国際関係論 -第17章 「パックス・アメリカーナ」を超えて、グローバルな安全保障を管理する-

Japanese translation of “International Relations” edited by Stephen McGlinchey

国際関係論についての情報サイトE-International Relationsで公開されている教科書“International Relations”の翻訳です。こちらのページから各章へ移動できます。以下、訳文です。

第17章
「パックス・アメリカーナ」を超えて、グローバルな安全保障を管理する
ハーヴェイ・M・サポルスキー(HARVEY M. SAPOLSKY)

私たちはしばしば、権力と富がますます分散化した世界に住んでいるということを耳にします。この本の以前の章が記述しているように、世界は確かに、時に急速に、変化しています。それにもかかわらず、第二次世界大戦の終結以来、ひとつの不変のものがあります。アメリカ合衆国は、世界の支配的な軍事力・経済力であり、グローバルな安全保障の管理者であり続けています。したがって、米国の安定化をもたらす力や軍事力によって監視された、1945年以降の主要な戦争のない時代を描くために、「パックス・アメリカーナ」というフレーズが用いられます。IRでは、軍事的および経済的な関係において、他人よりも抜きんでた力を持つ主体を「ヘゲモン」と呼びます。過去には確かに地域的なヘゲモンがいましたが、既知の歴史のなかでグローバルなヘゲモンはいませんでした — 現在になるまでは。

今日、地球の市民の大部分は、確実に現職のアメリカ大統領の名前を識別することができるか、少なくともその顔を認識することができます。これは、他の指導者に対しては言えません。国際関係論における多くの議論は、このような状況が望ましいか、あるいは持続可能かどうかという疑問を取り巻くものです。これらの議論に取り組むためには、米国がどれだけ支配的な力であるかと、その状況が続く可能性があるかどうかを評価することが重要です。私たちはこのことを熟考するに際し、国際的な次元だけでなく、アメリカ社会の中においても、アメリカがグローバルな役割を果たし続けるべきか否かという議論が進行中であることを理解しなければなりません。この章では、このような質問を直接的かつ時には挑発的な方法で探求していきます。最終的な答えは、どんなものであれ、次の時代の国際関係を決定するでしょう。したがって、私たちはパックス・アメリカーナを超えた世界の意味を熟考することを避けるべきではありません。

孤立からグローバルな超大国へ

第二次世界大戦はアメリカの支配を確立するための転換点でした。その戦争より以前は、米国はアメリカ大陸での拡大に​​焦点を当てており、近隣諸国がアメリカの地域的な支配を認識することを確実にし、ヨーロッパ諸国のアメリカ大陸における影響力に機先を制するようにしていました。最初のアメリカ大統領で​​あるジョージ・ワシントン(George Washington)は退任演説で、米国は「絡み合う同盟」を避けるべきだと警告しました。もう一人の大統領であるジョン・クインシー・アダムス(John Quincy Adams)は、アメリカは「倒すべき怪物」を外国へと探しに行くべきではなく、アメリカの栄光は支配権ではなく自由の中にあるということを語りました。それにもかかわらず、米国は、19世紀後半に帝国主義に取り​​掛かり、キューバを解放するために崩れかかったスペイン帝国を打ち倒し、その過程でプエルトリコ、グアム、フィリピンを獲得しました。しかし、1776年にイギリスの植民地支配から自分たちの自由を得ると、自らが植民地支配力そのものになるというアメリカの望みはほとんどありませんでした。第一次世界大戦に関与したことですら、米国が好む孤立主義の殻を揺るがすことはできませんでした。米国はこの戦争に遅れて参入し、戦後すぐに軍隊を国へ帰還させ、米議会が国際連盟への加盟を拒否することによって、自国の大統領が設計を手助けした平和の強化への助けを拒否しました。

