視点:文化人類学への開かれた招待 第2版 —付録7:キャロリン・ノードストロームへのインタビュー—

Japanese translation of “Perspectives: An Open Invitation to Cultural Anthropology, 2nd Edition”

Better Late Than Never
22 min readJun 29, 2020

コミュニティーカレッジ人類学協会(SACC)のサイトで公開されている教科書“Perspectives: An Open Invitation to Cultural Anthropology, 2nd Edition”の翻訳です。こちらのページから各章へ移動できます。

付録7:キャロリン・ノードストロームへのインタビュー

ロバート・ボロフスキー、ハワイ・パシフィック大学および公共人類学センター
borofsky[at]hpu.edu

ロバート・ボロフスキー:どこから始めたいですか?

キャロリン・ノードストローム:今朝考えていたことから始めましょう。犬を散歩させているとき、私は、人類学をこんなにも素敵なものとするのは何かとじっくりと考えていました。私は、自分が知っているすべての定義、私が読んできた入門教科書、人類学者が会話するさまざまなことについて考えました。

突然、私は思いました:ちょっと待てよ。私が自分の心の中にあるものについて考えるとき、人類学が私だけでなく他の人にも提供するものとは何なのでしょうか?私は1700年代の啓蒙主義に戻る必要があることに気づきました。啓蒙主義は、世界は論理的であり、線形であると主張しました。それは人々を客観的、合理的なものとして描写しました。この視点に基づいて、さまざまな科学が世界の中にある人と物をカテゴリーに分けて、分類し、箱の中に納めました。私たちの理論的システムは、存在の合理的な性質と人々の合理性に基づいています。この視点から、工学、電気とエネルギー源の活用、医療のブレークスルーなど、多くの重要な革新が生み出されてきました。

しかし、知っているでしょう?世界の多くはカオス理論によって定義されています。人間は完全に合理的な存在などではありません。私たちは信じられないほど高貴な価値観を創造します。私たちは涙を誘うようなものを作り出します。私はこの世界でとても感動的なものを見ています。しかし、この創造性は論理的なもの、合理的なものからはかけ離れています。

私たちはこの合理性と非合理性のすべてが素晴らしいシチューのように混ざり合う温床です。私たちは論理的であるとともに神秘的で魔術的であり、現実的であるとともにばかげています。私たちはこれらすべてのものであり、それはしばしば同時に起こります。私たちは単に矛盾の中に生きているだけではありません。私たちはそれらを受け入れます。私たちは時々それらを否定します。私たちは頻繁にそれらについて議論します。それでも、私たちはそれらを私たちの生活の中に組み込んでいます。

人類学は、これらの動態を私たちにとって開かれたものとしてくれます。人類学によって私たちはこれらの現実に触れることができます。私はしばしばクラスで「あなたの人生で読んできた教科書で、あなたが愛し、思い出せるようなものは何冊ありますか?」と尋ねます。これまでに答えた人の中で最も多いのは5冊で、平均的には1冊か2冊です。これを聞くのが辛い学者もいることを私は知っています。教科書は私たちに重要な「事柄」を教えてくれます。しかし、それらが私たちの生きる生活の現実に触れることはあまりありません。人類学は、人類の鼓動に触れる道具を提供してくれます。私は、それが人類学から世界への贈り物だと思います。

西洋の教育は、論理的で合理的な現実というこのモデルに強く依存しています。私たちはそれを、体系的で秩序立った方法で何度も繰り返し適用しています。「合理性のモデルを非合理的な方法で適用するにはどうすればよいか?」と問うてみるのがよいでしょう。世界は、デジタルおよび仮想現実、グローバル化、カオスおよび量子理論、そして差し迫った問題に対する多次元的な解決策を受け入れています。今日の人々は、私たちが私たち自身、私たちのジェンダー、私たちのネイションとなるために欠かせないような多くの境界を打ち破っています。人類学は、この変化する流動的な世界を理解するのを手助けするのに良い位置につけています。

ロバート:あなたが人類学者になった理由を学生たちに伝えてもらえますか?

