『難民問題──インドネシア難民編』

ChuChu♪+豊田 直巳(フォト・ジャーナリスト)

『難民の世紀──漂流する難民』(フォト・ルポルタージュ)豊田 直巳 著 出版文化社 2002年9月11日発行より本文一部抜粋

『はじめに』──ChuChu♪

これは、今からほんの十五年前の2002年のインドネシアの現状を伝えてくれる話です。2017年、日本へ難民受け入れ認定を申請した国民約一万人の内、最も申請の多かった国がインドネシアからの難民でした。日本はその内たったの数名しか難民認定する事ができなかったそうです。これは、国際社会的に見ても低い水準であり、日本の骨幹的な問題として見直してみるべき問題だと思います。そこで、インドネシアからやってくる難民とは、元々どの様な境遇におかれてきた人々なのかを知るために、冒頭に記した本の中から、次のルポルタージュを紹介したいと思います。──ChuChu♪

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『第4章 民主化と「難民」 インドネシア国内避難民』

「インドネシア国内避難民とは何か」──豊田 直巳 著

インドネシアは東西の時差が二時間もある広大な領域に広がる、無数の島々からなる国である。そこには三〇〇とも三〇〇〇とも数えられる多様な民族が、互いにその異なる文化を尊重して暮らすことで、人間的な豊かさを育んできた。しかし一九九九年九月、東ティモールでの凄惨な破壊と殺戮にインドネシア国軍が大きく関与していたように、現在のインドネシアは、その豊かな島々を暴力で支配しよう、あるいは破壊しようとする者たちの陰謀が噴出しているようだ。それは「独立運動」で揺れる西パプア(イリアンジャヤ)やアチェだけではない。スラウェシやカリマンタン、そしてマルク諸島でもそうだ。
 私が訪れた二〇〇〇年二月の時点で、マルク諸島ではすでに六〇〇〇人の死者が出ているとも、四〇万人の「難民」が島々を逃げまどっているともいわれており、その理由として「キリスト教徒とイスラム教徒の宗教紛争」と小さく報道されていた。訪れてみると、たしかに紛争自体は目を覆いたくなるほどの現実として存在した。マルク州の州都、アンボンの空港から市内に行くのでさえ、キリスト教徒とイスラム教徒は別の車に乗り、あるいは別のボートで海を渡るしかなかった。
 どれもこれも「内戦」を証明するような「事実」ではある。しかし誰に聞いても、「イスラム教徒の隣人と仲良く暮らしていた」「イード(イスラムのお祭り)にはキリスト教徒だろうと招いたし、クリスマスには招かれた」と言い、ごく普通の生活が、なぜ壊され、互いに憎しみ合うようになったのかが定かではない。ことの発端は「クリスチャンの乗合バス運転手と、イスラムの地元住民の金銭をめぐるトラブル」だったというところまでは誰も異論がない。ただなぜか、そのトラブルを利用して紛争にまで拡大させた張本人は捕まらない。一方で、犯人が誰なのかがはっきりしないなかで起こる犯罪に、「あれはイスラム教徒のしわざだ」「これはキリスト教徒の犯行だ」との噂が事件直後から流された。そしていつの間にか「キリスト教徒が襲ってきた」、あるいは「イスラム教徒の襲撃があった」と「噂」は「事実」となり、ついには「イスラム教徒から守るため」の、そして「キリスト教徒から防衛するため」の、武装と「宗教の衣」をまとった組織化が進められた。
 その結果、本当に「宗教戦争」となってしまった。しかし、それぞれの事件にいつも黒い影がつきまとった。紛争を予防するはずのインドネシア国軍である。あるいは、場所によってはスハルト政権を支えた当時の与党、翼賛政党のゴルカルの指導者たちである。
 だから人権団体は、早くから軍隊の増派ではなく真相究明を内外に要請した。しかしインドネシア中央政府は、軍隊を増派して「安定を守る」と主張した。もちろん、それこそが「宗教紛争」を演出したものたちの望んだものだったのだろう。その結果、紛争はテルナテ島へ、そしてハルマヘラ島へと広がり、殺戮も破壊も拡大した。
 そして、暴力が広がれば広がるほど、インドネシア国軍の存在意義が高まった。つまり、人権団体が危惧していたとおりになったのである。東ティモールやアチェでの住民虐殺で地に落ちたインドネシア国軍の再生のため、自作自演劇に、エキストラとして無数の犠牲者が必要だった、そのために宗教は利用されたのではないか、そのように見る人もいる。実際にそうだからなのか、現在のインドネシアでは真相も解明されない。

