国際関係論の理論 -第3章 英国学派-

Japanese translation of “International Relations Theory”

Better Late Than Never
17 min readJun 23, 2018

国際関係論についての情報サイトE-International Relationsで公開されている教科書“International Relations Theory”の翻訳です。こちらのページから各章へ移動できます。以下、訳文です。

第3章 英国学派
ヤニス・A・スティヴァクティス(YANNIS A. STIVACHTIS)

英国学派は、国際秩序の社会的構造の観点から、国際史と世界史の研究に基礎を提供します。国際関係論の主題のある特定の部分を主張する多くの理論とは異なり、英国学派は、世界を全体として見ようと試みており、この主題に全体論的アプローチを提供します。英国学派の理論は、国際システム(international system)、国際社会(international society)、世界社会(world society)の3つの重要な概念を区別することを中心に構築されています。そうすることにより、英国学派はIR理論に新しい領域を開き、リアリズムとリベラリズムという正反対の理論の中間地点を提供します。

英国学派の基礎

英国学派は、国際システム、国際社会、世界社会という3つの重要な概念を中心に構築されています。ヘドレー・ブル(Hedley Bull)は、国際システムを「2つ以上の国家が十分な接触を持ち、それらが全体の一部として行動するように相互の決定に十分な影響を与える」(Bull 1977, 9–10)よう形成されているものと定義しました。この定義によれば、国際システムは主に、国際的なアナーキーの構造によって行動が条件づけられている国家間の力の政治に関するものです。国際社会は、同じような考え方の国家のグループが、「お互いの関係において共通の規則の集合に縛られており、共通の制度の働きを分担することを考えている」(Bull 1977, 13)ときに存在します。言い換えれば、国際社会は、共有された規範、規則、制度の創造と維持に関するものです。最後に、世界社会は国際社会よりも根本的です。なぜなら、「すべての人類の偉大な社会の究極の単位は国家ではなく … 個々の人間である」(Bull 1977, 21)からです。したがって、世界社会は、国家のシステムを超越し、個人、非国家主体、そして究極的には世界の人々をグローバルな社会的アイデンティティーと取り決めの焦点とみなします。英国学派では、「制度(institution)」という用語は「機関(organisation)」という用語とは異なることに注意することが重要です。

英国学派の思想によれば、「制度」とは、国家の相互作用を促進するために設立される国際的な官僚構造(機関)ではなく、国家間の長期的な慣習(外交、法律、戦争など)を指します。国際機関を参照するために、英国学派は、国際機関の有効性が国際社会の主たる制度の機能に依存していることを示すために、「疑似制度(pseudo-institutions)」または「二次的制度(secondary institutions)」という用語を使用します。

国際システムと国際社会の区別は、特定の国家や国家のグループの間の関係のパターンと特性を区別するのに役立ちます。例えば、歴史的に、ヨーロッパ諸国の間の関係の種類と、それら諸国とオスマン帝国との関係の種類には本質的な違いがありました。欧州諸国の間の関係はヨーロッパの国際社会の存在を反映していましたが、欧州諸国とオスマン帝国との間の関係は国際システムの存在を反映していました。同様に、欧州連合の加盟国間の相互作用は国際社会の存在を反映していますが、欧州連合それ自体とトルコ(非加盟国)との相互作用はより幅広い国際システム内の相互作用を記述しています。その有用性にもかかわらず、国際システム内においてすら何らかの規則の存在といくつかの制度の働きを観察することができるため、国際システムと国際社会の区別は相当な批判を招きました。この議論は、国際システムが、弱められたあるいは「薄い」形態の国際社会を構成するという前提を受け入れる結果となりました。

歴史の大部分を通じて、単一の国際システムや社会は存在しませんでした。その代わりに、いくつかの地域的な国際社会があり、それぞれに独自の規則と制度がありました。そのすべてが、独特の宗教、異なる統治のシステム、さまざまな種類の法律、異なる世界の概念を含む、精巧な文明を基盤にしていました。そしてこれは、異なる地域の国際社会のメンバーである政治的実体間の関係は、同じ社会内の主体間の関係では可能となるような、同じ道徳的かつ法的基盤に基づいて行うことができないことを含意しました。なぜなら、それぞれの地域的な社会の規則は、文化的に特殊で排他的であったためです。広範な国際社会を代表するような、2つ以上の地域的な国際社会の境界を越えて活動している規則および制度の単一の合意された一群は存在していませんでした。さらに、地域的な国際社会間の接触は、それら内部での接触よりはるかに制限されていました。そのため、いくつかの地域国際社会のうちの1つが、他のすべてのものを、共通の規則と価値観の周りに組織された単一の普遍的な社会に融合できる程度に拡大できなければ、真に普遍的な国際社会の出現は不可能であったでしょう。

