芸術への入門 — 第3章 芸術に使われる材料の意味 —

Japanese translation of “Introduction to Art: Design, Context, and Meaning”

Better Late Than Never
40 min readOct 26, 2018

ノース・ジョージア大学出版部のサイトで公開されている教科書“Introduction to Art: Design, Context, and Meaning”の翻訳です。こちらのページから各章へ移動できます。

第3章 芸術に使われる材料の意味

リタ・テキッペ(Rita Tekippe)、パメラ・J・サチャント(Pamela J. Sachant)

3.1 学習成果

この章を終えたとき、あなたは次のことができるようになっているでしょう:

•特に原材料に内在する質と制作された物体との対比という点に関して、芸術品の評価の違いを記述する。
•芸術作品の金銭的価値と文化的価値の違いについて議論する。
•過去の芸術作品の構成要素の再利用に伴う「借りてきた」重要性の考え方について議論する。
•複雑な芸術的プロセスや異なる時代で味付けを変えることによって対象に付加された価値の重要性を記述する。

3.2 はじめに

芸術作品のさまざまな側面の中で、反応を引き起こし、理解を助け、意味づけに貢献するものとして、その創作に使用される材料が挙げられます。これらの材料は、その作品を多かれ少なかれ重要で、価値のあるものにするかもしれませんし、本質的な形態の中には本来備わっていない様々な関連をもたらすかもしれません。たとえば、あなたはある花瓶のことを、単に花瓶としてではなく、ルイス・カムフォート・ティファニー(Louis Comfort Tiffany、1848–1933年、米国)によるファブリル・グラスの花瓶として認識することができます。(図3.1)芸術作品の作成に関わる制作者、材料、特殊なプロセスを知ることで、いくつかの重要な点で、あなたの認識と理解が増し、変化する可能性があります。たとえばあなたは、重要な芸術家、革新的な芸術的技巧、アメリカの装飾品と製造業とマーケティングにおける重要な期間、その収集可能性に基づく評価、およびその他の多くの作成と使用についての興味深い詳細を結びつけることができます。

図3.1 | 鉢(Bowl), Artist: ルイス・カムフォート・ティファニー(Louis Comfort Tiffany), Source: Met Museum, License: Public Domain

この点で最も明白な選択肢は、彫像や建築などの三次元形状であり、そこでは金、銀、宝石、大理石、または青銅などの高価で貴重な材料が創作に使用される可能性が高いです。素描や絵画にとっての材料の選択の区別にも、その意味に対して一定の効果があります。たとえば、画家が金箔、つまり22Kの金で非常に薄いシートに打ち延ばされたものを絵の表面に貼り付けた場合、この作品の金銭的、文化的価値が増します。(図3.2)金銭的価値とは、買い手が支払う金額のことであり、この場合、芸術家がこの芸術作品の価格に織り込む材料のコストが含まれます。文化的価値とは、作品の認知された品質または真価です。その文化の芸術的重要性または卓越性の基準に従って、価値があるとされるものです。もし芸術作品が高い金銭的または文化的価値を有する場合、次に所有者の評判および地位が上昇します。

図3.2 | 羊飼いへの告知、ハインリヒ2世の引用章句(聖句集)のイルミネーション、8ページ、紀元1002–1012年(Annunciation to the Shepherds, illumination from the Book of Pericopes (Lectionary) of Henry II, fol. 8v, 1002–1012 CE.), Source: Artstor.org, License: Public Domain

この点についてすべての可能性をひとつひとつ考慮するのではなく、ここでは私たちは芸術家(またはパトロン)が行わなければならない材料の選択を目的として、私たちが芸術作品を検討する際に何を考慮すべきかを知るのに役立ついくつかの示された例を見ていきます。それらの多くの技巧については、テキストの他の部分で詳細に説明していますので、ここでの私たちの主な焦点は内在する材料になりますが、それらが細工され、使用され、結合される方法はそれらのいくつかの場合において不可分に重要です。

3.3 材料の有用性と価値

最初期の素描、絵画、器、彫像は、芸術家の目に留まって画像や対象物を作るのに使えるものでさえあれば、どのようなものでも用いて作成されました。そのような容易に入手可能な材料には、泥、粘土、小枝、藁、鉱物、および植物が含まれ、彼らはそれをそのまま使ったり、粉砕し、鉱物を水と混合して洞窟の壁に塗るなど、わずかに変えて使ったりしました。(図3.3)実験は確かにこのプロセスの一部であったし、その多くは今では失われているのも同様に確かですが、私たちは芸術的プロセスや材料の選択について私たちに洞察を与えてくれる作品、材料、道具についてのいくつかの例を有しています。

図3.3 | アルタミラ洞窟の野牛の複製(Reproduction of a bison of the cave of Altamira), Author: User “Rameessos”, Source: Wikimedia Commons, License: Public Domain

