国際関係論の理論 -第15章 批判的地理学-

Japanese translation of “International Relations Theory”

Better Late Than Never
16 min readJun 26, 2018

国際関係論についての情報サイトE-International Relationsで公開されている教科書“International Relations Theory”の翻訳です。こちらのページから各章へ移動できます。以下、訳文です。

第15章 批判的地理学
イレナ・ライスベット・セリドウェン・コノン、アーチー・W・シンプソン(Irena Leisbet Ceridwen Connon & Archie W. Simpson)

批判的地理学は、人類が環境を変える可能性があるという概念に基づいています。それは、国際政治構造を特徴づける支配的イデオロギーに挑戦し、アナーキー、安全保障、国家の概念などの、IRの伝統的なカテゴリーと分析単位に異議を唱えています。批判的地理学は、特定の空間内の対象が他の対象とどのように関連しているかを示す空間関係についての質問が重要であるという原則に基づいています。これは、政治的行動が、空間についての考え方に基づく社会政治的構造に組み込まれているためです。ここから分かることは、もし研究や政治的行動が社会政治的構造にしみ込んでいるならば、国際政治の客観的分析は不可能になるということです。IR理論は中立的な立場からグローバルな状況を思案することはできません。批判的地理学者は、空間についての代替的な思考方法は、国際政治の研究を支配する基本的な考え方、理論、アプローチを変える可能性があることを示唆しています。そして彼らは、この代替的な研究が国際政治を変革し、人間の不平等を軽減するのに役立つことを願っています。

批判的地理学の基礎

批判的地理学は1970年代に実証主義の批判として現れました。実証主義とは、世界が観察者とは独立して存在するという考えに基づく研究の一形態です。批判的地理学は新マルクス主義に根ざしており、ユルゲン・ハーバーマス(Jürgen Habermas)とフランクフルト学派からその考え方を引き出しています。ハーバーマスとフランクフルト学派は、不平等からの自由を革命的行動ではなく平和的プロセスからどのようにして結実させることができるかを探求することにより、古典的マルクス主義の中にある考え方を拡大しました。この時点で、学者たちは、支配的な政治的構造と研究が既存の政治的不平等をどのように永続させたかを調べ始めました。

1991年の冷戦終結は、グローバルな人口動態の変化を伴う、新たな世界経済の発展を見せました。1990年代初めには、民族-国家主義の高まり — そこでは市民国家の資格ではなく民族の基盤に基づいて国民が定義される — とともに、非政府組織や多国籍企業などの非国家主体の重要性の高まりが、安全保障と国家の役割についての新しい考え方を育みました。

批判的なIR研究は、リアリズムのような支配的な理論が、国際政治を支配する国を支持することによって不平等な権力関係をどのように強化したかに焦点を当て始めました。ウェールズ学派のケン・ブース(Ken Booth)とリチャード・ウィン・ジョーンズ(Richard Wyn Jones)の考え方を基に、彼らは人間の不安定さは既存の政治的構造によって永続させられていると主張しました(Booth 1991 and 1997)。このことから、学者たちは、空間についての仮定がどのようにしてこれらの既存の不安定さと不平等を永続させたかを調べるために、批判的地理学とルフェーヴルの空間の批判理論(Lefebvre 1991)のほうへ向かい始めました。これに関連した2人の重要な学者は、デヴィッド・ハーヴェイ(David Harvey)とジョン・アグニュー(John Agnew)であり、彼らは、空間の伝統的な概念化がいかにして国家形成のプロセスを文脈から切り離し、国際関係論の思考における東と西の間、北と南の間、発展途上国と先進国の間の空間の伝統的な二極化した概念を強固にしているかを強調します(Agnew 1994; Harvey 2001 and 2006)。

批判的地理学は、政府と人々の間の関係、地域レベルとグローバルなレベルにおける諸国家の間の関係、国際機関と国家との間の関係などを含む、国際政治の行動を調べる手段を提供します。批判的地理学の中には、国際関係の代替的な分析を提供するような鍵となる考え方や概念が多数あります。1つの鍵となる考え方は、領土空間の概念に関連します。哲学者のアンリ・ルフェーヴル(Henry Lefebvre)は、絶対的、相対的、および関係的という言葉をもって、空間について考える3つの方法があると主張しました(Lefebvre 1991)。絶対的な観点からは、空間は固定された測定可能なものとみなされます。領土に関するこの固定された考え方は、IRの伝統的な理論を支えています。しかし、もし領土が固定されていると仮定すると、特定の領土内および領土間の関係についての前提が強化されます。