17世紀と18世紀の間に、国際社会は、国際法、外交、力のバランスなどの特定の制度で目に見える形で表現された、欧州の「文明化された」国家の特権的な連合体とみなされるようになりました。ヨーロッパの大国は、互いにやりとりする際にはある種の行動規範に拘束され、この規範は他の社会とのやりとりには適用されないという感覚がありました。19世紀の国際法学者は、ヨーロッパ人と非ヨーロッパ人の間の、そして「文明人」と「非文明人」の間の文化的二重性を永続させました。「文明化された」人間と「野蛮な」人間との区別は、国家がどちらのカテゴリーに属するかによって、法的認知の段階が異なることを意味しました。欧州の国際社会が世界に広がるにつれて、多くの非ヨーロッパ諸国は国際社会に参加しようとしました。したがって、欧州諸国は、非ヨーロッパの政治的実体が認められるための条件を定義する必要がありました。その結果、リベラルなヨーロッパ文明の規範を反映した「文明」の基準が確立されました。

文明の基準には、基本的人権の保障やすべての人に対する正義を保証する国内法制度の維持などの要素が含まれていました。従って、そのような権利を保証する気がないか、または保証することができない国は、定義上「文明化された」とみなすことはできません。その結果、非ヨーロッパの候補国家は、対外関係をどのように行うかだけでなく、自国の統治方法によっても判断されました。このプロセスはまた、2つの新しい国家のカテゴリー、すなわち「文明化する」国家と「文明化される」国家の間の階層的関係の創造につながりました。これは別の言い方をすると「教師」と「生徒」です。

第一次世界大戦(1914–1918)の終結に伴い、1920年に国際連盟が設立され、新たな国際社会が形成されました。新しいグローバルな国際社会のための国際連盟のデザインは、欧州の国際社会で発展したほとんどすべての規則と実践を取り入れていました。その中には、国際法と外交、ならびにこの社会の独立したメンバーとして認められた国家の主権と司法的平等性に関する基本的な前提が含まれます。国際連盟の原動力はヨーロッパからではなく、アメリカのウッドロー・ウィルソン(Woodrow Wilson)大統領から来ました。このことは、国際秩序の本質の変化を意味していました。1939年の第二次世界大戦の勃発は国際連盟の機能を途絶させ、結果としてその特定の国際社会の破壊を招きました。1945年に国際連合(UN)が設立されたことは、さらに別の新しい国際社会の表出となりました。実際、国際連盟で見られた多くの原則と構造は、国際連合によって再現されました。一方、「文明化」の基準は、非ヨーロッパ文明の代表者を侮辱していました。なぜなら、欧州諸国が主張した特権的な法的地位は、世界を「文明化された」国家と「非文明化された」国家との間で分割するだけでなく、国家間の階層的関係の維持をも意味したからです。その結果、非ヨーロッパ諸国と植民地共同体は、「文明化の基準」に反対する運動を始めました。「文明化の基準」は、帝国と帝国主義の時代の終焉を告げる脱植民地化プロセスが開始されたときに最終的に廃止されました。2つの超大国が世界をそれぞれの軌道に分断した、二極的な冷戦(1947–1991)の世界の出現は、比較的「薄い」新しいグローバルな国際社会を2つの準グローバルな「より厚い」国際社会に分裂させました。そのうちの一方は米国に関連し、他方はソ連に関連していました。1991年の冷戦の終結は、2つのことを意味しました。第1に、グローバルな国際社会の分断が終わりました。第2に、「より薄い」グローバルな国際社会の範囲内で、程度の異なる「厚さ」の地域的な国際社会の集合が徐々に出現しました。

英国学派内での重要な議論は、多元主義(pluralism)と連帯主義(solidarism)を中心に展開されています。多元主義とは、比較的低い程度の、共通の規範、規則、制度を有する複数の国際社会を指します。連帯主義とは、比較的高い程度の、共通の規範、規則、制度を有する国際社会の種類を指します。多元主義者/連帯主義者の議論は、基本的に、国際社会が世界社会と、あるいは別の言葉で言えば人々と、どのように関係するかについての議論です。主な質問は、国家の必要性および義務と、人間の必要性および義務との間の緊張をいかにして減らすかでした。これらは、実世界の状況の中と理論の中との両方において、常に矛盾しています。ほとんどの英国学派の研究者は、この議論の中で活動しており、秩序の義務と正義の義務との間の緊張を取り組むべき中核的問題として扱ってます。