たとえば、この土器、つまり焼いた粘土による器などの作品では、芸術家は特定の種類の土をある割合で水と混合すると柔軟な物質が得られることを発見するのに十分な探求をしていました。得られた粘土は手びねり、つまり一般的には線を巻き付けて滑らかにするような手作業によって、内容物を加熱するために石炭の火の中にうまく座るような円錐形の底部を有する器の形にされます。(図3.4)飾り付けるためだけでなく、完全に滑らかである場合よりも持ちやすくするために、表面にしるしを刻み込むように枝やひもが使用されることがあります。紀元前3500年頃の後期新石器時代の朝鮮のこのようなつぼは、「櫛形模様」を意味する「櫛目文陶器」と呼ばれています。さまざまな色、質感、密度、粘着性能などの粘土が見つかります。それらは、貯蔵、運搬、調理、またはあらゆる種類の物品の提供のための入れ物として手作業で巧みに扱われました。

図3.4 | 釜山で発見された朝鮮の新石器時代のつぼ(Korean neolithic pot, found in Busan), Author: User “Good friend100”, Source: Wikimedia Commons, License: Public Domain

陶工のろくろの発明は、芸術家が手で操作するかまたは蹴る動作で動かす回転する土台上で、粘土を「丸くする」ことを可能にしました。陶工のろくろが最初に現れた時代と場所については多くの議論がされていますが、紀元前3000年より前には、メソポタミア、エジプト、東南アジアで広く使われていました。陶工のろくろを使用することで、芸術家は器の壁を薄くし、より均一な形と大きさでより多種類のものを作り、そしてさらなる美的アピールのために絵柄と切れ込みの装飾要素をより多く並べることができました。彼らはまた、一般的に使用される種類のつぼを連続して生産するための型を作ることができました。

中国の明朝の時代(1368–1644年)になると、高貴な(コバルトの)青と白で絵付けされた宣徳帝期(1426–1435年)のこのような花瓶では、技術革新と達成された素晴らしい洗練度が示されています。(図3.5)カオリンやペツンツエなどの鉱物資源の開発により、陶芸家は最も洗練され最も硬い種類の陶器の1つ、磁器を作ることができました。磁器は、材料と工法の起源のために「チャイナ」として知られるようになりました。陶磁器は、食器や装飾品としてのその美しさや有用性のために世界中ですぐに真似されました。

図3.5 | 明朝の宣徳帝期(1426–1435年)の高貴な青と白の花瓶(A Ming dynasty Xuande mark and period (1426–1435) imperial blue and white vase), Author: User “Meliere”, Source: Wikimedia Commons, License: CC BY-SA 4.0

16世紀にポルトガルから来た貿易業者は、陶磁器(磁器の器)を携えて中国から戻りました。半透明の材料、優美な形、ガラスのような複雑な装飾を施したつぼの表面は、当時ヨーロッパで生産されていたどのようなものとも異なりました。このような陶磁器の需要は、ヨーロッパ全土に急速に広まり、その大陸の陶芸家は、このような滑らかで白くて硬い陶器の作り方の秘密を解き明かそうとして次の2世紀を過ごしました。その目的のために、ザクセン(今日のドイツ)選帝侯でありポーランド王(在位1694–1733年)であった、強健王アウグスト2世(Augustus II the Strong)によって雇われたエーレンフリート・ヴァルター・フォン・チルンハウス(Ehrenfried Walther von Tschirnhaus)とヨハン・フリードリッヒ・ベトガー(Johann Friedrich Böttger)は、1708年に初めてヨーロッパの磁器を生産したと言われています。それは、ヨーロッパの磁器の製造と販売の独占的な管理を維持し製法を守る目的のためにアウグスト2世によって設立された生産工場のある町の名前にちなんで、マイセンの磁器として知られるようになりました。(図3.6)

図3.6 | ティーポット(Teapot), Artist: 王立磁器製陶所(Königliche Porzellan Manufaktur), Author: Walters Art Museum, Source: Wikimedia Commons, License: CC BY-SA 3.0

しかしながら、アウグスト2世が保有していた独占は、短命でした。それは、秘密が売却されて、1717年までにオーストリアのウィーンで競合する工場が開設されたためです。そこからは、王族の特権を持った人たち、豊かで称号を持った人たち、そして最終的には地位を与えてくれる陶磁器を買う余裕があるすべての人たちからの需要が増えるとともに、様々な製法や磁器の生産がヨーロッパ中に広がりました。たとえば、アメリカン磁器製造会社(American Porcelain Manufacturing Company)が作ったこの19世紀の記念品の水差しは、特別な機会を祝って贈られたことでしょう。(図3.7)中国の皇室の磁器とヨーロッパの王室のものとは遠い親戚ではありますが、その作成に用いられた技術や材料は、伝統、富、高い社会的地位に依然として関連しており、この大量生産された器の文化的価値を記念品や一家の家宝のレベルにまで高めています。このような対象物は、用いられた物質的材料や技術から来る触覚的・審美的な性質のために、そしてそれらが保持する歴史的・社会的な関連のために、金銭的価値や実用的な目的を超えて評価されます。

