『9・11──忘れられた教訓 2002年9月4日』 著者 ノーム・チョムスキー

INTERVENTIONS by Noam Chomsky 2007

2002年
9・11テロから1年、ニューヨークでは世界貿易センタービル崩壊現場で追悼式典が行われた(2002年9月11日、写真:共同通信社)

『9・11──忘れられた教訓 2002年9月4日』 著者 ノーム・チョムスキー

9・11の衝撃は、多くのアメリカ人に、米国政府が世界でどのような行動をとっており、それゆえどのように認識されているか、よく注意して見ておくべきだということを気づかせた。そして、かつては議論の対象にならなかった多くの課題が堂々と話し合われるようになってきている。これは大いに有益なことだ。
 こうした態度はまた、将来残虐行為が横行する可能性を減らしたいと望むなら、もっておくべき最低限の分別といえる。ブッシュ大統領が言うように、われわれの敵が「わが国の自由を憎んでいる」とあえて主張するのは慰めにはなるかもしれない。だが、現実の世界から目をそむけることは、どう考えても賢明ではない。現実の世界はそうした妄想とは異なる教訓を提起してくれるからだ。
「なぜ彼らはわれわれを憎むのか?」──こう問いかけたのは現大統領が最初ではない。44年前のある会議の席で、アイゼンハワー大統領は「[アラブ世界で起こっている]政府ではなく民衆による、わが国に対す憎しみのキャンペーン」について述べた。当時の国家安全保障委員会は、こうした運動が起こる根本の原因を次のように概説している。アメリカンはアラブ諸国の石油資源を支配したいがために、腐敗した圧制的な政府を支援しており、また、その地域の「政治的・経済的発展に異をとなえている」。
 9・11後にアラブ世界で行われた調査で明らかになったのは、同様の原因が今日においてもあてはまることであり、さらにアメリカのとった個々の具体的な政策への憤りがそれに加わっていたということだ。驚くべきことに、同地域の、特権的な西側寄りの階層の間でも同様の結果が見られた。ひとつ最近の例を挙げよう。『ファー・イースタン・エコノミック・レビュー』(2002年8月1日号)に、国際的に有名なアラブ地域専門家アハメド・ラシードはこう書いている。パキスタンでは、「アメリカが(ムシャラフの)軍事政権を支援し、そのために、自ら約束した民主化の実現が先延ばしになっていることに対して怒りが高まりつつある」。
 いま「彼らはアメリカ人を憎み、その自由を憎んでいる」と信じたとしても、およそ得るものはない。こうした憤りはむしろ、アメリカ人を好み、アメリカという国を、その自由を含めて尊敬している人々が示す態度なのだ。彼らが嫌がっているのは、彼らに自由を与えようとしないアメリカ当局の政策なのである。彼らもアメリカ人同様、自由を切望しているのだから。
 だからこそ、9・11直後にオサマ・ビン・ラディンが、(たとえば、アメリカは腐敗した残忍な政権を支援したり、サウジアラビアを「侵略」したりしていると暴言を吐いたときも)一定の共感を得たのである。ラディンを嫌い、恐れている人々からさえも、だ。テロリスト組織は人々のこうした憤り、怒り、そして欲求不満を契機に、支持を集め、志願者が増えることを望んでいる。
 われわれはさらに、世界の国々の多くが米国政府をテロリスト政権と見ていることに気づくべきだ。近年アメリカは、少なくともコロンビア、中央アメリカ、パナマ、スーダン、そしてトルコにおいて、自国が公式に定義する「テロ」そのものに該当する活動(またはそれ以上にひどいこと)を行ったか、あるいは支援した。もっとも、アメリカはこの「テロ」という用語を、敵の行動に対してのみ適用しているのであるが。
 最も穏健な立場の、権威ある外交専門誌『フォーリン・アフェアーズ』で、サミュエル・ハンチントンは1999年にこう書いている。「アメリカは常にさまざまな国々を『ならずもの国家』として非難するが、多くの国々から見れば、彼らの社会にとって、アメリカこそがならずもの超大国(スーパーパワー)、••••••唯一にして最大の外的脅威となりつつある』。
 こうした認識は、西側の一国アメリカが2001年9月11日に、はじめて本土で恐ろしいテロ攻撃を受けたという事実をもってしても変わらない。これほどひどい攻撃も、西側勢力の犠牲になっている人たちの間ではあまりにもありふれたものである。彼らにとっては、アイルランド共和国軍(IRA)や民族解放戦線(FLN)あるいは赤い旅団といった、いわゆる「小売レベルのテロ」をはるかに凌ぐ9・11レベルの攻撃は、日常茶飯事なのだ。
 9・11テロは全世界から苛烈な非難を浴び、無辜の犠牲者に対するあふれるような同情を呼んだ。しかし、それにも、いくつかの留保がついている感があった。2001年9月下旬の国際ギャラップ調査によれば、あめりかのアフガニスタンに対する「軍事攻撃」はほとんど支持されていない。なかでも、アメリカの干渉を最も多く経験している地域であるラテンアメリカでの支持率が最も低かった(たとえば、メキシコでは、たった2パーセントだった)。
 現在のアラブ世界での「憎しみのキャンペーン」は、当然ながら、イスラエル - パレスチナ問題や、アメリカの対イラク政策が原因で激化している。アメリカは(1968年の第三次中東戦争以来)イスラエルによる過酷な軍事占領にきわめて重要な支援を与え続けており、いまや35年目である。
