芸術への入門 — 第11章 芸術と倫理 —

Japanese translation of “Introduction to Art: Design, Context, and Meaning”

Better Late Than Never
45 min readOct 28, 2018

ノース・ジョージア大学出版部のサイトで公開されている教科書“Introduction to Art: Design, Context, and Meaning”の翻訳です。こちらのページから各章へ移動できます。

第11章 芸術と倫理

ペギー・ブラッド(Peggy Blood)、パメラ・J・サチャント(Pamela J. Sachant)

11.1 学習成果

この章を終えたとき、あなたは次のことができるようになっているでしょう:

•芸術と倫理が関連している理由を理解する。
•社会的倫理に合致しなかったために検閲された芸術作品を特定する。
•倫理的価値観が社会によって時間とともに変化する理由を示す。
•いくつかの社会的集団が何らかの芸術作品を議論を呼ぶものとみなすかもしれない理由を明確にする。
•芸術家が自分の芸術作品の中に他者の芸術作品を使用すること、芸術の制作に使用される材料、その意味や意図を変えるための画像の操作、そして観察者としての芸術家の道徳的義務についての倫理的な考慮事項を特定する。
•文化的に重要な対象の保存、解釈、展示において、美術館が果たす役割を特定する。

11.2 はじめに

この章は、芸術の認識、感受性、倫理に関わります。この章では、芸術家の道徳的責任と彼らが検閲なしで表現し、創造する権利を探求し、分析します。

道徳と芸術は、通常、挑発したり困惑させたりする芸術の中で結びつけられます。そのような芸術は、描写されたもののために、芸術家や鑑賞者の個人的な信念、価値観、道徳を刺激します。意図的にメッセージを追求したり強く伝えたりするような作品は、芸術的自由の権利に関する論争や、社会がどのようにして芸術を評価するかに関する論争を巻き起こすかもしれません。芸術家によって作られた作品についてのそのような判断は、歴史のある時点での社会の価値判断と必ず関係しています。

芸術家と社会の関係は、芸術と倫理に関連するがために絡み合っており、また時には衝突することもあります。しかしながら、どちらかが他方のために犠牲にされなければならないということは決してありませんし、作品のメッセージを作り、伝えるためにどちらかが他方に屈する必要もありません。

芸術は主観的です。それは様々な方法で異なる人々によって受け入れられたり解釈されたりします。ある人にとって非倫理的なものは、他の人にとっては倫理的であるかもしれません。芸術は主観的であるため、倫理的判断に対して脆弱です。それは、社会が作品の内容や美学を評価するための歴史的な文脈や芸術の理解を有していない場合に、最も脆弱になります。この欠如が倫理的判断を間違ったものにしたり不合理にしたりするということではありません。それは、時間の経過とともに芸術や様式の評価が変化し、新しいまたは異なる芸術や様式が評価されるようになることを示しています。社会一般で否定的だった好みは、通常はより多くの暴露によって変化します。それでも、好みは主観的なまま残ります。

倫理は、歴史を通じて一般の人々や宗教的または政治的な権力を持つ人々の主要な考慮事項であり続けています。今日の多くの芸術家にとって、最初の、そして最も重要な考慮事項は、倫理ではなく、形式上の質と媒体を通じてメッセージを作り、提供するようなプラットフォームです。倫理的な考察は、自由な表現への妨げとならずに、芸術家によって確立されるかもしれません。芸術作品では、芸術家自身の信念、価値観、イデオロギーが社会的価値観と対比されることが期待されます。伝達されるものに対して質の高い価値観を表明したり付加したりするのが芸術です。これこそが、自由な芸術表現の力を非常に重要にするものです。芸術は、誰がその作品を作ったかや芸術家の性格によってではなく、作品そのものの真価に基づいて判断されます。

しかしながら、芸術家と社会の間に存在するこの視覚的な対話を通じて、なんらかの相互理解がなくてはいけません。社会は芸術における表現の自由が偉大さに力を与えることを理解する必要がある一方、芸術家は社会の傾向に気を配り、またそれに開かれている必要があります。公衆が芸術のことを社会にとって有益な精神的かつ肉体的な付加価値を与えるものとして評価し、芸術家が倫理的な意図を持って創作する時には、鑑賞者と創作者との間のつながりが存在します。芸術家のある主題の描写は、その創作者が提示されている主題を肯定したり否定したりすることを意味するものではありません。芸術家の目的は、主題がどのように解釈されるかにかかわらず、表現することです。それにもかかわらず、この解釈の自由は、芸術家も社会も、彼らの行動に対して責任を負わないということを意味しません。

この点で、芸術と倫理は、芸術家が知的な能力を使って真に表情豊かな表現を生み出したり、心理的な意味を伝えたりすることを要求しています。このタイプの芸術は、鑑賞者に対しては、芸術家からの多くの感情によって心が動かされるような能力を要求します。それは、芸術の力が外見へと滲みでて、ある状況の瞬間的または永続的な感情に対する隠された考えや解釈をつかんだり捕らえたりすることを要求します。芸術家は、鑑賞者のために創作し、視覚的なイメージをとらえ、解釈する一方で、芸術家はまた鑑賞者に対して芸術家自身の道徳的または倫理的感受性の確かな尺度も与えています。

倫理的ジレンマは芸術の世界では珍しいことではなく、しばしば芸術作品の内容やメッセージの認識や解釈から生まれます。精神性、セクシュアリティー、そして政治についての挑発的なテーマは、多くのやり方で解釈され、それらの存在が非倫理的または道徳的でないという議論を引き起こすことができますし、そうなるかもしれません。たとえば、ダダイズムの芸術家マルセル・デュシャン(Marcel Duchamp、1887–1968年、フランス)が1917年に「泉(Fountain)」を制作したとき、それは当時の芸術の専門家と公衆によって検閲され、拒絶されました。(泉(Fountain), マルセル・デュシャン(Marcel Duchamp): http://www.sfmoma.org/explore/collection/artwork/25853#ixzz3mwCWDOxZ)これは男性の小便器が横になっているもので、デュシャンはこの作品を彼の「レディメイド(Readymade)」、つまり既成の物体であって彼により芸術に変化させられたもの、あるいは指定されたもの、の1つであるとみなしました。今日では、「泉」はデュシャンの最も有名な作品の1つであり、広く20世紀の芸術の象徴とみなされています。