図3.7 | 水差し(Pitcher), Artist: アメリカン磁器製造会社(American Porcelain Manufacturing Company), Source: Met Museum, License: OASC

同様に、素描や絵画は最初は自然の岩壁に限定されていましたが、後には芸術家の探査の領域となりました。彼らは、次第に建築物の建てられた壁に色を塗るようになり、そして様々なタイプの手ごろな物体にも塗るようになりました。陶磁器は、自然からのイメージ、絵や物語のモチーフ、そして神話、権力、日常生活のメッセージで装飾されました。エジプトの墓の壁(図3.8)、古代イラクの宮殿の壁(随行者と戦士を伴うアッシュールナツィルパル2世(Ashurnasirpal II with Attendants and Soldier): http://www.museumsyndicate.com/item.php?item=36470)、実用的または儀式的な目的のために使用されたギリシャの器(図3.9)にも同じことが言えます。

図3.8 | エジプトの墓の壁画(Egyptian tomb wall painting), Author: British Library, Source: Wikimedia Commons, License: CC0 1.0
図3.9 | テラ・コッタのクラテール(酒混器)(Terracotta krater), Source: Met Museum, License: OASC

最終的には、そのような器は、本やその他の物と同様に、書かれた情報と文章内容の絵による解釈、つまり図(イラストレーション)を備えるようになりました。初期の文章作品は、その耐久性を保証するためしばしば石板に刻み込まれたか、あるいは情報を伝えるのに適した形にするために手間のかかる準備を必要とするパピルスのような比較的脆弱な材料に書かれました。いずれの場合も、使用された材料は作品の意義に加えられました。古写本(コデックス)、つまり近代の物理的な本の最も一般的な形式である綴じられたページを持つ手書き写本の発展の時代(おそらくローマ時代)には、材料として動物の皮膚が選択されました。これは、古代末期から中世、およそ4世紀の初めから15世紀における、世界の西洋および中東地域での写本に見られます。(図3.10および図3.11)羊の皮または羊皮紙(パーチメント)は、筆記作品に最も一般的に使用されている支持体ですが、生皮の表面をこすり落として磨くことによって、写字生や画工が文字や絵を書き加えるのに適した形にするような、手間のかかる準備によって得られるものでした。最も洗練された本の芸術は、なめらかで繊細な表面のために称賛された上質皮紙(ヴェラム)、つまり子牛の皮によってしばしば表現されました。特に重要な作品や王室の目的のため作られるものに使用される場合、それはしばしば紫や濃い青色で染色され、金や銀のインクで文章が書かれたり、金や銀の領域を含む図が描かれたりしました。(図3.2参照)これらのきらびやかな画像は、イルミネーション、すなわち光が与えられているものとして知られていました。鑑賞者は、そのような貴重な材料の使用によって暗示された特別で独特な扱いをすぐに認識し、そのパトロンが優雅で重要な本に大金を払ったのを知っていたことでしょう。

図3.10 | エッサイの木の図を伴う精緻な装飾を施したLの文字、カプチンの聖書、7ページ、1180年頃(Historiated Letter L, with illustration of the Tree of Jesse, Capuchin’s Bible, f. 7v, c. 1180. BNF), Author: User “Soefrm”, Source: Wikimedia Commons, License: Public Domain
図3.11 | 驚異の本:中東の家と昇降装置、アラブの科学の写本、1ページ、14世紀(Kitab al-Bulhan: Middle Eastern House and Lifting Machine, Arab scientific manuscript leaf. 1. 14th century), Author: User “Peacay”, Source: Wikimedia Commons, License: Public Domain

3.4 貴重な材料、スポリア、そして借りてきた栄光

聖なることのためや王室の使用のために作られた物品は、しばしば上質皮紙、絹、亜麻、羊毛、象牙、金、銀、宝石、希少な石や鉱物のような贅沢で貴重な構成要素で作られていました。さらなる洗練のためにたびたび作られているこのような作品は、その貴重な特性を長所として示しています。古代ローマ/ビザンチウムでは、上等な紫色の大理石である斑岩の採石場がありました(これが紫色と君主との関連の基礎となっています)。それは王族の目的に制限されていたため、その外観は斑岩から作られた作品の帝国における重要性を暗示しました。それはしばしば柱やその他の建築要素に使用され、それによって重要な構造やその一部が強調されました。紀元5世紀に皇帝によって管理されてきた鉱山が放棄されると、斑岩から新しい品物を作ることができなくなったため、古い記念碑は時には略奪されて再使用され、王権の意義は盗人に移され、古い秩序が新しいものに置き換えられたことだけでなく征服者の優越も表すようになりました。

