国際関係論の理論 -第17章 グローバル・サウスの視点-

Japanese translation of “International Relations Theory”

Better Late Than Never
14 min readJun 26, 2018

国際関係論についての情報サイトE-International Relationsで公開されている教科書“International Relations Theory”の翻訳です。こちらのページから各章へ移動できます。以下、訳文です。

第17章 グローバル・サウスの視点
リナ・ベナブダラー、ヴィクター・アデトゥーラ、カルロス・ムリッロ–ザモーラ(Lina Benabdallah, Victor Adetula & Carlos Murillo-Zamora)

グローバル・サウスは一般的に、経済的により開発が進んでいない国を意味すると理解されています。それは国際的な秩序の中で多様なレベルの経済的、文化的、政治的影響を持つさまざまな国家を含む広範な用語です。国際関係論は学際的な研究分野ですが、歴史的には非常に欧州中心的な視点から研究されており、グローバル・サウスで起きている発展を理解するうえで必ずしも役立つものではありません。グローバル・サウスの視点を理解することは、主流のIR理論の西洋中心の焦点の議論から始まります。それはまた、グローバル・サウスから来た学者が直面している課題を認識し、それによりグローバル・サウスの視点が主流の議論にほとんど存在しない理由を説明するのに役立つかもしれません。最終的な目標は、国際関係においてより公正で様々なものを代表する理解を組み込むために、IR理論の視野を広げることです。

グローバル・サウスの視点の基礎

主流の西洋のIR理論の主な弱点は、それが普遍的には主流のものとして経験されていないということです。それらが基づいている概念は、多くのグローバル・サウスの国家の現実と一致せず、明確に反映してもいません。さらに、グローバル・サウスの視点で中心となるある種の問題は、主流の研究に欠けているか、あまり理論化されていません。例えばティクナーは、ポスト植民地主義およびポスト構造主義研究の堅固な研究が存在していたにもかかわらず、主流の理論からは人種と帝国の問題が欠落していると指摘します(Tickner 2016, 1)。奇妙なことに、植民地支配が現在のグローバルな秩序の状態を根底から形作ったものの、それらは主流のIRにとってまったく中心的でないと彼女は付け加えています。今日では、アフリカ、アジア、ラテンアメリカの国際関係の理論の文脈と、これらの広大な地域の多様な解釈とに注意を払う研究がますます増えています。この研究の多くは、「グローバルなIR」という包括的な言葉のもとに生み出されています。

主流のIRは、歴史の読み方でも間違っています。西洋的な視点から大規模でグローバルな事象が伝えられるとき、植民地化され抑圧された人々の声はしばしば失われており、これは理論化のための異なる基盤へとつながります。例えば、リアリストの研究は、冷戦のことを、米国とソ連という2つの超大国の間で大きな戦争が起こらなかったとして、比較的安定している期間として言及しています。しかしながら、グローバル・サウスのレンズを通してこの同じ期間を見ると、2つの超大国が自分たちの利益を支えたり、相手の利益を傷つけたりするために紛争に介入した、代理戦争や人間の苦しみで満たされた世界を見ることができます。このような単純な例は、主流の研究における2つの問題を強調します。一方では、これまでと異なる主体がグローバルな秩序と地域的な秩序とに挑戦し、支持し、形作る方法を探求するために、非西洋的な主体と非西洋的な思考を組み込むことが重要です。他方では、主流の理論とポスト植民地主義国家の文脈との関連性に疑問を呈し、国際機関やグローバルな統治を形成する際の新興経済国やその他のグローバル・サウス国家の役割を理論化することも重要です。したがって、伝統的なIR理論がグローバル・サウスの視点に適応できるかどうか、もしそうでないならそれに代わるような新しい理論やアプローチが必要なのかどうかというのが広くなされている質問です。この質問に答えるにあたって、学者たちは広い範囲にわたるさまざまな立場をとっています。

多くの学者たちが、IRの物語が世界を代表するように、正義と平等の呼びかけのもとに結束していますが、グローバル・サウスの視点を理論化するための1つの壮大な戦略があるとは言えません。このジレンマはおそらく、「誰がグローバル・サウスの学者なのか?」という質問によって最もよく説明されます。多くの場合、世界人口の大半はもとより、1つの地域や1つの国ですら、それを代表するように見える単一の視点に言及することは不正確でしょう。彼らは植民地下で同様の搾取体験を共有しているでしょうが、マラウイからモロッコに至る多様な国家の経験を記述するために「アフリカ」というような用語を使用することができるでしょうか?学者たちは、国際関係についてのラテンアメリカの視点が何を意味するかはもとより、どの国家が「ラテンアメリカ」地域を構成しているかという単一の定義にすら同意しません。同様に、さまざまな哲学者と彼らの仕事を取り巻く解釈とを考えると、国際関係論の「中国学派」を構成する一貫した理論体を定義することは困難であることが判明しました。このような問題は、グローバル・サウスの学者が単一の理論的な視点の周りに集うことを困難にしています。