より最近では、クリス・オフィリ(Chris Ofili、1968年生まれ、イングランド)による「神聖なる聖母マリア(The Holy Virgin Mary)」が、1997年-2000年にロンドン、ベルリン、ニューヨークで行われた「感覚(Sensation)」展に含まれた時に、鑑賞者に衝撃を与えました。(神聖なる聖母マリア(The Holy Virgin Mary)、クリス・オフィリ(Chris Ofili): https://www.khanacademy.org/humanities/global-culture/identity-body/identity-body-europe/a/chris-ofili-the-holy-virgin-mary)この画像は、ニューヨーク市のルドルフ・ジュリアーニ(Rudolph Giuliani)元市長を含む、国の一部の公衆にかなりの怒りを引き起こしました。女性の臀部の画像のコラージュ、グリッターの混じった塗料、そして丸く塗られたゾウの糞によって、多くの人がその絵画を冒涜的だと考えました。オフィリはそれは彼の意図ではないと述べました。彼は、聖母マリアの神聖でもあり世俗的でもある(官能的ですらある)美しさの両方を認めてもらいたいと望んでおり、そして、その糞は彼の両親の母国ナイジェリアで、繁殖力と象の力を象徴していることも認めてもらいたいと望んでいました。それにもかかわらず、おそらく芸術家の意味を知らずに、人々は激怒しました。

伝統的に、芸術の美学は、美しさ、楽しさ、そして鑑賞者の視覚的、知的、感情的な魅惑と結びついています。スキャンダラスな芸術は美しいものではないかもしれませんが、楽しくて人を魅了することがあるかもしれません。鑑賞者は取り込まれ、日常的なものでも普通でもないものに惹かれます。すべては、美術に特有の意味のある体験とみなされます。審美的な判断は倫理と手を取り合って進みます。それは、人々が芸術作品を見て、それが「良い」か「悪い」かを判断する時に彼らが用いる意思決定プロセスの一部です。審美的判断のプロセスとは、人々がどのように創作された芸術作品の質を決定するかを記述し、彼らが個人的にも社会的にも、ある種の芸術作品について倫理的な決定を下すような概念モデルです。

私たちが知っているように、芸術は間違いなく衝撃を与える力を持っており、社会的な挑発の源泉として、芸術は疑うことを知らない鑑賞者たちに衝撃を与え続けるでしょう。観客たちは、社会的、政治的、宗教的に挑戦するような芸術によって、引き続き憤慨させられたり、心が乱されたり、気分を害されたりすることが続くでしょう。既に観察されているように、恥ずべきものである、あるいは過激であるとみなされることは、芸術の体験や鑑賞の価値を損なうものではなく、またそのような反応が芸術家の倫理や道徳の証拠となるわけでもありません。しかしながら、ある人から見れば、芸術は審美的な体験を提供することに失敗しているかもしれません。そのような失敗は、芸術と、時間の中の所与の瞬間に生きている鑑賞者との間の複雑な関係にも左右されます。

11.3 芸術の制作と使用における倫理的考察

11.3.1 盗用

芸術家は常に他の芸術家の作品に触発されてきました。彼らは構成している意匠を借り、様式的な要素を採用し、物語の詳細を取り上げました。そのような場合、芸術家は別の作品のこれらの側面を彼らの独自の独創的な取り組みの中へと取り入れます。他方で、盗用は、既存の物体や画像をとってきて、ほとんどあるいはまったく変化させずに、それらを自分の芸術作品の中で使用したり、それ自体を自分の芸術作品として使用したりすることを意味します。20世紀を通じて、また今日でも、物体や画像の盗用は、芸術や芸術家が果たす正当な役割であるとみなされるようになりました。新しい文脈では、物体または画像は再文脈化されます。これにより、芸術家は作品のオリジナルの意味にコメントし、それに新しい意味をもたらすことができます。鑑賞者は、オリジナルの作品を認識することで、それに追加の意味と関連付けを重ねます。したがって、その作品は、主として芸術家の意図に基づいて、異なるものになります。

シェリー・レヴィーン(Sherrie Levine、1947年生まれ、米国)は、彼女のキャリアの中で、よく知られている芸術作品を再現するか、わずかな変更を加えたときに、どのような変化が起こるかについて鑑賞者が問うように仕向けてきました。たとえば、1981年にレヴィーンは、ある展覧会のカタログで複製されていたウォーカー・エヴァンス(Walker Evans、1903–1975年、米国)によって作成された画像を撮影しました。(ウォーカー・エヴァンスに倣って: 4(After Walker Evans: 4), シェリー・レヴィーン(Sherrie Levine): http://www.metmuseum.org/collection/the-collection-online/search/267214)彼女はこのシリーズに「ウォーカー・エヴァンスに倣って(After Walker Evans)」とタイトルをつけ、エヴァンスを「オリジナル」の写真作品の創作者として率直に認めています。そして彼女は、エヴァンスの写真の複製物を含むカタログが彼女自身の「複製物」の源であると公然と述べました。レヴィーンは展覧会のカタログで複製された写真を撮影して彼女の写真を作りました。また、このカタログの中の写真は、展覧会での写真の複製物でした。

大恐慌の時代に生計を立てるために苦労しているアラバマの小作人の家族についてのエヴァンスの描写に精通していた展覧会の訪問者は、歴史的、知的、そして感情的な意義とは独立に、「ウォーカー・エヴァンスに倣って: 4(After Walker Evans: 4)」と名づけられたアリー・マエ・バロウズ(Allie Mae Burroughs)の一枚のようなレヴィーンの写真を見るよう挑戦を受けました。それらのつながりがなければ、その写真はどのような話を語ったでしょうか?意味を持っているのは写真そのものでしたか?それとも、そのメッセージは、鑑賞者がそれに帰すいくつもの意味の合計ですか?1980年代のレヴィーンの作品は、ポストモダン芸術運動の一部であり、それは個々の意義よりも文化的意味に疑問を呈しました:そもそも、そのような広いカテゴリーで芸術を検討することは可能だったのでしょうか?それとも、1つの合意された普遍的な意味などというものが存在するのでしょうか?彼女は「オリジナリティー」、「創造性」、「複製」という考え方にも疑問を呈していました。どのような産物であれば、集合的な影響からの寄与のない、1人の個人の思考プロセスと努力に真に帰することができるのでしょうか?もしそのようなものが存在しないのであれば、私たちは何かのことを、創造性の単一の源から湧き出て、後続のすべての作品が複製物となるようなオリジナルな芸術作品であると述べることはできません。ある1つのものが他のものよりもより真正であったり価値があるなどということはありません。

