国際関係論の理論 -第14章 安全保障化理論-

Japanese translation of “International Relations Theory”

Better Late Than Never
16 min readJun 25, 2018

国際関係論についての情報サイトE-International Relationsで公開されている教科書“International Relations Theory”の翻訳です。こちらのページから各章へ移動できます。以下、訳文です。

第14章 安全保障化理論
クララ・エロウクマノフ(CLARA EROUKHMANOFF)

安全保障化理論は、国家の安全保障政策は自然に与えられるものではなく、政治家や意思決定者によって注意深く指定されたものであることを示しています。安全保障化理論によれば、政治問題は、その問題を「政治を超えて」動かすための社会的および制度的な力を有する「安全保障の主体」により「危険な」、「脅威を与える」、「脅迫的な」、「警戒すべき」などのラベルが付けられる時、緊急に処理される極端な安全保障問題として構成されます。したがって、安全保障問題は単に「そこにある」のではなく、むしろ安全保障の主体によって問題として明示されなければなりません。例えば、移民を「国家安全保障への脅威」と呼ぶことは、移民を優先度の低い政治的懸念から、国境を堅固にするなどの行動を必要とする優先度の高い問題へと移します。安全保障化理論は、IRにおける従来の安全保障に対するアプローチに挑戦し、種々の問題は本質的にはそれ自体で脅威を与えるものではないと主張します。むしろ、それらを安全保障上の問題とするのは、それらを「安全保障」の問題として言及することによるものです。

安全保障化理論の基礎

冷戦の終結は、「縮小主義者」と「拡大主義者」の間のIRにおける安全保障の考え方に関する議論に火をつけました。縮小主義者たちは国家の安全保障に関心があり、しばしば米国とソ連の間の軍事的、政治的安定を分析することに焦点を置いていました。拡大主義者たちはこれに満足せず、国家ではなく人々に影響を及ぼし、まったく軍事的ではないような他の種類の脅威を含むように努めました。これは、人間の安全保障や地域安全保障などの概念を文化やアイデンティティーの考え方とともに含めることにより、安全保障の議題を拡大しました。フェミニズムは、唯一の安全保障提供者が国家であり、ジェンダーは安全保障の生産には無関係であるという考え方に挑戦することによって、議題を拡大する上で重要な役割を果たしました。反対に、国家はしばしば女性の不安定な状態の原因となっていました。フェミニストの視点から議題を広げることは、ジェンダーと女性を安全保障の計算の中心とし、ジェンダー、戦争、安全保障が絡み合っていることを実証することにより、ジェンダーに焦点を当てることになりました。これは、安全保障に関するより広い視点の台頭において重要な発展でした。縮小主義者に同意するか、拡大主義者に同意するかにかかわらず、冷戦の終結は、安全保障が本質的に争いのある概念であることを示しました。すなわち、「明確なイデオロギー的または道徳的要素を含んでおり、正確で一般的に受け入れられる定義を受け付けないため、経験的証拠を参照することでは解決できない議論を生み出す概念」です(Fierke 2015, 35)。本質的に争いのある安全保障の性質を指摘することによって、安全保障に対する批判的アプローチは、「安全保障」は必ずしも肯定的または普遍的ではなく、文脈および主体に依存し、時には否定的でさえあると主張します。

安全保障を管理する人がいて、安全保障を受け取る人もいるため、安全保障は人々の間に不均等な力関係を作ります。例えば、グローバルなテロとの戦争の文脈では、アラブ系に見える人物は危険な「他者」として疑いを持ってみられており、彼らが所定の人物像に合致しているため、テロリズムに関与しているかもしれないとの推測に基づき、ムスリム共同体の監視活動が増加しています。この観点から見れば、監視は支配の安全保障装置となり、不安定の源になります。安全保障化理論は、このような場合に安全保障の本質に疑問を呈することにより、国家を超えた他の対象物を含むように安全保障の範囲を広げて発展させました。安全保障化の中心的な考え方である対象物とは、脅かされ、保護が必要なもののことです。