キャロリン:なぜあなたは人類学者にならないのです?あなたはどこへでも行くことができ、あらゆる問題を研究することができます。あなたは、政治と政治科学のレンズや、経済学の浮き沈みを通じてそれに従うことだけに縛られません。あなたの探検は、エリートたちのオフィスから地球上で最も遠隔の地にまで及びます。あなたはどんな質問もすることができます。あなたは境界線とその断絶を同時に調べることができます。あなたは変化の中の伝統を学ぶことができます。あなたは人々がどのようにして同時に愛し、殺すかを学ぶことができます。あなたは世界中のどこでも調査や研究ができます。他の学問分野は、私にそのようにはさせてくれません。

ロバート:あなたが人類学について特に興奮していることは何ですか?

キャロリン:明らかに、大きな質問とは、「人間であることとは何を意味するのか?」です。それは魅力的です。私は、すべてのものがその「場所」を持っているような世界で育ちました。人々はそれぞれの場所から来て、物は「適切な」場所に置かれました。あるものはある場所にあり、別の場所にはありませんでした。私たちは今、この枠組みを超えて移動することができる時代に突入しています。

この新しい時代はまだ未知であり、地図に載っていないために、気分を引き立ててくれます。私たちはそこを進むにつれ、地図を作成していきます。私たちは場所が重要であることはわかっています。しかし、物事も配置されていません。それらの両方の考え方を同時に頭の中で抱えることに対して、あなたはどのように知的に対処しますか?移民の流れ、文化の流れ、ヴァーチャルの流れに関するこの認識が、場所についての私たちの考え方や場所による私たちへの影響の仕方を再構築しています。私たちは非常に素早く動いているものを研究しています。

たとえば、衣服はシンボルです。それらには、ステレオタイプ、道徳、喜び、その他のさまざまな感情に満ちた価値観が含まれます。私が人々を見るとき、もし彼らが私のような服を着ているなら、私はしばしばある種の親近感を感じます。私はある種の判断を下しています。私は、自分が今何を着ていて、今どの特定の場所にいるのかを伝えることができます。しかし、この情報は今日の流れの中でどのように混合されるのでしょうか?ここに座って私が着ているものを見ると、私の服は数多くの国からの仕事の産物です。衣服、実際には商品一般は、場所から場所へと流れるため、「複数の場所」にありますが、同時に、非常に特定の場所に存在します。

私たちはグローバルな金融の流れをどのように理解しているでしょうか?私たちは人々の変わりゆく生活をどのように理解しているでしょうか?たとえば、シリア人の多くが生き抜いている恐怖を考えると、私たちはシリア人の経験をどのように理解しているでしょうか?彼らにとっての家とは何ですか?家族とは何ですか?安全とは何ですか?彼らがしばしば重大な危険に直面しながらシリアからトルコへ、そしてヨーロッパ全体へと旅するとき、彼らは人間性と安全性をどのように理解しているでしょうか?

私が魅了されているもう1つのトピックは「不可視性」です。この世界は、私たちが見ることができるものや、私たちが「見ないようにする」訓練を受けているもの(社会が公衆の意識から隠そうとしているもの)でいっぱいです。人類学は、これらの言うなれば「目に見えなくされた」現実を調査し、解明するための力強いアプローチを提供します。そのため、私たちは過去には克服できないと思われていた問題に対する解決策をよりよく構築することができます。戦争の最前線で、そしてエリートたちの隠れた指令室で、実際に何が起こっているのでしょうか?そして戦争はその代わりにどのような影響を残すのでしょうか?ウォール街が崩壊したのはなぜでしょうか?彼らが私たちに話していない物語とは何でしょうか?路上で生活する子供であることは、実際にはどのようなものなのでしょうか?(豊かな都市部では?貧しい掘っ立て小屋では?自然災害の際には?)統治機関が子供たちに尋ねることはめったになく、彼らの物語、彼らの認識を公共の領域からは見えないようにします。完全に客観的な事実においては、児童の問題に取り組む市議会、全国委員会、開発プログラム、および国連総会に子供の代表を含めることは理にかなっています。しかし、その考え方は、大人だけが十分な情報を与えられて道徳的に責任ある決定を下すことができると大人によって定義される文化では、馬鹿げているように見えます。

創造性を理解することも私にとっては同等に重要です。社会、進歩、信念はどのように作られるのでしょうか?私たちは、社会の変化、価値観、文化的な考え方、イノベーション、私たち自身の新しい感覚を、どのようにして生み出すのでしょうか?私たちは新しい世界をどのようにして創造するのでしょうか?私たちは、私たちの質問に対する回答をどのようにして作り出すのでしょうか?

