国際関係論の理論 -第1章 リアリズム-

Japanese translation of “International Relations Theory”

Better Late Than Never
18 min readJun 22, 2018

国際関係論についての情報サイトE-International Relationsで公開されている教科書“International Relations Theory”の翻訳です。こちらのページから各章へ移動できます。以下、訳文です。

第1部
確立された理論

第1章 リアリズム
サンドリナ・アントゥネス、イザベル・カミサオ(SANDRINA ANTUNES & ISABEL CAMISÃO)

国際関係論(IR)の学問分野において、リアリズムは、国際関係の競争と紛争の側面を強調する考え方の学派です。リアリズムのルーツは、人類の最も初期の歴史的著作、特にトゥキディデス(Thucydides)による紀元前431年から404年にかけて起きたペロポネソス戦争の歴史の中に見られるとよく言われています。2000年以上前にそれを書いたトゥキディデスは、「リアリスト」ではありませんでした。なぜなら、IR理論は20世紀まで名前の付いた形で存在しなかったからです。しかしながら、現代的な視点から振り返ると、理論家たちは古代世界と現代世界の思考パターンや行動において多くの類似点を見出しました。そして彼らは、トゥキディデスの著作、そして他の人たちの著作を引き合いに出して、記録されたすべての人間の歴史にまたがるような時を超えた理論があったという考えに重みをもたせました。その理論は「リアリズム」と名付けられました。

リアリズムの基礎

リアリズムの最初の前提は、国民国家(通常「国家」と略される)が国際関係における主要な主体であるということです。個人や組織など、他の主体も存在しますが、それらの力は限られています。第2に、国家は単一の主体です。国家の利益は、特に戦争の期間には、国家が1つの声で話し、行動するように導きます。第3に、意思決定者たちは、合理的な意思決定が国家の利益の追求につながるという意味で合理的な主体です。ここでは、あなたの国家を弱くしたり脆弱にしたりする行動をとることは合理的ではありません。リアリズムは、すべての指導者たちが競争環境下で生き残るために国家の事柄を運営しようとするとき、彼らの政治的信念が何であったとしても、これを認識していることを示唆しています。最後に、国家はアナーキーの文脈の中に生きています。つまり、誰かが国際的に責任を負うことはありません。国際的な緊急事態の際に「電話する人がいない」というよく使用される類推は、この点を強調するのに役立ちます。私たち自身の国家の中には、通常、警察、軍隊、裁判所などがあります。緊急時には、これらの機関が対応するために「何かをする」ことが期待されます。国際的には、確立された階層構造がないため、誰かあるいは何かが「何かをする」という明確な期待はありません。したがって、国家は最終的には自分自身に頼るしかありません。

リアリズムはよく過去の例を引き合いに出して、人間はその本性によって決定される反復的な行動パターンに本質的に拘束されているという考え方に重点を置いています。その仮定の中心には、人間が利己的であり、力を欲望するという見方があります。リアリストは、私たちの身勝手さ、私たちの権力欲、そして私たちが他人を信頼できないことが、予測可能な結果につながると信じています。おそらくこれが、記録された歴史を通して戦争が非常にありふれたものである理由です。個人は国家へと編成されているため、人間の本質は国家の行動に影響を与えます。その点で、ニッコロ・マキャヴェッリ(Niccolò Machiavelli)は、基本的な人間の特性が国家の安全保障にどのように影響するかに焦点を当てました。そして彼の時代には、指導者たちは通常は男性でしたが、それがリアリストによる政治の説明にも影響を与えています。「君主論」(Machiavelli 1532)において、マキャヴェッリは、指導者の主な関心事は国家安全保障を促進することであると強調しました。この任務を成功させるためには、指導者は自らの支配に対する内外の脅威に注意を払い、効果的に対処する必要があります。彼はライオンであり、キツネである必要があります。力(ライオン)と策略(キツネ)は、外交政策の遂行に重要な道具です。マキャヴェッリの見解では、支配者は、平均的な市民を導く従来の宗教的道徳よりもむしろ「責任の倫理」に従います。つまり、彼らは可能なときには善であるべきですが、国家の生存を保証するために必要なときには進んで暴力を使用しなければなりません。

第二次世界大戦の後、ハンス・モーゲンソー(Hans Morgenthau)は、政治が、社会一般のように、人間の本質に根ざした法によって支配されていると信じて、包括的な国際理論を開発しようとしました(Morgenthau 1948)。彼の懸念は、国際政治における利害と道徳の関係を明確にすることでした。そして、彼の研究は、トゥキディデスやマキャヴェッリなどの歴史的人物の洞察に大きく依存していました。国際的な緊張が善意に基づく開かれた交渉を通じて解決されることを期待する、より楽観的な理想主義者とは対照的に、モーゲンソーは、道徳よりも権力を強調するアプローチを打ち出しました。実際には、道徳は政策立案において避けなければならないものとして描かれていました。モーゲンソーの説明では、すべての政治的行動は力の維持、増大、または誇示に向けられています。この考え方は、道徳観や理想主義に基づいた政策は弱さにつながり、競争相手が国家を破壊したり支配したりする可能性につながるというものです。この意味において、国家の利益を追求することは、「道徳を超越したもの」です。つまり、道徳的な計算の対象にはならないということです。

