の生活の両方を有意義に形作る共通の能力によってもつながっています。

この訳文は元の本のCreative Commons BY-NC 4.0ライセンスに従って同ライセンスにて公開します。 問題がありましたら、可能な限り早く対応いたしますので、ご連絡ください。また、誤訳・不適切な表現等ありましたらご指摘ください。

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