第二次世界大戦は、その範囲において真の意味でグローバルなものであり、その影響は革命的でした。米国は、大西洋でのドイツ潜水艦による戦闘と、1941年12月の日本による真珠湾の軍事施設への奇襲攻撃によって、この戦争に再び遅れて参戦しました。1939年に戦争が始まったとき、グローバルなリーダーシップのためにいくつかの大国が争っていました。しかし、米国はその中にいませんでした。英国とフランスはかなりの帝国を持っていました。アドルフ・ヒトラー(Adolf Hitler)は、少なくとも1000年は続くような新しいドイツのライヒ(あるいは帝国)を創設することを決意しました。大日本帝国はアジアでの支配を追求しており、既に中国の一部と朝鮮全土を占領していました。最後に、ソビエト連邦は共産主義革命が可能であることを証明し、これに他の国々が追随し、共産主義が世界的に広がる見通しは良好でした。この戦争の終わりまでに、ドイツと日本は壊滅し、敗戦国となり、外国の勢力に占領されました。勝利者の中でも、英国とフランスは消耗した大国でした。彼らの帝国は断片化しており、その経済はほぼ破壊されていました。ソビエト連邦は、主としてドイツの侵略との戦いにおいて、すべて国の中で最も大きな損失を被りました。戦争に勝利したにもかかわらず、連合国軍の勝利の対価は高くつきました。対照的に、1945年までに米国は、1930年代の世界的な経済崩壊であった大恐慌の影響を振り払い、戦争による影響は比較的受けませんでした。それは1600万人以上の軍隊を動員し装備を施すことによってその力を実証しました。戦争が終わると、アメリカはその軍隊は世界中に駐留させるとともに、世界の支配的な経済大国ともなりました。

米国は第二次世界大戦からいくつかの教訓を得ました。その中で最も重要なものは、自国の安全保障を守るためにはグローバルな安全保障の管理に関与しなければならないということでした。たとえアメリカが他国に対して挑戦することに興味がないとしても、他国にとってアメリカは大きすぎて強力すぎるため、挑戦することはできませんでした。システムとしての国際関係は無秩序的であり、支配者がいないため、デフォルトではいくつかの強力な国家は他の国家を不安に感じさせる傾向があります。たとえいくつかの強力な国家が脅威をもたらすような形で行動しなくても、将来的にそうするかもしれないという恐れがあります。これは、競争と将来の紛争のリスクにつながります。なぜなら、国家は相対的な権力を増やそうとすることで安全保障を最大化しようとするためです。これまでこれは、第1章で説明したように、通常は領土を取得することによって行われていました。しかし、脱植民地化と核兵器の存在を特徴とする戦後の時代には、安全保障の計算が流動的でした。その状況を監視するために、米国は、両方ともアメリカにあるブレトンウッズとサンフランシスコで開催された会議において商取引と統治のための国際的枠組みを設計し、ニューヨークに本部を置く国連に加わることで、グローバルに関与することを選択しました。本質的に、アメリカ人が経済的、政治的な国際関係の新しい制度を作り出し、その運転席に自ら座りました。戦争終結時には、軍隊の大半の動員が解除されましたが、米国は戦時中に建設した基地のネットワークを維持し、ヨーロッパとアジアの両方で堅固な軍事的プレゼンスを維持しました。自国では、1947年の国家安全保障法を通じ、グローバルな権力の発展と行使を調整するための政府の枠組みを作り出しました。要するに、米国はいまや、永続的に異なるタイプの主体として構成されることになりました。

第二次世界大戦でファシズムを破壊するのを助けた米国は、世界秩序のライバルとなる残りの2つのシステム、すなわち植民地主義と共産主義をまずは押さえ込み、そして崩壊させるという課題を設定しました。ソ連が東欧を支配しようと圧力をかけ、1949年に核兵器を取得することによって、これには早くも試練が訪れました。多くの米国の政治家は、ソ連が欧州とアジアのすべてを支配するのではないかと恐れていました。これらの地域は、潜在的に米国に匹敵するか上回ることさえありえる工業的資源と軍事力を有する地域です。1949年に中国が共産主義になり、他の国々が後に続くように見えたとき、これらの恐怖は現実に根拠を持っているようでした。私たちが現在冷戦と呼んでいる一連の対立と危機は、国際関係の新たな常態となりました。この紛争は、40年以上にわたる米国とソ連の間の2つの力の闘いを象徴していました。IRはこれを二極システムと呼びます。なぜなら、2つの主要な主体がグローバルな事柄を形作ることに責任を有するからです。結局、1989年から1991年の間のソビエト連邦の内部崩壊に伴い、一つの超大国、アメリカが残りました。問題は、これは二極性が一極性(1つの権力による支配)や多極性(多くの権力の中心地)につながることを意味するのか?ということでした。