1つの統一目標は、グローバル・ノースの支配に挑戦することかもしれませんが、グローバル・サウス自身の国家間の権力の非対称性の中に、断片化のさらなるリスクがあります。不平等は、北/南関係に限定されたものではなく、南の国家間の関係にも浸透しています。中国、ブラジル、インドなどのようにグローバル・サウス内における強力な経済と地域大国の出現は、すでに北によって疎外された国家の間で、新たな疎外と支配の問題を提起しています。

さらなる課題は、知識の生産と出版における西洋の方法の歴史的な支配にあります。例えば、IRにおけるアフリカの理論的視点がほとんど語られていない場合、これはおそらく、アフリカの理論家の不足というよりも、アフリカでの知識の生産における先住民のシステムに対する西洋帝国主義の影響を示唆していると思われます。実際、アフリカの大陸には、植民地時代のヨーロッパ人の到着よりもずっと前にさかのぼるような、外交や政府間関係における古くからの経験や実践があります。しかし、植民地時代には、多くの国家が、意識的あるいは不注意にも特定の価値観を植民地に課すような、西洋の知識の形態の支配下にありました。

独立してからですら、学界の成果は、時にグローバル・サウスの内部から書かれたときであっても、西洋の関心や経験を反映する傾向があります。その一例は、ラテンアメリカにおけるIR研究の発展に見ることができます。ヨーロッパの強国をアメリカ大陸に干渉させないという米国の意図を述べた1823年のモンロー・ドクトリン以来、米国はラテンアメリカを戦略的裏庭と見なすような最寄りの近隣国への政策を採用しており、これは定期的に介入主義的行動をもたらしています。注目すべき努力にもかかわらず、ラテンアメリカについての多くの教育と研究が米国内でまたは米国のために書かれています。これは、キャリアを確保するために、学者たちはしばしば米国に拠点が置かれている著名な英語の出版物で出版する必要があるという事実によって悪化しています。

植民地時代以前の忘れられた過去にスポットライトを当てることによって、グローバル・サウスの学者は、現在の不公正を実証することができます。例えば、西洋の視点から語られる場合、アフリカの歴史の記述はヨーロッパ人の到着で始まります。しかし、14世紀の終わりにかけて初期のヨーロッパ人探検家自身による説明が、すでに多くの地域で実施されていた政治的構造、制度、組織を証言しています。アフリカは、貿易、商取引、宗教の繁栄を可能にする帝国、王国、その他の社会制度が存在する場所でした。初期のアラブ人旅行者やサハラ砂漠を横断する貿易業者の記録は、西アフリカのいくつかの初期の王国と帝国の外交活動に言及しており、有名なところでは、ガーナ帝国、マリ帝国、ソンガイ帝国、サハラを横断する貿易路を利用していたイスラム教徒の宣教師などが含まれます。ヨーロッパから来た植民地の宣教師たちは、彼らの旅の中で、サハラ砂漠に広がる貿易と商業のネットワークが、北アフリカとヨーロッパとの架け橋として成功したと報告しました。ヨーロッパ人の到来前には、明らかに、貿易、商取引、外交活動は、学習と知識生産とともに、アフリカでは発展の様々なレベルにありました。しかし、植民地化から始まる物語は、アフリカ諸国家のことを、20世紀半ばの脱植民地以降、ようやく独立した「主権者」であるとみなしています。したがって、彼らは、つい最近になってようやく現代の国際システムの一部となった「新しい国家」であると見なされています。この「新しさ」は、ほとんどのアフリカ諸国家が設立されるずっと前に国家間関係を管理するための規則が確立されたという理由でもって、権力構造と意思決定システムからアフリカ諸国家を除外している — 安全保障理事会のような国連の主要機関などの — 国際機関を守るために使用されています。しかしながら、もし西洋が「忘れた」歴史に注意が払われるならば、これを正当化するのはより困難になります。その結果、多くのアフリカ諸国が国際連合の再編運動の最前線に立っており、グローバル・サウスの学者の仕事が彼らの主張を手助けしています。

国際開発に関するグローバル・サウスの視点

今日の国際政治を形作る政策の多くは、西洋の思考様式に由来する前提に基づいています。例えば、「開発」という、国内および国際政策を決定し、膨大な額のお金を引き寄せたり、転用する権限を持つ言葉をとってみましょう。これは、国連のミレニアム開発目標とその後継である持続可能な開発目標を通じて見ることができます。これらの目標には、世界中のすべての国が努力し、資金調達することに合意したターゲットが含まれています。それらは、グローバル・サウスの多くの国がまだ北のような経済的進展を達成していないと考える開発の理解に基づいています。

おそらく、IR理論に対するラテンアメリカの学者の最大の貢献の1つは、国際政治における組織原理としての開発の支配的な理解に挑戦する従属理論です。従属理論は、開発不足と貧困は、外部からそのような国々に及ぼされた政治的、経済的、文化的影響の結果であると主張しています。それは、グローバル・サウスの国家が、人的資源と物的資源を搾取し、先住民族の生産様式を破壊した資本主義的開発を通じて世界経済システムに組み込まれてきた方法を強調することにより、グローバル・サウスとグローバル・ノースの関係を搾取的かつ不公正なものとして提示します。従属理論は、南の多くの国家の開発不足が、北の国家の政策、介入、不公平な取引慣行の直接的な結果であるかもしれない方法を分析します。このような観点では、グローバル・ノースとグローバル・サウスとの間の現在の(不公平な)経済関係は、南が発展するのをまったく助けるものではありません。むしろ、それは南を北よりも貧しいままにとどめるでしょう。従属理論は、グローバル・サウスの国家が「発展する」必要性よりも、国際経済システム全体の再構築が世界の貧困層に経済的正義をもたらすものに他ならないことを強調しています。