ロバート:あなたは戦争地帯でフィールドワークをしました。それはどのようなものでしたか?

キャロリン:私は戦争や暴力を研究するつもりはありませんでした。私は医療人類学者で、かつてはしばしばアジアの熱帯の楽園の1つと見なされていたスリランカで大学院の研究を行っていました。スリランカは、比較的低いGDPに対して非常に高い健康水準を持っていた世界の2つの国のうちの1つでした。そしてスリランカは、都市の教育を受けた生活に関連するさまざまな病気と発展途上地域の熱帯の疾病との両方に直面している国です。世界中では、低い経済ランキング/低い健康指標の間には強力なつながりが存在するため、それは異例でした。スリランカは非常に成功した医療制度を作り出していたので、私はその方法を知りたいと興味を持ちました。

この研究の最中に、私は学生として、そして医療人類学者としてさえ、「病気」の定義を見たことがないことに気付きました。私はさまざまな種類の病気の定義を何千も見てきましたが、病気そのもののまさに中心となる現象を定義するものは見たことがありませんでした。それで、私は人々が病気と見なすものを調べ始めました。

これにより、私はスリランカで3か月間、都市部から農村部、医師から患者、若者から老人までさまざまな人々に「病気とは何ですか?」と尋ねてまわることになりました。私はいくつかの非常に興味深い答えが得られました。それらは私が予期していたものではありませんでした。しかし、それらは理にかなっていました。それは私の視点を変え、なぜ医療のいくつかの側面が単純に望ましい結果を達成できないのかといった大きな問題に光を当てるのに役立ちました。もし私たちがこのような質問をするならば、私たちはより良い保健医療を人々に提供できるということに私は気づきました。私たちはしばしば、人々が病気とはみなさないものを治療し、彼らが病気だとみているもの治療していないようです。あるいは、患者が重要だと思う治療の側面を無視する一方で、患者が疎外感を感じるようなものに焦点を当てているようです。

このフィールドワークの途中で、スリランカ全土で激しい暴動が勃発しました。わずか7日で、この国全体の6分の1が破壊されました。数千人が死亡しました。私はこの一週間の大量殺戮のど真ん中にいました。逃げることはできませんでした。私は、街区の全体が炎に包まれている場所、すべての建物と車が燃えている場所に巻き込まれていました。人々は路上で虐殺され、家、車、仕事場から引きずり出され、殴打されたり、火がつけられたりして殺されました。私は自分の見たものを理解しようと試みる必要があることに気づきました:それは自分自身の平安と精神のためであり、政治的および市民的暴力の説明における多くの誤解を正すのに役立てるためです。

人生を通じて私は、学校において、公共のメディアによって、本を通して、戦争の高揚感と栄光について教えられていました。社会は、広く信じられている戦争についての神話を作り出します。しかし、私が見たものに魅力的なものはなく、輝かしいものも皆無でした。死体がバラバラに切り刻まれているのを見ることは、素敵なことでも素晴らしいことでもありません。人々を焼き殺すことに栄光はありません。もし私たちがその現実を示すならば、それは被害者、目撃者、加害者などすべての人に非常に恐ろしい影響を与え、人々は戦争をはるかに少なくするでしょう。

なぜ人々はこのようにお互いを殺しあうのか?と、私は不思議に思いました。それはいかなる根本的な感覚をも欠いていました。なぜ誰かが他人の頭に釘を打ち込むなどということをするのでしょうか?なぜ誰かが子供、武装していない女性、無害な老人を危険だと見なし、殺すのでしょうか?これは例外ではなく、標準です:今日、世界中では政治的暴力の犠牲者の90%は非戦闘員の民間人です。私は暴力が何を伴うかを熟考し始めました。人々がこのように行動する動機は何でしょうか?