世界的な目線で

今日、米国の人口は3億2500万人で、世界で3番目に多いです。それでも、その合計は世界人口の5%未満であり、中国とインドの10億人以上の人口と比べると小さいです。しかしながら、米国は、世界の軍事支出の40%以上を占めており、以下10カ国を合わせた額を上回っています。1年あたりの防衛に費やしている現在の金額は、(インフレ調整した後で)直接の軍事競争相手に直面していた冷戦時の軍事支出と同等です。第二次世界大戦以来、米国は防衛技術に年間数十億ドルを投資しており、おそらくより重要なものはレガシー効果です。その投資は、戦争のほぼあらゆる局面において、米国が比類ない軍事的優位をもたらす能力を構築してきました。私たちは、無人機や他のタイプの先進型、さらには自律型兵器が新たな基準となる「軍事革命」と呼ばれる時期に入りつつあり、米国は顕著に有利な位置を占めています。

米軍は、真にグローバルな作戦を行う能力を持つ唯一の軍隊です。20万人以上の軍人を海外に展開するために、約700の基地と他の軍関連施設からなる世界規模のネットワークを有しています。これらの軍の指揮統制は、いくつかの冗長性を持ち保護された通信、諜報および監視システムによって提供されています。地球上の周回軌道には数十の米軍事衛星があります。アメリカ軍の無人機による航空隊は、地球のいくつかの問題のある場所の上で絶え間なく空を旋回しています。最後に、10個の米国の空母艦隊が、世界の海を行き来しています。他のいかなる国も2個より多くの空母艦隊を有していないため、この数字はもっともよく状況を表すものでしょう。この軍隊はアメリカの国土を守るために必要なものよりもかなり大きいです。米国は両側に海があり、他の2つの側には非敵対国(カナダとメキシコ)があるため、地理的に有利な国です。アメリカはその海のために侵攻するのが難しく、その規模と富のために威圧するのがさらに難しい国です。米国はミサイルにより到達可能ですが、世界的な到達範囲を有する恐るべき核抑止力を維持しています。

米軍は、自分たちがグローバルな安定と述べるものを維持することにより評価されています。言い換えれば、抑止と関与による地域紛争の緩和です。しかし、米国をグローバル安全保障の管理者の地位に選んだ人は誰もいませんでした。冷戦が終わったとき、その道に立ちふさがる力はありませんでした。アメリカは、世界的な存在感、同盟と援助関係、そして余分な軍事資源を有しており、これは紛争が拡大するのを防ぐためや、飢饉や自然災害が発生したときに援助を提供するためにどこへでも介入することのできるものでした。ある人たちは、アメリカのリーダーシップが世界の良いことのために不可欠な力だと信じていたので、これを道徳的義務とみなす人もいました。他の人たちにとって、世界の支配的権力としての地位を埋め込み、将来のライバルを超える長期的な優位性を獲得するために、米国はより狭く行動し、ライバルの欠如の機会を利用するべきでした。

