視点:文化人類学への開かれた招待 第2版 —第13章 人類学的な考え方の歴史—

Japanese translation of “Perspectives: An Open Invitation to Cultural Anthropology, 2nd Edition”

Better Late Than Never
91 min readJun 23, 2020

コミュニティーカレッジ人類学協会(SACC)のサイトで公開されている教科書“Perspectives: An Open Invitation to Cultural Anthropology, 2nd Edition”の翻訳です。こちらのページから各章へ移動できます。

第2部

第13章 人類学的な考え方の歴史

ローラ・ネーダー、カリフォルニア大学バークレー校

学習目標

•文化人類学の中心概念を特定し、これらの概念のそれぞれがこの学問分野の発展にどのように貢献したかを記述する。
•文化的な前提を調べる際に人類学者が果たす役割を記述し、人類学的視点が自民族中心主義やアメリカ例外主義とどのように異なるかを説明する。
•初期の人類学と植民地主義の間の関係を説明し、植民地主義の終焉が人類学の実践を変えた方法を評価する。
•人類学者が取り組む質問や関心の範囲の例として、現代の人類学の中に存在するトピック別またはテーマ別の専門化を評価する。

人類学とは、ホモ・サピエンス(賢い霊長類)としても知られる人間を研究するものです。それは、私たちの歴史、文書による記録より前の先史、私たちの生物学、私たちの言語、地球上に広がる人々の分布、そして私たちの存在の文化的および社会的側面についてのものです。この旅で私たちが用いる方法は多様で折衷的です。これは珍しい学問分野です。人類学についておそらくユニークなのは、そのグローバルな質、その比較のための潜在力、およびその歴史、生物学、言語、社会-文化的変化の調査から生じる統合のための可能性です。1つの学問分野としては、それは珍しいものです。なぜなら、それはソフトでもハードでもあり、科学とともに人文学を含んでおり、自然と文化の間にあり、過去と現在であり、人間の条件を理解するための新しい方法を模索しているからです。私たちは、専門に特化することを拒絶するような穴の多い境界を持つ学問分野であり、その結果、人間であることが何を意味するかを理解することに対して多大な貢献をしてきたと主張することができます。人類学は若い分野であり(今はまだ人類学の第4世代に過ぎません)、生態学とともに新しい科学の最初の1つです。

19世紀には、考古学が聖書起源の短い年代学に挑戦して、より長い時間の奥行きを提唱した一方で、生物人類学および文化人類学は人種と民族性についてのステレオタイプな思考に疑問を呈しました。社会-文化人類学は、安楽椅子に座ったままの理論化から直接のフィールドワークに移行し、文化相対主義の概念をもって、科学理論を含む当時の支配的な理論に挑戦しました。科学は人間によって作り出されるため、人間の限界、人間によるミス、人間の無知に縛られるものだということを私たちは知っています。そのような認識は、知識がどのように作り出されるかについて私たちに考えさせ、西洋の思考方法が唯一の真実の源であるという考えに挑戦しました。ヨーロッパの植民者が到着する前に、ペルーでは初期の気候予測が利用可能でした。

中心概念

文化

私たちの学問分野の中心概念は文化という考え方であり、これは人間の違いを私たちがどのようにして説明するかを変えた概念です。エドワード・バーネット・タイラー(1832–1917)は、イングランドのクエーカー教徒であり、宗教上の偏見のせいでどのイングランドの大学にも入学できなかったため、父親の事業のもとで働き始めました。しかしながら、20代半ばに彼は病気になり、医師は休息と旅行を勧めました。タイラーは最初にキューバに行き、次にメキシコへと6か月間の旅行をしました。文化の考え方は新しいものではありませんでしたが、タイラーはこの概念を使用して、旅行から学んだことに意味づけをしました。彼の1871年の本「原始文化(Primitive Culture)」で、彼はこの考え方を次のように定義しました:「文化または文明とは、その民族誌学的な意味では、社会の一員として人間が獲得した知識、信念、芸術、道徳、法律、慣習、およびその他のあらゆる能力や習慣を含む複雑な総体である。」[1]私たちはみな人間です(コロンブスが1492年にカリブ人、またはより一般的にはアメリカインディアンに初めて会ったとき、彼はそのことについてあまり確信を持っていませんでしたが)。タイラー以前には、違いは気候の違いによるものとして、あるいは神の選択として説明されていました。これは違いについての誤った考え方です。タイラーの文化横断的アプローチは、19世紀の人類学に新しい展望を開きました。

北米では、イロコイ族の中で育った弁護士であるルイス・ヘンリー・モーガン(1818–1881)が1851年に「イロコイ同盟(League of the Iroquois)」を書きました。彼は、イロコイ族の親族についての用語が英語の用語と同じようには分類されていないことに気付きました。いとこのための用語は、母系または兄弟系が認められるかどうかによって異なりました。ニューヨーク・セントラル鉄道の弁護士として、彼は他の言語の話者の間にも他の違いがあることに気付いていました。モーガンは世界中から親族の用語を収集し始め、1871年に彼は主著である「血縁関係と姻戚関係の体系(Systems of Consanguinity and Affinity)」を発表しました。これは、フランスの人類学者クロード・レヴィ-ストロースに影響を与えることになります。

新しい質問が生じました。用語法は、小さな社会の社会組織を理解するための鍵になるのでしょうか?イロコイ族は母系でした。つまり、クランのメンバーシップは女性のつながりによってのみ決定され、ある人と父親や、父親の姉妹や兄弟とは別のクランに属していました。さらに詳しく説明しなくても、文化の概念の発明が人々の違いを説明する道を開いたことは明らかでしょう。文化は人々を区別しますが、その過程では、私たちはみな同じ種のメンバーであることを覚えておく必要があります。私たちは色によって他の人を識別するかもしれませんが、あらゆる場所のすべての人々は病気を乗り切る必要性を共有しています。すべての社会には家族などの主要なグループがあり、その主な機能は子供を生み育てることです。

全体論

アメリカ人類学のもうひとりの重要な創始者は、ドイツ生まれのフランツ・ボアズ(1858–1942)です。彼は、もともとは物理学の訓練を受けた学者でした。彼は、カナダ北極圏のイヌイットの土地であるバフィン島への1年間にわたる調査旅行の後、人類学に向かいました。彼は、イヌイットの言語を勉強し始めました。彼はアメリカに移り、そこでは文化人類学の父として認められています。誰よりもボアズは、この学問分野を全体論という概念の周りに枠づけました:全体論とは、人種の概念を解体する生物学に差異を帰するのではなく、行動の歴史的および文化的基盤を広く見ることです。彼は文化の違いを強調しましたが、それぞれの文化の歴史的発展の観点からそのような違いを説明しました。彼の本「人種、言語、および文化(Race, Language, and Culture)」(1940)では、彼は、人種、言語、文化の間に必ずしも相関関係はなく、ある人の身体的外見はその人の文化を決定することもなければ言語を学習する能力を決定することもないという考えを強調しました。

ボアズはまた、文化相対主義と文化的決定論の概念の開発で知られています — 人々の間のすべての行動の違いは、人種的または遺伝的ではなく文化的な原因に起因します。この学問を4つの分野でもって確立し、アメリカ人類学会を設立したのはボアズでした。その4つの分野 — 考古学、文化人類学、言語人類学、および自然人類学 — は、より最近になって医療人類学が加わって4つが5つになったときまで、米国のほとんどの学部を定義していました。米国の人類学の発展を通じて、全体論的な思想家は断片化を恐れていました。1905年にボアズが指摘したように、「[人類学]の分裂の兆候がある。生物学的、言語学的、民族学-考古学的な方法はあまりにも違っている。」[2]ボアズは、マーガレット・ミードやルース・ベネディクトなどの多くの女性人類学者を訓練し、すべてのジェンダーの人々を含めることによってフィールドワーカーを多様化することがフィールドワークを成功させるために重要であることを知っていたことにも、留意しておかなければなりません。

可塑性

生物学的に優れた人種と劣等な人種について話すことは、「白人の責務」の概念を持っている植民地主義者にとって一般的でした。そこでは、野蛮人を文明化すること、あるいはいくつかのグループでは、把握された枠組みに従って集団を分類することが彼らの使命でした。たとえば、一部の「人種」は生物学的に使用人であることのみが意図されていると考えられていたように!人類学者が、人々は外見は似ていなくとも平等に能力が授けられているという観察を繰り返し強調しているにもかかわらず、人種の科学的研究は、過去200年間にわたって混乱と誤解の中でもがき苦しんでいます。私たちの努力にもかかわらず、人種差別主義者は健在です。「私たち」が最高だと信じるのは、明らかに慰めになります。これは、ヨーロッパ系アメリカ人に限らない信念です。結局のところ、ナバホとは、人々や多くのグループが他の人より優れていると考えることを意味します。したがって、ボアズの評価とは、ホモ・サピエンスの種のすべての健康な個体は、いかなる言語または文化をも学習する能力があり、可塑性は私たちの種の一部であるというものでした。