安全保障化理論家は、経済部門、社会部門、軍事部門、政治部門、環境部門の5つの部門を決定しました。各部門において、具体的な脅威は、対象物を脅かすものとして表現されています。例えば、社会部門では、対象物はアイデンティティーであり、環境部門の対象物となるものは生態系や絶滅危惧種です。対象物が国家のまま残っているのは軍事部門だけです。安全保障を「部門分け」することにより、私たちは、存在を脅かす脅威は客観的ではなく、代わりに各対象物の異なる特性に関連していることを理解します。この技法は、安全保障と脅威の文脈上の性質も強調しています。例えば、自爆攻撃は、今日では一部の人にとって他の人よりも大きな不安の原因となっています。しかし、私たちはしばしば、自殺テロリズムを「グローバルな」脅威として枠づけるようなことを聞いています。安全保障化は、テロリズムなどの問題について、世界のすべての人に平等に関係があるかのように話すのは間違いであることを示しています。対象物について話すことにより、私たちは次のように尋ねることができます。誰のための安全保障なのか?何からの安全保障なのか?そして誰による安全保障なのか?

安全保障化理論の中心は、問題を枠づけて、問題を政治より上に持ち上げるように聴衆を説得しようとする時の、意思決定者の修辞的構造を示していることです。これは、私たちが言語行為と呼ぶものです — 「言葉を発することにより、賭けをしたり、約束をしたり、船を命名したりといった、何かがなされる」(Buzan, Wæver and de Wilde 1998, 26)。安全保障化を言語行為として概念化することは、言葉は単に現実を記述するのではなく現実を構成しており、そして何らかの反応を引き出すということを示しているために、重要です。私たちが見る現実を記述する過程で、私たちはまた、その世界と相互作用し、その現実を別のやり方で見ることに大きく貢献するであろう行動を実行します。例えば、カレーの移民キャンプを「ジャングル」と呼ぶことは、キャンプが実際に何であるかを単に記述するのではなく、キャンプのことを無法かつ危険な場所として描写することです。したがって、脅威はもともと脅威であるのではなく、言語を通して脅威として構成されるのです。尋常でない措置を講じるよう聴衆を説得するために、安全保障化の主体は、注意を喚起し、脅威の緊急性とレベルを誇張し、引き返すことができない点をはっきりと表現し(つまり、「この問題に取り組まなければ、それ以外のすべてが無意味になってしまう」)、(問題を政治より上に持ち上げて)しばしば軍事用語で構成されている可能な解決法を提供しなければなりません。そうすることにより、安全保障化の主体は、いくつかの行動を他の行為よりも分かりやすくし、脅威の本質と対象物の本質についての真理の体制を可能にします。

聴衆が集団として脅威の性質に同意し、尋常でない対策を講じることを支持する時、ある問題は安全保障化されます。もし聴衆が安全保障化の主体の言語行為を拒否すれば、それは安全保障化の動きを表すだけで、安全保障化は失敗しています。この点で、聴衆とプロセスに焦点を当てることは、単に「安全保障を言うこと」以上の相当のものを必要とします。これは、進行中の社会建設と様々な聴衆と話者との間の交渉の長いプロセスとして安全保障化を理解することを勧めている一部の研究者からの批判を生み出しています。安全保障上のいかなる問題も、非政治化(問題は公的な議論に達していない)から、政治化(問題が公衆の懸念に上がり、議題に乗っている)、そして安全保障化(問題が存在を脅かす脅威として枠づけられている)までの範囲のスペクトルの上に置くことができます。ある問題が安全保障化されると、行動はしばしば「緊急性」や「存在を脅かす脅威」という言葉で正当化され、そのような行動は通常の状況では非民主的とみなされる措置になります。グアンタナモ湾の収容所、拷問の使用、市民の監視の増加、例外的な移送と秘密裏のドローン攻撃など、テロとの戦争における安全保障措置は例外的な論理を示しています。テロとの戦争が、正常な政治の停滞が許され、必要であるという文脈で枠づけられていなかったとしたら、これらの安全保障措置はおそらく存在しなかったでしょうし、現在まで引き続くこともなかったでしょう。