トラブルがいっぱいの世界

米国は、冷戦の終結以来、常に何らかの軍事作戦に従事してきました。1990年のサダム・フセイン(Saddam Hussein)のイラクによるクウェート侵攻は初期の例です。米国は、クウェートをその後すぐに解放する国際的な連合を率いて、これは後に湾岸戦争として知られるようになりました。12年後の2003年の第二次米イラク戦争とは異なり、1991年の湾岸戦争は国連安全保障理事会の承認を受けていました。冷戦終結直後の米軍のもう一つの任務は、ソマリアにおける人道的な努力でした。戦闘を行っている派閥は食糧の分配を混乱させ、広範な飢餓と大規模な飢饉の可能性を引き起こしました。国連の負託の下で、米国主導の連合は、ソマリアに救済と安定をもたらすよう努めました。間もなく、派閥間の戦いは制御不能となり、アメリカや他の国々が混乱の中でこれ以上人員が死亡したり負傷したりしないように兵士を撤退したため、救援ミッションが崩壊しました。ソマリアは典型的な失敗国家、すなわち機能する政府のない土地と人々となりました。米国は、ソマリアの経験によって身をもって知って以来、他のそのようなケースで援助するのをためらっています。国際社会の他のメンバーと同様に、ルワンダの1994年の大虐殺に介入することはありませんでした。しかしながら、アフリカ連合や国連の活動、特にボコ・ハラムのようなイスラム過激派テロリスト集団に向けられた平和維持部隊としての地域連合を訓練・支援することを通じて、アメリカはアフリカへの関与に徐々に戻りつつあります。アフリカの角(Horn of Africa)からの国際的な海賊行為との戦いや、エボラやHIV/エイズなどの疾病の流行と戦うことに関連する人道的プロジェクトにも大きな努力が払われています。

その他の地域では、ソ連の崩壊によって解放された国々は引き続く問題に直面しています。なぜなら、ロシアが失われた領土を取り戻し、新たな国境の間違った側にいると見ているロシア民族の利益を守ろうとしているためです。ロシアは2014年にウクライナのクリミアを併合し、ジョージアとモルドバの一部にも介入しています。そしてウクライナは、離反した東部地域においてロシアの支持する反乱に耐えています。米国は北欧・東欧諸国を通じた戦闘部隊の移転を進め、NATOの東縁に弾道ミサイル防衛システムを構築しているにもかかわらず、西側欧州諸国は大概当惑している傍観者に甘んじており、ロシアの行動に懸念を抱くとともに、ロシアと彼らとの通商も懸念しています。欧州では経済制裁や懲罰的外交以外の形でロシアの挑戦に立ち向かう強い意欲はないようです。

米国本土に近づくと、ラテンアメリカでは、貧困、麻薬、腐敗といった問題が常にあります。この地域の最貧国であるハイチには、例えば、政府がクーデターの試みを乗り切るのを助け、壊滅的な地震の後に援助を提供するために、米軍が頻繁に訪れています。コロンビアは、部分的には麻薬取引によってもたらされた持続的な反乱を抑制するために、相当な援助を必要としました。それよりは目に付きにくいものの、米国は、何千人もの命を奪い、メキシコ政府の安定を脅かすような対立する薬物ギャングの間の戦争にメキシコが対処するのを助けています。いくつかの中米諸国は同様に苦しんでいます。北方の米国に向かうことによって貧困と犯罪から脱出しようとする移民の洪水が、メキシコの国境とカリブ海を通って押し寄せています。

冷戦の初期の戦いの1つであった朝鮮戦争を終結させた1953年の停戦以来、60年以上たった後も、米国は依然として韓国を北朝鮮から守るために約3万人の兵力を韓国に保有しています。アメリカ軍はまた、日本を近隣諸国から隔離し続けています。日本の近隣諸国の内のいくつかは日本との領土紛争を抱えており、第二次世界大戦前や最中の日本の行動に大きな不満を残しています。この近隣諸国のうち最も重要なのは中国であり、南シナ海における拡張的な計画は、多くの東南アジア諸国の利益を脅かすように見えるだけでなく、世界で最も航行される国際航路の1つを航行する自由な通行の権利を脅かすようにも見えます。米海軍はこの地域でパトロールを強化し、米軍のアジアへのリバランスのための「ピボット」と呼ばれるものの中で、米海兵隊をはじめとする米軍の他の要素が部隊をオーストラリアに移送し始めました。