現代の世界では、違いはそれが問題であるかのように扱われます。なぜでしょうか?それは、安い労働力の移動、難民危機の最中の人種差別と寛容に関する議論、イスラムの「スカーフ」の力によるものだと言う人もいます。言い換えれば、現代の衣をまとった植民地主義的な言葉では、特に欧州と米国の文脈における、多様性の国家管理と極右政治、制度化された人種差別、そして差異の優位性です。2001年初頭、歴史家のエリザベス・ラッシュ-クインによる本が出版されました。「人種問題の専門家、エチケット、感受性のトレーニング、およびニューエイジセラピーが公民権革命を乗っ取った(Race Experts, Etiquette, Sensitivity Training, and New Age Therapy Hijacked the Civil Rights Revolution)」では、人種問題産業と人種問題解決産業を調査しました。これらの産業は繁栄しており、人々の間のあらゆる違いは、彼らが共通に持っているものに比べれば皮相的なものである、ということを認めるのに困難を感じています。人種の概念は、貧困に付随する階級や不平等の議論も避けます。このようなソーシャル・エンジニアリングは、問題としての違いに深く関心を持っています。国家構造による同質性の追求は、特に難民が北アフリカと中東から西側諸国に流れ込んでいる現代の瞬間において、ヨーロッパと西側世界全体で観察されているものです。

参与観察

ヨーロッパ人による世界中の人々の植民地化により、世界中でより多くの人類学的研究が起こり始めました。より良いデータ収集は、参与観察と呼ばれるようになりました。参与観察とは、民族誌学者が研究対象の人々の日常生活に参加し、彼らの言語を学び、他者の社会の日常の仕組みに浸ることを意味します。ポーランドの人類学者ブロニスワフ・マリノフスキー(1884–1942)は、広角の視野を備えた民族誌学の標準を確立したと認められています。マリノフスキーはロンドンで学び、第一次世界大戦中に、当時イギリスの従属地であったトロブリアンド諸島に向かいました。彼はポーランド人でしたが、トロブリアンド諸島にとどまることを許可されました。彼は言語を学ばなければなりませんでした。なぜなら、彼には地元の人々しか連れ合いがいなかったからです。彼は地元の人々の間を移動し、彼らの言語で話しました。彼は彼らの庭、魔術、科学、法律を学びました(すべて参与観察という道具を用いて)。マリノフスキーはそこでの研究に基づいて多くの民族誌を書きました:複数の場所が関与する交易と経済に関する「西太平洋の遠洋航海者(Argonauts of the Western Pacific)」(1922)、親族関係とセクシュアリティーについての「未開人の性生活(The Sexual Life of the Savages)」(1929)、庭園と農業に関する「サンゴの庭とその魔術(Coral Gardens and their Magic)」(1935)、および法律と社会秩序の問題を扱う「未開社会における犯罪と慣習(Crime and Custom in a Savage Society)」(1926)です。マリノフスキーは、今日に至るまで通用するような参加型民族誌学フィールドワークのための非常に高い基準を設定しました。それは、民族誌学が単なる記述ではなく、理論となるような基準です。民族誌学自体とその説明的な使用は、理論的な試みであり、ゆるい思考と厳格な思考の組み合わせです。[3]

新しい技術の発明は、民族誌学の新しいフロンティアを促進します。言語人類学では、1970年代初期のカセットテープレコーダーと「ショットガン」マイク、1980年代初期のビデオカメラ、および過去25年間のインターネットやその他の電子的な発明の出現により、人々はこれまで気付かれずにいたつながり求めることができるようになりました。同様に、考古学者や生態人類学者にとって非常に重要な地理情報システムも、研究対象の人々の位置を特定するために使用されます。その過程で、フィールドワーカーは、自分の本拠地にほとんど接触することなく他の文化に浸る可能性を失っています。技術革新は、良くも悪くも、私たち全員を結び付けます。

地域研究とその先

20世紀半ばまでに、文化、比較、および参加フィールドワークとしての民族誌学という主要な概念がこの学問分野のために整備されました。これらをまとめ上げる概念は地域研究です。人類学部は通常、アフリカ、中東、東アジア、中国、ラテンアメリカ、ヨーロッパなどについて教えている地域研究コースを中心にカリキュラムを編成しています。学生は地理と歴史について学び、宗教、親族関係、少数民族、言語などの特定のトピックを掘り下げます。これらのトピックは、特定の地理的領域の一般的な理解を身につけさせるような主題です。地域の専門性は、特に大規模な学部での資金獲得、求職活動、採用に役立ちます。

より最近では、批判研究により、博物館や軍事関連の地域研究の起源が調査されています。ヨーロッパとインドの間の地域を最初に中東と呼んだのは、アメリカの帝国主義者アルフレッド・セイヤー・マハンでした。地域研究は有用ですが、それは人類学的分析と想像力を制限する知的な盲目さを引き起こすことがあります。折に触れ、地域の境界を越えた人々は検閲されることがあり、次のような問題を提起することになります:私たちは、文化の間の類似点と相違点を探し求める地域学者と比較主義者の両方になれるのでしょうか?それとも、1つの地域から別の地域への文化的な考え方の広がりを研究する伝播主義者にすらなれるのでしょうか?植民者ではなく植民地化された人の研究は、まだ私たちの仕事を悩ませています。1989年に、サー・エドマンド・リーチは、社会システムには境界があるのではなく開かれていることを繰り返し述べなければなりませんでした。私たちはグローバル化した世界に住んでおり、シドニー・ミンツが1996年のアメリカ人類学会への著名な講義で私たちに思い出させたように、私たちは非常に長い間グローバル化されてきています。[4]

人類学的研究の主題は、孤立した場所から、都会の都市民族誌にまで拡大していました。たとえば、S・F・ネーデルの「黒いビザンチウム(A Black Byzantium)」(1942)におけるナイジェリアの都市の民族誌学や、コーラ・デュ・ボアの「アロールの人々(The People of Alor)」(1944)における文化やパーソナリティーとヨーロッパ-アメリカ植民地主義との間のつながりについての調査などです。1949年、クライド・クルックホーンは、「人間にとっての鏡 — 人類学と現代生活の関係(Mirror for Man — The Relation of Anthropology to Modern Life)」を出版しました。当時は、他者の研究を使用して自分自身の文化を調べ、自民族中心的であるかもしれない前提をテストする時代でした。マーガレット・ミードはすでに「サモアの思春期(Coming of Age in Samoa)」(1928)を出版しており、その中で彼女は思春期の問題を、当時アメリカで一般的に考えられていたホルモンの物理的および不可避の結果としてではなく、文化に起因するものとして調べました。したがって私たちは、比較の方法を通じて、人間の集団は成長などのいくつかの一般的な問題に直面するものの、それぞれが異なる方法でそれらの問題に対処していることが学べるかもしれません。ミードの発見は、一部の人々からは議論の余地があると考えられていました。したがって、数年後、ジョン・ホワイティングとベアトリス・ホワイティングが「6つの文化:子育ての研究(Six Cultures: Studies of Child Rearing)」(1963)で6つの文化の統制された比較を行ったのは驚くことではありません。そのうちの1つはニューイングランドでした。

徐々に、人類学はもはや「野蛮人」や「原始人」の研究ではなく、すべての人間文化の研究へとなりました。ルース・ベネディクトが彼女のベストセラー「文化の型(Patterns of Culture)」(1934)で指摘したように、異なる文化の人々は生活を異なって解釈します。彼女の観察は、ある人は、ある文化を他の文化よりも優れているとは判断することができないことを含意しています。ボアズとマリノフスキーはともに、文化相対主義について詳しく述べました。ボアズは特に、研究されている文化の基本的な前提によってではなく、自分の文化によって他者を判断するという一般的な傾向に強く反対しました。彼は、自分自身の眼鏡を通して世界を見るような、自民族中心主義と呼ばれる現象と戦いました。自民族中心主義によって、人々は、他者のことを何らかの形で基準に満たないものであるか劣っているもの、「原始的」なものであり、援助や開発を必要とするものと見なしたり、分類したりします。[5]

文化的な前提の検討

自民族中心主義との戦い — 今日の米国では時に例外主義(私たちは常に優れている)と呼ばれることもあります — は、(たとえば)アメリカ人が一般的に使用するような、または人類学者自身の仕事にすら組み込まれているような前提を検討する動機を人類学者に対して与えるものです。実際、フィールドワーカーとして、人類学者は自分自身を理解し、他者の記録を行っている瞳のことを理解しなければなりません。人類学者のジェンダーは、彼または彼女が「見る」ものに影響するでしょうか?対立を嫌うことは、記録や、研究的な興味の選択に影響するでしょうか?人類学者の二言語的または二文化的な特性は、現場での感受性を高めるでしょうか?私たちが生み出す民族誌は、最終的な分析においては、私たちが何をなぜ行うのか、そして私たちが研究する人々が何をなぜ行うのか、についての理論です:すなわち人間にとっての鏡です。