成功した安全保障化は、例外的な領域として「安全保障」を置き、民主的な枠組みを中断すべき時を決定し、人々を操作する権限を安全保障化の主体(名目上は国家)に授けます。ヴェーヴァ(Wæver 2015, Wæver 2000)にとって、安全保障化理論は、安全保障化の成功と失敗を安全保障化の主体ではなく聴衆の手に委ねることによって、国家の不均衡な力から政治を守るために作られました。ヴェーヴァはまた、彼の「脱安全保障化」 — 正常な政治への復帰 — に対する彼の選好を表明しました。結局のところ、聴衆は安全保障化の主体のなすがままになる完全なカモなどではなく、プロセスをより透明にすることによって、安全保障化理論は、聴衆に力の作用と責任を与えます。この文脈では、安全保障の分析家の役割は、脅威を客観的に分析することから、安全保障化の主体が脅威として集合的に認識されるものの共有された理解を構築するプロセスを調査することへと移行します。そのため安全保障化理論は、「なぜ」ある問題が安全保障化されたのかという質問に答えることには、あまり関わりません。どのようにという質問を問うことにより、安全保障化を可能にした条件に私たちが関心を持つことがより重要です。どのようにして特定の言語によって主体が脅威を聴衆に納得させたのでしょうか?

安全保障化理論とヨーロッパにおけるイスラミック・ステート集団

さまざまな欧州の都市での攻撃に続いて、イスラミック・ステート集団(Daesh、ISISまたはISILとしても知られている)は、2015年以降、安全保障の議題の優先順位が高くなりました。この集団は、国家の安全保障、西ヨーロッパの個人の安全保障、そしてより広義には西洋の生活様式への脅威として提示されています。これは、イスラミック・ステート集団の安全保障化が社会、軍事、政治の少なくとも3つの部門に影響を与えることを意味します。安全保障化理論は、民主主義では時々、政府が正常な政治の停止を公衆に対して正当化しなければならないことを観察しています。したがって、もしイスラミック・ステート集団が民主主義と見なされているヨーロッパ諸国家で安全保障化される場合、私たちは政府関係者からの安全保障化の動き — 例えば、なぜ介入がイスラミック・ステートの脅威を取り除く唯一の手段であるのかについての修辞的な正当化 — を見るべきです。

安全保障化の主体は政治家に限られていないことに注意することが重要です。警察、諜報機関、税関、移民当局、国境警備隊、軍などの安全保障専門家は、すべて安全保障の状況を定義する上で重要な役割を果たします。彼らは、脅威と関連する他のリスクに関する「正しい」知識に関する競争とともに、「正しい」解決策に関する競争によって特徴づけられる安全保障の分野で活動します。安全保障専門家の間で意見の不一致や対立が発生していますが、ビゴ、ボンディッティ、オルソンは、彼らはそれでも一組の共通の信念や慣行に従っていると主張しています(Bigo, Bonditti and Olsson 2010, 75–78)。安全保障化の主体は、安全保障上の脅威を客観的に受け止め、様々な使命を果たすことによりそれらを解決しようとします。さらに、安全保障分野のダイナミクスに影響を与えることができるものの、問題を政治の上へと動かす権力を持たない機能的な主体も存在します。機能的な主体は、この問題の存在を脅かす脅威という性質についての物語を枠づけることを助け、しばしば「私たち」と「彼ら」の間に分裂を作り、しばしば「他者化」のプロセスに関与するので、最も重要です。機能的な主体の例としては、メディア、学術界、非政府機関、シンクタンクなどがあります。また、友人、家族、同僚の間で話をしたり、共有したりするために、個人自身も含まれることがあります。例えば、ヨーロッパ全土のタブロイド新聞での極端な主張は、イスラミック・ステート集団が社会に浸透し、民主国家の終焉をもたらすために働いているという物語を作り出します。

英国における安全保障化の動きの顕著な例は、シリアでの英国の軍事行動の動議に関する2015年12月2日の下院の議論の中で見ることができます。英国の首相デイヴィッド・キャメロン(David Cameron)は、イスラミック・ステート集団の脅威により「我々は、我々の安全保障に対する重大な脅威に直面しており」、彼らは「我々が何をするかではなく、我々が我々であることを理由に、我々を攻撃する」と主張しました(これは、脅威の本質の提示と真理の体制の確立でした)。そして、彼は、脅威を減らすために「我々はこれ以上待つべきではない」と言いました(これは引き返すことができない点でした)。最後に彼は、これは「我々がテロリズムと戦うことを望むかどうかについてではなく、どのようにそれを行うのかが最も良いかについてなのだ」と指摘しました(これは提供された解決策でした)。