斑岩でできた埋葬容器は、古代と中世で特に称賛されました。コンスタンティナ(Constantina)は、大帝コンスタンティヌス(Emperor Constantine the Great、在位紀元306–337年)の長女でした。コンスタンティヌスは、紀元313年に初期キリスト教徒が迫害されずに信仰を実践することができ、没収された土地は教会に戻されるべきであると布告したローマの支配者です。コンスタンティヌスは自分自身をキリスト教徒と見なしていましたが、ローマの神や宗教儀式を放棄していませんでした。たとえば、紀元321年に、彼はキリスト教徒が多神教徒と同様に太陽の日(後に日曜日と名づけられた)を祝うべきであると述べました。太陽神の崇拝はローマの文化で何世紀にもわたって行われてきており、光、温かさ、生命の源泉としての太陽というつながりがキリスト教の信者によって採用されていました。コンスタンティヌスは、伝説によると、紀元337年に死の床で洗礼を受けキリスト教徒になりました。

彼の娘コンスタンティナが紀元354年に死亡したとき、彼女はローマの多神教とキリスト教の信仰の両方のモチーフが豪華に刻まれた斑岩の石棺、つまり石の棺に葬られました。(図3.12)そこには、小さく、翼のついたキューピッドがブドウの花飾りの装飾の中でブドウの実を集めているとともに、棺の前後の下部には孔雀と雄羊や、その間を歩くブドウの両端を持ったキューピッドがいます。ローマ神話では、このような場面は、タイタンたちによって虐殺された後、赤子として生まれ変わったブドウの収穫とワイン作りの神バッカス(ギリシャ人にはディオニューソスとして知られています)と関連付けられました。キリスト教のモチーフとして解釈される場合には、プットまたは小さな翼の天使として知られるようになったキューピッドたちは、聖体拝領(つまりパンとワインをイエス・キリスト(Jesus Christ)の体と血とする聖別による最後の晩餐をしのぶ典礼)のために葡萄を準備しているものとして見られます。このようにモチーフとその意味を再度図画化したり再度目的化したりすることは、多神教からキリスト教へと移行するこの時期には頻繁に見られました。さらに、キリスト教はコンスタンティヌスとその家族によって採用された後、皇帝の権力と結びついており、キリスト教による多神教の征服の含意を伝えていました。

図3.12 | コンスタンティナの石棺(Sarcophagus of Constantina), Author: User “Jean-Pol GRANDMONT”, Source: Wikimedia Commons, License: CC BY-SA 3.0

その後、紀元8世紀と9世紀に、カール大帝(Charlemagne、在位768–814年)は、彼自身の埋葬を意図した建物である皇帝の礼拝堂の上階のアーチの中に略奪した斑岩の柱を使用しました。(図3.13)パラティン礼拝堂(The Palatine Chapel、紀元796–798頃、紀元805年聖別)は、カール大帝によって現在のドイツのアーヘンに建てられた宮殿複合施設の一部です。礼拝堂の内部は、二階の高さにあるアーチを備えた重厚な支柱で支えられたドームによって覆われた八角形をしています。支柱の間には皇帝の玉座が置かれており、下の1階の教会の向こう側にある主祭壇(宗教的儀式が行われるテーブルまたは他の表面)をみることができます。(図3.14)この建物のデザインは、イタリアのラヴェンナにあるサン・ヴィターレ聖堂(紀元526–647年)などのような、ローマ時代後期、キリスト教初期、初期のビザンチン時代(4–7世紀)の霊廟、つまり墓所を含む建物と教会とをモデルにしています。(図3.15)フランク国王とランゴバルド国王であっただけでなく、紀元800年に最初の神聖ローマ皇帝として戴冠したカール大帝は、古いローマ帝国がキリスト教徒世界の支配者として統治する彼自身の帝国によって置き換えられ復活したことを表すために、そのデザインと略奪した柱を使用しました。

図3.13 | アーヘン、カール大帝の宮殿礼拝堂、800年頃(Aachen, Palace Chapel of Charlemagne. c. 800), Author: User “Velvet”, Source: Wikimedia Commons, License: CC BY-SA 3.0
図3.14 | アーヘンの宮殿礼拝堂の断面図(Cross-sections of the Palace Chapel of Aachen), Author: User “Sir Gawain”, Source: Wikimedia Commons, License: Public Domain
図3.15 | サン・ヴィターレ聖堂、ラヴェンナ(San Vitale, Ravenna), Author: User “Väsk”, Source: Wikimedia Commons, License: Public Domain

その他には、神聖ローマ皇帝ヘンリー(またはハインリヒ)2世(Holy Roman Emperor Henry (or Heinrich) II、在位973–1024年)も同様に、アーヘンにある宮殿複合施設を選び出し、皇帝の権力についての彼自身の声明をその構造や家具に追加することによって、カール大帝の栄光を借りて、置き換えました。ヘンリー2世は、礼拝堂のために豪華な説教壇を建設し、それは1014年に完成しました。(図3.16)この半円形の説教壇は、両脇に小さな半円がついた、三葉形として知られている形をしています。中心部は、4人の福音書記者の浅浮き彫りの画像を打ち出すことによって形成された、浮き出し加工の金銅で覆われた9つの長方形のパネルで構成されています。パネルは宝石で飾られ、エナメル、熱によって表面に融着した粉末ガラス、ビーズや金糸・銀糸が金属表面上にいろいろなデザインで配置されてできた金銀線細工によって装飾が施されています。小さな半円のそれぞれにある3つの象牙のパネルは、多神教の神話の図を描いています。パネルは紀元6世紀のエジプトで作られたものです。斑岩の柱、宝石、象牙のパネルなどのような再利用された部品は、スポリアとして知られています。スポリアは、より古い芸術や建築から採取され、征服、優越性、新しいパトロンの地位を表すために新しい芸術の対象物や場所に組み入れられる遺物のことです。