例えば、世界が標準的な政治的な地図上でどのように表現されているかを考えてみましょう。政治的な地図は、領土境界線によって互いに分離された個々の国家という世界を表しています。グローバルな空間の絶対的な見方は、この表現形式を固定的なものととらえます。つまり、それは世界を地図に描く別の方法の可能性を考慮していません。この固定された見方はまた、歴史のなかでどのように国際政治が変化し、新しい国家や国際機関が登場してグローバルな空間の形を変えたかを無視しています。

空間の絶対的な見方は、学者たちが国際的なグローバル空間について考えるために持っている唯一の選択肢ではありません。ルフェーヴルの相対的な空間の概念は、空間の絶対的な見方に挑戦します。この概念は、国際的な空間のことを「『からっぽのコンテナ』や固定された空間としてではなく、種々の対象と相互接続された関係とによって満たされたものとして」見るやり方で空間を考えることを含みます(Meena 2013)。さらに、空間の相対的な見方は、この空間の存在のことを、この空間内の対象間の関係の結果として見ています。ここから、私たちが空間を理解する方法は、ある特定の組の関係の産物であると主張することができます。

例えば、もし私たちがある特定の空間のことを、それらが他の空間とどのように関係しているのかとして考えるとしたら、学者たちが「グローバル・サウス」について話すとき、彼らは南のことを「グローバル・ノース」に関連させて言及していることがわかります。「グローバル・ノース」と「グローバル・サウス」、あるいは「東」と「西」の考え方や表現は、冷戦終結までの国際政治が特徴とする二極化した関係の結果として提示されています。

空間の相対的な見方は、複数の視点の存在と、特定の国家や他の国際的な主体の視点から空間を概念化する代替的な方法とを実証するために使用することができます。例えば、IRの学者が南半球のすべての国家をグローバル・サウスを代表するものとして分類すると、この見方は国家間に存在する相違点や複雑な関係を認識することができません。それは、南のすべての国家は政治的・経済的な力の面で同等であると想定するように私たちを導いてしまいます。ブラジルのようなグローバル・サウスの強力な国家は、マラウイのような貧しい国家よりもはるかに政治的・経済的な力を持っているため、そのようなことはありません。それはまた、南の国家が自分たちのことを、南の他のすべての国家と平等な基盤の上に共にあると考えることにつながります。これは、この地域のさまざまな国家間に存在する多くの経済的・政治的対立を無視しているため過度な単純化となります。それはまた、グローバル・サウス内の特定の国家が貿易協定を通じて、どのように政治的・経済的にグローバル・ノース内の国家と結びついているかを認識するのに失敗します。

空間の関係的な見方は、対象は他の対象との関係でのみ存在するため、観察者の視点なしには空間が存在しえないことを示唆しています。例えば、ある場所について考えるとき、私たちはそれについて私たちが知っていることに関してのみ考えることができます。私たちが知っていることは、空間がとる形態や姿に影響を与える意見を形成し、既存の考え方や政治動向を支持する、あるいは拒否する議論の発展へとつながります。次に、これらの意見は、グローバルな国際空間を形成する国際的な国家主体による政治的決定に影響を与えます。これは、例えば、欧州連合のような地域組織への国家の加盟の承認に関して見ることができます。それゆえ、ほとんどの学者が主権国家とその領土の境界線の観点から国際政治空間を考え、表現する方法は、空間の視点の産物であると言えます。

文献の中における発展は、グローバルな変化のプロセスと、国境を越えた環境運動や先住民の政府制度などの代替的政治組織の成長が、現代のグローバルな空間の形成にどのように貢献したかを調べます(Harvey 2009)。そのような発展の1つは、北極圏の先住民の政府制度の台頭が、国際的な空間の伝統的概念に挑戦する空間の代替的見解をどのように提供するかを見ることであり、イヌイットの統治へのアプローチが国境を越える環境に対する集合的な責任をどのように強調しているかを見ることです(Zellen 2009)。もう1つの最近の進展は、新自由主義的資本主義の拡大がどのようにしてグローバルな規模で社会経済的不平等を増大させ、貧困層を国民国家の内外で疎外し、国際政治機関における国家を基にした代表がこれらの不平等の拡大に寄与しているかを検討するものです(Harvey 2009)。さらに、グローバルな規模の気候変動のリスクと影響に関わる人間の安全保障への関心がますますIRの中で目立ってきているため、批判的地理学は、国際政治とIR理論に組み込まれた空間に関する主流の考え方が、人間の不平等と、グローバルな環境の変化から最も直接的に危険にさらされている人々の疎外化とを永続させるのにどのように役立っているのかを示すことができます。空間についての代替的な考え方は、学者に対してグローバルな規模の気候変動のリスクと影響の再評価を強いるとともに、不平等を減らし、先住民のような伝統的に疎外されてきたグループに対して気候変動がもたらす増大するリスクに対処するために、国際政治における代表の方法の改革を求める議論を支持します。