1993年、レヴィーンはフィラデルフィア美術館に招待され、「特に美術館のために芸術家によって制作された新しい作品やインスタレーション」という一連の現代プロジェクトであるミュージアム・スタディーズに参加した最初の芸術家になりました。レヴィーンは半透明の白いガラスで、コンスタンティン・ブランクーシ(Constantine Brancusi、1876–1957年、ルーマニア)による1915年の大理石の彫刻の「複製物」を6つ作り、「ニューボーン1(Newborn I)」と題名を付けました。(クリスタル・ニューボーン(Crystal Newborn)、シェリー・レヴィーン(Sherrie Levine): https://s3.amazonaws.com/classconnection/93/flashcards/7114093/jpg/thenewborn1334629599199-14C4CC989054F51F15F.jpg)彼女は1993年の作品を「クリスタル・ニューボーン(Crystal Newborn)」と名づけました。それは、1994年の「ブラック・ニューボーン(Black Newborn)」と一緒にここに示されています。(クリスタル・ニューボーンとブラック・ニューボーン(Crystal Newborn and Black Newborn), シェリー・レヴィーン(Sherrie Levine): http://api.whitney.org/uploads/image/file/337061/xlarge_8._crystal_newborn_1993_black_newborn_1994.jpg)どちらの作品も鋳造されたガラスであり、「ブラック・ニューボーン」の場合には、その後にサンドブラストされています。(ブラック・ニューボーン(Black Newborn), シェリー・レヴィーン(Sherrie Levine): http://www.moma.org/collection/works/89955?locale=en)

彼女の1981年の写真「ウォーカー・エヴァンスに倣って: 4」と同様に、これらの作品は、何かがオリジナルであるということ、あるいは逆に複製されているということについての概念を調べることを意図しています。エヴァンスの作品の複製物である彼女の先の写真が、それ自身でまた複製することが可能であるように、これらの1つのシリーズの一部であるガラス作品もまた複製可能です。レヴィーンは1つの(オリジナルの?)型から計12のバージョンを鋳造しました。さらに、ブランクーシの「ニューボーン1」のような彫刻は、一般的に、その作品を見るのにちょうどよい高さに持ち上げて、周囲からその作品を切り離す台座や台の上に展示されますが、レヴィーンはグランドピアノの上にこの作品を展示しました。そうすることで、その作品の環境を、より慣習的で、期待されているが、意識的に中立な展示方法(台座)から、より微妙であり、飼いならされているものの、磨かれたピアノの上の洗練された調子へと変えました。彼女は、その違いが鑑賞者の心に印象を残し、コントラストについての考え方などを含む、鑑賞者の作品に対する反応へ影響を与えることを望んでいました。典型的な美術館の展示は男性的、つまり裕福なコレクターと美術館の理事会のメンバーによる男性の世界の一部です。一方、ピアノは、心地よく快適な家庭という女性的な世界を思い浮かばせるものであり、この作品は結局のところ、新生児(ニューボーン)の彫刻なのです。しかし、レヴィーンのガラスの冷たく滑らかで硬い表面は、ブランクーシの大理石の場合のように、この幼児の頭が母親の感傷的なところまでおりることを許しません。

レヴィーンは、彼女の作品に先行し彼女が盗用したものである作品との大きな類似性を維持していますが、しかし彼女はそれらの蓄積された意味をさらに新しいものに広げています。

11.3.2 材料の使用

歴史を通じて、芸術家が芸術を創造するために使用する材料は、一般的に作品の価値に貢献しています。銀、象牙、宝石、希少な鉱物から作られた塗料、または費用がかかり入手困難な数多くの他の材料を使用することは、生産された作品の金銭的価値を文字通り高めました。作品が政治的または宗教的指導者のために作られた場合、作品の文化的価値は、社会における高い地位を有する者に関連付けられ所有されているために増加しました。一方で、社会的価値観と相反する材料を使用することは、鑑賞者の心に問いを投げかけます。たとえば、象牙はかつては(そして今もまだ)彫刻には欠かせない材料でしたが、アフリカゾウは今や絶滅の危機に瀕している種であるため、米国内で象牙の取引をすることは違法です。芸術の生産が影響を及ぼす植物や動物の生命に対する鑑賞者の認知度や感受性は増加しており、実際に芸術家が使用することを選ぶ材料の中の要素となる可能性があります。

ダミアン・ハースト(Damien Hirst、1965年生まれ、イングランド)は、1980年代後半にヤング・ブリティッシュ・アーティスト(YBA)に関連して彼のキャリアを開始しました。ハーストは、グループ内の他の人たちと共に、論争を巻き起こす主題とアプローチで知られていました。その時代から現在までの彼の芸術の多くは精神性 — ハーストはカトリック教徒として育てられました — に関係しており、また、終わりとしての死と始まり、境界、ポータルにも関係しています。彼が彼のキャリアを通して立ち戻るモチーフの1つは蝶です。卵からいも虫、さなぎ、成虫まで変化するライフサイクルによって、蝶はハーストにとって「普遍的な引き金」として役立ちます。つまり、蝶のライフサイクルに関係づけられる象徴性は、古代ギリシャ人にとってのプシュケー(あるいは魂)、初期のキリスト教徒にとっての復活、現在の多くの人にとっての無垢と自由に結び付けられるものであり、それは鑑賞者の心に自動的に浮かび上がるほど深く人間の意識に根差しています。彼の芸術では、これらの連関は基盤であり、ハーストはその上で創作をします。