根本的な前提の分析についてよく引用される例は、英国の人類学者E・E・エヴァンス-プリチャード(1902–1973)が出版した「アザンデ人の世界―妖術・託宣・呪術(Witchcraft, Oracles, and Magic among the Azande)」(1937)です。これは理論としての民族誌学の作品です。南スーダンのアザンデ人に関する彼の研究は、アザンデ人(そして病気や死などの人間の災難を理解したいと望むあらゆる場所の多くの人々)の前提によると、呪術や妖術についてのアザンデ人の信念が完全に理にかなっている理由と方法を示すことを意図していました。彼は、「彼らは無知な原始人である」といったような自民族中心の概念を避けました。彼のポイントは、彼らの前提を所与のものとすると、彼らの信念が理にかなっており、彼らは他の人々と同じくらい論理的であるということでした。アザンデ人の著作が非常に多く引用されている主な理由は、そこでの主要な発見が、私たちはみな自分たちの前提、自分たちの何ら疑問に付されない前提の中に捕らえられている、というものだからです。この考え方は、西洋科学を含むあらゆる思考に適用されます。たとえばそれは「核の宗教」であり、これは、科学者が核廃棄物およびその他の関連する問題に対処できないにもかかわらず、第二次世界大戦中に日本に核爆弾を投下するために作り上げられた、アイゼンハワー大統領による平和のための原子力という信念のことです。エヴァンス-プリチャードの場合、彼は単にアザンデ人についてだけでなく、後にヌエル族の牧夫についても書いていました。彼はまた、特定の民族誌が理論的にどのように比較されているかについても書いており、私たちの深く染みついた前提についての問題を提起しました。

サー・エドマンド・リーチによる「高地ビルマの政治体系(The Political Systems of Highland Burma)」(1954)のように、20世紀中頃までには、民族誌学には権力が含まれるようになりました。人類学の中では一般的な合意がありましたが、学術界の学者は抽象的な言葉以外で権力の現象を扱うことをためらいました。また、ほぼ同時期に、グレゴリー・ベイトソンの「ナヴェン(Naven)」(1958)が再発行され、民族誌学者は、研究中の人々の生活や儀式を解釈するのに役立つ多くの異なるレンズを理解し始めました。1960年代までに、アメリカの学術界の不安感は、公民権運動、ベトナム戦争、アメリカインディアン運動、性およびジェンダーの解放の影響を受け始めました。

デル・ハイムズは、「人類学を再発明する(Reinventing Anthropology)」(1972)という本を編集し、その中で人類学者に対して、人種、新たに独立した国家、およびバーティカルスライスと呼ばれるようになるものを考慮に入れた、修正あるいは再発明された人類学という呼びかけをしました。ローラ・ネーダーは、人類学者を狭い関心と排除から解放する方法として、上向き、下向き、および横向きに研究する必要性について思考した作品「人類学を高める:上向きに研究することから得られる視点(Up the Anthropologist: Perspectives Gained from Studying Up)」を書きました。たとえば彼女は、被植民者とともに入植者を研究すること、貧困とゲットーを、本質的に違法である銀行の融資差別慣行に関連させて理解すること、子供たちを育てる上で、企業が用意する食事や通常の教育の一環として子供に必要な技術などを通じて企業が果たす大きな役割を理解すること、などについて議論しました。今日、一部の人類学者は上向きに研究していますが、他の人は上向き、下向き、横向きを同時に研究しています。[6]

21世紀に入って、人類学者は政治経済、ジェンダー、代表、冷戦、ネイティブアメリカン墓地保護および帰還法(NAGPRA)、科学の人類学、植民地主義、観光、その他多くに大きな知的関心を持っていました。人類の研究が1世紀にわたってどのように歩んできたかという物語は、着実に進歩していたというわけではありません。科学は厄介で論争的であり、人類学はほとんどの学問分野よりも論争的であるだけでなく、自己再帰的です。実際には、自己批判的な伝統は、加速する歴史とそれに付随する新しい技術という一貫性のない状況へ私たちが適応するのを助けてきました。そのため、ある人は、最も変わっていないのは、1929年に学者が「人類学的態度」と呼んだものだと結論付けるかもしれません。それは、分離と関与の両方のことを前提を考え直すための様式として評価する一方で、研究する者と研究される者との関係の変化は、人類学者に対して彼らが知識を得た際の条件の再考を余儀なくさせました。さらに、人類学はますます世界的な学問分野になっています。

植民地主義の崩壊と新たに独立した国家の台頭

約500年前、ポルトガル、スペイン、イングランドが新しい資源を探した結果が、西ヨーロッパ人による最初の主要な植民地化の動きとなりました。植民地がアフリカ、アジア、新世界に植えつけられました。産業革命後、2番目の主要な植民地化の動きが起こりました。これは、一部は安価な労働力と資源の探索に動機付けられていました。19世紀の終わりまでに、イギリス、フランス、ベルギー、およびドイツはアフリカを分割し、イギリス、フランス、およびアメリカは太平洋の領土を獲得していました。特にイギリスとフランスでは、民族誌学研究は植民地主義のひとつの任務として奨励されました。したがって、1950年代に入るまで、人類学者は植民地の機関に雇われていました。植民地主義の終焉と新しい独立国家の出現は、資源の略奪などの問題を引き起こし、新しい国々は、独自の民族誌学者(人類学へのアプローチがヨーロッパ-アメリカの植民地強国によって使用されるアプローチとは異なるような人々)を生み出しました。メキシコ、ブラジル、インド亜大陸の人類学者は、主に自分自身が属する人々を研究しました。これらの旧植民地諸国からの旅人のみが、植民地主義者を「他者」と考えていました。一部では、これらのポスト植民地時代の人類学者は、以前に設定された人類学の議題を修正し始めました。「グローバル人類学」が何を伴うべきかについて、多かれ少なかれ静かな議論が今も行われています。

アングロ-アメリカ世界以外の同僚は、私たちの偏見と自民族中心主義を批判しています。彼らの礼儀正しい忠告は、自己認識の必要性と、器具の較正 — この例では人類学者の — を強調しました。フランス、中東、インド、パキスタンおよびその他の場所の人類学者は、権力と折り合いをつけることに関するアングロ-アメリカ人の困難を指摘しています。フランスのフィールドワークの伝統では、研究は本質的に権力関係をはらんでいると考えています。私たちの外国の同僚は、科学的妥当性についての質問を提起しています。古典的な人類学者が、安定的または静的な単位として調査した小さな社会的グループは、現在では、それらを再構成し、今度は逆にそれらによって再構成されるような、より大きな世界の一部として認識されています:世界銀行、国際通貨基金、北米自由貿易協定(NAFTA)などの貿易協定およびヨーロッパとアジア太平洋地域との貿易協定。

イギリスで訓練を受けたパキスタン出身の人類学者であるアクバル・アフメッドは、「アザミとドローン:いかにしてアメリカの対テロ戦争がグローバルな対イスラム戦争となったか(The Thistle and the Drone: How American’s War on Terror Became a Global War on Islam)」(2013)の中で、非アングロ-アメリカの人類学者が拾い上げることのできる新しい次元を示しています。三部作の第三作であるアフメッドの作品は、民族誌分析と歴史や比較とを組み合わせており、パキスタン政府の代理人としての仕事や後にワジリスタンへの大使としての仕事など、彼の幅広い経験を活用しています。アフメッドは、詩人、劇作家、映画プロデューサー、そして疲れを知らない講演者でもあります。彼は現在、ワシントンD.Cにあるアメリカン大学のイスラム研究のイブン・ハルドゥーン・チェアを務めています。彼は、一部の人が言うには公共人類学者と呼ばれる人 — その仕事が人類学者だけでなく一般の人々もアクセスできるような人 — です。

彼の本の中で、アフメッドは、ヨーロッパの植民地化から始まり、ポスト植民地時代の国家建設(周辺部が彼らにほとんど権利を与えない国家と接触または接続されるようになったとき)を通じて続いた問題を理解するために、部族民、国家、アメリカ帝国、および技術を含めています。アフメッドの本は、21世紀のパラダイムシフトを反映しています — 民族誌学の伝統的な主題であった部族民に加えて、国家と帝国についての現代的な分析です。したがって、彼は部族民だけでなく、オサマ・ビン・ラディン、パキスタン大統領、アメリカ帝国の大統領、そして恐怖と痛みを発見した人類学者の苦悩も含めています。アフメッドは、相互の尊重と共存を主張する人道主義的な人類学者です。おそらく彼のことを、キリスト教徒やユダヤ教徒の人類学者と対比される、イスラム教徒の人類学者と考えることができます:彼は客観的であるとともに主観的であり、「私たち」と「彼ら」を含みます。この本は、ワジリスタンからイエメン・ソマリア、そして北アフリカ全体、インドネシアとフィリピンに至るまでの中心と周辺の間の関係を示すために、周辺にいるイスラム教グループと彼らの国家当局との関係について40の例を議論しています。アフメッドは、中央政府によるドローン攻撃と残酷な侵略は、国家と帝国の侵害に反応して周辺からの残忍な報復攻撃が続くであろうことを考えると、平和と相互尊重に向けては機能しないと結論付けています。テロリズムの専門家は、文化と歴史的文脈の両方を無視しています。人類学者が周辺を扱うとき、私たちはあまりに頻繁に国家への同化を支持し、居留地の作成を操作し、時には大量殺戮に目を閉じてきました。

上述した新しい次元は、アフリカ、ニューギニア、ビルマおよびその他の場所の政治的および社会的プロセスの理解に対するイギリス機能主義学派の人類学者の堅実な貢献への注目をそらすものであってはなりません。アフリカでは、彼らは、政府、警察、保安官を持たない数万人の人々の社会における秩序の問題に取り組んだ最初の人たちです。そこは、社会的関係の手段によって社会的統制が達成される場所です。クロスリンケージの概念は、抗争を通じて平和を維持するアフリカの様式を理解するために使用されました。これは、国家を持たない社会における秩序のもう1つの姿であり、国連にとって役立つかもしれません。イギリスは、文化よりも社会組織の概念、植民者ではなく植民地化された人々に焦点を当てていました。