図3.16 | 神聖ローマ皇帝ヘンリー2世の説教壇(11世紀)、アーヘン大聖堂、ドイツ(Ambon (11th-century) of Henry II, Holy Roman Emperor. Aachen Cathedral, Germany.), Author: User “HOWI”, Source: Wikimedia Commons, License: CC BY-SA 3.0

もう1つの例として、後の神聖ローマ皇帝フリードリヒ1世(Holy Roman Emperor Frederick I、在位1155–1190年)と妻のベアトリスは、この礼拝堂の八角形のドームの下に垂れ下がるシャンデリアを発注しました。(図3.17)これはバルバロッサ・シャンデリアと呼ばれ、彼の赤いひげにちなんで名づけられた皇帝のニックネームを反映しています。これは、聖母マリアへの敬慕を表すとともに、カール大帝への賛辞として1165年から1170年の間に設置されました。シャンデリアの48個のろうそくは、人工照明が高価な時代にこの上なく見事な光の広がりを放ち、地上の富と天の光との関連性を強調しました。

図3.17 | バルバロッサ・シャンデリア(The Barbarossa chandelier), Author: User “Lokilech”, Source: Wikimedia Commons, License: CC BY-SA 3.0

フレデリック2世(Frederick II、在位1220–1250年)は、祖父のフリードリヒ1世が行った仕事の続きとして、またバルバロッサが立てた計画に従って、カール大帝の遺骨を掘り起こし、新しい宝石と金箔で豪華に飾られたカール大帝の遺骸のための聖廟の制作を完了させ、彼を聖人の地位にまで引き上げることを目指しました。上等な材料の形をしたこれらの声明は、彼の血統に連なる人々によって共有される、彼らの帝国の前任者の卓越した栄光を意味しています。さらに、地上の支配者にとっての王権と名誉の関係は、キリスト教の神と聖人に関連する芸術作品に対して非常に強調された方法でしばしば結びつけられていました。この点で注目すべきは、カール大帝 — 皇帝の力の明らかな提示 — の聖廟であり、これらの聖人的な支配者たちが信者の仲裁者として行動すると考えられた天国のエルサレムという、キリスト教の一般的な概念を反映した上等な材料で作られていました。(図3.18と図3.19)しばしばこのような皇帝の作品は、「皇帝ロタール2世の十字架(Cross of the Emperor Lothair II)」に貼り付けられたローマ皇帝アウグストゥスの古代の浮彫細工のように、ローマ帝国の作品からの物体や重要な装飾の細部を実質的な特徴としていました。(図3.20および図3.21)この1000年頃の金箔が施された十字架は、102個の宝石と32個の真珠で覆われており、その台座の近くにロタール2世(在位835–869年)の肖像を帯びた水晶の印章があります。初期の皇帝の肖像を含むことは、これを作った支配者(オットー3世(Otto III、在位983–1002年)と考えられています)の富と権力をさらに強調しました。さらに、そのような敬虔な作品の宝石は、癒し、幸運、悪を避ける能力、そして霊的な照らしを生み出すような神秘的な透明性に関連したその質のために選ばれました。

図3.18 | カール大帝の聖廟、アーヘン大聖堂のパラティン礼拝堂の内部、ドイツ(Shrine of Charlemagne, Interior of palatine chapel in Aachen Cathedral, Germany.), Author: User “ACBahn”, Source: Wikimedia Commons, License: CC BY-SA 3.0
図3.19 | カール大帝の聖廟(Shrine of Charlemagne), Author: User “HOWI”, Source: Wikimedia Commons, License: CC BY-SA 3.0
図3.20 | ロタールの十字架(Cross of Lothair), Author: CEphoto, Uwe Aranas, Source: Wikimedia Commons, License: CC BY-SA 3.0
図3.21 | アウグストゥスの浮彫細工(Augustus cameo), Author: User “Absalypson2”, Source: Wikimedia Commons, License: CC BY-SA 3.0