 イスラエル - パレスチナ間の緊張を緩和するひとつの方法は、アメリカが、両者の対立の種を〔かえって〕増やすことになっている現在のようなやり方をやめることである。つまり、現在はイスラエル占領下にあるパレスチナ国家も含めた、この地域のすべての国家に(おそらくはイスラエル・パレスチナ両者が相互に国境の微調整を行うことにより)平和で安全に暮らす権利を認めるよう求める国際的なコンセンサスへの参加を拒否するだけでなく、そうした結果を実現可能にしようとするイスラエルの絶え間ない行動に、重大な経済的・軍事的・外交的・イデオロギー的支援を与えもするというやり方を、である。
 イラクは、アメリカの圧力によって10年間にわたる過酷な制裁措置を受けてきたが、その制裁はサダム・フセインの立場を強化するばかりか、何十万人ものイラク人を死にいたらしめてきた──おそらく、その人数は、「これまでの歴史のなかで、いわゆる大量破壊兵器によって虐殺されたすべての人々を合わせた数よりも」多い、と軍事アナリストのジョン・ミュラーとカール・ミュラーは1999年に『フォーリン・アフェアーズ』に書いている。
 米国政府が現在掲げているイラク攻撃正当化の根拠は、その信頼性の低さたるや、ブッシュ(父)大統領がフセイン政権のイラクを同盟国、そして貿易相手国として歓迎していた時代のそれ以下だ。その当時フセインはすでに最悪の犯罪(〔クルド人に対する〕ハラブジャでの毒ガス攻撃や大虐殺「アンファル作戦」などといった行為)をはたらいたずっとあとだった。当時、米英の政府から強力に支持されていた殺人者フセインは今日よりずっと危険な存在であったのだ。
 アメリカのイラク攻撃に関しては、それがいったいどれほどの代償を払うことになるか、どういう結果をもたらすか、ドナルド・ラムズフェルドを含めて実は誰ひとり予測できていない。
 急進的なイスラム過激派は、イラク攻撃で多くの人々が殺され、国土のほとんどが破壊されることを間違いなく望んでいるにちがいない。なぜなら、それがテロリスト活動の志願者を増やすことにつながるからだ。
(注─1996年からビン・ラディンの追跡を担当している上級情報アナリスト、マイケル・シューアーは、著書 Imperial Hubris (2004) で、情報アナリストによくある見解を表明している。「ビン・ラディンが最も望んでいたのは、アメリカ侵略とイラク占領にほかならなかっただろう。それこそが、彼にアメリカが与えうるプレゼントなのだ」。一方ファワズ・ジャージズは、聖戦(ジハード)テロ運動に関する最も詳細な学術書 Journey of the Jihadist (2006) で、9・11テロが、聖戦テロリストをビン・ラディンから離れさせる要因となったために、いかに彼らの強い非難の的となったかを検討している。しかし、ブッシュがその後すぐに武力を行使し、とりわけ、イラクを侵攻したため、あらゆるテロリストたちが手を結び、結局、当時よりはるかに恐ろしいテロの脅威が生まれることとなった。)
彼らはまた、おそらくブッシュ・ドクトリンを歓迎しているだろう。このドクトリンは潜在的な脅威に対して攻撃を加える権利があるとうたっているが、「潜在的」な脅威といえば際限がない。ブッシュ大統領は「わが国の自由を保障するために何度戦争を行わねばならないか予測がつかない」と宣言している。たしかに、そのとおりだ。
 脅威はいたるところに存在するし、アメリカ国内にさえある。しかし、終わりなき戦争に訴えるアメリカの打開策は、目に見える敵による攻撃よりはるかに危険だ。その理由はテロリスト組織がよく知っているだろう。
 イスラエル軍事諜報局前局長イェホシャファト・ハルカビは、20年も前に、今日でも通用する主張をしていた。「パレスチナ人の自決権を尊重し、名誉ある解決策を与えること。それこそがテロ問題の解決方法だ」と彼は言った。「沼地がなくなれば、蚊もいなくなるのだ」。
 当時、イスラエルが占領地のなかで報復を被ることはほとんどなかったし、この状態はごく最近まで続いた。しかしこの時期に発せられたハルカビの警告は適切なものであり、その教訓はより普遍的にあてはまるものだ。
 科学技術の普及にともない、富裕で強大な国が、かつて享受していた暴力手段の独占状態を奪われ、本土で残虐行為を受ける可能性が出てきたことは、2001年9月11日のはるか以前から予測されていた。
 われわれがさらに多くの沼地をつくろうと主張すれば、さらに多くの蚊が集まってくるだろう、しかも、恐ろしい破壊力をもった蚊が。
 しかし、われわれが沼地の水を抜き、「憎しみのキャンペーン」の根本に関わる問題に取り組めば、目の前にある脅威を減らすことができるだけでなく、われわれが表明している、そして手の届く位置にある理想にふさわしく生きることも可能だ。その理想を真剣に考えるならばの話ではあるが。

『9・11──忘れられた教訓 2002年9月4日』 著者 ノーム・チョムスキー

ノーム・チョムスキー 著 大塚 まい 訳『お節介なアメリカ』ちくま新書2007年9月10日発行より
INTERVENTIONS by Noam Chomsky 2007

著者 ノーム・チョムスキー(Noam Chomsky)
1928年米国ペンシルヴァニア州生まれ。マサチューセッツ工科大学名誉教授。言語学者。生成文法理論を提唱し、現代言語学の分野に革命をもたらした。その影響力は、哲学・心理学・コンピューター科学などへと広範囲に及ぶ。また、反戦運動や政治・メディア批判によっても広く知られる。著書に『メディア・コントロール』『覇権か、生存か』(以上、集英社新書)、『9・11 アメリカに報復する資格はない!』(文春文庫)、『知識人の責任』(青弓社)、『生成文法の企て』(岩波書店)など多数。

訳者 大塚 まい(おおつか・まい)
翻訳者。慶應義塾大学文学部卒業。テンプル大学教育大学院修了。

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