ハーストは、1991年に蝶を用いた実験を始め、インスタレーションであり展示会でもある、「愛の内外(白い絵画と生きている蝶)(In and Out of Love (White Paintings and Live Butterflies))」と、「愛の内外(蝶の絵画と灰皿)(In and Out of Love (Butterfly Paintings and Ashtrays))」を作り出しました。どちらも、5週間の展示の間に死ぬことが意図され、実際に死んでしまった生きていた蝶を含んでいました。(http://www.damienhirst.com/exhibitions/solo/1991/in-out-love)彼の最初の個展「愛の内外」は、芸術の定義に向き合い、私たちが生と死、理性と信仰、希望と絶望の間の境界線、あるいは交差点に立ち向かうのに芸術がどのように役立つのかを説明するよう鑑賞者を挑発する芸術家としてのハーストのキャリアと評判のための舞台を確立しました。

宗教や科学(蝶の研究である鱗翅学を含む)への関心に言及しておくと、ハーストは彼の芸術作品の題名で聖書を参照することが多く、また彼は、伝統的に蝶がどのように展示されているかを彼の作品の中で模倣しています。彼は2001年に、生きている、あるいは死んでいる蝶の全体を使用するのではなく、その翼だけを使用した「カレイドスコープ(Kaleidoscope)」シリーズを始めました。それによって、避けがたい醜さと人生の不快感(蝶の毛の生えた体)からの分離を象徴し、翼のはかない美しさだけと、翼と時間の早い流れとの関連性を保存しました。「主の王国(The Kingdom of the Father)」は、このシリーズの後半の作品で、2007年のものです。(主の王国(Kingdom of the Father), ダミアン・ハースト(Damien Hirst): http://broadmuseum.msu.edu/sites/default/files/2018-02/In%20Search%20of%20Time-1.jpg)作品のタイトル、構成要素、そしてこのミックスメディア作品の全体的な形状は、この芸術家の宗教への没頭に直結しています。ここでは、「カレイドスコープ」シリーズの他の多くの作品と同様に、この作品はハーストが子供のころに魅了されたゴシック様式の大聖堂にあるステンドグラスの窓ように見えます。

鮮やかな色、活発な構成、虹色の輝きの素晴らしい効果にもかかわらず、一部の鑑賞者は、ハーストが使用する材料に反対します。美しさときらめきは、翼を彼の作品に使うことができるようにするために殺された何千もの蝶からもたらされています。2012年、ロンドンのテート・モダンは、ハーストの芸術の回顧展を開催しました。彼のキャリア全体の作品を振り返る、イングランドでの最初の主要な展覧会です。彼の1991年のインスタレーション「愛の内外」がこのショーの一環として再現されました。(http://www.damienhirst.com/exhibitions/solo/2012/tate)一部の評論家や動物の権利活動家は、23週間のイベントで死んだ推定9000羽の蝶について苦情を申し立てました。たとえば、英国動物虐待防止協会(RSPCA)の広報担当者は、「もしこの展覧会が他の動物、たとえば犬などに関係していれば、全国的な非難の声が上がるでしょう。それが蝶であるからといって、優しさをもって扱われる価値がないわけではありません。」と述べています。テート・モダンは、これらの蝶は「信頼できる英国の蝶園から調達されたものである」との声明を発表しました。彼らはまた蝶の使用がハーストの芸術にとって中心的なものであると擁護し、「この芸術家の作品の多くにいきわたっている二重性、すなわち生と死、そして美と恐怖のテーマが強調されている」と述べています。

本質的には、この美術館は、ハーストのキャリアの過程の他の多くの個人や機関と同様に、苦情を認識しましたが、この芸術家の行動は彼の創造的プロセスの受忍可能な部分であるとして受け入れ、彼の芸術的意図は道徳性によって生じるいかなる問題よりも重要であると判断しました。簡単に言えば、蝶はより高尚な目的、つまり彼の芸術作品のための手段でした。

11.3.3 デジタル操作

Adobe の Photoshop やその他のコンピュータソフトウェアを使用して写真をデジタル操作することは、今日ではありふれたものであり、一般に気づかれずに、またはコメントなしで行われています。デジタル操作は、アマチュアとプロの写真家によって同様に使用され、有用で建設的なツールとなることができます。しかしながら、実際の情報を変更する目的で写真が操作されるときには、倫理的な線が犯されます。

2006年、フリーランスのカメラマンのアドナン・ハッジ(Adnan Hajj)は、イスラエルとレバノンの紛争中にイスラエルの攻撃を受けて、ベイルートの建物の真ん中で煙が上がっているところの写真に変更を加え、その写真をニュース配信社のロイター・グループが配信しました。(デジタル操作された写真をめぐるアドナン・ハッジの写真の論争(The Adnan Hajj photographs controversy revolving around digitally manipulated photographs): https://upload.wikimedia.org/wikipedia/en/0/0f/Adnan_Hajj_Beirut_photo_comparison.jpg)あるブロガーが、この写真には操作の兆候があるとコメントしました。左側の変更されていない写真と右側の公開された画像を比較すると、明らかに煙が暗いことがわかります。さらに、この写真の上部に広がる煙は、クローニングとして知られる、繰り返し複製されたデジタル効果を示すはっきりとしたパターンを表しています。ロイター通信は直ちにこの写真を撤回し、「写真を変更するための会社の編集方針に完全に反しており、ロイターはこのような事柄を非常に深刻に受け止めている」という声明を公表しました。

フォトジャーナリストは受け入れられている職業的な行動基準に従うことが期待される、というのが倫理的な前提です。実際、全米報道写真家協会は、この問題に対処する倫理規約を制定しました:「編集は、写真画像の内容と文脈の完全性を維持すべきである。視聴者を誤解させる可能性のある、または虚偽の主題を表現する可能性のあるいかなる方法であっても、画像を操作したり、音を加えたり変更したりしてはならない。」ここで重要なのは、ニュースとして、これらの画像は事実にとどまらなければならず、出来事や人々を信頼性をもって誠実に表現しなければならないということです。ハッジがレバノンに対するイスラエルの攻撃による被害を強調した場合のように、写真が視聴者を欺く目的で操作されると、それは歴史的記録を変えることになります。それは非倫理的です。

11.3.4 観察者として

フォトジャーナリストは、ニュース画像の操作だけでなく、それらの画像の取得の際においても、全米報道写真家協会(NPPA)の倫理規約に従うことが期待されています。たとえば、戦争、政治不安、自然災害の時には、彼らは、予期しない憂慮すべき形で展開する出来事の真っただ中にいるかもしれません。フォトジャーナリストは出来事を記録する役割を果たす観察者ですが、写真家は、人類の仲間として、関与したり援助を提供したりするべきなのでしょうか?