ケネス・ウォルツ(Kenneth Waltz)は、「国際政治の理論」(Waltz 1979)の中で、リアリズムを人間の本性に関する(説得力はあるものの)証明することのできない仮定から遠ざけることによって、IR理論を近代化しました。彼の理論的貢献は「ネオリアリズム」または「構造的リアリズム」と呼ばれました。なぜなら、彼は説明の中で「構造」という概念を強調していたからです。国の意思決定と行動は、人間の本質に基づいているのではなく、簡単な方程式を用いて到達されます。まず、すべての国家は国際的なアナーキーなシステム(これが構造です)の中に存在することによって制約を受けます。第2に、それらが追及するどのような行動も、他の国家に対して測定される相対的な力に基づいています。そして、ウォルツは、リアリズムのある1つのバージョンを提案し、その中で、理論家たちは人間の本性の瑕疵を深く探求するのではなく、国際システムの特徴を検証するように勧めました。そうすることで、彼は政治理論的(または哲学的)方法ではなく、社会科学的方法を使用しようとするIR理論の新しい時代を創り出しました。ここでの違いは、ウォルツの変数(国際的なアナーキー、国家がどのくらいの力を持っているか、など)が経験的に/物理的に測定できることです。人間の本性のような考え方は、同じような方法では測定できないある種の哲学的見解に基づく仮定です。

リアリストたちは、彼らの理論が国政をつかさどる実務者たちの保持する世界政治のイメージを最もよく描写していると信じています。この理由のために、リアリズムは、おそらく他のどのIR理論よりも、政策立案の世界で頻繁に利用されています。これは、指導者を導く手引書を書いたマキャヴェッリの切望に反響しています。しかしながら、リアリストの批判者たちは、リアリストは、彼らが描写している暴力的で対立する世界を永続させるのを手助けしている可能性があると主張しています。リアリストは、人類の非協力的で利己的な性質と国家システムにおける階層の欠如を前提として、疑惑、権力、力に基づく方法で指導者を行動させるよう促します。したがって、リアリズムは自己成就的な預言であると見ることができます。より直接的には、リアリズムはしばしば過度に悲観的であると批判されています。なぜなら、国際システムの対立的性質は避けられないものであると考えているからです。しかしながら、リアリストによれば、指導者たちは絶え間ない制約と協力の機会がほとんどない状況に面しています。したがって、彼らは力による政治の現実を逃れるためにほとんど何もできません。リアリストにとって、苦境の現実に直面することは、悲観ではなく、賢明なことです。国際関係のリアリストによる説明は、平和的な変化の可能性が、あるいは実際にはあらゆるタイプの変化が、限られていることを強調しています。指導者がそのような理想主義的な結果に頼ることは、愚かなことでしょう。

おそらくリアリズムが反復と時代を超越した行動パターンを説明するように設計されているために、リアリズムは最近の国際システムの主要な変化、すなわち1991年における米国とソ連の間の冷戦の終結を、予測したり説明することができませんでした。冷戦が終わったとき、国際政治は、国家間の限定された競争と豊富な協力の機会とからなる新しい時代へと向かう急速な変化を遂げました。この変化は、リアリズムを「古い思考」として切り捨てる世界政治の楽観的見方の出現を促しました。リアリストはまた、堅固な単位としての国家に重点を置きすぎており、結果として国家内の他の主体や力を見落とし、国家の生存に直接は関係しない国際問題も無視していると非難されました。例えば、冷戦が終わったのは、ソ連に支配された東欧の国々の普通の市民が既存の権力構造に反抗することを決意したためでした。この反乱は、ソビエト連邦の広大な帝国の中で、ある国から別の国へと波及し、1989年から1991年の間にソビエト連邦自体が徐々に崩壊することになりました。リアリズムの道具箱では、そのような出来事を説明できませんでしたし、今もまだできません。その計算の中では、普通の市民(または国際機関)の行動は主要な部分ではありません。これは、リアリズムがよって立つ思考が国家中心の性質を持つためです。リアリズムは、国家のことをテーブルの上で跳ね返りながら動くビリヤードのボールのように見ています。それぞれのボールが何から構成されているかや、なぜその方向に移動しているのかを理解しようとして、それらのボールをのぞき込むために立ち止まることは決してありません。リアリストはこれらの批判の重要性を認識していますが、ソビエト連邦の崩壊などの出来事を、通常の物事のパターンへの例外として見る傾向があります。