この世界中の状況の簡単な把握は、米国が世界に目を向ける際の中心的な懸念事項を反映していません。アル・カイダに攻撃された9/11以来、その主要な軍事的関心は、国境を越えたテロとの戦いになっています。これには、アル・カイダの指導者たちがタリバン政権によって匿われていた2001年のアフガニスタン侵攻が含まれます。また、一部のテロリスト指導部が逃亡したパキスタンへの無人機やその他の襲撃も含まれています。おそらく最も目を引くものとして、2003年にイラクに侵攻し、大量破壊兵器の開発と備蓄を放棄させることを目的として、サダム・フセインを排除したことも含まれています。アフガニスタンとイラクの両国での行動は、敵意のある政権の迅速な撤廃には成功しましたが、近隣諸国を不安定化させるような継続的かつ費用のかかる対反乱作戦へとつながりました。いわゆる「グローバルなテロとの戦い」は、特に中東や北アフリカのようにテロリズムが広がっている地域へと、米国が視線を広げ続けることを確実にしています。これは伝統的な軍事的手段を越えて諜報とサイバー戦争の領域にまで広がっています。

ただ乗りがいっぱいの世界?

米国は必ずしも単独で行動するとは限りません。米国はしばしば、ある種の連合に属します。連合の一部は、ソマリアやハイチなどのように国連安全保障理事会の決議で承認されています。その他は、ボスニア、コソボ、リビアのように、NATOが主導しています。その他は、国連が戦争を承認しなかった2003年のイラク侵攻のために形成されたもののような、「有志連合」の募集の結果です。連合は、政治的正当性を国内外に広め、多くの犠牲と長期的なコストというリスクの高い介入をもたらすために重要なものです。アメリカ国民は、通常、他の国々の参加は、アメリカの指導者が介入を決断した賢明さを支持するものであると考えています。言ってみればそれは、アフガニスタンとイラクが初期段階で立証したように、米国は自国の安全保障に重大な脅威があると感じる時、完全に自らの判断に基づいて行動しようとするということです。これは、国際的な承認と支援を得る上で複雑さや遅れがある場合にも当てはまります。単独での行動は、しばしば「一国主義」と呼ばれます。米国のようないくつかの強力な国家は、共通のルールや規範に常に縛られているとは限らないため、一方的に行動する傾向があります。しかしながら、これはいくつもの帰結をもたらす可能性があり、それらの国家は国際社会の怒りを引き起こさないように、多国間の原則や慣行に少なくともアピールするのが一般的です。米国の問題とは、おそらく、米国はこのような批判に耐える力があることです。

アメリカの政治家たちは時折、米国の負担について不平を言っていますが、頻繁というわけではなく説得力もありません。NATOは、冷戦時代にソ連の西方への拡散を抑制するために作られました。NATOの原則は、加盟国全てに集団安全保障を提供することです。1つの加盟国が攻撃された場合、他のすべての加盟国はこの侵略に対処するよう条約によって束縛されます。冷戦の文脈では、これは、共産主義がこれ以上拡散しないように、西欧諸国に対する共産主義者の攻撃を抑止することでした。しかしながら、それは冷戦の終結以来、ソビエト連邦に含まれていた多くの旧共和国を吸収して、大きく拡大しています。NATOは、ポスト共産主義の時代に耐えています。なぜなら、集団安全保障は、特にロシアの復興を恐れている新しく独立した国にとって、肯定的なものだからです。しかし、NATOの新旧加盟国の中に、国内総生産(GDP)の2%を防衛に配分するという同盟の目標を達成するものはほとんどいません。その代わりに、危機が発生したときには、この目標のほぼ2倍の投資をする米国がそこにいて、重要な部分を担うだろうという知識を持っているがために、彼らは安全です。