1993年、フォトジャーナリストのケビン・カーター(Kevin Carter、1960–1994年、南アフリカ)は、スーダンの飢饉の時にハゲワシに見つめられている飢えた幼い少女の写真を撮影しました。(ハゲワシ(Vulture), ケビン・カーター(Kevin Carter): http://theunsolicitedopinion.com/wp-content/uploads/2012/10/kevin-carter-vulture.jpg)この写真はニューヨーク・タイムズへと売られ、この新聞や世界中の他の多くの新聞で紹介されました。特に、この場面は、食べ物のための救援所に行く途中で倒れた幼児として説明されており、この子供の運命についての大きな懸念と、写真をとることの倫理に関する議論を引き起こしました。しかし、NPPAの倫理規約のガイドラインは、「撮影主体は、意図的に出来事に貢献したり、変更したり、あるいは影響を及ぼそうとしたり、変更しようとしたりしてはならない」と述べています。しかしながら、多くの人は、子供の状態や無力感を考慮すれば、写真家が行動を取る責任があると感じました。

カーターと、彼の友人であり写真家の仲間であるジョアン・シルバ(Joao Silva)によると、この状況とカーターの反応は、写真に写っているよりももっと微妙なものでした。カーターとシルバは、地元の食糧配給所に食糧を運ぶ国連の人員とともに、アヨドの村に飛行機で到着しました。女性と子供たちがこの配給所に集まり始めると、カーターは彼らを撮影しました。この写真の子どもは少し離れてやぶの中におり、彼女自身の力では配給所に近づくのは困難でした。カーターが見守っていると、ハゲワシが舞い降りました。後でタイム誌で述べたように:

彼は鳥を驚かさないように慎重に、できるだけ最高の画像のために自分の位置取りをした。彼は後で、ハゲワシが翼を広げることを望んで、20分ほども待ったと言ったかもしれないけれど、それは起きなかった。それで、彼は写真を撮った後、鳥を追い払い、この少女が奮闘を再開するのを見ていた。その後、彼は木の下に座り、たばこに火をつけ、神と話し、泣いた。「彼はその後ひどく落ち込んだよ」と、シルバは回想する。「彼は自分の娘を抱きしめたいと言い続けていた。」[1]

[1] Scott Macleod, “The Life and Death of Kevin Carter,” Time, 24 June 2001, http://content.time.com/time/magazine/article/0,9171,165071,00.html.

カーターは特段子供を援助しませんでしたが、彼はハゲワシを追い払うことで彼女への直接的な危険の原因を取り除きました。彼はこの少女と、取材の間に彼が見た他の多くの犠牲者たちをもっと助けることができなかったこと、そして助けることができないと感じたことへの後悔を表しました。彼が目撃した絶え間ない苦しみは、何年も患っていたうつ病に拍車をかけました。1994年4月、飢えた子供の写真が出版されてから1年あまり経ったのち、カーターは議論を呼んだ画像のためにピューリッツァー賞を受賞しました。一週間後、また別の友人でありフォトジャーナリスト仲間のケン・オースターブレック(Ken Oosterbroek)が、彼らの母国である南アフリカの暴力的な紛争を撮影してるときに殺害されました。悲しみ、後悔、彼が目撃した残虐行為、そして彼が感じていた痛みに悩まされたカーターは、3ヵ月後に自ら命を絶ちました。

11.4 検閲

検閲という言葉は、露骨で、攻撃的な画像や、おそらくは性的または政治的な性質を持つ文章、あるいは暴力の記述を抑圧するという考え方をもたらします。しかしながら、なにがわいせつや、冒涜や、野蛮とみなされるかは普遍的ではなく、ある時代に受け入れられるものが、次の時代には禁止されるかもしれません。

ミケランジェロは彫刻家、画家、建築家でした。彼は、自身の彫刻と建築作品が比較的少数の絵画作品よりはるかに重要であると考えました。しかし、今日の多くの人々は、彼が作ったはるかに多くの大理石の人物像や建物から知ることができるのと同じくらい多くのことを、ローマのシスティーナ礼拝堂で彼が完成させた2つのフレスコ画、つまり壁画から知っています。このチャペルは、ローマにあるローマカトリック教会の座であるバチカン市国の教皇邸宅内にあります。1508年から1512年にかけてシスティーナ礼拝堂の134フィート(約41メートル)の天井にミケランジェロが描いた最初のフレスコ画は、創世記からとられた9つのシーン、建築の要素、そして人物像からなる複雑なシリーズです。それは、彼のキャリアの最初の大規模な絵画でした。彼は、祭壇の後ろの壁に「最後の審判(The Last Judgment)」を描くために、1535年から1541年にここへ戻りました。(図11.1)

図11.1 | 最後の審判(The Last Judgement), Artist: ミケランジェロ(Michelangelo), Author: User “Wallpapper”, Source: Wikimedia Commons, License: Public Domain

カトリック教会は、最初の作品が完成してから2作目に着手するまでの24年間で大きく変化しました。1517年、ドイツの修道僧であるマルティン・ルター(Martin Luther)が、教会の慣習、特に免罪符の売買、つまり罪の赦免について一連の告訴状を提出したとき、カトリック教会の唯一の権威が疑問視されました。教会の複雑な階層構造と救済の唯一の手段としての教会の教えの重視とは対照的に、ルターは個人的な信仰と聖書の言葉の順守を支持しました。彼の信念は非難され、ルターは1521年に教会から破門されましたが、新しいプロテスタントの信仰は北ヨーロッパを席巻しました。ローマカトリック教会の教義を改訂しようとするルターの試みとして知られているプロテスタント宗教改革は、教会の権威に対する深刻な脅威であるだけでなく、教会の構造、活動、方法の徹底的な調査と修正を促しました。