特殊化 — 広範囲

20世紀半ば、ノルウェーの人類学者フレドリック・バース(1928–2016)は、イギリス学派のアフリカに関する研究と、社会システムが個々の主体を超越しているという彼らの立場に挑戦しました。それとは逆に、バースは、政治システムは自分の立場を最大化しようとする個々の主体によって生み出されると主張しました。パキスタン北部のスワット・パタン民に関する民族誌(Barth 1959)で、バースは、機能主義的な均衡分析から離れて変化のプロセスの検討へと移りました。他の人々が、彼らの議論に続きました。タラル・アサドによると、個人が権力を最大化するために戦略を立てるという考え方は、歴史の歪曲です。アサドは「人類学と植民地主義的な出会い(Anthropology and the Colonial Encounter)」(1973)で、バースの結論はインドと北の辺境におけるイギリスの植民地的慣行によって加速されたことを指摘しています。アサドの批判は重要な点を突いていました:政治システムは、重要な変数として階級も含むものの、個々の選択を無効にはしないという歴史的視点に基づいた、より広範なシステムの一部として見られなければなりません。支配は政治的かつ経済的です。バースの研究についての会話は、後にパキスタンの人類学者アクバル・アフメッドの研究で続けられることになりました。人類学は今や国際的な対話であると言えます。

人類学者の数が増えるにつれて、専門分野の数も増えました(特に大規模な学部で)。実際、小さな学部ではジェネラリストの観点から人類学を教える可能性が最も高いです。親族と宗教が半世紀以上前の主要な専門分野でしたが、私たちは今では、観光、政治経済学、法律、ジェンダー、民俗学などの分野や、たとえば中東やアフリカ南部、またはメキシコ(以前のメソアメリカ)などの地域に特化した教授陣を見ることができます。さらに、応用や実践など、多くの種類の人類学があります。これらの専門分野は、認知人類学、法律と政治、音楽学の専門誌に見られる一方で、一般的な報告はイギリスのジャーナル「アンソロポロジー・トゥデー(Anthropology Today)」またはアメリカの「アンソロポロジー・ニュース(Anthropology News)」、および「アメリカン・アンソロポロジスト(American Anthropologist)」や「王立人類学研究所ジャーナル(JRAI:the journal of the Royal Anthropological Institute)などの雑誌で見られます。以下のいくつかの例では、取り組まれている一般的な質問の範囲についての洞察を提供します。

政治経済

政治経済アプローチは、世界を開かれたシステムとして、静態ではなくプロセスとして文脈化します。今日の世界で権力がどのように機能するかを理解するには比較が必要であり、権力と文化の交差点に注意を払います。このアプローチの一例は、アシュラフ・ガニの仕事に見られます。彼の研究は、特にアフガニスタンにおける権力の歴史に焦点を当てており、彼は後にアフガニスタンの大統領になりました。[7]権力がどのように機能するかを理解するには、地域レベルおよび世界レベルでの分解と統合に注意を払う必要があり、それらは次に、要点が抽出された社会ではなくプロセスの観点から比較されます。この分野での仕事は、伝統的な民族誌学に根本的な変化をもたらしました。企業資本主義などの経済システムは、現代の中国などといった、特定の文脈で変化することのあるタイプの経済として扱われます。これは、世界全体でのシステムの分布を追跡する世界システム理論家とは対照的です。ペニー資本主義、地域資本主義、企業資本主義など、多くの種類の資本主義があります。たとえば、ディミトラ・ドウカスは、「痛めつけられて:アメリカの共同体に対する企業の破壊活動(Worked Over: The Corporate Sabotage of an American Community)」(2003)で、ニューヨーク北部のモホーク川流域にある工場町の劇的な変化を、地域資本主義から企業資本主義、またはグローバル資本主義への移行とともに描き出しました。彼女は、アメリカの産業を背負っていたアメリカ人労働者に対するヒットアンドラン型の企業資本主義の影響を記録しました。100年の間に、これらの活気のある工業中心地帯は、貧しく産業の失われたコミュニティーとなりました。さらに以前には、アンソニー・F・C・ウォレスは、過小評価されている彼の本「ロックデール(Rockdale)」(1978)の中で、ロックデールの物語を書いています:「機械の到来、工場のある集落での新しい生活様式の誕生、社会主義者や異教徒に対する福音主義的資本主義者の勝利、そして南北戦争前とその間の年月のペンシルベニア州の綿織物製造地区における労働者のキリスト教兵士への変容についての報告。」

権力と政治

権力についての継続的な調査は、権力の動態としての支配を中心としていました。ローラ・ネーダーの初期の研究「プロセスを支配する(Controlling Processes)」(1997)は、アメリカ社会の権力関係における自由意志の役割を分析するための触媒である、権力を行使する手段に焦点を当てていました。そこでの例は、米国法の代替紛争解決運動(米国の民事司法制度を縮小し、その後グローバルになりました)、美の定義の標準化(世界に広がっています)または博物館の展示の内容、あるいはマーケティング会社がティーンエイジャーの親の権威に対する認識にどのように影響を与えているか、から取られました。プロセスを支配することについての研究により、読者は支配を権力への間接的な手段として理解し、文化と人間の担い手との両方の脆弱性を認識することができました。アイワ・オンは「仏陀は隠れている — 難民、市民権、新しいアメリカ」(2003)で、アメリカの市民権を経験しているカンボジア系アメリカ人の物語の中で、カリフォルニアでのカンボジアの難民の日常生活を追いました。彼らは、カンボジアの価値観と矛盾するアメリカの価値観に対処していました。これは、米国の医療、社会福祉、司法、宗教、および経済の制度による市民を作ることに対する影響についてのボトムアップの研究です。この民族誌は、カンボジア系アメリカ人についてのものであり、特定のタイプの市民を形成しようとするアメリカの制度全体で機能する支配のタイプについてのものです。この本は戦争と運動の世界における市民権の再構成に関する力作です。

世界の出来事は学術的な追求にとって重要であり、人類学は第二次世界大戦において成功を収めました。これは、以前に人類学研究が行われたさまざまな地域が戦争地帯となったことによるものです。第二次世界大戦後の冷戦も重大な変化をもたらしました。人類学者の数は、資金調達とともに拡大し、軍事技術へのアクセスはすべての分野で(程度は異なるものの)私たちの方法論に革命をもたらしました。社会-文化人類学者にとって、冷戦は人種、戦争、ジェノサイド、反乱、天然資源の問題を提起しました。私たちは、人類学が自律的な探求ではないことに気付きました。その代わりに、学術界のすべてが政治に組み込まれました。ヒュー・ガスターソン(Gusterson 1996)やジョセフ・マスコ(Masco 2006)などの人類学者は、核研究室の文化について書き始めました。[8]

原子力および代替エネルギーシステムが世界の出来事の中で重要な役割を果たしてきた10年の間には、広い視野を持った人類学が必須でした。人類学は、全体論、歴史の認識と時間の深さ、そして言語が思考をどのようにして枠付けるかから生じる結果を統合しています。たとえば、エネルギー専門家の言説は、天然資源の無制限の供給と過小評価された生態系を前提とした成長モデルに根ざしています。エネルギーの専門家が問題の一部であるかもしれないという考え方や、エネルギー問題には人間の側面があるという考え方は新奇なものであり、「エネルギー読本(The Energy Reader)」(Nader 2010)、「エネルギーの文化:権力、実践、技術(Cultures of Energy: Power, Practices, and Technologies)」(Strauss, Rupp and Love 2013)、「エネルギー政治とエネルギーの人類学(Energopolitics and the Anthropology of Energy)」(Boyer 2011)などの作品で検討されたテーマでした。私たちはみな、軍事主義、多国籍資本主義、科学的人種差別、ジェンダーの政治をめぐる1960年代と1970年代のキャンパスでの闘争に影響されました。しかし、より大きな疑問が残ります:人々を人間にするのは何でしょうか?