リアリズムに対する多くの批判者たちは、世界の問題の管理における中心的な戦略の1つ、すなわち「力のバランス」という考え方に焦点を当てています。これは、国家が他者の能力を掘り崩しながら、自国の能力を向上させるための選択を絶えず行っている状況を示しています。これは、(理論的には)国際システム内で1つの国家があまりに強力になることを許さない、ある種の「バランス」を生み出します。1930年代のナチスドイツのように、ある国家が、図に乗ってあまりにも成長しすぎると、他の国家たちがそれを打倒しようとして同盟を形成し、バランスを取り戻すために戦争を引き起こすでしょう。この力のシステムのバランスは、国際関係がアナーキーである理由の1つです。これまでいかなる国家もグローバルな力となり、世界をその直接の支配の下に統合することはできていません。したがって、リアリズムは、生存を確保する方法として、柔軟な同盟の重要性について頻繁に話しています。これらの同盟は、国家間の政治的または文化的類似性によって決定されることは少なく、あまり頼りがいのない友人、あるいは「敵の敵」を見つける必要性によって決定されることが多いです。これは、第二次世界大戦(1939–1945)の間に米国とソ連がなぜ同盟を組んだのかを説明するのに役立つかもしれません。それらはどちらも、増長するドイツからの同様の脅威を見て、それを均衡させようとしました。しかし、戦争が終わって数年以内に、両国は激しい敵になり、冷戦(1947–1991)として知られるようになった期間の間に新たな同盟が形成されるにつれ、力のバランスは再び変わり始めました。リアリストは、不安定な世界を管理するための慎重な戦略として力のバランスを記述していますが、批判者は、それのことを戦争と侵略を正当化する方法と見ています。

これらの批判にもかかわらず、リアリズムはIR理論の分野では依然として中心にあり、他のほとんどの理論は(少なくとも部分的には)これを批判することに関心を持っています。そのため、最初の章でリアリズムを扱わないようなIR理論に関する教科書を書くことは不適切でしょう。さらに、リアリズムは、国政の道具だてを政策立案者に提供してきた歴史のために、政策立案の世界について多くの重要な洞察を提供し続けています。

リアリズムとイスラミック・ステート集団

イスラミック・ステート集団(IS、Daesh、ISISまたはISILとも呼ばれる)は、イスラム教スンニ派の原理主義の教義に従う武装集団です。2014年6月、この集団は、指導者のアブ・バクル・アル-バグダディ(Abu Bakr al-Baghdadi)の系統が預言者ムハンマド(Muhammad)に遡ると主張した文書を公表しました。この集団はそれから、アル-バグダディを「カリフ」に任命しました。カリフとして、アル-バグダディは世界中の敬虔なイスラム教徒の忠誠を要求し、この集団とその支持者たちは一連の極端で野蛮な行為に着手しました。これらの多くは、メルボルン、マンチェスター、パリなどの西洋諸国の都市をターゲットとしていたため、グローバルな問題になっています。究極的には、その目的は、地政学的、文化的、政治的な観点からイスラム国家(カリフ国)を創設し、(テロリズムや極端な行為を利用して)西洋や地方の強国がこのプロセスに干渉するのを阻止することです。もちろん、これは既存のいくつかの国家の領土が脅威にさらされていることを意味します。イスラミック・ステート集団は自身のことを国家であると考えていますが、その行動のために、事実上世界のすべての国家や国際機関によってテロリスト組織と定義されています。イスラム教の宗教指導者たちも、この集団のイデオロギーと行動を非難しています。

公式に認められた国家ではないにもかかわらず、イスラミック・ステート集団は、イラクとシリアの領土を奪取し、占領することによって、明らかに国家の側面を持っていました。イスラミック・ステート集団と戦うための努力の大部分は、その拠点に対する空爆からなります。これは、(特にイラクで)同盟した地元の軍隊を使って領土を取り戻すなどの他の軍事戦略と並んで行われました。このことは、中東におけるテロリズムの増大する力を相殺し、イスラミック・ステート集団が西洋諸国だけでなくその地域の諸国にもたらす脅威を中和する最も効果的な方法として戦争がみなされていることを示唆しています。したがって、イスラミック・ステート集団によって行われたような国境を越えたテロリズムは国際関係において比較的新しい脅威でありますが、各国家はそれに対処するためにリアリズムと調和する古い戦略に頼っています。