ミケランジェロは1535年に「最後の審判」を描き始めました。激動と不確実性の時代に、信仰に忠実な者はその報いとして引き上げられてキリストの側に永遠にいることができるが、信仰を疑った者や背いた者は永遠の罰を受けるという主題は、教会に忠実であり続ける者たちを安心させることが意図されていたでしょう。しかしながら、ミケランジェロは、明確に構造化された階層的な人間の組織に固執するのではなく、伝統から逸脱して、動き回り、身体で表現し、感情で満たされている天使、聖人、祝福された者、罰を受けた者のダイナミックな集団を示しました。キリストは右腕を上げて中心にいますが、彼を取り囲む人物の不規則で混沌とした渦に巻き込まれているのか、それとも彼らの運命に従って自信を持って彼らを教え諭しているのかは明らかではありません。区別の欠如は元々は、衣服の統一性によって、またはその欠如によって高められました。ミケランジェロは、世俗の地位と富の徴候を取り除くように大部分の人物を裸で描きました。

完成したとき、このフレスコ画は傑作として称賛されましたが、その後の数十年の間に、それは鋭い批判を浴びるようになりました。マルティン・ルターと彼の追随者によるプロテスタント宗教改革がヨーロッパ全域で宗教的教義と実践に革命をもたらし続けたため、カトリック教会はトリエント公会議(1545–1563年)を招集しました。反宗教改革は、断固として新しいプロテスタント信仰を非難していましたが、この動きはまた、礼拝の道具としての適切な使用から逸脱していた芸術を含む教会内で成長していた多くの不品行と寛容を取り除きました。トリエント公会議はその決議の中で、芸術は適切に使用されれば、信仰に忠実な人たちが「聖人を模倣して自分の生活と態度を整え、神を敬い愛するよう感情を高ぶらせ、敬虔さを涵養する」よう導く、と述べています。ミケランジェロの「最後の審判」は、宗教芸術においてその時に要求されていたメッセージと礼節についての明確さに欠けていたため、会議の決議と相反することとなりました。その決議とは、「風紀を乱すものであってはならない。あるいはみっともなく混乱して配置されたものであってはならない。不敬、不作法ではなく、神聖さが神の家となることを理解する。」というものです。

会議の決議から2年後、またミケランジェロが死去した1年後の1565年に、ダニエレ・ダ・ヴォルテッラ(Daniele da Volterra、1509–1566年、イタリア)は、裸の人物に衣服を着せ、いくつかのあまりにもみだらであるとみなされたものについてはその場所を変更するよう依頼を受けました。彼の修正の一部と18世紀に行われた修正は、このフレスコ画が1980年から1994年の間に清掃され、修復されたときに削除されました。

11.5 芸術の収集と展示における倫理の考察

11.5.1 収集/保持

芸術は、それが作られた社会の文化遺産とアイデンティティーの一部です。それは、権威を持つ人物がどのように描かれているのか、あるいは芸術の適切な主題と考えられるものは何かなどの特徴を、他の芸術家の作品と共有しています。芸術はそれが生み出された社会の歴史や人々の価値観と密接に結びついているため、個人も政府も所有する文化財を保存し、保護することに気を配ります。同様の理由から、侵略者は、征服した人々の自信を無くさせ従属させるために、彼らによって最も大切にされている芸術と建築の作品をしばしば略奪や没収し、または破壊することがあります。

ドイツのナチス党の議員たちは、1933年から1945年に第二次世界大戦が終わるまで、美術館と個人の両方を含む正統な所有者から芸術を取り上げました。1933年にアドルフ・ヒトラー(Adolf Hitler)がドイツ首相の役割に就いたとき、彼がドイツの美術館のコレクションの中で彼が承認しなかった芸術を売却したり破壊したりするキャンペーンを始めました。その芸術の多くは、ドイツ表現主義、ダダイズム、キュビズム、シュルレアリスムなどの20世紀の芸術運動の一部であった芸術家によって制作されたものでした。ヒトラーは、実験的で革新的なアヴァンギャルド芸術と、それらのグループの一部であった芸術家たちに反対しました。1937年までに彼の職員たちは約16000点の作品を集めました。そのうちの650作品は、その年にミュンヘンで開催された退廃芸術展(Die Ausstellung Entartete Kunst)に組み込まれ、200万人以上がそれを見ました。ヒトラーは、退廃芸術がドイツ文化の腐敗の原因ではないにせよそれに寄与しているとして非難し、また芸術家たちのことも人種的に不純で、精神的に不完全で、道徳的に堕落していると非難しました。何千もの作品が燃やして破壊され、さらに何千もの作品が世界中のコレクターや美術館に売られました。

売却された作品によって生み出された資金は、リンツの総統美術館に入れるための、伝統的により高く評価されている芸術家や主題の作品の購入のために割り当てられました。ヒトラーは、総統美術館がヨーロッパ芸術についての世界で最も偉大なコレクションとなることを目指していましたが、それが建設されることはありませんでした。総統美術館のための芸術は、しばしば大幅な割引をしてヒトラーの職員へと売却するか、さもなければ逮捕されるという圧力のもと、美術館、個人所有者、芸術品のディーラーから購入されました。そして、ナチスは、種々の機関や多くがユダヤ人であった個人所有者から没収することにより芸術を獲得しました。ナチスは、第二次世界大戦中に占領したすべての国で作品を購入し、略奪しました。ヒトラーが1945年に自殺した時までに、彼らは総統美術館に提供することを意図した8500点の作品を収集していました。