また、この暴力の最中に、私は利他主義の驚くべき行為を見たことも強調しておくことが重要です。人々はこれらの暴動の真っ只中において完全に見知らぬ人たちのために自分たちの命を危険にさらしました。私は人間性の全ての範囲、私たちの生活には通常見られない極端なものを目撃しました。そのような暴力についての文章、メディア、映画で描かれていることは表面をなぞったに過ぎないものであり、一般に、(私が1冊の本で書いたように)戦争で実際に起こっていることの180度反対であるような「事実」を提示している、ということが明白になりました。

私の人生におけるこの予期せぬ出来事は、その後の何十年にもわたって私の研究の方向を変えました:この暴力の真っ只中にとらわれ、生き延びる方法を模索したことで、私は、人間がどのようにしてこのような暴力を作り出し、それに反応するかの背後にあるダイナミクスをよりよく理解する必要があることに気付きました。

ロバート:私の人類学入門のクラスの学生は、あなたの本「グローバルな無法者(Global Outlaws)」を楽しんで読んでいます。どのようにしてあなたが議論するようなグローバルな違法のやり取りを研究するようになったのですか?

キャロリン:スリランカの後に15年以上もの間、いくつかの大陸で政治的暴力を研究した後、私はそのようなトラウマに対処することにかなり燃え尽きていました。長年にわたり、私は戦争地帯に行き渡る大規模な密輸システムに関する多くのデータを収集してきました。私はこれを掘り下げることで、最前線の暴力から一時的に身を引きながら、戦争と平和に取り組み続けることができることに気付きました。

戦争中の社会の人々は密輸業者を必要とします。なぜなら、統治機関、金融機関、経済機関が損なわれ、支援サービスが中断され、法制度が崩壊し、貿易ルート、産業、農業などが混乱しているからです。人々は、食糧や医薬品から武器や技術に至るまで、生き残るために必要なものを手に入れることができません。私が世界中のどこを旅していても、同じ国際的な「プレーヤー」をたくさん見続けました — 同じ武器商人、同じ生活必需品販売者、同じ密輸業者です。私はここで何が起こっているのか考えました。密輸は、そして一般に法の範囲外の物事は、どのように行われているのでしょうか?

このような質問は、より大きなレベルでの疑問につながります:密輸や政治を取り巻くこれらの法の範囲外の経済は、グローバル経済一般にどのような影響を与えるのでしょうか?それなしで戦争をすることは不可能です。そして私が後に学んだように、今日では法の範囲外の活動をせずにビジネスをすることはまったく不可能です。しかし、それについてはほとんど書かれていません。

この頃、人々は血のダイヤモンドについて話していました。私はこれが違法な経済の「現場」 — それが実際に起きている場所 — の研究を始めるのに良い場所かもしれないと考えました。私は、アンゴラの内戦の最悪の時期の1つの頃に、この国の中心地で仕事を始めました。密輸は、単にダイヤモンドと武器だけが関係しているものではないことがすぐに明らかになりました。そこには広範なもの、すなわち衣料品、食糧、石油、コンピューター、医療機器、建築用品、車両、銅線、塗料、医薬品、農業用具と種子、照明、工業用品、教科書、清潔な水など、輸送することのできるありとあらゆるものが含まれていました。

この法の範囲外の貿易は非常に国際的です:商品は世界中の国々から出入りします。そしてそれは不可欠なものです:私がこれまで行ったことのあるどの戦争地帯の合法的な市場も、その国の人口が生き残るために必要なものをまったく不十分にしか提供することができません。すべての密輸のうちわずかな割合だけが軍事的な供給物に充てられ、その大部分は国全体の生存と開発のための供給物をもたらすか、貴重な資源(金、ダイヤモンド、石油、木材、魚など)を運び出すものです。