「暴力にさらされるアチェの避難民」

マルク諸島の惨劇が国軍による「間接的な虐殺」なら、アチェ特別州で起こっている事態は、国軍による「直接的な虐殺」である。インドネシアの東の外れから飛行機を乗り継いで、西の外れスマトラ島の中心都市メダンに入り、そこからバスでアチェに入った。北アチェ県のロスマウェ市に向かうバスは、軍の検問所で十数回も止められたらが思いのほか「治安も落ち着いていて」スムーズに行けた。ただし「落ち着く」ことがいいともいえない。つまり、独立を目指して武装闘争を続けるGAM(自由アチェ運動=政治、ゲリラ組織)を、国軍が大規模な掃討作戦によって海岸線を走る主要道沿いから駆逐し、地域を軍の支配下に置いたともいえるからだ。しかも「ゲリラ掃討」を名目に軍隊は村に入り込み、ゲリラ支持者とみなした村人の虐殺も茶飯事となっているだけでなく、強姦事件も絶えない。さらには「作戦」を名目に村が焼き払われているという現実がある。
 ロスマウェに着いた翌日、さっそく地元紙記者が病院の死体安置所に連れて行ってくれた。殺された死体が運び込まれたというのだ。しかし病院にはジャーナリストが詰めかけているわけでもない。それでもひと目で外国人とわかる私を、病院の関係者は遺体安置所に案内してくれた。しかし病棟から独立して小さな小屋の安置所に近づくと、そこから漏れ出る腐敗臭に、案内人は指で扉を示すと踵をかえした。遺体は、すでに体内にガスを溜め込み、ぱんぱんに膨れ上がっていた。たとえ親族でも、遺体が誰なのか判別するのは難しいだろう。
 撮影を終えて安置所を出ると、地元紙記者は病院入り口で私を待ち受け、「どうだった」と聞いてきました。毎日アチェで取材を続ける彼には日常のことだ。「たぶん、死体が誰なのかも、殺したのが誰なのかも結局わからずじまいになるだろう。国軍によるとしか考えられないが、そんなこと誰も言えないからだ」と言い、そして「俺が言ったことを書いてもいいが匿名だぞ」、と念を押すのを忘れなかった。
 街の茶店で出会った地元民からも、「アチェでは毎日のように死体が出るのさ、本当の犯人はわからずじまいだよ、でもみんな本当は誰がやったか知っている」という話を聞いた。「警察も軍隊も同じだよ。彼らは中央ジャワから来ている。アチェ人は一人もいないよ」という彼の声には敵意が込められていた。

「難民収容所」

学校の体育館に避難した周辺の村からの避難民(ロスマウェ・アチェ)