彼らは、ヒトラーと、ヘルマン・ゲーリング(Hermann Göring)を含む主導的な指揮官たちの個人コレクションのためにさらに数万の作品を略奪しました。ゲーリングは、戦争の終わりまでに約2000点の芸術作品を保有していました。芸術やその他の文化的な戦利品(書籍など)は、ドイツやオーストリアの各地にある空襲の避難所、ナチスに押収された地所、塩鉱山など数多くの場所に保管されていました。ここに示されている写真では、バイエルン州のエリンゲンの町にある宮殿礼拝堂(Schlosskirche)の中に、彫刻や布で包まれた絵画が入った数百の木箱が積まれています。(図11.2)立っている警備員は、米国の兵士です。

図11.2 | エリンゲンの宮殿礼拝堂に保管されたドイツの略奪品(German loot stored at Schlosskirche Ellingen), Author: Department of Defense, Source: Wikimedia Commons, License: Public Domain

1943年、連合軍は記念碑、美術および記録文献部(MFAA)と呼ばれる組織を設立しました。「モニュメンツ・メン」として知られるようになったその組織は、当初13カ国のおよそ350人の男性と女性が、その一員として歴史的および文化的に重要な記念碑に対する被害を防ぐために働いていました。戦争が終わると、彼らはナチスによって保有されていた芸術の場所の特定と文書化を開始し、その後、奪われた国へと芸術を戻す努力を率いました。彼らが1951年に仕事を完了するまでに、モニュメンツ・メンは、500万点の芸術作品と他の文化的に重要な品物や、銀、陶磁器、宝飾品などの価値のある家庭用品を発見し返還しました。1997年の時点で、およそ10万点の物品の行方がまだわかっていません。

11.5.2 展示

すべてのタイプの美術館は多くの役割を果たしています。彼らが保有するコレクションによって、美術館は公衆の信託の守護者としてふるまいます。物品や工芸品は、科学的、教育的、文化的、社会的、歴史的、政治的の1つ以上の領域において、さほど興味のない鑑賞者から熱心な学者に至るまであらゆる人にとって価値があります。物品は、私たちの記憶を保存し、将来に伝えるのに役立ちます。それらはまた、私たちが他者の生活、思考、行動を理解するのを助けてくれます。美術館が開催する展覧会や彼らが展示する物品を通じて、美術館は議論を促進し、新しい考え方を奨励し、私たちの想像力を刺激します。美術館の物品は、私たちの感覚、感情、知性、創造性に訴えかけることによって私たちとコミュニケーションをとります。それこそが、私たちが美術館の環境で見て、経験することについて不思議に思ったり、考え込んだりし続ける理由なのです。

物品が美術館の展示の文脈の中に置かれると、それは私たちのつながりを作り理解を深めるという能力を刺激します。たとえば、歴史博物館がカヌーや川での交易に関する展示の一部としてある地域の地理や歴史についての情報を提示する場合、私たちはその物品を理解し、その場所と時間における人々の実践を解釈するための文脈を手にします。それは、芸術家のフレッド・ウィルソン(Fred Wilson、1954年生まれ、米国)が、1992年にメリーランド歴史協会(MHS)の展覧会を作成するように依頼されたときにとったアプローチでした。彼はその展示を「博物館を発掘する(Mining the Museum)」と題しました。(金属製品(Metalwork): http://africanah.org/wp-content/uploads/2014/06/FredWilsonMiningTheMuseum2.jpg)

MHSの使命は、メリーランドの歴史に関連する物品を収集し、保存し、研究することです。これは多くの場合、コレクション内の物品の展示によって達成されます。展覧会の主催者、あるいはゲストのキュレーターとして、ウィルソンは保管されている何千もの工芸品を探索することができましたが、その多くは展示されることが(たとえあったとしても)ほとんどありません。彼は、まれにしか見られることのない物に対して、言ってみれば光をあてて、時にユーモラスであったり、また別の時には動揺させられるものであったりするような予期しない方法で、物品のグループを提示しようとしました。たとえば、「金属製品 1793年-1880年(Metalwork 1793–1880)」と識別するラベルが付された物品で、ウィルソンは華麗に装飾された銀の食器の真ん中に鉄でできた奴隷の足枷を置きました。これらの事柄に伴う説明文はありませんでした。ウィルソンは、鑑賞者が見たものを熟考し、指示なしでつながりを作ることを望んでいました。

これらの工芸品を並べて表示することによって、ウィルソンは不穏な雰囲気を作り出し、2種類の金属製品の間のつながりを明らかにしました。一方の製品は、他方から強制された征服によって存在が可能になったものでした。観衆がこの関係を作ったとき、ウィルソンは、歴史的な展覧会の基底にしばしば存在する偏見に気づかせたり、さらには、これらの偏見が私たちが見ているものに付け加える意味を形作る方法を気づかせることにも成功しました。

そのため、彼の展示方法を通じて鑑賞者が物品の意味を問いかけるようにすることに加えて、彼はまた、歴史がどのように作られるのか、また私たちが含めるものあるいは省略するものによって歴史がどのように構築されるのか、私たちは何を評価するのか、それはなぜか、そして、わたしたちは美術館の環境の中の展覧会において物品やその価値に関する情報をどのようにして強調するのか、について鑑賞者が考えるよう望んでいました。

11.5.3 所有権、著作権、憲法修正第1条

芸術家のシェパード・フェアリー(Shepard Fairey、1970年生まれ、米国)は、2008年に、「希望(HOPE)」という言葉の上に赤、ベージュ、2つの色合いの青で描いたバラク・オバマ(Barack Obama)大統領の肖像画のポスターをデザインしました。(バラク・オバマ「希望」ポスター(Barack Obama “HOPE” poster), シェパード・フェアリー(Shepard Fairey): https://en.wikipedia.org/wiki/Shepard_Fairey#/media/File:Barack_Obama_Hope_poster.jpg)「進歩(PROGRESS)」や「変化(CHANGE)」という言葉が代わりに印刷されることもありますが、このポスターとその画像は即座にオバマの大統領選挙運動に関連付けられ、すぐに正式にそのシンボルとして採択されました。選挙の後、スミソニアン協会は、その肖像画のミックスメディア版をナショナル・ポートレート・ギャラリーのために取得しました。