各国家は、自国の安全保障を確実にするために、究極的には自助努力を当てにしています。この文脈の中で、リアリストは、不安定を管理するための2つの主な戦略、すなわち力のバランスと抑止力を持っています。力のバランスは戦略的で柔軟な同盟を信頼する一方、抑止力は重大な力による脅し(またはその使用)を頼りにしています。イスラミック・ステート集団の場合には、その両方ともがはっきりとしています。第1に、米国、ロシア、フランスなどのイスラミック・ステート集団を攻撃した緩やかな国家連合は、サウジアラビア、トルコ、イランなどの地域大国との様々な都合のいい時だけの同盟に頼っていました。それと同時に、国連のような場所で行動に合意することは国家の対立状態のために困難であるとして、彼らは国際組織の役割を軽視しました。第2に、圧倒的で上位の力(またはその脅威)で敵を抑止することは、イスラミック・ステート支配下の領土の統治を取り戻す最も速い方法と認識されていました。米国、フランス、ロシアの軍隊と比較したときのイスラミック・ステートの軍事力の明らかな不均衡は、この意思決定の合理性を確認するように思われます。これがまた、抑止のような概念の重要性や、国家を合理的な主体として見ることにリアリズムが重点を置いていることを再び強調します。しかしながら、合理的な主体のアプローチは、敵もまた — たとえテロリスト集団であったとしても — 利益がリスクを上回る行動を選択する合理的な主体であることを前提としています。

この点では、テロリスト集団の行動は非合理的に見えるかもしれませんが、そうではないと解釈することもできます。リアリストの視点からは、イスラミック・ステート集団は、イラクとシリアでの西洋の影響を相殺するために、テロの恐怖を広げることにより、利用可能な限られた手段を利用しています。完全な軍事攻撃の相当な巻き添え被害は、2つの主な理由のために、明らかにこのグループの指揮官の関心事ではありません。その2つの理由はどちらも彼らの力を強化するために役立ちます。第1に、地域の人々が外国の侵略の標的になるため、中東全体の反西洋感情の強化に貢献するでしょう。第2に、これらの攻撃によって引き起こされた不公正の感情は、グループの目的を実証するためには死をも厭わない戦闘員の自発的な募集の機会を作り出します。これは、直近の地域にいる人々にも、国際的にイスラミック・ステートのインターネット上の宣伝の餌食になった人々にも当てはまります。

このケースにおいて明らかにされたような理由によって、リアリストは、中東ほど複雑な地域では、国家が軍事力をいつどこで使用するかについて非常に注意することを推奨しています。リアリズムを見て、戦争のことばかり考えている理論として理解することは簡単です。例えば、上の段落の前半を読むと、リアリズムがイスラミック・ステート集団に対する攻撃を支持すると感じるかもしれません。しかし、段落の後半を読むときには、同じ理論が非常に注意することを推奨していることに気づくでしょう。

リアリズムを理解するためのキーポイントは、リアリズムとは、戦争のような不穏当な行為も不完全な世界における国政の道具として必要であり、指導者は国益にかなう時にはそれを使用しなければならない、と主張する理論であるということです。これは、国家の生き残りが極めて重要な世界では、完全に合理的です。結局、攻撃や内部崩壊によってある国家が存在しなくなった場合、他のすべての政治目的は実際的な妥当性を失うことになります。これはつまり、指導者が軍事力をいつどこで使うべきかを決める際には、非常に慎重でなければならないということです。米国の2003年の対イラク侵攻は、グローバルなテロとの闘いの一環として行われましたが、大部分の主要なリアリストから米国の国益に貢献しない力の濫用であるとして反対されていたことは注目に値します。これは、米軍隊の不均衡な使用が、この地域内で暴動と憤慨を引き起こす可能性があるためでした。実際、イラクの侵攻後数年間にイスラミック・ステート集団が台頭したことから、この事例では、リアリズムが分析ツールとして強力な成果を上げました。

結論

リアリズムは、国際政治の現実を説明すると主張する理論です。それは、人間の利己的性質から生まれた政治に対する制約と、国家の上に中心的な権威が存在しないことを強調します。リアリストにとって最高の目標は国家の生存であり、これはなぜ国家の行動が道徳的原則よりも責任の倫理に従って判断されるのかを説明します。リアリズムの支配的地位のために、リアリズムの主な教義を批判する大量の文献が生み出されました。しかしながら、この本の残りの部分でも検討されるこれらの批判の価値にもかかわらず、リアリズムは貴重な洞察を提供し続けており、国際関係論を学ぶすべての学生にとって重要な分析ツールとして残っています。

この訳文は元の本のCreative Commons BY-NC 4.0ライセンスに従って同ライセンスにて公開します。 問題がありましたら、可能な限り早く対応いたしますので、ご連絡ください。また、誤訳・不適切な表現等ありましたらご指摘ください。

--

--

Better Late Than Never

オープン教育リソース(OER : Open Educational Resources)の教科書と、その他の教育資料の翻訳を公開しています。