アルバディットという小さな村からの避難民は「アチェには天然ガスはあっても正義がない。人々が自由や独立を求めているのは、そのためです」と説明する。アチェの天然ガスのほとんどは日本で消費されている。そのために日本が三一八億円ものODA(政府開発援助)を供与して、ここに液化天然ガスの精製プラントを建設しているくらいだ。しかし先の村人は「ここには仕事もないし」と、人々が正義を求める理由を続けた。プラント建設によって村人が土地を奪われたり、漁民がプラントの温排水などによって漁に大打撃を受けることはあっても、利益の配分にあずかることはなかった。
 直接被害を受けなかった人々にも、その天然資源が生み出す利益のほとんどをかすめ取るインドネシア中央政府への不満は日常的に存在する。こうした人々の憤りを背景に、独立を唱えるGAMは勢力を伸ばしてきたのである。そしてそれに対する正規軍たる国軍は、世界中の対ゲリラ戦がそうであるように、一村丸ごとの弾圧で応えた。その結果、アルバディット村でも「だれがやったかわかりませんが、二八家族の家が焼かれ、ここに逃げてきて、すでに六カ月になります」という状況が生み出された。
 アチェ人権NGO連合の調整官マイムル・フィダルさんは、日本の市民団体の招きで来日した際に、驚くような数字をあげて報告した。アチェが国軍のDOM(軍事作戦地域)に指定されていた八九年から九八年の間に、(死者だけで)七〇〇〇名以上の犠牲者が出ました。そしてGAMと国軍の停戦期間中の国軍の停戦違反は八七パーセントにものぼり、DOM時代と同じ状況が続いています。今でも毎日三名もの人が死んでいるのです。女性も、一般市民も、昨日も二〇名もの人が殺されています」
 日々続く殺戮や住民弾圧と無関係に私たちの生活が成り立っているのではない。そのことを忘れるなとばかりに、私がアチェを去る日も、日本政府の援助で造られたアルン社の天然ガス精製プラントの巨大な煙突からは、煙とともに真っ赤な炎がたちのぼり、空を焦がしていた。

『難民の世紀──漂流する難民』(フォト・ルポルタージュ)豊田 直巳 著 出版文化社 2002年9月11日発行より

著者 豊田 直巳(とよだ なおみ)

フォト・ジャーナリスト。1956年静岡県生まれ。戦争と平和をテーマに雑誌やテレビなどで作品を発表している。83年から20年に渡ってパレスチナ問題を中心にレバノン、シリア、ヨルダン、イラク、イスラエルなどの中東取材を敢行。また95年以降、世界各地の難民取材も行ってきた。現在学校現場で平和教育の一環として、難民の置かれている現状を話したり、そのほか数多くの講演、写真展を行っている。自身のサイト「境界線の記憶」も開設。
URL: http://www.ne.jp/asahi/n/toyoda/index.html