しかしながら、このポスターは、フリーランスの写真家、マニー・ガルシア(Mannie Garcia)が2006年に撮った写真に基づいていることがまもなく分かりました。AP通信は、その写真に対する権利を所有しており、フェアリーはその使用についてAP通信からの許可を得ていないと述べました。AP通信は、その作者であるマニー・ガルシアと画像の所有権について契約しており、写真の著作権を所有していると主張しました。一方、ガルシアは、AP通信との契約によれば、彼はまだ著作権を所有していると述べました。米国憲法第1条第8節によると、芸術作品を印刷、出版、または他の方法で複製したり、他の人にそれを許可する独占的な法的権利は、それを作成した芸術家に帰属します。米国憲法第1条第8節「連邦議会は次の権限を有する。著作者及び発明者に、一定期間それぞれの著作及び発明に対し独占的権利を保障することによって、学術及び技芸の進歩を促進すること。」その権利、すなわち著作権は、芸術家の生涯プラス70年の間有効であり、芸術家が作品、その使用、および複製を制御する権限を芸術家に付与します。

フェアリーは、弁護士のアンソニー・ファルゾーン(Anthony Falzone)を通じて、「私たちは、フェアユース(公正な使用)が、シェパードがここで行ったことを行う権利を保護していると確信しています」との声明により反論しています。フェアユース(公正な使用)により、特定の条件(注釈と批判、またはパロディ)の下で、著作権保持者への支払いによる許可なしに、著作物の簡易な抜粋を使用することができます。著作物の引用や要約を自由に使えるようにすることの背後にある考え方は、書かれたことが公知に加わることになるということです。パロディーは、よく知られている作品を、滑稽な方法でですがはっきりと参照しています。その性質上、原作はそのパロディーの中で認識可能です。残念なことに、フェアリーの事件は裁判外で解決されたので、彼のポスターにおけるガルシアの写真の使用がフェアユースの例であったかどうかについての質問が答えられることはありませんでした。

11.6 先へ進む前に

重要な概念

伝統的に、芸術は判断され、検閲された歴史を持ち、将来的にも芸術家たちは多くの境界を曖昧にし続け、時には観衆の感受性を害することさえあるでしょう。違犯行為は、政治、社会的不正、セクシュアリティーまたはヌードや、他の多くの主題や関心事に対処することができます。一方、現代社会は、一般にいかなる形の検閲も支持することを望みません。しかし、時には芸術の微妙な性質のために、それが起こります。現代美術の中には、社会の一部の集団を不快にさせることを予期させるものがあります。時代の中で芸術家たちは、社会の中の多くの境界を押し進め、社会の道徳的信念についての質問を表面にさらけだしました。単に質問することだけで、おそらく芸術的表現の自由が広がったのかもしれません。したがって、デュシャンの「便器」やオフィリの「神聖なる聖母マリア」のような作品は、芸術自体の性質によって社会の道徳的な信念と価値観に挑戦しています。彼らはまた、審美的な好みの概念を探求することによって、社会の一部を驚かせます。実際には、倫理と美学の伝統的な概念に挑戦するこのような作品は、ある人々に対して、現代の芸術の慣習は芸術の対象物よりも考え方に基づいているのだと信じるよう導いています。

それにもかかわらず、芸術家は、他人の作品の盗用、彼らの作品の中でどの材料を使用し、それらをどのように使用するのか、作品のデジタル操作、そして彼らが芸術の中で捉える出来事の観察者としてどのような役割を果たすのか、といった分野の中で、倫理的な判断を行います。そして、これまで私たちが見てきたように、美術館や、芸術が展示されている他の場所は、芸術がどのように保存され、解釈され、展示されるかという点において、独特の役割を果たし、責任を有しています。

自分で答えてみよう

1.芸術と倫理の間に関係はありますか?あなたがなぜ同意するか、同意しないかを説明することによって、あなたの答えを擁護してください。あなたの立場を明確にするために、このテキストでは使用されていない作品を選択してください。選択した作品に説明文を添えてください。あなたの回答の最後に、その芸術作品を選択した理由と、このトピックに対するそれらの作品の意義を説明する解説を追加してください。

2.倫理的に論争の的になっている2つの芸術作品を歴史の異なる時期から選んでください。それぞれの作品が作成された時点でどのように受けとられたか、そしてその作品の今日における受容に対して、社会の価値観の変化がどのように影響しているかを説明してください。

3.特定の種類の芸術を検閲するべきでしょうか?あなたの答えを説明し、あなたの記述を明確にするのに役立つ少なくとも2つの例を選択してください。正当な理由を持つ反対の回答を提出し、その意見を説明し明確にするためにいくつかの作品を選んでください。

4.現代美術において盗用が受け入れ可能になっている方法の1つを記述してください。

5.何人かの現代芸術家が、「オリジナルな」芸術作品とは何かと、「複製」とは何かとについて質問をしたとき、それは何を意味していますか?

6.ダミアン・ハーストは、彼の芸術作品に蝶を使用することでどのような概念を探求していましたか?ハーストにとって蝶は何を象徴したのですか?

7.なぜ、ニュース写真が改変されないことが重要なのですか?

8.フォトジャーナリストのケビン・カーターが、1993年のスーダン飢饉の時に子供を撮影した際に直面した倫理的ジレンマは何ですか?

9.第二次世界大戦の前とその最中に、アドルフ・ヒトラーとその仲間たちが行った検閲の行為は何ですか?

10.美術館には、文化的に重要な物品の保護者として、どのような義務がありますか?

11.シェパード・フェアリーのバラク・オバマの肖像に関連して、「著作権」と「フェアユース(公正な使用)」の主張がどのように関与するのかを記述してください。

11.7 重要語句

盗用:既存の物体や画像を、ほとんどあるいはまったく変化させずに使用すること。

検閲:道徳的、政治的、宗教的理由から好ましくない、あるいは有害であるとみなされた芸術やその他の形式のコミュニケーションを抑圧すること。

クローニング:デジタル効果の繰り返しの複写。

倫理的判断:道徳的に正しいか道徳的に間違っているかの二者択一の決定。

倫理的価値観:社会における1つの適切な行動を決定する原則。

形式上の質:芸術作品を構成するデザインの要素と原則。

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