密輸業者は、メディアにおける暴力の一般的なステレオタイプ:若い男性の成人(ひげを生やし、革のジャケットに身を包み、社会から権利を剥奪された)と一致することはめったにありません。奇妙なことに、ほとんどの密輸業者はかなり平和的な人々です。多くの人は、自分たちのことを普通のビジネス関係者だと思っています。一部の人は、戦争に巻き込まれた社会によって高潔だと見なされています:彼らは、必要不可欠な薬、食糧、通信機器、衣服、生き残りのための道具などを持ち込むような人々です。「交戦の武器のための血のダイヤモンド」という型にはまった言葉が恐ろしい暴力、苦しみ、そして戦争からの不当利得の象徴として真実であるのと同じくらい、密輸がしばしば最前線の人々に重要な必需品を与え、人々の命を救うことを伴っているのも事実です。

私は遠隔の戦争地帯の真ん中で世界中から来た商品を見つけたため、巨大なメルセデスの輸送トラックからポケットに入るダイヤモンドまでのすべてのものが1つの国を出入りする方法、あるいはより広い規模で言えば多くの混乱があるような1つの地域を出入りする方法、そして、最終的に大陸間を横断する方法を追いかけることにしました。人々が必要とする、または望んでいるものはどのようにして国境を越えるのでしょうか?大陸を越えるのでしょうか?海を渡るのでしょうか?高価なカメラ、ナイキの靴、象、ハイテク製品、何百万トンもの魚とトマト、飛行機、はさみ。必需品、原材料、高級品の万物全体が、法律の外側で移動しています。すべてのものがアンゴラを、すべての戦争地帯を、そして(これらの原材料と物品の多くが世界中の平時の国々を出入りしているために)事実上すべての国々を出入りしています。

当時の世界銀行、国連、政府の指標は、アンゴラの経済の10%だけが合法であると表していました。90%は、私が法の範囲外と呼ぶものでした:そこには非公式、不法、違法、および記録されていないものが含まれます。グローバルな法の範囲外のつながりを追うと、おそらく(戦時の国と平時の国の両方を含む)世界経済の半分が、法の範囲外のものを伴うことが明らかになりました。

しかし、合法的な経済、政府および金融の安定性、​​または開発に対する、法の範囲外の商品、金銭、および交換の影響を計算する正式な経済指標はありません。法の範囲外の活動を調査、追跡、分析、処理する正式な方法論はありません。それらの規模を正確に決定する正式な方法はありません。影響は劇的なものです:アンゴラの開発政策は、すべての国と同様に、合法的な領域のみに焦点を当てています。しかし、もしその国の経済の90%が戦争から生じた非合法なものだとしたら、現実のわずか10%だけを扱う開発プロジェクトが機能することなどあるでしょうか?

アンゴラを出入りするこれらの流れは世界中の国々とつながっているため、その影響もまた世界中の国々とつながっています。これを研究するために、私は国境を越え、支払いと資金洗浄システムに沿って、そしてグローバルに、法の範囲外のルートをたどりました。私は、最初にアフリカ、次に世界中にある多くの港に行き(たとえば、ロッテルダム、シンガポール、米国のロングビーチ)、物品の出入りの様子を調べました。また、貨物船に乗って国際的に旅もしました。

もし私たちが密輸ネットワークを理解していないのならば、私たちは経済を本当には理解していません。これはとても興味をそそるものです。おそらく世界全体の経済の3分の1、最大で半分までがあらゆる方法において法の範囲外で国境を越えて移動しており、私たちはそれを正式に図に表す方法がわかっていません。GDPには正式な分析がありますが、私がXGDP(法の範囲外の国内総生産)と呼んでいるものにはそれがありません。これは経済分析について何を言うでしょうか?私たち(政府機関、経済開発機関、学者など)は、密輸と法の範囲外の広大な世界を完全には理解していませんが、それは私たちの生存にとって重要なものなのです。

ロバート:ええ、あなたは良い点を指摘しています。別のトピックに移りますが、もしよければ、人類学を専攻することを考えている入門の学生にあなたならばどのようなアドバイスをしますか?