批判的地理学とイヌイットの空間の見方

イヌイットは、アラスカ、カナダ、グリーンランド、デンマーク、ロシアの北極地域に住む文化的に似た先住民のグループです。領土空間に関する彼らの見解は、文化的類似性と、国民国家の境界線ではなく伝統的な狩猟慣行のための土地の利用に基づいています。北極地方におけるイヌイットが占めるの空間的な広がりは、5つの国家にわたって広がっており、広い地域にわたる彼らの歴史的主権を示しています。しかし、世界の政治地図は、この地域をイヌイットの領土として表していません。むしろ、イヌイットの領土がカバーする領域は、個々の国家の国境の中で分解され、それぞれの国家に包含されています。イヌイットの領土がヨーロッパ、アメリカ、ロシアの各国によって植民地化されたとき、彼らの領土は植民地の国民国家の領土の一部となり、イヌイットは植民地国家政府に従属することとなりました。大部分の国際政治機関の加盟資格が主権国家に基づいて指定され続けているため、イヌイットの政治的疎外化が進行しているように、今日でも植民地主義の遺産が、国際政治空間の代表の中で見ることができます。

国際政治のレベルで適切な代表がなければ、安全保障と環境の持続可能性についてのイヌイットの懸念は、国家政府と同じ程度に国際的な政策に影響を与えることはできません。さらに、国際レベルで行われた決定には、イヌイットの利益が貧弱にしか反映されていません。これは、イヌイットの利益が、イヌイットの領土を通って国家間の石油を輸送するパイプライン建設など、政府の利益と矛盾する場合には特にそうです。しかしながら、国民国家によるグローバルな空間の境界分割を拒否するイヌイットの領土の視点を採用することにより、批判的地理学者は領土の代替的な定義を提供し、より正確な代表を与えることができます。

イヌイットは、個々の国家内の住民の総人口のわずかな部分に過ぎません。例えば、2011年の国勢調査でカナダ人口全体の0.2%しかイヌイットとして登録されていません。しかし、国境ではなく文化的共通性からなる地域を定義することによる、5つの国民国家のそれぞれにわたるイヌイットの総数に対して、(気候変動による)北極海の氷の喪失がどのように影響するかを考えてみると、空間的にはるかに大きな図が現れます(Huntington 2013)。氷の喪失は、狩猟活動に影響を与え、沿岸の村を侵食や洪水の危険にさらすため、イヌイットの経済的および文化的生計を危険にさらします。

このような観点から見ると、地球上のこのような広い領域の人々の権利の福利に対する安全保障リスクは、他のほとんどのIR理論により与えられるものよりもはるかに顕著に見えます。学者たちが伝統的な空間の定義を採用するとき、彼らはグローバルな空間を過度に単純化し、私たちがこの例でみたように、人間の安全保障に対する脅威の地理的範囲も過度に単純化します。さらに、学者たちが空間を独立国家としてのみ存在すると定義した場合、環境災害の影響の調査は、カナダと米国のような2つかそれ以上の国の間の単純な比較に限定されます。これは、世界の特定の地域内における自然災害の影響の重大さの違いを弱めてしまいます。さらに、この従来の分析方法は、環境災害による人間の安全保障上の脅威が個々の国家領土内で均等には分散されていないというあり方を見落としています。例えばそれは、アラスカに住むイヌイットは、米国の他の地域に住む人々よりも、海氷の融解の影響から来るはるかに大きな破壊のリスクがあるという事実を軽視しています。またそれは、アラスカ内であっても沿岸部の共同体は、国家の内部に位置する共同体よりも、洪水や侵食による荒廃の大きなリスクにさらされていることも軽視しています。