3.5 財宝の清算

これらのような作品は、しばしば天の財宝としての富の蓄積を意味しており、また必要な時に現世の目的のために使用することができる物質的な富を蓄える手段を表してもいました。飢饉に苦しんでいる地域社会に食物を与えたり、新しい建築プロジェクトや献身的な表現の更新に備えたりするために、バラバラにされて売却されたことによって、現存しない多数の贅沢な聖廟や典礼の(礼拝に関する)装飾品の記録があります。壮麗な「カール大帝の祈祷用スクリーン(Screen of Charlemagne)」(図3.22)や巨大な「スタヴロの祭壇画(Stavelot Altarpiece)」(図3.23)のような作品は、絵画や元の物体から残っている小片からのみ私たちに知られています。そのような作品が消滅したことは、その上等な材料の要素が、その偉大な霊的意味に固有のものであったにもかかわらず、ある時点で他の用途に利用できる富の重要な源泉と見なされるようになったことを示しています。

図3.22 | カール大帝の祈祷用スクリーン(Screen of Charlemagne), Artist: ピエルサック(Piersac), Source: www.medart.pitt.edu, License: Public Domain
図3.23 | 聖レマクルス廟を囲う12世紀中期の銀の祭壇画(The mid-12th-century silver altar piece surrounding the shrine of Saint Remaclus), Author: User “Kleon3”, Source: Wikimedia Commons, License: Public Domain

3.6 木材、象嵌、漆

彫像、物体、建築に関する木の構成要素も、その金銭的、文化的価値を考慮に入れて製作されました。いくつかの種類の木材はより希少であり、他のものは特定のタイプの工程で作業しやすい性質を持っており、そして多くの時代では木材の選択には「流行」の波があります。たとえば、シナノキとライムの木は中世に、マホガニーは18世紀のイングランドとスコットランドに、オークは19世紀半ばから20世紀初期にかけての美術工芸品に、きめ細かに漆が塗られた木製品は元朝の中国に結びつけられています。

北部ヨーロッパのロマネスク時代(1000–1200年頃)とゴシック時代(1200–1500年頃)の間、木製の彫像は、その地域において絵画よりはるかに支配的な芸術形式でした。シナノキとライムの木は木材の木目の細かさにより好まれており、この特徴は彫刻家が複雑な細部を彫刻することを可能にしました。一般的に、彫像は多色塗り、つまり塗装をされて、その像の生き生きとした質を向上させます。マリア、すなわち思いやりがあり慈悲深い神の母親あるいは天国の女王は、信者を代表して、彼女の息子、幼子のキリストとの間を取り持つ力があると信じられていたため、「叡智の座(The Throne of Wisdom)」のような作品の中では生命のほとばしりが重要であることを示唆しています。(図3.24)

図3.24 | 叡智の座(Throne of Wisdom), Author: User “Okapi07”, Source: Wikimedia Commons, License: CC BY-SA 3.0

マホガニーは、17世紀までにカリブ海諸島、中米、南米においてヨーロッパの探検家や商人によって市場性の高い木材として発見されました。自然な赤褐色の木材はその美しさと強さで称賛され、1700年代を通じてイングランドとスコットランドにおいて、その地とアメリカ植民地の市場へ向けた高級家具を作るために頻繁に使用されました。このようなテーブルは所有者の富と趣味を示すステータスシンボルであり、それはその使用によってさらに強化されました。これは実用的なものではなく、陶磁器の陳列台です。(図3.25)

図3.25 | 陶磁器のテーブル(China table), Source: Met Museum, License: OASC

美術工芸運動は、19世紀半ばにイングランドで始まりましたが、すぐにヨーロッパと米国に広がりました。工業化が進む時代に、都市部に移住し、工場で働き、機械で作られた商品を消費する人が増えている中で、手作りの品を取り戻す必要があると感じる人たちがいました。より単純な時間、より高い信頼性、個々の労働のロマンチックな関係を持つような美術工芸運動の一環として作られた家具や装飾品は、その技量、自然からの形態に基づくデザイン、そして利用される自然な材料に対する敬意でもって称賛を受けました。たとえば、この飾り戸棚は、当時の主導的な家具製造者の1人であるダニエル・パブスト(Daniel Pabst、1826–1910年、ドイツ、米国に居住)が作ったものと考えられています。これは、精巧に彫刻された表面と象嵌(ある材料が切断されて別の材料の中にはめ込まれて複雑なパターンを作るもの)を特徴としています。(図3.26および図3.27)木材の種類 — クルミ材、カエデ材、および白松 — は、魅惑的でも珍しいものでもありませんが、慎重に切り出し張り合わせるその熟練の技はその貴重さを伝えます。象嵌技術は、視覚的なコントラストを提供し、ひとつに集められた材料とそこに用いられる洗練された職人技のそれぞれにおける、独特で多様な品質を強調するためにしばしば使用されました。そのような技能で作られた家具は、その特異性とその創造に用いられる技術の複雑さのために称賛されました。

図3.26 | 飾り戸棚(Cabinet), Artist: ダニエル・パブスト(Daniel Pabst), Source: Met Museum, License: OASC
図3.27 | 飾り戸棚の細部(Detail of Cabinet), Artist: ダニエル・パブスト(Daniel Pabst), Source: Met Museum, License: OASC