これは大きな問題を提起します。それは、アメリカの一部の人々にとっては、他の豊かな国々がグローバルな安全保障や自国の防衛のためにほとんど何もしないための言い訳を見つけるように映っているということです。世界第3位と第4位の経済大国である日本とドイツは、第二次世界大戦における犯罪のために今やほとんど自発的な執行猶予状態にあることを望む傾向があるようです。日本はGDPの約1%を防衛に費やしています。ドイツは国連とNATOが主導するいくつかの事業に参加していますが、戦闘の役割はほぼ避けています。両国は、他国の核兵器による挑戦からの保護を約束する米国の抑止政策によって、核の脅威から守られています。世界第5位と第6位の経済国であるイギリスとフランスは、その富に比例してグローバルな安全保障に幾分貢献しています。しかしながら、どちらの国も2008年の金融危機の結果、国内の緊縮政策に着手するにあたり、軍事支出の優先順位付けに苦慮しています。韓国経済は世界のトップテンを少しだけ外れたところにいます。韓国は、北朝鮮に比べて1人当たりベースで少なくとも25倍豊かであり、北朝鮮の倍の人口を有しています。しかし、韓国は主に米国に防衛の任務を任せています。韓国は他者を助けるために連合に参加することはめったになく、参加した場合であっても、アフガニスタンの場合のように非戦闘部隊を送ります。スカンジナビア諸国、特にデンマークとスウェーデンは例外ですが、スペイン、イタリア、その他の先進国6カ国は、国際的な連合における大部分の努力から脱却する方を好んでいるように思われます。西洋諸国および米国と歴史的な関係を持つ国々を超えると、中国とインドは多くの面で巨大なものですが、どちらも自らの安全保障上の利益に飲み集中しています。中国は世界第2位の経済を持ち、インドは9位です。両者は軍事力を大きく拡大していますが、国際的な平和維持活動やグローバルな安全保障問題への参加は制限されたものです。中国の最近の焦点は、アジアの支配的権力であると主張していくことであり、より内向きの中国に慣れ親しんだ近隣諸国の間で不安を引き起こしています。

代替的な世界秩序を探し出す

冷戦が終結したとき、ジョージ・H・W・ブッシュ(George H. W. Bush)米大統領とソビエト共産党のミハイル・ゴルバチョフ(Mikhail Gorbachev)書記長は、2つの超大国間の協力に基づく新しい世界秩序が出現したと宣言しました。しかし、ソビエト連邦の崩壊にともない、秩序を維持する唯一の超大国が残されました。善なる意志と強大な傲慢の両方で満たされている米国は、グローバルな安全保障を維持するという持続不可能な任務に就いています。このような世界秩序はアメリカの利益にも世界全体の利益にもならないため、持続不可能です。アメリカの安全や繁栄をアフリカの失敗国家やバルカン諸国の民族紛争と結びつける長い因果関係を作り出すことは可能ではありますが、大部分の地球規模の問題は、米国にとっては縁遠いものであり周縁的な重要性しか持っていません。反対に、このような遠くの問題への米国の関与は、アメリカの利益を脅かすと言えるかもしれません。米国の介入はしばしば敵を生み出します。なぜなら、影響を受けた人たちの中には、米国を動かしているのは利他的な動機ではなく、むしろ米国は彼らの資産を盗んだり、その宗教を誹謗したりすることを望んでいるのだと推測する人たちもいるためです。そして、流血と資源という実際の費用があります。膨大な金額が軍事作戦に転用され、アメリカ人(と、もちろん非アメリカ人)がこのはるかかなたの戦​​いで死に、教育や医療などの国内の必要性は無視されます。

ロシアや中国、そして多くの中東諸国を含む米国の挑戦を受けた国家は、その行動の正当性を否定し、米国を他人の問題に干渉する新帝国主義の権力と見なしています。米国の同盟国でさえも、その介入の賢明さ、特に2003年のイラクの侵略のことを心配しています。米国の大統領の選択がその外交政策と他の国家に介入する準備について持つ潜在的な影響のため、世界中の人々は、たとえ彼らが選挙で投票することができないとしても、アメリカの次の大統領が誰になるかについて懸念しています。一部のアメリカ人は、米国が戦略的感覚を持ち、グローバルな安全保障を管理するための追求を放棄することを望んでいます(Gholz, Press and Sapolsky 1997; Posen 2014)。また、別の人たちは、特に国民健康保険の導入や人口の高齢化に伴って福祉国家を拡大することは、米国の軍事支出や世界の唯一の超大国になるという誘惑を抑えると考えています(King 2013)。冷戦後の時代におけるアメリカのグローバルな治安維持のための戦争は、いつかは返済する必要のある広範な借入金によって賄われているため、経済もまた潜在的な拘束要因です。米国は世界の主要経済国であるかもしれませんが、約20兆ドルの負債があります。