多元主義者/連帯主義者の論争の重要な点は、国際法が自然法または実定法を含むべきかどうかという疑問です。自然法とは、ある種の権利や価値観が人間の本性によって固有であり、人間の理性によって普遍的に理解されるという主張をする哲学のことです。言い換えれば、自然法とは、すべての人間の行動の基盤とみなされる不変の道徳的原則を指します。一方、実定法とは、特定の共同体、社会、または国家の人為的な法律を指します。この議論は、一方で(多元主義を介した)国家による主権の主張と、他方で(連帯主義を介した)普遍的な権利は人々に授けられているという考えとの間で最も切迫した形で現れています。これを示すための簡単な例は、シリアの事例を使用することです。多元主義者の読み方は、残忍な内戦で国家が崩壊した2011年以降のひどい残虐行為にもかかわらず、シリアは主権国であり、自国の領土と国民に責任があると述べるでしょう。連帯主義者の立場は、人間の生命を守り、シリアの内戦に介入するという最優先の義務を強調するでしょう。双方の立場は、非常に異なる種類の国際社会を示唆するでしょう。多元主義と連帯主義は、一見して相反するものの、国際社会の限界と可能性についての議論のための枠組みをつくる原則です。この議論は大体において、人々と国家の両方の欲望および必要性をどのように調和させるのが最も良いかについての議論です。この意味で、英国学派は、力、利害、正義と責任の基準が国際社会でどのようにバランスをとって機能しているかを見つけようとするIR理論の中で不可欠なツールです。

英国学派と欧州連合

1945年の第二次世界大戦の終結後、6つの欧州国家が、「それらの間に十分な接触があり、それらが全体の一部として行動するように相互の決定に十分な影響を与える」(Bull 1977, 9–10)という意味で、地域的な国際システムを形成しました。ブルの国際社会の定義を適用すると、「それらは、お互いの関係において共通の規則の集合に縛られており、共通の制度の働きを分担することを考えている」(Bull 1977, 13)という意味では、国際社会は比較的早く形成されました。言い換えれば、今日では欧州連合(EU)として関連づけられるこれらの欧州諸国は、その諸問題を統治し、管理するための一連の規則と制度を作り出した。時が進むにつれて、統合プロセスは強さ、幅と深さを獲得し、超国家制度(国家を超えて存在する法的権限)、法律、政策を創出しました。これは、とりわけ、EUの国際社会を支えるEUの世界社会の創設につながりました。同時に、EUの法律と政策は、一方でEUとその加盟国家、他方でEUとその人々との関係を規制しようとしています。このようにして、国家の必要性および義務と、人々の必要性および義務との間の緊張や、そして多元主義者/連帯主義者の論争の核心を構成する秩序の義務と正義の義務との間の緊張が対処されています。

1951年の6つの加盟国から2013年の28へと増えたEUの拡大プロセスは、ヨーロッパの国際社会の歴史的な拡大のプロセスとあまり変わりません。19世紀と20世紀初頭のように、EU加盟国は候補国を認める条件を定義しなければなりませんでした。その結果、EU加盟を目指す欧州国家は、特定の政治的および経済的基準を満たす必要があります。「文明」の歴史的基準と同様に、EUの加盟条件は、拡大する欧州連合に属するものとそうでないものを区別するために使用される前提の表明です。EU加盟国が設定した政治的・経済的条件を満たしている国家は内側に招き入れられる一方、適合しないものは外部にとり残されます。それまでの非ヨーロッパ国家と同様に、EU候補国は新しい現実に適応することを学ぶ必要がありました。それは、時にはそれら自身の社会に大きなコストをかけるものでした。

EUの加盟資格基準には、経済的および政治的条件が含まれます。EUは経済組織として始まったため、将来のメンバーが満たさなければならない経済的条件の定義は、最初から設けられていました。他方、政治的条件の策定は、かなりの進化を遂げました。1993年6月のコペンハーゲンサミットで、EUの規範と価値は、以下の基準で明確にされました。