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『あとがき』──ChuChu♪

日本における難民や移民の受け入れ状況は、国際的に見ても少なすぎるという現実問題を抱えているのが私たちの国ですが、国内の災害難民を救えない国が国外の難民救済だけを優先するのは間違っていると私自身は思います。世界中同じ人間同士、難民救済に優先順位などないだろうという事も分かります、しかし、国外の紛争難民や経済難民を優先するのならば、国内の災害難民や経済難民も同じように救済しなければ日本人として公平ではない国になってしまうのではないでしょうか。
 現在多くの日本国民はそのように考えていて、結局のところ、他の国内の社会問題を優先していて、難民問題については現状維持のまま放置してしまっているのではないでしょうか?
 しかし、日本における「難民・移民政策の問題」は、現状のまま放置しておくわけにはいかない重大な問題です。
 なぜならば、私達日本国民の災害難民や経済難民は、災害が起こる度に増加してしまい、未だ、難民となった人々を救済する事が十分には出来ていないからです。
 私達日本国民は、同じ国民として国内で弱い立場に追いやられている災害避難民や経済難民達を救済していく必要があります。とは言っても、私達日本国民は、なかなか自分たちの国内の難民問題をどの様に救済していくことが出来るのか、様々な社会問題を抱えている中で、優先的に捉えることが難しくなっていると思います。
 そこで、日本社会における難民問題を改善していく為に、敢えて、海外からやってくる難民や移民の受け入れ問題を捉えて解決策を考え出してみる事で、難民問題全体としての基準が生まれてくると思います。
 難民問題を解決するための日本の基本的な基準とその基本認識が社会的に作られていけば、国内の難民問題を解決する基準や方針や方法も見えてくると思います。
 自分たちの身近な所にある問題というのは、あんがい、近すぎて捉えにくい問題として優先的に解決しなければならない問題として認識し辛いものだと思います。その様な場合には、敢えて、国外にある似たような問題を捉えてみる方が、捉えやすいと思います。他国の問題であれば、自分たちの国内の問題よりも遠い位置にあるので、「隣の芝生は良く見える」という事と同じ様に、自国とは一旦切り離して捉えることが出来るので解決策も考えやすいと思います。
 そうして考える事は、少し遠回りの様に思えるかも知れませんが、日本国内の困難な問題を解決する為には、むしろ、国外の他国にある似たような問題から捉えていく方が国内の困難な問題に対して、的確な解決策が生み出しやすくなります。
 国内の困難な問題の多くは、国際的に見て多くの国々で同じ様な社会問題を抱えているものです。
 特に国際問題として取り上げられている難民問題などについては、他国の事例から解決策を探る方が、日本国内の狭い視野の偏向した捉え方しか出来ないような社会の中で考えるよりも、遥かに国際的にも公平な的確な解決策があみ出せる様になると思います。
 また、こういった他国の事例の実際の経緯を、当事者達の視点に近い見解と、全体を通して考察する観点を合わせて知ることは、これから私達の身に降りかかるかも知れない似たような問題の今後の展開として、注意しなければならない事を先例として教えてくれるものでもあります。
 例えば、インドネシア政府の軍部がもつ強力な武力や暴力を奮って、圧制的に市民社会を支配していく様は、どこの国でも起こりえる事ですし、多様な民族がそれぞれ尊重しあいながら差別もなく、人間的に豊かさを育む社会を形成しながら暮らしていた国の人々でも、ちょっとした、いざこざによる「小さなトラブル」から、「差別的な噂」が、どこからとも無く沸き立ち、次第にその悪い噂が増殖されながら熱情的に発展し、人々がお互いに憎しみ合うまでに過激化し、一つの国民が分断され、過激化した市民を制圧する為という名目で、国軍が虐殺を働くまでになるその経緯を見ると、他人事ではない。世界各国の国民社会にその発端となる事象が、現在でも沢山起きている。
 現在の日本国内のヘイト騒動や、権力者の偏向した主張や、多民族国家米国のフェイクニュースと国民社会の分断の中にある「小さなトラブル」の数々は、インドネシアで起こった変化の兆しとそれほど変わるものではない。むしろ、一歩間違えば、行き過ぎた過激な行為に発展したり、それを利用して社会変革を達成しようと企む者たちが、人々を陽動しながら圧制政治体制を強めていく手段に使われるという可能性もあり得る事なのだということが理解できます。
 そのような危ない変化の兆しに対して、私達が陽動に流されたり、悪政に気付かず貶められていく事がない様に、注意深く対応していくすべを身につけていかなければいけないという事がこの話から学び取れる取れるのではないでしょうか。

ChuChu♪のTwitterやこのブログでは、そのような観点から、世界各国の様々な事例をお話として紹介しながら、それを日本国内の問題へ繋いで解決策を編み出せるように施していきたいと考えてお話を沢山紹介しています。
 私達の国が、日本の問題の改善策を編み出していく過程において、私達がそれを政府や権力者任せにするのではなく、国民一人一人が主導して、解決策や日本の方針を編み出して、提案していける様になる為に、日本国内の狭い社会的な視野だけでは解決しにくいと思われる問題を、世界市民という広い視野に立った観点から、これまでとは異なる新たなアプローチで挑んでいく事が、大きな打開策を編み出していくきっかけになると私は考えています。──ChuChu♪

「日本政府の難民認定」

日本で昨年1年間に難民認定の申請をしたのは1万901人(前年比3315人増)で、初めて1万人を超えた。法務省が10日付の速報値を発表した。一方、難民と認められたのは28人(同1人増)。ほかに97人(同18人増)の在留を「人道的な配慮」から許可した。政府は難民認定に厳しい姿勢を続けている。

難民認定の申請者の内、国別で多かったのはインドネシア1829人、ネパール1451人、フィリピン1412人など。

国別で認定者が多かったのはアフガニスタン7人、エチオピア4人、エリトリア3人など。「人種や宗教などを理由に迫害され、母国から逃げた人」を難民と定める難民条約に従って判断していると同省は説明する。一方で条約を厳格に解釈し、「武力紛争から逃げてきた」という理由だけでは難民と認めていない。同省は「認定するだけの根拠が足りない人が多い」としている。

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