もし米国が主導しないならば、誰がやるでしょうか?選択肢は強固なものではありません。国連は、特にアフリカにおいて、重要な平和維持に責任を負っています。しかし、これは資源によって、また安全保障理事会の5つの常任理事国のいずれかが行動を拒否することができる拒否権制度によって制限されています。これは、最も差し迫った場合であったとしても、麻痺状態や優柔不断につながる可能性があります。また、国連の平和維持部隊のメンバーとしての参加、部隊訓練、規律、装備、持続性に関する永続的な問題もあります。いくつかの場合では、戦闘勢力を分離したり抑制したりするために重大な戦闘を余儀なくされたことがありましたが、主要国の軍事力を持たずに持続的な戦闘活動を行うことはできません。国連はその運営を行うために加盟国からの財政拠出にも依存しており、独立した収入はありません。米国は最大の拠出国です。アフリカ連合や欧州連合などの地域組織も、国連との協調のほか、自らも積極的に平和維持活動に取り組んでいます。彼らの仕事を補うのは、国際赤十字、国境なき医師団、国際救援委員会などの支援組織です。これはすべて重要なものですが、米国が財政的にも軍事的にも取り除かれれば、十分ではありません。

米国が実際に国際介入を減らし、混乱が起きている場所に近い国家(または組織)が、安全保障が危険にさらされているときに行動を強いられる場合に、深刻な変化が起こるでしょう。米国がグローバルな安全保障の管理を取りやめれば、他の大規模な富裕国家がその真空を埋めざるを得なくなります。テストケースは、リビア(2011年)とシリア(2013年~)の介入であり、両者とも米国の関与度が高いにもかかわらず、行動に対する米国の抵抗が特に顕著でした。北アフリカと中東の広大な地域には、外部の者にとっては解決することも完全に身を引くこともできないように見える安全保障上の問題があります(Engelhardt 2010)。植民地主義は維持不可能な境界線を後に残しました。この地域には多くの天然資源がありますが、最も輸出可能なものは石油です。それは通常、大衆ではなく支配者を豊かにします。宗派の分裂と過激派の潮流が、この地域の支配的な信仰であるイスラム教を苦しめています。そこは統治が弱いか、または搾取的に統治されている領地であり、民主的に統治されていることはまれです。しかし、世界の豊かな国々はみな、石油の消費者、旧植民地主義者、および/または時折の介入者であるため、混乱の少なくとも一部の責任を担っています。彼らはまた、難民の一部を受け入れ、その苦しみを映し出す映像を見ています。米国は、過去の失敗した努力、高い犠牲率、無駄な援助、効果的な国際的および地域的パートナーの欠如という記憶によって、中東および北アフリカに対する介入主義者の要請を弱めるでしょう(Bacevich 2016)。ある特定のかつての植民地支配者は、助けるための継続的な義務を感じるかもしれませんが、彼らもまた過去の失敗の思い出があります。アフリカと中東のいくつかの国家は自分自身を守ることができますが、ほとんどはそうすることができません。地域的なヘゲモンの台頭は可能ですが、この地域は、イスラム教の2つの主要宗派のそれぞれを代表する主要国家であるサウジアラビアとイランの間の長引く競争関係に表されるように、競争相手で満たされています。残っているのは、引き続く混乱と恐らく災難です。そしてそのシナリオを考えれば、問われるべき質問は、米国でないならば誰が助けとなるのか、です。