漆は新石器時代からアジア全域で芸術に使用されてきましたが、漆の彫刻は中国でのみ作られています。は、大陸アジアの樹木からとれる樹脂で、空気にさらされたときに天然のプラスチックへと硬化します。漆は耐水性と耐久性があります。漆塗りされる物体の基体は木材であり、これに液体の樹脂が最大で200層まで塗布されます。この盆は14世紀の元王朝の時に作られました。この頃には、漆はよく辰砂、つまり粉末状の硫化水銀を加えることによって赤く着色されました。(図3.28)漆は一旦硬化すると、ここで見られるような宮廷生活の詳細なシーンや、花のモチーフ、自然の景色、龍や抽象的なパターンなどを作成するために、彫刻されました。樹脂そのものは金銭的価値はほとんどありませんが、このような繊細な彫刻に必要とされる労力を要するプロセスと高度な技能は、完成した対象物に大きな文化的価値があったこと、そして今もなおあることを意味しました。

図3.28 | 庭園にいる女性と少年の盤(Tray with women and boys on a garden terrace), Source: Met Museum, License: OASC

3.7 金属の内在的価値と高められた値打ち

芸術家やパトロンから称賛される材料の一部は、その芸術的用途のために、価値がより高くなります。また他のものは、原材料としての本質的な値打ちのために貴重なものです。最も初期の時代から、金、銀、鉄、銅などの金属は、大地から取り出されたその自然な状態のまま使用され、取引されました。それらは他の材料と混合されて合金を作り、貨幣を鋳造し、彫刻物を造るために使われました。芸術のために最初に使用された最も顕著な金属材料は、鉄と青銅でした。それらを鍛造し鋳造することは、最も初期に考案された複雑な芸術的プロセスの1つでした。真鍮(スズ、鉛、および/または他の金属と合金化された銅)や、硬質でより耐久性のある青銅は、細やかに仕上げることができ、風化に強く、使用される金属の量を減らすための中空鋳造ができるために、壮大な公共の記念碑に使われています。(図3.29と図3.30)。鍛造と鋳造は複雑かつ高度な熟練を要するプロセスであるため、この材料で作成された対象物は芸術家やパトロンにとって、作品を完成させるためにかなりの計画と段階分けを必要とする、重要な態度の表明である、ということを鑑賞者は知っておくべきです。

図3.29 | 青銅の仏陀像(Bronze statue of Buddha), Author: User “Dirk Beyer”, Source: Wikimedia Commons, License: CC BY-SA 3.0
図3.30 | ミニット・マン(The Minute Man), Artist: ダニエル・チェスター・フレンチ(Daniel Chester French), Author: User “Flying Jazz”, Source: Wikimedia Commons, License: Public Domain

3.8 希少な材料および禁じられた使用

いくつかの材料に関わる経済的および生態学的要因は、芸術的生産の議論をはるかに超えて、その使用についての検討を促しています。例として動物の牙は、特にゾウから得られた象牙が挙げられますが、それらの類縁種、絶滅したマンモス、そしてセイウチや他の哺乳類からも得られるものであり、彫像に使用されています。その希少性と加工の容易さは、しばしば貴族のパトロンや非常に特別な目的のために精巧に彫刻された作品の評価へとつながりました。たとえば、礼拝に用いられるもの(聖母と子(The Virgin and Child)、制作者不明: http://collections.vam.ac.uk/item/O166591/the-virgin-and-child-polyptych-unknown/)と個人用の化粧品(愛の城への攻撃(Attack on the Castle of Love)、制作者不明: http://collections.vam.ac.uk/item/O88416/attack-on-the-castle-of-mirror-back-unknown/)などがあり、これらは中世末期の宮廷の女性たちの間で人気がありました。その搾取は希少性をもたらし、最終的には現在のように象の存在そのものを脅かすようになりました。なぜなら、それらは貪欲に狩られており、そしてその群れは利益のために抹殺されたからです。その結果現在では、牙製品の販売と購入は、骨董品や歴史的な宝物であるとみなされたものであっても、種の保全のために広く拒絶されています。

3.9 階級または地位について材料が持つ意味

他のもっと世俗的な材料や何らかの目的のために用いられた構成要素は、芸術作品の意味を強める強力な政治的意味を持つかもしれません。韓国の芸術家ス・ドホ(Do Ho Su)は軍事用ドッグタグを選んで組み立て、核の部分が中空になっているような帝国主義的なローブの巨大で寓意的な印象を作り出しました。それは彼が経験した非人間化するような義務兵役のようなものの上に構築されている彼の祖国の政治的な力や、個人と彼らが形成する集団との間の関係という意味を帯びています。(サム/ワン(Some/One)、ス・ドホ(Do Ho Suh): https://2yhr3j6imaw4e4zzg38k38ar-wpengine.netdna-ssl.com/wp-content/uploads/2016/10/suh-inst-002.jpg; サム/ワンの細部(Some/One detail), ス・ドホ(Do Ho Suh): https://2yhr3j6imaw4e4zzg38k38ar-wpengine.netdna-ssl.com/wp-content/uploads/2016/10/suh-inst-001.540.jpg)