細分化と専門化

4つの基本的な分野と医療人類学における資金の拡大により、専門性とトピック別の専門知識が得られました。社会-文化人類学では、これらには法律、政治、経済、宗教、生態学、医療問題、芸術、および教育の専門分野が含まれます。人類学者のエリック・ウルフ(1923~1999)は、専門化の傾向に批判的でした:「私たちは、細分化して、さらに細分化して、そしてそれのことを人類学と呼んでいる。」[9]人類学の歴史は、今では学問分野の境界をはるかに超えて、国家政策の影響、軍事主義、資金調達の優先順位を含むようになりました。これはデヴィッド・プライスに功績があります。彼は、著書「人類学的な知性:第二次世界大戦におけるアメリカ人類学の展開と軽視(Anthropological Intelligence: The Deployment and Neglect of American Anthropology in the Second World War)」(2008)の中で、人類学の歴史を最も広い文脈で独力で調査しました。結局のところ、私たちの国籍は私たちの仕事に反映されています。しかしながら、人類学者が専門化するにつれ、文化の概念はこの学問分野を超えて社会学、心理学、ビジネススクール、ロースクール、そしてさらに遠くまで広がっています。概念としての文化は路上で放し飼いになっていました!私たちは現在では、文化社会学、文化心理学、文化地理学、文化法学があります。ミシェル・フーコーやジャック・デリダなどのフランスの哲学者やフランスの人類学者ピエール・ブルデューへの魅了などを含むこの分野の変化は、激しい批判を刺激しました。他の者は、民族誌を豊かにするためにこの変化を利用しました。人々は、ジューン・ナッシュによるボリビアのスズ鉱山の民族誌「私たちは鉱山で食べていき、鉱山が私たちを食い尽くす(We Eat the Mines and the Mines Eat Us)」(1979)を足掛かりにしました。この本は、スペインの征服に伴う産業的採掘を追ったものであり、国境を超えてボリビアに対する支配が続いているため、今日でも国内問題を引き起こしています。これをグローバル開発理論と呼ぶ人もいます。

このすべての知的成熟のために、私たちは現在、人類学が私たち自身の生活について多くの語るべきことを持っていることに気付いています。上海の株式市場とウォール街のデリバティブの発明についての私たちの民族誌が書かれています。[10]法律と金融についての調査は、小規模な地域での紛争の解決に主として関連する人類学と法律との初期の交差点から、法律知識(つまり、国家レベルの知識)をグローバル金融市場とその法的および規制的な実践(その中でトレーダーは、確率と法的擬制を扱います)に結びつけることへと移行しました。[11]また、銀行の領域では、イスラム銀行への関心があります。イスラム教は利息の徴収を禁じていますが、イスラムの金融機関は約70か国で営業し、2000億ドルの資産を持っています。[12]イスラム銀行の代替通貨の研究は、法律、経済学、金融の本質的な部分であり、人類学者の主題は、部族、村、国家、さらには地理的領域を超えています。政策の世界における人類学は、金融化の政治、監査文化の台頭とその文化や社会への影響、およびコレラの流行などの病気の蔓延をカバーする新興分野です。[13]アイワ・オンとスティーブン・コリアーは、「グローバルな集合:人類学的問題としての技術、政治、倫理(Global Assemblages: Technology, Politics, and Ethics as Anthropological Problems)」(2005)の中で、倫理への関心を含むグローバル化する問題を統合しています。人類学者たちは、たとえば、なぜ一部の情報提供者が人類学者に時間を割いているのか、そして、倫理の観点からは人類学者と被験者の協働的関与とはどのようなものであるのかを尋ねています。

自然と文化の二分法に関する新たな懸念は、日本と北米における月経閉止の神話と製薬ビジネスの研究につながりました。もしすべての女性に起こるならば、月経閉止は本当に病気なのでしょうか?インドにおける加齢についても同様の質問が尋ねられています。[14]文化および社会におけるエネルギー使用の調査は、商業目的および規制目的でバイオパワーを使用する新興産業企業の研究とともに急速に拡大しています。[15]そのため、ナンシー・シェパー-ヒューズやロイック・ヴァカンなどの人類学者は、「体を商品化する(Commodifying Bodies)」(2002)のような本の中で、人体の部分を買うこと・売ること・盗むこと、「脳死」の概念の重要性、および誰が体を所有しているのか、といったことを研究しています。ナンシー・シェパー-ヒューズによる数十年にわたる研究は、倫理と人権の問題の上に打ち立てられています。「悲嘆なき死(Death without Weeping)」(1992)で、彼女は、日常生活における暴力と、暴力や死さえもが通常のありふれたものになっていることについて述べました。彼女は、可能な限りジャーナリストに話を伝え、人道に対する罪について法廷で証言し、イスラエルの同僚と協力することにより、彼女の仕事を公にしてきました。この仕事は複数箇所にわたっており、犯罪ネットワークと臓器移植ツーリズムを調べる際に覆面調査を行うこともあります。権力はすべての人類学の中心テーマである必要はありませんが、中心的な教義を理解するためには重要なものです。

人類学の聴衆

私たちの聴衆は予測不可能です。この学問分野のメンバーよりも幅広い一般の人に向けて語る人類学者は、しばしば、この学問分野の中よりも外のほうでより大きな即時の影響を及ぼします。私が強制的な調和について書き始め、話し始めたとき、人類学者の間での関心が発展するのはゆっくりでした(この理由については私は別の場所で調べます)。一方、職場の品質管理サークルで、環境運動における「まとめ役」のクリントン式の交渉との対立で、および核廃棄物をめぐる交渉を扱う際のネイティブアメリカンの居留地で強制的に調和させられることに痛みを感じていた人たち — 私たちの公衆 — は、その力をすぐに認識しました。小学校は調和イデオロギーによる紛争解決を定期的に教えており、グローバルな舞台では、法律家は法の支配ではなく心理を売り込む新しい国際交渉者に直面していました。[16]また、2016年の大統領選挙では、共和党の候補者は、調和モデルでは無作法と見なされる言葉を使用しましたが、有権者からは肯定的な反応がありました。

もし私たちが学術界の外の議論について無知のままでいると、私たちは主としてお互いとだけ話し合い、縮減した空間に閉じ込められ、窮屈な場所で働くことになるでしょう。[17]人類学者のデヴィッド・グレーバーは、多くの、特に経済的に不安定なアメリカ人と、高等教育の費用のために多額の借金をしている若者たちの心の中で負債が問題になっていることに気づきました。[18]グレーバーの著書「負債論:貨幣と暴力の5000年(Debt: The First 5000 Years)」(2011)は、世界中で瞬く間にベストセラーとなりました。負債は、お金を使うすべての社会に影響を与える問題です。彼の分析は、私たちが長期的な観点から現在の経済状況を理解するのに役立ちます。同様の重要な取り組みの中で、グレーバーは人々の心の中の他の問題に移りました。2001年に、彼は「人類学的な価値の理論に向けて(Toward an Anthropological Theory of Value)」(2001)を出版し、最近では「官僚制のユートピア:テクノロジー、構造的愚かさ、リベラリズムの鉄則(The Utopia of Rules: On Technology, Stupidity, and the Secret Joys of Bureaucracy)」(2015)で、政治的イデオロギーと自己破壊的な集団による風変わりな慣行を調査しました。グレーバーはウォールストリート占拠運動の研究の専門家と考えられていますが、彼の最初のフィールドワークはマダガスカルで行われました。

19世紀および20世紀の最も著名な人類学者の一部は、科学を魔術や宗教などの他の形式の知識と区別するための効果的な広報係でした。物理学と数学の訓練を受けたボアズとマリノフスキーに代表されるように、20世紀後半の人類学的研究は、科学の実践に関する民族誌学的研究に基づいていました。それは、常に西洋科学に特権を与えていたわけではありませんでした。現代の科学者は先住民族と出会っています。生物学者は、先住民の生態学的知識を切望しており、彼らと協力しています。急速なグローバル化により、知識システムの混在を考慮することは避けられません。私たち自身の文化をイヌイットの文化やアマゾンの人々のものと比較するなど、非常に異なる文化で伝統的な知識がどのように生み出されるかを並べることには力があります。私たちは、アマゾンの先住民の植物や太平洋の海洋生物学(およびその知識の流用)だけでなく、物理学やバイオテクノロジーの研究室、免疫学者も研究しています。マリノフスキーは、トロブリアンドの人々の魔術、科学、宗教について書きました。私たちは(リーチのアドバイスに従って)国立研究所の魔術、科学、宗教を調べています。

科学

新しく現れてきた科学の民族誌は、政治経済と植民地主義の初期の研究と同様に、現代人類学に強い影響を与えています。アメリカの高エネルギー物理学者と日本の高エネルギー物理学者の比較、または日米の霊長類学者の比較は、科学は文化から自由なものではなく、むしろ文化で満たされていることを示しています。[19]一方、アフリカの農業についての仕事をしている人類学者は、生態学的な特異性と場所固有の知識を無効にする普遍的な説明に対する文化的選好の破壊的な影響に注目しています。[20]直観に反するように聞こえますが、「生産された食物のカロリーあたりの消費エネルギーの測定に基づくと、産業的な農業は人類の歴史と先史時代で最も非効率的な形の食糧生産である。」[21]物理モデルの原則は、すべての時間で、またはすべての場所で真実であるわけではないかもしれません。なぜなら、ヨーロッパの中ですら、多くの科学的伝統があるからです。西洋のアプローチと技術​​が他の場所に移転されると、マイナス面が生じることがあります。「裸の科学:境界、権力、知識についての人類学的研究(Naked Science — Anthropological Inquiry into Boundaries, Power, and Knowledge)」(1996)で、ローラ・ネーダーは世界中の他の科学に対する西洋科学の力について議論し、「科学が実際にどのようなものか」を理解するための文化的枠組みを明らかにします。エスノサイエンス(民族-科学)とテクノサイエンス(技術-科学)は、階層的にではなく比較的に調べられています。

人種の科学でさえ、過去50年間で劇的に変化しています。公民権運動後の間には、多くの学者や科学者は人種を社会的構築にすぎないと考えていました。21世紀までに、ヒトゲノムプロジェクトの結果として、社会的、法的、および医学的カテゴリーとしての人種が調査されました。ばらつきの程度が議論されるようになりました。一例として、イアン・ウィットマーシュとデヴィッド・ジョーンズの「人種の活用とは何か — 現代的なガバナンスと差異の生物学(What’s the Use of Race — Modern Governance and the Biology of Difference)」(2010)では、差別の根拠として人種を使用することなく、健康と病気の不平等に関する人間の多様性に対処する試みの中で、法廷、法執行機関、科学的見解における人種の使用を検討しています。人種の問題はまだ解決されていません。法医学、祖先、検査、および医学は、より良い医学的治療と健康の帰結への道を革新すること、そして同時に、有用なカテゴリーとしての「人種」についての私たちの会話を前進させることが期待されています。