アメリカ後の安全保障枠組みは、世界の他の地域では、中東および北アフリカよりも簡単に利用可能であるか、または容易に構築されています。欧州連合(あるいは米国を除くNATO)は、欧州の安全保障を容易に制御しており、憤慨したロシアがもし政治的意思を見いだしたとしても対処することができます。欧州連合(EU)は、米国より多くの人口を抱えており、米国と同程度に豊かです。EUは、ヨーロッパの安全保障のために米軍に何ら要求もしませんし、必要でもありません。南米、アフリカ、中東、アジアの安全保障上の取り組みに関しては、より深刻な課題があります。南米では、ある人々にとっての問題とは、米国を締め出しておくことです。しかし、第二次世界大戦後の米国の南米への関心は、主として共産主義の拡散とソ連の影響が広がっていくことへの恐怖により促進されていたものでしたが、その両方ともが記憶から消え去っています。南米諸国自身はいくつかの国境問題を抱えていますが、少なくとも近年では、力を使ってこれを解決する傾向はほとんどありません。南米諸国のほとんどは、散発的とはいえ存在しないこともない経済成長にその関心を集中しています。すべての関係者にとって幸運なことに、自制が地域支配と軍備拡大への競争を和らげています。アジアで最も重要な安全保障問題は、より豊かでより強引な中国の台頭にどう対応するかです。しかし、アジアの他の多くの国も、人口が多く、経済も成長しています。地域安全保障にとって最も有利に働くものは、継続的な繁栄への道筋を妨げることなく、領土紛争を緩和できるような地域機関の発展でしょう。いくつかの国は、より強力な中国とのバランスを取るために、米国がアジアに関与し続けることを望んでいるようです。アメリカが中国に適応する方法を考えなければならないのは間違いありませんが、地域紛争に巻き込まれることはその中には含まれないでしょう。

結論

重要なのは、もはや米国のことを当然そこにあるものとは考えられないということを理解することです。これは、米国が20世紀に確立した役割を継続するか、あるいは継続しようとするのか、それとも英国が第二次世界大戦後にとったような「普通の」大国となるのか、ということについても同様に当てはまります。私たちが過去に見た超大国間の競争は、ある種の世界秩序でした。一つの豊かで強力な国である米国の傲慢さは、別の世界秩序です。もし米国がその優先順位を変えれば、世界の豊かで大きな国々は、意思決定と必要な措置を取るためのコストを自分たちで分担するような、もう一つの秩序の形態を作り出す必要性と意志を集団的に見出すでしょう。もしこれが起こらなければ、支配的な地域の大国が、その地域の安全保障を提供するでしょう — それは貧弱で残忍なものになるかもしれません。北アフリカと中東地域は、この役割のためのもっともらしい候補者が不足しており、何か1つが出現するまで混乱し続ける可能性が高いです。それらの地域やその他の地域では、潜在的な競争相手の間でより重大な紛争に発展する争いが起こる可能性があります。したがって、世界の大部分は、予見可能な範囲の未来では自発的な介入者がほとんどおらず、不安定性によって引き裂かれ続ける可能性があります。多くの人が尋ねるであろう疑問は、ヨーロッパや北米などのようなより安定した地域は、この不安定状態から自分たちを切り離すことができるだろうか、ということです。あるいは、外国への介入を支持するアメリカの人々が主張するように、自国の平和と安全保障は、外国における軍の一定の関与を必要とするでしょうか?ヨーロッパ外での不安定に端を発する欧州移民危機などの問題を考えることは、これらの問題に真の焦点を当てます。もう一つの懸念は、地域の権力間の競争です。第二次世界大戦後の米国がそうであったように、ある国家がひとたび地域における支配的な地位を獲得すると、それは拡大への効しがたい誘惑をもつのでしょうか?再び、この問いは私たちを中国の興隆の問題へと引き戻します。このすべてを念頭に置くと、人々は、どれほど欠陥があったにせよ、「パックス・アメリカーナ」を平和と安定の時代として思い出すことになるかもしれません。

この訳文は元の本のCreative Commons BY-NC 4.0ライセンスに従って同ライセンスにて公開します。 問題がありましたら、可能な限り早く対応いたしますので、ご連絡ください。また、誤訳・不適切な表現等ありましたらご指摘ください。

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