3.10 先へ進む前に

重要な概念

あらゆる創造にとって基本的な芸術的選択の1つはそれを作る材料であるため、そこは私たちの芸術作品の分析において慎重に注意する領域であるべきです。意図的な選択には、ス・ドホによって作成されたローブのように質素なものを選んだり、ボール紙や黄麻布のようなあまり整っていない表面を絵画のために選んだりするなど高価な資源をきっぱりと拒絶すること、伝統的に使用されていたものではなく、彫刻用のプラスチックや建築用のチタンなどつい最近になって利用可能になったもの、物理的に非物質領域に入り込んできた技術的に進化したメディア、などが含まれます。選択や含意は急激に拡大しており、それらの検討は幅広く深く慎重でなければなりません。

自分で答えてみよう

1.具体的な事例を考慮して、本質的に貴重な材料と、芸術作品におけるプロセスや創造的な考え方によってより価値のあるものにされた材料との違いについて論じてください。

2.少なくとも3つの具体例でスポリアの使用を検討し、スポリアが取り付けられることによってそれらが芸術作品の意義をどのように変更したかを論じてください。

3.さまざまな材料を成果物に組み込む手順を備えるような芸術作品を作成するための具体的なプロセスを考察し、説明してください。

4.粘土や木などの一般的な材料について、それに固有の価値よりもはるかに価値の高いものを作るために芸術家がそれを使用する方法と、創作プロセス以外のどの要素によって人々が価値を見出すのかについて論じてください。

3.11 重要語句

古写本:羊皮紙、上質皮紙、または紙のような材料でできた頁(または葉)を束に集め、一緒に綴じ(最初は縫い付けで、現在は通常は接着で)、そして紙を保護するためのカバーを取り付けた本の形態。その原型は巻物であり、これは紙を張り付けて一続きの長い巻紙をつくり、片方の側から開き、もう片方の側で巻き取って内容を表示しました。

文化的価値:作品の認知された質または真価:ある文化における芸術的重要性または卓越性の基準に従って価値があるもの。

土器、または粘土から作られた物体:特定の用途のために形成され、空気中で乾燥させるか、または高熱で焼くことによって硬化された器など。しばしば土器製品は、材料の追加処理または異なる/より複雑な焼成方法で作成された、より洗練された粘土ベースの物体とは区別されています。磁器を参照してください。

金箔:非常に薄いシートに打ち延ばされた22Kの金であり、二次元または三次元の物体の領域に選択的に貼り付けられます。

手びねり:手作業によって作られた粘土の物体。しばしば粘土の線を巻き付けて滑らかにして所望の形にすることによって作られます。これらはろくろで丸くした製品、または鋳型から作った製品とは区別されます。

イルミネーション:文字通りの意味では、与えられた光であり、具体的には、金や銀を使って手書き写本に輝きの感触を残すこと。この用語はまた、手書き写本が文字だけを含むのではなく、画像が加えられたことを記述するために使用されることもあります。

手書き写本:文字通りの意味では、手書きの写本や画像の提示物。この形態は、印刷機で製作された書籍に取って代わられましたが、この用語は文章作品のただ1つだけの複製物に対してはまだ使用されています。

霊廟:通常は重要な人のために、1つまたは複数の墓を収容するように設計された建物。墓はほとんどの場合中心に設けられ、デザインは埋葬場所の周りを取り囲むようになっています。キリスト教における使用法では、霊廟は時にはより大きな会衆のための構造物に結びつけられましたが、単独で設けられる場合もありました。霊廟は複数の墓を収容することもあります。

金銭的価値:「市場価値」の観点からの材料または対象物の価値。これは、使用された材料の価値または完成した芸術品の価値によって決定され、材料のコストとは異なると考えられています。

羊皮紙:手書き写本で使用するために準備された羊の皮で、上質皮紙よりもきめが粗いもの。上質皮紙はより精巧で高価な作品に使用されます。

多色塗り:複数の色で塗られたもの。

磁器:ペツンツエやカオリンのような選び出された材料を使用して、最初に中国で生産された高度に洗練された陶磁器。半透明の材料を作りだし、優雅な形状とガラスのような複雑な装飾を施した表面とを持ち、硬く仕上げるために高温で焼結されます。

陶工のろくろ、ろくろで丸くする:陶工のろくろを使用して作られた陶器。陶工のろくろは、より均一な形を作るために回転する台の上で粘土の本体を回すための装置。これらは最初に手、膝、またはペダルの動きによって回されていましたが、後に電化されました。

プット:小さな翼を持つ赤ちゃんの天使、ケルビム。

スポリア:「戦争の戦利品」のような、元の文脈から取り上げられた懸賞品。スポリアは後の作品で再使用され、新しい所有者による元の所有者の征服(および優越性)を暗示しています。

上質皮紙:豪華な手書き写本で使用するために用意された子牛の皮で、より粗くて安価な羊皮紙よりも高く評価されています。

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