科学の討論への人類学的な貢献は、西洋科学の伝統の将来を、そこに存在するバリエーションに対して再配置し再考する上で重要であり得ます。これらの問題は、西洋科学の機能、その文化的優位性、その民族中心性、およびその普遍性に関連しています。なぜなら、それらはより生産的な科学パラダイムの道筋を立てることに関係しているからです。[22]前述のように、アフリカの農業についての仕事をしている人類学者は、生態学的な特異性と場所固有の生業に関する知識を無効にするような、普遍的な説明に対する科学の選好の破壊的な影響を観察しました。西洋科学が自律的に機能するという前提は、科学が非科学者の影響とは無関係に発展はしないという観察などといった、考古学および民族学の発見と矛盾しています。科学の人類学は科学的な取り組みなのでしょうか?それとも人間的なものでしょうか?「人間的」と「科学的」は相互に排他的ではない便利な形容詞であるため、そもそもその問いは重要なのでしょうか?特定の政治的文脈の中の人々が文化的伝統を意識的に構築できるという考え方は、学校の状況の違いの結果に関心のある人にとっての意識的な言語的コードスイッチングとともに、構造を気にかける人にとって重要であるべきものです。

暴力と戦争

暴力の説明の探求、特にルワンダ、北アイルランド、イスラエル、スリランカ、旧ユーゴスラビアのような場所でかつて見られ、現在では中東のイスラム世界全体で見られるような共同体間の暴力についての探求は、全体論的な民族誌の理解を伴います。それは、2003年のイラクに対するアメリカの戦争での石油といったような、希少な資源をめぐる競争に関係しているのでしょうか?またはパキスタン北部のワジリスタンで見られるような植民地時代の遺産の撤去に関係しているのでしょうか?そのような力はどのようにして暴力へと変換されるのでしょうか?一部の学者は、共同体間の暴力の前提条件としてアイデンティティー政治を引き合いに出しています。そこでの含意は、アイデンティティー政治は他のグループとは対照的なアイデンティティー形成に依存しているということです。別のアプローチは、国際的な兵器産業と敵意を助長する政権の役割を調べることかもしれません。サダム・フセインのもとでイラクを結びつけていたものは何でしょうか?一言で言えば、ナショナリズムです。サダム・フセインがイランと戦争をしていたとき、すべてのイラク市民(シーア派、スンニ派、クルド人、キリスト教徒)は、1人のイラク人として一緒に戦いました。2003年のアメリカのイラク侵攻後、アメリカ軍はシーア派をスンニ派に対抗させることによって、古い植民地時代の分裂と征服の手法を使用しました。10年がたって、私たちは、イラクとシリアで戦争を繰り広げるイスラミック・カリフェート(ISIS)の台頭を目の当たりにしています。ジリアン・テットは、専門知識の危険性を「サイロ・エフェクト(The Silo Effect)」(2015)と呼んでいます。これは、2003年のアメリカのイラク侵攻の結果で見られるような、「点をつなぐ」ことができないことです。

確かに、暴力と攻撃性の問題については、人類学者の間でも、特に攻撃的な行動の生物学的な起源を強調する人々と、人間は一様に攻撃的で好戦的ではないことに注意を払う人々との間でも合意に達していません。人類は平和的になることも、あるいは攻撃的な接触にほとんど継続的に従事することもできます。たとえば、東ドイツと西ドイツの間の暴力は、古い対立ではなく、新しい現象、つまり冷戦とソビエト連邦に付随するイデオロギーによって説明されています。国民は、非常に短い期間で好戦的から平和的に変わることができます。スウェーデンのことを考えてみましょう。特にグスタフ・アドルフスのもとで、スウェーデンはヨーロッパの災難の元でしたが、今では何十年もの間、大部分が平和的に過ごしています。ナポレオンのもとでのフランスはヨーロッパで最も恐れられていた国でしたが、1世紀の後、攻撃的な立場はドイツに移りました。しかしながら、他方では、確執、襲撃、拷問、戦争の記録が十分に証言しているように、人間は攻撃的であることを学ぶこともできます。好戦的な国の個人が平和的な国の個人よりも遺伝的に攻撃性があるという経験的証拠はなく、また、人間特有の組織に依存する戦争の複雑な制度は、個人の攻撃性の観点から理解することはできません(ただし、動物社会の紛争はそのように理解することができます)。人間という動物だけが戦争をし、人間という動物だけが自分たち自身を殺します。

中東における現在の暴力は、国家と歴史を巻き込むことなしには説明できません。アフガニスタンは最初に大英帝国によって、次にソビエトによって、そして2001年にはアメリカ人によって侵略されました。三者はすべて、彼らがアフガニスタン人に発展を、すなわちより良い生活をもたらすことを望んでいると述べていました。その代わりに続いたのは、アメリカの侵略の場合では、今日まで続く暴力でした。数千人が命を落とし、宗派間の暴力が噴出しています。ジハードという言葉は、イスラミック・ステートに関して一般的に使用されており、時には聖戦と訳されています。おそらく、アフガニスタンからソマリアに至るまでの中東での現代の戦争はすべて、イスラム教、キリスト教、ユダヤ教(すべて中東から発する一神教の宗教)の神聖な戦争です。21世紀初頭に私たちが経験しているものは、キリスト教徒やユダヤ教徒にとっては世俗的であり、イスラム教徒にとってはジハード聖戦の形をとるような宗教戦争です。

人類学者は、政治家と評論家によって占有されている現代の光景の覆いをはぎ取るべきです。なぜなら、そのことに失敗した場合の帰結は、大量殺戮と破壊という点で非常に大きなものだからです。一部のアラブ人にとって、イスラエルは中東に対する西洋の橋頭保です。一部のイスラエル人にとっては、それは帰還であり、第二次世界大戦でのナチスのユダヤ人の殺害に対する補償です。2001年、ジョージ・W・ブッシュ大統領はテロリズムに対する「十字軍」に言及しました。テロリズムは一般的な言葉であり、特定のものではありませんが、ワジリスタン、ソマリア、イエメン、パレスチナのガザ地区でアメリカの無人機による攻撃を行う際に使用されます。資源戦争などの説明は、もしイラクが石油を持っている代わりにブロッコリーを育てていたならば私たちは侵略しなかっただろうという冗談を除いて、一般的に回避されています。人類学者は比較者として、点をつなぐことによってこれらの問題の一般市民の理解に貢献するための準備が整っています。[23]

法律

1960年代、法律と人類学に関する人類学的研究には、アフリカのバロツェ、ティヴ、アルーシャ、米国のシャイアン、メラネシアのトロブリアンド、フィリピンのイフガオなどの特定の人々の民族誌が含まれていました。第一世代の学者 — ブロニスワフ・マリノフスキー、マックス・グラックマン、ポール・ボハナン、フィリップ・ガリバー、カール・ルウェリン、およびE・アダムソン・ホーベル — は、ローカルな世界観を持っていました。彼らは、法律の機能、その有無、交渉、調停、裁定、報復のプロセスを検討しました。その後に続いた世代は、メキシコのオアハカのサポテク族やメキシコのチアパスのシナカンタン族、そしてアフリカからニューギニア、ハワイに至る新しい地域についてのもののような、質の高い民族誌や地元の民族誌の数を増やしたいと考えていました。[24]これらの場所でバリエーションが調べられましたが、初期の年月において法律についての人類学を教えるときには、中心的なコアはすでに整っている民族誌でした。[25]

しかしながら、ヨーロッパの大国によって植民地化された人々が独立を獲得するにつれ、世界中の新しい国家の数は急速に増加し、それらの国家は地元の人々を国家の法に組み入れていきました。グローバル化、新しい国家や法律に対する法の支配などの法的イデオロギーの普及、そして近代化に注意が向けられました。研究と教育は変化し、20世紀後半までには、特に冷戦終結後には、学生は新しい国家、法律帝国主義、軍事法、および法的権利について学ぶことに熱心になりました。アメリカによるアフガニスタンとイラクへの侵攻後には、彼らの心の中には、適正な手続き、公正さ、および外国の法律の押し付けという観点からの、対テロ戦争についての考慮もありました。したがって、2016年において法と人類学を教えることは、1960年代においてそれを教えることとはほとんど似てはいませんでした。ただし、「小さな不正義(Little Injustices)」(1981)や「知識を失う(Losing Knowledge)」(2012)などのドキュメンタリー映画は、学生に、地元の主権の喪失によってどれだけのことが変化したかの感覚を与えてくれます。学生に割り当てられる読み物も変更されています。人気の本の1つは、リーチの「慣習、法律、テロリストの暴力(Custom, Law, and Terrorist Violence)」(1977)です。