キャロリン:私が自分の入門クラスで教えていることを伝えたいと思います。私は彼らに対して、人類学は、私たちの生活と世界のさまざまな側面がどのように結びついているかを研究することのできる学問分野の1つだと言っています。人類学は、それが探求することの点だけでなく、問題についてどう考えるかという点でもグローバルな研究です。それは、たとえば、単一の国だけでなく、文化横断的な、国際的な相互作用など、全体像を見るものです。私たちは、他の文化を理解することだけでなく、それらが互いに結びついて、私たちが住む世界を作り出しているあり方をも真剣に受け止めます。私たちは、私たちのことを人類から人間性へと導くものに興味があります。

人類学は、ローカルとグローバルの両方の視点を重視しています。21世紀において、企業、医科大学院、およびNGOは、より大きな文化横断的な問題、つまり物事を結び付ける全体像を理解しないと、自分たちのやり方が機能しないことを見出しつつあります。しかし同時に、彼らは現場の日々の現実を理解する必要があります:人間が異なる文脈で、そして異なる時間で呈する合理性と非合理性とは何でしょうか?人々を前進させる希望、恐れ、夢は何でしょうか?これらの動態は、どのようにして私たちが統治、開発、合法性を認識する方法に適合し、自己、帰属、感情、人間の可能性についての私たちの考え方を形作り、私たちの善悪の定義、成功または失敗の定義、可能または不可能の定義に影響するでしょうか?

私の大学で人類学に携わる私たちを喜ばせていることの1つは、人類学の卒業生が、伝統的な医学専攻およびビジネス専攻から来る人と同じくらい、医科大学院への入学やビジネスの仕事を選ぶことにおいて競争力があるという事実です。私たちの学生は、開発、政策、計画策定、およびイノベーションの仕事(地元のものでも国際的なものでも)で非常に成功しており、人々は彼らが文化的感受性と現場での貴重な訓練をもってすぐに全力で取り組むために、彼らを愛しています。彼らは、他の学問分野のいくつかで必ずしも教えられるわけではないような知識を持っています:彼らは、知的および物理的な境界を越える方法を知っており、ミクロをマクロに接続し、社会をよりよく理解するため、問題を解決するため、そして、人々が実際にしているように行動する理由をよりよく理解するために、生活の中の一見して異なる側面を織り交ぜます。

人類学は、将来の進歩に対処する準備ができています。たとえば、もし私がイーロン・マスクによって設立された民間のSpace Xプログラムで働くことができるならば、私は人類学者になりたがるでしょう。技術的な側面はもちろん重要ですが、技術はそれに生気を与える人間性の鼓動を離れては何ら意味を持ちません。どのような目標と希望が長期の宇宙飛行に携わる人々を導くのかを探求することは魅力的でしょう。宇宙旅行を促進し、精神的にも肉体的にも旅行者を完全に混乱させないようにするものは何でしょうか?人々が必要とする社会的絆と人間の相互作用は何でしょうか?社会(宇宙のどこにあるものであっても)が依拠する社会的絆と人間の相互作用は何でしょうか?私たちがますます技術的制御を人工知能に任せるに際して、人間の知能とは何になるでしょうか?そして、人々とデジタル技術がより大規模で複雑な方法で融合するに際して、人間である/人間でないとは何になるでしょうか?

密輸から暴力や利他主義に至るまで、創造性から宇宙旅行に至るまで、地元の家族の交流からグローバルな動態に至るまで、人間であることが何を意味するかについての変わりゆく定義から営まれている生活の鮮やかな民族誌に至るまで、これほど多様なトピックを研究し、そして、これらを画期的な方法で織り上げているような学問分野が他にあるでしょうか?

ロバート:今日はあなたの考えを共有していただきありがとうございます。それは人類学の興奮させるような、そして刺激を与えてくれるような展望です。

この訳文は元の本のCreative Commons BY-NC 4.0ライセンスに従って同ライセンスにて公開します。 問題がありましたら、可能な限り早く対応いたしますので、ご連絡ください。また、誤訳・不適切な表現等ありましたらご指摘ください。

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