フランスではこれはより歴然としており、2015年11月13日のパリでの攻撃の後、フランソワ・オランド(Francois Hollande)大統領は、ジハード主義者の武装集団に対して「フランスは戦争をしている」とし、彼らは「フランスが自由の国であるために、フランスを攻撃した」と宣言しました(またもや、「私たちが何であり誰であるか」に対する焦点です)。この枠組みでは、フランスの人々は「熱烈で、勇敢で、勇気のある人々」であり、単に「生きている」というだけで攻撃の犠牲となった人々です。スペクトルのもう1つの端部には、「恐怖」によってしか特徴づけられない「唾棄すべき」「凶悪な攻撃」を行う「彼ら」、「ジハード主義者の武装集団」、「臆病な殺人者たち」がいます。オランドが、イスラミック・ステート集団は「世界全体を脅かす」組織であり、これが「ダーイシュの破壊が国際社会にとって必要な理由」であると主張したときには、引き返すことができない点が指摘されています。最後に、この問題を「政治よりも上」に持ち上げる解決策が提示されています:「即時の国境管理と緊急事態宣言が発動された」(Hollande 2015)。

安全保障の言語行為の文法というものが識別可能です。この発話は、イスラミック・ステート集団の存在を脅かす性質、引き返すことができない点、そして正常な民主的プロセスから解き放たれた解決策を挙げています。パリ攻撃後の数ヶ月の間に、オランドはシリアでのフランスの軍事爆撃を増加させ、物議を醸すような国内での権力をフランスの治安部隊に与える緊急事態宣言を命じました。したがって、私たちは、安全保障化を成功させたケースを手にしています。イスラミック・ステート集団が安全保障化されていると主張するとき、安全保障化理論家はこのグループの存在に挑戦しているわけではない、あるいはこのグループが実際に欧州での攻撃を調整していることに挑戦しているわけではないことに注意することが重要です。

その代わりに、安全保障化は、このグループが脅威とみなされるようになったプロセスに疑問を呈し、このグループを脅威と命名することにより、フランスや英国などの欧州諸国家の首脳も戦争の形成に関与していると主張します。その意味で、安全保障化は、オランドの安全保障化する言語行為が「そこにある」出来事の状態を単に記述するだけでなく、攻撃を戦争行為として構成し、そうすることによって戦争を現前させたやり方を強調します。したがって、イスラミック・ステート集団の脅威を記述することは、公平で客観的であるのではなく、むしろそれ自体が行為の中にあり、政治的行為とみなされるべきものです。

安全保障化理論を用いることは、テロリズムとテロ対策の政治は脅威の拡大についてのものであり、攻撃によって引き起こされる象徴的な暴力は、それが責任を負う死者の数に比例しないことを示しています。例えば、西ヨーロッパにおける犠牲者の数は、IRAなどの団体のために、1970年代と1980年代の方が、最近のイスラム教テロリストに帰属される数字よりも高かったです。しかし、欧州諸国の指導者たちは、世界がこのような「野蛮さ」、「恐怖」、「残虐行為」に直面したことはないと主張します。この脅威の拡大は、脅威の例外性を示し、そして緊急かつ尋常でない対応を必要とします。このようにテロを考えることは、討議のプロセスにとって有害なだけでなく、より一般的には、テロリズムに対する私たちの理解を制限しています。

結論

安全保障化は、IRの学生にとって有用な道具です。なぜならこれは、他の対象物ではなく、国家の安全保障に過度に焦点を当てた従来の安全保障に対するアプローチに異議を唱えるためです。安全保障化の枠組みを採用することは、安全保障の普遍性と客観性についての覇権的で当然のものとされる考え方に挑戦することを伴うとともに、知識が単に「そこ」にあるのではなく、利益によって駆動されている方法を強調します。安全保障化理論は、安全保障化は中立的な行為ではなく、政治的な行為であると私たちに思い出させます。その出発点から、私たちはより深く掘り下げて、国際関係に見られるさまざまな不安を調査することができます。

この訳文は元の本のCreative Commons BY-NC 4.0ライセンスに従って同ライセンスにて公開します。 問題がありましたら、可能な限り早く対応いたしますので、ご連絡ください。また、誤訳・不適切な表現等ありましたらご指摘ください。

--

--

Better Late Than Never

オープン教育リソース(OER : Open Educational Resources)の教科書と、その他の教育資料の翻訳を公開しています。