テロ戦争の想像上の原因を分析しようと試みた人類学者の1人は、バスクの人類学者のヨセバ・ズライカであり、彼はテロリズムに関する多くの本の著者です。彼の最新のものは「テロリズム — 自己成就的な予言(Terrorism — the Self-Fulfilling Prophecy)」(2009)です。対テロリズム対策がテロリズムを生み出すことについての彼の議論の中で、ズライカは米国の政策における中世の要素に言及します。彼は、現在の対テロリズム対策の行動と、相容れない証拠を否定し、すべてを黒か白か、善か悪かとみなす前近代的な考え方とを理解するために、ヨーロッパで歴史的に蔓延していた魔女への恐怖を思い起こさせます。ズライカは、エヴァンス-プリチャードの「アザンデ人の世界―妖術・託宣・呪術」(1937)に言及し、一部の個人が他者に害を与えるという神秘的な力の信念を私たちが理解するのを助けました。最後に、彼は、中世ヨーロッパにおいて正常で疑いの余地がなかったものが、懐疑論に取って代わられたことに注目しています。

人類学者が魔術や魔女狩りを研究しているところではどこでも、恐怖が存在しています — 病気への恐怖、暴力への恐怖です。[26]エリザベス・コルソンによると、現代のアフリカでは、魔術の告発は、見た目上は説明できないHIVによる死亡に伴って増加しています。[27]「なぜ私なのか?なぜ私たちなのか?」という質問は答えられなければなりません。米国内での「テロリズム」の恐怖を説明する際に、一部の人々は、これらの点を結びつけることは、西洋で活動する人類学者にとって新たな挑戦になるかもしれないと主張しています。より複雑な状況の中での魔女狩りには、魔術が当たり前のように思われていた、読み書きのできなかった社会における文脈よりも広い文脈を必要とします。米国などの複雑な社会では、非合理的または非論理的思考に基づく信念は、近代的であることの一部として受け入れられていません(あるいは、そのように言われています)。

都市人類学

暴力と戦争への関心は、都市空間への関心の高まりと関係があるかもしれません。都市部に住んでいる世界人口の割合は、過去200年間にわたって増加しており、これは一部の人が言うには産業革命から始まりました。1800年には、全人類のわずか3%しか都市に住んでいませんでした。1900年までに、13%が都市部に住んでいました。わずか80年後、その割合は40%にまで上昇し、現在では50%を超えています。都市居住者の割合は、高度に発展した社会で最も高くなっています。ある情報源は、1900年には100万人以上の住民がいる都市は世界に16個しかなかったが、2015年までにそのような都市の数は300を超え、まだ増え続けていることを示唆しています。ブラジリアのように新しい都市が建設されています。[28]したがって、都市人類学が同等の成長を遂げているのは驚くことではありません。都市考古学の驚くべき発見は、ミズーリ川、ミシシッピ川、イリノイ川の合流点にあった83ヘクタールの都市であるカホキアの発見です。これはかつては2万人が住んでいた都市で、11世紀から12世紀のロンドンやパリよりも大きいものでした。[29]

都市人類学には理論的側面と応用的側面の両方があり、そのトピックは移民、貧困、階級、民族性、薬物、都市暴力に及び、カナダ、アメリカ、アフリカ、ブラジルおよびその他の地域の社会を調査しています。その仕事は比較に基づくものであり、深く民族誌的であり、農村の慣習の都市への持ち込みと都市の特徴の農村地域への持ち込みとを記録しています。たとえば、エリック・ハームズの「サイゴンの端 — ホーチミン市の縁辺(Saigon’s Edge — On the Margins of Ho Chi Min City)」(2011)は、都市の産業的な拡大の中の荒れ地における都市-農村の境界、すなわち、さまざまな世界とグローバル市場を結び付けるさまざまな変革との間の領域にいる人々の生活を示しています。ロサンゼルスには、太平洋地域以外で最大のサモア人移民集団が住んでいます。フィリップ・ブルゴワによるニューヨークのハーレムにおける薬物の売人の民族誌のタイトルである「尊厳を求めて(In Search of Respect)」(1995)では、犯罪を犯した個人などの法律の問題に対してさまざまな慣習が影響を与える様子が描かれています。ギャングおよびギャングの暴力は見出しを飾り、応用人類学者に着想を与えます。薬物や性的人身売買に対する新たな関心、借金や不平等によって引き起こされる広範なストレスもまた同様です。

健康と医療

読者はおわかりのように、人間集団に関連するすべての行動、制度、および考え方は興味深いものです。たとえば、すべての社会は、病気の原因や健康を維持するためのシステムについての信念を構築しています。医療人類学という下位専門分野には、すべての下位分野からの人類学者が含まれます。世界の多くの地域では、植民地主義、戦争、病気、食事の変化が健康問題に寄与しています。狩猟採集社会は他のグループから比較的孤立しており、感染症の流行に苦しんでいません。感染症は、特にこの広範囲に渡る旅行の時代においては、農業社会および都市社会に影響を与えています。たとえば、マラリアの蔓延は、人口増加と食糧生産に付随する変化に関連づけられています。肥満と糖尿病は経済発展とグローバル化とともに広がり、HIV感染などの病気は世界の他の地域よりもアフリカで多く見られます。[30]HIVが割礼を受けている男性よりも割礼を受けていない男性の間でより頻繁に広がるにつれて、文化的要因が入り込んできます。そして、スストー(不安や恐怖に起因する病気)、借金や不平等に起因する広範なストレスなどの情動障害があります。人間の行動の根底にある説明は、述べられていない前提に基づいています。

結論

人類学とは何でしょうか?この質問は、特定の人類学者の著者に応じて多くの方法で答えることができます。言語人類学者は、ボアズの生徒であるエドワード・サピアに言及することから始めるかもしれません。彼の作品である「言語(Language)」(1921)は、彼が執筆した当時と同じくらい、現在でも素晴らしいものです。サピアの研究はアメリカインディアンの言語、およびそれが人類学に関連する際のそれらの言語のつながりと分布という主題に及びました。これは、初期のものから現代におけるスピーチの使用に至るまでの言語の研究の学際的性質です。言語と文化の研究には、言語の技術的側面と社会-言語学(文脈の中での言語の研究)の両方が含まれます。[31]1930年代の夏期言語講座(Summer Institute of Linguistics)の設立もまた、私たちが専門家であるかどうかに関わらず、言語学研究の手法においてあらゆる分野の人類学者の教育に重要な役割を果たしました。そのような幅広い教育には、言語を鍵とする民俗学者が含まれるでしょう。常に先を見通していたアラン・ダンデスは、民俗伝承、特に電子時代の民俗伝承が必ずしも口頭で伝えられ、表現されるわけではないという、重要であるものの論争の的となっている点を実証しました。[32]

人類学者の意見の相違や意見の不一致のすべてにも関わらず、私たちは既存の前提を再考する様式として分離と関与の両方に価値を置く「人類学的態度」を共有しています。このような共通の価値観は、19世紀以来あまり変化しておらず、人類学者が挑戦してきた社会的偏見(自民族中心主義、人種差別、性差別、および人間の価値の不十分な測定)にもあまり変化はありません。変化したのは、私たちの周りの世界、すなわち、私たちが誰であるか、私たちが何を勉強し、どのような結果をもたらすかに影響を与えるとともに、私たちが今とっている立場をなぜとるのかを問うように強いてくるような世界です。米国で人類学を行う上で重要な役割を果たしてきたような、この職業に対する外的要因も、依然として私たちとともにあり、記憶に残しておく価値があります。人類学は、他のどの学問分野よりも、地球上の人間の将来の役割に影響を与えることができる一種の内省を生み出す能力(歴史の教訓、すなわちこの惑星でのホモ・サピエンスの経験を分け与える能力)を備えています。

ディスカッションのための質問

1.ローラ・ネーダーは、文化的前提を調べることが人類学者の主な動機であると説明しています。なぜこのような調査が重要なのでしょうか?人類学者は「上向き、下向き、横向き」に研究すべきだと言うときに、彼女は何を意味していますか?
2.この章では、科学と法律の両方の調査を含む、人類学の中で発展してきたいくつかの特殊化、または専門の分野について記述しています。科学と法律は文化の産物としてどのような方法で分析することができますか?
3.結論において、ローラ・ネーダーは、人類学は「分離と関与の両方に価値を置く」と書いています。参与観察の研究に依拠する職業では、これが特に難しいのはなぜですか?