領土の空間に関するイヌイットの理解は、グローバルな環境変化の影響を緩和するために取られた国際的な政治行動の評価を行うための代替ツールを学者たちに提供することもできます。批判的地理学者は、国際的な政治活動のパターンの伝統的な分析は、国民国家のような政治的代表を使用する国連のような正式な機関によって行われた行動に焦点を当てる傾向があると強く主張しています。しかし、批判的地理学者は、そのような場所は気候変動を緩和するために取られたより広範な政治行動の形態を私たちが理解することを制限していると強調しています。

例えば、2009年にデンマークのコペンハーゲンで開催された気候変動に関する政府間パネル(IPCC)の学術的分析の大部分は、どのようにして気候変動と温室効果ガス排出に関する国家代表の意見が、1)過去の産業活動が気候変動の問題の大部分に貢献した北米とヨーロッパ、2)経済成長を促進する手段として炭素排出の代替手段を見出そうとしないBRICS諸国などの工業化しつつある国、3)開発と貧困緩和がより差し迫った目標であるということに基づき、変化に同意しないであろう貧困国、という3つの集団に分かれたかを記述しています(Meena 2013)。しかしながら、この分析モードは、産業的発展の段階によって定義される領土の区分に基づいており、ブラジルと中国の間、または南アフリカの人口の大きな部分同士の間など、各段階内にグループ化された国の間の影響力の違いを無視しています。

国際政治の空間についての過度に単純化された思考方法は、代替的な政治行動の形態、特に代表と統治の領域が国民国家の境界を超越している先住民の組織によって取られる行動を含む、正式な国際政治機関の外で行われる行動の考慮の欠如につながります。例えば、イヌイットは、北極地方の政府と先住民が直面する問題に対処する国際的な政府組織である北極評議会のメンバーです。イヌイットは、国連の気候サミットのように、単なるオブザーバーの地位に参加が限定されてはおらず、評議会で重要な意思決定の役割を果たします。イヌイットが下す決定は、国境を越える共通性の意識に基づいています。彼らの北極評議会における影響のために、イヌイット全員に共通の関心事項の議論と解決を求めることにより、彼らは環境管理に関する集合的な統治の文化を育成することに成功しています。

しかしながら、北極評議会でのイヌイット代表の成功にもかかわらず、大多数の先住民の統治体は、より大きな国際的な気候変動交渉の中で正式な政治的代表構造からはずれ続けています。イヌイット周極評議会(ICC)は、その構成員をグリーンランド、アラスカ、カナダ、ロシアのイヌイット人口として定義している国連認定の非政府組織です。しかしながら、それは主権国家ではないため、気候変動に関する国連サミットへの彼らの参加は「オブザーバー」の地位に制限されており、そのため声が制限されています。これに基づいて、国連気候サミットにおける国家の代表制度はイヌイットのような先住民をさらに疎外していると主張することができます。代表権は、イヌイットの領土概念ではなく、国家の領土に基づいて与えられるため、それは旧植民地政府の意思決定力を強化し、それらがイヌイットの自己決定の努力を妨げるような形で国際問題をより強力にコントロールできるようにします。

もしIR研究が領土と代表についての国民国家の考え方に批判的に疑問を投げかけないならば、国際的な政治の意思決定を形作るイヌイットの力はさらに疎外化されるおそれがあります。領土に対する代替の概念化を前景にもたらすことによって、批判的地理学は、先住民と国家政府との間の不平等を軽減する代替的な代表形態を認識し、探索するための空間を開きます。もしイヌイットがグローバルな気候変動の影響によってさらに大きな直接的リスクにさらされている場合、代表の改革はこれらのリスクを管理する上で彼らがより大きな声を発することを可能にするでしょう。

結論

批判的地理学者は、空間を想像することができる別の方法への注意を引くことによって、国際政治とグローバルな空間を変革しようとしています。批判的地理学は、経済と気候変動の問題が人々にどのように影響するかを強調し、これらのプロセスの空間的な効果は、これらが国家、国際機関、学界によって扱われる方法により異なることを示しています。批判的地理学のユニークな見地は、国際関係論について私たちが知っていることを理論的および経験的に再考するのに有用な方法を提供します。それは、空間と領土についての前提に挑戦し、新しい概念と分析ツールを提供し、学生に主流の思考に疑問を抱かせるよう促します。

この訳文は元の本のCreative Commons BY-NC 4.0ライセンスに従って同ライセンスにて公開します。 問題がありましたら、可能な限り早く対応いたしますので、ご連絡ください。また、誤訳・不適切な表現等ありましたらご指摘ください。

--

--

Better Late Than Never

オープン教育リソース(OER : Open Educational Resources)の教科書と、その他の教育資料の翻訳を公開しています。