従属理論のようなものを基にして、学者たちは多くの植民地国の経済的搾取が脱植民地化では終わらなかったことを実証しています。実際、植民地主義の最後の年月には — 独立運動が強くなりすぎて抑圧することができなくなった時 — 離れていく植民地支配者たちは、グローバル・サウスの経済の新しいタイプの支配へと道を開くような多くの政策とプログラムを推進しました。そのような政策の遺産は、輸出のための現金作物の生産、外国の金融介入への依存、および成長と発展の原動力としての民間資本(国内・国外の両方)の確保の強調でした。さらに、北-南間の貿易協定と世界貿易機関(WTO)などの国際機関の政策は、世界貿易関係におけるより公平な取引のための南からの繰り返しの呼びかけにもかかわらず、確立された強国の利益を保護する役目を果たしています。それらは貿易関係において「発展した」国家に特権を与え、以前の「発展途上の」植民地に不利になるように働いています。北から見ると、このような政策は南を支援するための手段です。しかしながら、南から見ると、それらは、不平等で搾取的な北-南関係の継続を表すという点で、新しいタイプの植民地支配(しばしば「新植民地主義」と呼ばれる)に等しいものです。

西洋社会から現れてくる主流のIR理論は、主として国家の相互作用についての合理的な説明を求めています。しかしながら、学者の中には、関係性の視点から、グローバル・サウスにおける国家間の相互作用の背景にある動機を探求し始めている者もいます。このような関係性の強調の一例は、中国と様々なアフリカ国家との相互作用に見ることができます。2015年には、中国がアフリカ大陸最大の貿易相手国となりました。アフリカでの中国の投資には、天然資源の抽出、インフラ建設、不動産、情報技術などが含まれます。アフリカと中国の経済は、中国がこの大陸から多くのエネルギー源を輸入し、アフリカ国家がその見返りとして消費財、コモディティー、技術を中国から輸入するという点で相互に依存しています。しかしながら、ほとんどのアフリカ国家は、中国への輸出よりはるかに多くを輸入しており、貿易関係の不均衡に苦しんでいます。中国の開発モデル(北京コンセンサス)は、国際通貨基金(IMF)や他の西洋が主導する組織(ワシントンコンセンサス)によって提唱されている開発の新自由主義モデルとは異なります。ワシントンコンセンサスの自由化と市場における国家の役割を最小限に抑えることの強調は、多くのアフリカの指導者によって新植民地主義的で搾取的なものとして非難されています。対照的に、北京コンセンサスは、非干渉の原則を重視しており、一部のアフリカ諸国にとって魅力的な代替案を提示しています。

さらに、中国は確かにアフリカ諸国家における開発の役割から経済的利益を得ていますが、文化的な対話を強化すること、そして人と人との交流を通してネットワークを育成することも、その介入の背後にある重要な動機づけの要素であると思われます。中国政府は、アフリカ大陸全域に孔子学院を設立して中国語と文化を紹介するとともに、20万人のアフリカ各地の専門家、学者、ジャーナリスト、公務員を訓練するための機会を提供しています。それは、市民を貧困から救い出す将来に向けた志向と軌道に基づく、共有されたアイデンティティーを構築することの一部です。アフリカにおける中国のアプローチが実際に真に新しいタイプの開発政策であるかどうかは、学者間の熱い議論の対象となっています。しかし、ここでのポイントは、北の合理的なアプローチとは対照的に、中国はより関係的なアプローチを採り入れていると見られたがっていることです。確かに、この概念は中国が独占しているわけではなく、それはグローバル・サウス内の他の社会にも及んでおり、北から現れてきた視点に対する南-南関係の理論化の代替的な方法を提供しています。

結論

近年、グローバル・サウスの主体たちが国際関係になす重要な貢献、そして常になしてきた重要な貢献を強調するために、多くのことが行われました。実際、学問分野としてのIRは、世界をより広く代表するような側面、主体および概念を組み込むために長い道のりを歩んできました。しかし、インド、中国、ブラジル、トルコなどの新しい経済強国やその他の新興経済の出現とともに国際システムのダイナミクスが変化し続ける中で、IRは南の人々の視点に注意を払うためにもっと多くのことをする必要があります。グローバル・サウスの視点は、グローバル・ノースとグローバル・サウスとの間の不公正な関係を創造し永続させるのを助けてきた支配的な理論的見解に挑戦するだけでなく、それはまた、すべての関係者の利益を代表し、国際機関に対してより代表的な権力構造と意思決定プロセスを持つように挑戦する、これまでとは異なったより公平な関係の可能性を開きます。

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