用語集

地域研究:アフリカ、中東、東アジア、中国、ラテンアメリカ、ヨーロッパなどの世界の地域を中心に研究および学術プログラムを編成する方法。

強制的調和:対立よりも妥協と意見の一致を強調し、異議の排除(調和イデオロギー)と正義への要求の抑制をもたらす紛争解決へのアプローチ。

文化的決定論:行動の違いは、人種的または遺伝的な原因ではなく文化的な原因の結果であるという考え方。

文化相対主義:私たちは他の人の信念や行動を、自分たち自身の文化の観点からではなく、彼ら自身の文化の観点から理解することを目指すべきだという考え方。

自民族中心主義:自分自身の文化を、最も重要かつ最も正しいものであり、他のすべての文化を測定するための基準と見なす傾向。

機能主義者:イギリスの人類学で開発されたアプローチで、社会のいくつもの部分が協力して全体の機能をサポートする方法を強調しました。

全体論:行動の歴史的、環境的、文化的基盤を広く見ること。

参与観察:観察の1つのタイプであって、人類学者が、情報提供者が従事しているのと同じ活動に参加しながら観察すること。

可塑性:どのような言語や文化でも学ぶことのできる人間の能力を指します。

世界システム理論:世界経済システムの発展と機能の調査を含む社会科学と歴史へのアプローチ。

著者について

ローラ・ネーダーは、カリフォルニア大学バークレー校の社会文化人類学の教授です。ネーダーの現在の仕事は、セントラルドグマがどのように作られ、それらが法律、エネルギー科学、人類学の中でどのように機能するかに焦点を当てています。彼女は紛争解決と法律に関するいくつかの本を出版しています。そこには、「調和イデオロギー:山地サポテク村落での正義と統制(Harmony Ideology: Justice and Control in a Mountain Zapotec Village)」(1990)と「法律の命:人類学的プロジェクト(The Life of the Law: Anthropological Projects)」(2002)が含まれます。彼女は科学の人類学の研究も行っており、特にエネルギーに焦点を当てています。彼女の本「裸の科学:境界、権力、知識についての人類学的研究(Naked Science — Anthropological Inquiry into Boundaries, Power, and Knowledge)」(1996)と「エネルギー読本(The Energy Reader)」(2010)は、これらのトピックに関する彼女の研究の2つの例です。彼女はまた、2012年の映画「知識を失う:変化の50年(Losing Knowledge:50 Years of Change)」を含む民族誌の映画を制作しました。これは、先住民の知識が消滅していく様を探求しています。ネーダー博士はアメリカ芸術科学アカデミーのメンバーであり、アメリカ人類学会のCoGEA賞や、法と社会協会のハリー・J・カルヴェン・ジュニア賞など、数々の賞と栄誉を受けています。

書誌情報

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注記

[1] Edward Burnett Tylor, Primitive Culture (London: John Murray, 1871).
[2] Franz Boas, “The History of Anthropology,” in Congress of Arts and Science, Universal Exposition St. Louis, Vol. 5 (New York: Houghton, Mifflin and Company, 1905), 451.
[3] Laura Nader, Culture and Dignity (New York: Wiley-Blackwell, 2013), 51.
[4] Sidney Mintz, “‘Sows’ Ears and Silver Linings:’ The 1996 AAA Distinguished Lecture,” Current Anthropology 41 (2): 169–89.
[5] Antonio De Lauri, The Politics of Humanitarianism: Power, Ideology and Aid (London: Tauris, 2015).
[6] たとえば、以下を参照。Rachel Stryker and Roberto Gonzales, Up, Down and Sideways: Anthropologists Trace the Pathways of Power (New York: Berghahn Books, 2014).
[7] たとえば、以下を参照。Ashraf Ghani, “Writing a History of Power: An Examination of Eric R. Wolf’s Anthropological Quest” in Articulating Hidden Histories: Exploring the Influence of Eric R. Wolf, ed. Jane Schneider and Rayna Rapp (Berkeley: University of California Press, 1995).
[8] たとえば、以下を参照。Hugh Gusterson, Nuclear Rites: A Weapons Laboratory at the End of the Cold War (Berkeley, CA: University of California Press, 1996) and Joseph Masco, The Nuclear Borderlands: The Manhattan Project in Post Cold War New Mexico (New Jersey: Princeton University Press, 2006).
[9] Eric R. Wolf, “They Divide and Subdivide, and Call It Anthropology,” The New York Times, November 30, 1980, E9.
[10] たとえば、以下を参照。Ellen Hertz, The Trading Crowd: An Ethnography of the Shanghai Stock Market (Cambridge: Cambridge University Press, 1998) and Gillian Tett, Fool’s Gold: The Inside Story of J.P. Morgan and How Wall Street Greed Corrupted Its Bold Dream and Created a Financial Catastrophe (New York: Free Press, 2010).
[11] Annelise Riles, Collateral Knowledge: Legal Reasoning in the Global Financial Markets (Chicago: Chicago University Press, 2011).
[12] たとえば、以下を参照。Bill Maurer, Mutual Life, Limited: Islamic Banking, Alternative Currencies, Lateral Reason (Princeton: Princeton University Press, 2005) and Ibrahim Warde, Islamic Banking in the Global Economy. Edinburgh: Edinburgh University Press, 2000).
[13] Charles Brigg and Clara Mantini-Briggs. Stories in the Time of Cholera: Racial Profiling during a Medical Nightmare (Berkeley: University of California Press, 2003) and Chris Shore and Susan Wright, eds., Anthropology of Policy: Critical Perspectives on Governance and Power (New York: Routledge, 1997).
[14] Margaret Lock, Encounters with Aging: Mythologies of Menopause in Japan and North America (Berkeley: University of California Press, 1993) and Lawrence Cohen, No Aging in India: Alzheimer’s, the Bad Family, and Other Modern Things (Berkeley: University of California Press, 1998).
[15] Laura Nader, The Energy Reader (Oxford: Wiley-Blackwell Publishers, 2010).
[16] ここでの例はローラ・ネーダーによるいくつかの出版物からとられています。以下を参照。Laura Nader, “The ADR Explosion: The Implications of Rhetoric in Legal Reform,” in Windsor Yearbook of Access to Justice (Ontario: University of Windsor, 1989), 269–291; Harmony Ideology: Justice and Control in a Zapotec Mountain Village (Stanford: Stanford University Press, 1990); “Civilization and Its Negotiators” in Understanding Disputes: The Politics of Law, ed. Pat Kaplan (Oxford: Berg Publishers, 1995); “Controlling Processes: Tracing the Dynamic Components of Power and Knowledge” Current Anthropology 38 (1997): 711–737. 核廃棄物をめぐるネイティブアメリカンと政府との交渉についてのさらなる議論については以下を参照。Jay Ou, “Native Americans and the Monitored Retrievable Storage Plan for Nuclear Wastes: Hate Capitalism, Negotiation, and Controlling Processes,” in Essays on Controlling Processes, ed. Laura Nader. (Kroeber Anthropological Society Papers, №80, 1996).
[17] Marc Auge, A Sense for the Other: The Timeliness and Relevance of Anthropology, A. Jacob, trans. (Stanford: Stanford University Press, 1998).
[18] Linda Coco, “Mortgaging Human Potential: Student Indebtedness and the Practices of the Neoliberal State,” Southwestern Law Review, 42 (3) 2013.
[19] ここで引用されている2つの例は、Sharon Traweek, Beamtimes and Lifetimes: The World of High Energy Physicists (Cambridge, MA: Harvard University Press, 1988) and Pamela Asquith, “Japanese Science and Western Hegemonies: Primatology and the Limits Set to Questions,” in Naked Science: Anthropological Inquiry into Boundaries, Power and Knowledge, ed. Laura Nader (New York: Routledge, 1996).
[20] Paul Richards, Indigenous Agricultural Revolution: Ecology and Food Crops in West Africa (London: Westview Press, 1985).
[21] Kendall Thu and E. Paul Durrenberger, eds. Pigs, Profits, and Rural Communities (Albany: State University of New York Press, 1998), 2.
[22] Stanley Tambiah, Magic, Science, Religion and the Scope of Rationality (Cambridge: Cambridge University Press, 1990).
[23] Laura Nader, What the Rest Think of the West: Since 600 A.D. (Berkeley: University of California Press, 2015).
[24] メキシコのオアハカの議論については以下で見られます。Laura Nader, Harmony Ideology: Justice and Control in a Zapotec Mountain Village (Stanford: Stanford University Press, 1990). メキシコのチアパスの例は以下からのものです。Jane F. Collier, Courtship and Marriage in Zinacantan, Chiapas, Mexico (New Orleans: Middle American Research Institute, 1968). ハワイにおけるこれらの動態の分析については以下で見られます。Sally Merry, Colonizing Hawaii’: The Cultural Power of Law (Princeton: Princeton University Press, 2000).
[25] Laura Nader, The Life of the Law: Anthropological Projects (Berkeley: University of California Press, 2002).
[26] Neil Whitehead and Sverker Finnstrom, eds. Virtual War and Magical Death: Technologies and Imaginaries for Terror and Killing (Durham: Duke University Press, 2013).
[27] たとえば、以下を参照。Elizabeth Colson, “The Social History of an Epidemic: HIV/AIDS in Gwembe Valley, Zambia,” in Morality, Hope and Grief: Anthropologies of AIDS in Africa, ed. Hansjorg Dilger and Ute Luig, 127–147 (New York: Bergahn Books, 2010). コルソンの仕事に関する追加の視点については以下で見られます。Elizabeth Colson, “Anthropology and a Lifetime of Observation,” an oral history conducted in 2000–2001 by Suzanne Reiss. Regional Oral History Office (The Bancroft Library: University of California, Berkeley, 2002).
[28] James Holston, The Modernist City: An Anthropological Critique of Brasilia (Chicago: Chicago University Press, 1989).
[29] カホキアについてのさらなる情報は、以下を参照。Alice Kehoe, The Land of Prehistory: A Critical History of American Archeology (New York: Routledge, 1998) and Timothy R. Pauketat, Cahokia: Ancient America’s Great City on the Mississippi (New York: Viking-Penguin, 2009).
[30] Paul Farmer, Aids and Accusation: Haiti and the Geography of Blame (Berkeley: University of California Press, 1992).
[31] たとえば、以下を参照。Dell Hymes, ed., Reinventing Anthropology.
[32] たとえば、以下を参照。Alan Dundes, The Study of Folklore (Englewood Cliffs: Prentice-Hall, 1965) and International Folkloristics: Classical Contributions by the Founders of Folklore (Lanham MD: Rowman and Littlefield, 1999).

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