1. 加盟資格は、候補国が民主主義、法の支配、人権、少数派の保護に対する尊重を保証する制度の安定を達成することを必要とする。

2. 加盟資格は、機能する市場経済の存在とともに、EU内の競争圧力と市場の力に対処する能力を必要とする。

3. 加盟資格は、政治、経済、通貨同盟の目的への遵守を含む加盟国の義務を、候補国が負う能力を前提とする。

候補国に影響を及ぼすEUの潜在力は、大きく2つの段階に分けられます。第1は、交渉前段階(交渉開始前にコペンハーゲン基準を満たす必要があります)であり、第2は、実際の交渉段階(政治的条件が定期的に監視されます)です。第1段階では、国が政治的条件を満たさないことによって交渉が阻止されることがあります。第2段階では、交渉国が政治的条件の履行を取り消したり、そのいずれかを侵害すると、交渉が中断されたり打ち切られたりすることがあります。ここでは、トルコの事例が思い浮かびます。権威主義的な権力の移り変わりと人権に関する問題のある履歴を考えると、1987年に初めて申請して以来、加盟資格への道が満たされないままになった理由を説明するかもしれません。

EUの拡大プロセスは、欧州大陸の大部分をカバーするように着実に成長しており、「厚い」地域的な国際社会がどのように外側に拡大し、国際社会に組み込まれているより幅広い国際システムに徐々に変貌しているかを示しています。しかし、前述したように、国際システム自体は、国際社会の「薄い」形態を表しています。

しかしながら、この拡張プロセスは候補国のEU加盟で終了するわけではありません。事実、EUに存在し、国際社会と世界社会に関連する秩序の要素は、3つの追加の方法で欧州連合の境界を超えて輸出されています。第1に、EUの境界周辺に位置する国家は、欧州連合と互換性のある規範と慣行を採用することが奨励されています。第2に、開発支援や援助にアクセスするために、国家はEUの規範と価値観を反映した一定の政治的・経済的条件を満たさなければなりません。第3に、特定の規範、規則、慣行を遵守するよう貿易相手国に求めることは、欧州連合の貿易政策と外国との関係を形作ってきたEUの条件となっています。

EU拡大の研究が、いかにして地域的な国際社会が外向きに拡大し、国際社会に組み込まれているより幅広い国際システムにゆっくりと変貌しているかを理解するために重要であるならば、それが縮小するときに何が起こるかの調査もまた同様に重要です。例えば、「ブレグジット(Brexit)」(イギリスのEU離脱)と他の国家も離脱する可能性の結果として、EUの地域的な国際社会には何が起きるでしょうか?2つの可能性があります。第1に、地域的な国際社会の中核メンバーが離脱すると、この社会は、国際システムと同等の「より薄い」国際社会に徐々に変わるかもしれません。第2に、地域的な国際社会は存続し続けるかもしれませんが、この社会を去った国家は、地域的な国際社会が組み込まれているより広範な国際システムに移動するでしょう。

例えば、ブレグジットにもかかわらず、EUの地域的な国際社会は存在し続けるでしょうが、英国はEUの地域的な国際社会が組み込まれているより広範な国際システムへと移動するでしょう。しかし、他のEU加盟国が同じ道を辿ると、EUの地域的な国際社会は、国際システムと同等の「より薄い」国際社会に徐々に変わるでしょう。EU加盟国がいくつもの課題(ブレグジットはそのうちの1つに過ぎません)に共通して取り組まなければ、私たちは、EU​​の「厚さ」が徐々に減少していくのを見るかもしれません。それはスペクトルの世界社会の端部から、スペクトルの国際システムの端部への移行を意味します。

結論

英国学派では2つの重要な議論が行われています。第1に、国際システムと国際社会の区別が有効かどうか、もしそうならば、国際秩序の2つの形態の境界線はどこにあるのかです。第2に、多元主義者対連帯主義者の理解と、国際社会と世界社会との間の関係です。最初の議論は、国際システムが国際社会の弱い/薄い形態を構成するという前提を受け入れる結果となりました。多元主義者/連帯主義者の議論は依然として進行中ですが、国際社会におけるある種の変化(例えば、1945年以前の永続する戦争の世界から1945年以降の比較的平和な世界への移行)には、世界社会における他の重要な発展が伴っていることを認識すべきです。例えば、人類が単一のグローバル経済と単一の地球環境に組み込まれていることがますます理解されるにつれて、人権に対する要求が高まっています。同時に、テクノロジーとソーシャルメディアは幅広い共通の経験を可能にします。これらの発展は、国際社会と世界社会との間の相互作用を増大させ、これは政治的・経済的エリートの心だけでなく、一般市民の心にも種々の考え方を埋め込むことにより、国際社会を安定させる可能性を秘めています。

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