外国特派員協会での小泉元首相の記者会見を見て思うこと

2時間近くある講演だが、とにかく必見。要点で済まそうとすると、何もないというか、会見を報じたニュースのように批判一色になるのだろうが、小泉元首相のパーソナリティを余すところなく映した会見だった。

まず最初に城南信金・相談役の吉原さんがトモダチ作戦で被曝した元米兵を支援する活動に至った経緯を冒頭で説明するのだが、通訳を無視して一方的に喋ってしまい、司会者からブレーキをかけられ、その後は実にギクシャクした会見に。これは、外国人記者を相手にした会見では珍しいことではなく、話者や話す内容は面白いのに、こうした遅滞によって会見はそれほどでもないことがよくある。

次に小泉元首相がマイクを握ると、会場の雰囲気は一変する。総理時代から、短く歯切れのよい話しぶりで、会話の間の沈黙を物ともしない性格なので、少し喋って、通訳者の翻訳を待つという流れがいったってスムーズに行われた。

しかも逐語訳を担当している人が、小泉さんをよく知り、今回の米兵慰問の案内人も務めた人なのだが、こうした通訳の仕事に不慣れなのか、たびたび日本円の翻訳に戸惑ったり、意味を小泉さんに逆質問したりと、なにかと慌ただしい。

だけど小泉さんは、「日本円の翻訳は難しいよな」とか「それは後から言うから逐語訳だけに徹してよ」とか、巧みにその場をさばいて会場を沸かせた。

言いよどんだりせず、歯切れよく淡々と喋るので、聴いているうちは確かに面白いのだが、言っている内容はそれに見合っているかは疑わしいのも事実で、会見を報じた記者もきっとそんなそんな思いで記事を書いたのかもしれない。

代表的な批判(記事)には次のようなものがあった。

まず、「トモダチ作戦被害者支援基金」を立ち上げ、寄付金1億円を目指すという活動が、元首相という立場を利用した、無定見で無責任な行為だというもの。確かに東日本大震災で、発災直後に福島原発の現状を知らず救助にあたった海兵隊の人たちの間に、帰国後体調を崩し、亡くなったり、職務を全うできない状態で苦しんでいる人がいる。しかし、日米両政府も決して事態を把握していないわけではなく、専門家の見解も仰いだうえで、今回の健康被害が放射能によるものとは断定できないという立場をとっている。元米兵は、軍務規則によりアメリカ政府を訴えることはできないので、東京電力を相手取り民事裁判に訴えることに決め、すでに原告は400人を超えているという。

医師などの専門家に言わせれば、白血病でなくなったという元米兵の死因を被ばくと結びつけて考えるのは、発病までの短さから考えてあり得ないものらしい。医者でもない小泉さんがこうした健康被害の因果関係を確信したのは、海兵隊という最も頑健な若者たちが、帰国後に鼻血や下血などの明らかな体調悪化に見舞われているのは、放射能を浴びたからだと「常識」的に判断したという。専門家も判断を留保するものに、一民間人とはいえ元首相という立場を利用して、1人いくらと寄付を募るのは無責任ではないかと追求されると、あくまで善意からの活動で、寄付金は1人いくらと限定していないと言いつつ、1人1万円の講演会を大阪で行なったら1,000人以上が集まったとも語っている。

もうひとつの批判は、原発反対に転じたのは、在任中に専門家からウソを信じ込まされていたからで、いまは不明を恥じているが、一方でいまだにイラク戦争に加担した責任は取ろうとしていない。彼は、民主党政権時に、イギリスの元ブレア首相のように国会に呼んで追求しようという話が出かけたが、実現することは野党でさえもできなかったと開き直っていた。社会学者の宮台さんは「認知的整合化」というキーワードを用いて、小泉さんの主観で生じたこうした心理状態を分析している。それによれば、評価を変えられない認知要素に引きずられる形で、他の認知要素の評価をすべて整合化させてしまうのが「認知的整合化」のメカニズムで、ポイントはその評価の変えられなさ度合いだという。原発行政に関する評価は、在任中は変えられなかったけど、退任後は変えられる程度の評価だった。それに対して、日米安保や対米従属に関する評価は、退任後であろうとも絶対に変えられないレベルのものだったということで説明がつくと語っていた。

両者とも小泉さんの中の矛盾や責任感の薄さを問題にしているが、会見を通して見た人の中には、彼の中の終始一貫した立場や、意固地とも言える真っすぐな個性に感じ入る人も少なくないにちがいない。

人のどの部分を見るかで、年齢まで変わってしまうことを、ジョン・ル・カレというイギリスの老作家は自身の作品で扱っているが、そのことを思い出した。確か主人公がホテルのベルボーイに、目撃した女性の特徴を尋ねるシーンだった。

「どういう女性だった?」あくまで愉快そうに訊くが、生きた心地がしない。
「小柄でとても魅力的なかたでした、ムシュー。はっと眼を惹くような」
「年齢はだいたいどのくらい?」
 ベルボーイは怖れ知らずの笑みをもらす。
「どの部分を見るかによります、ムシュー」と答え、コンシェルジュの雷が落ちるまえにさっさと逃げ出す。(ジョン・ル・カレ『繊細な真実』)

ある角度から見れば、苦しんでいる人の前で涙を流すような熱い心をもった人に映るし、冷静で科学的な見地を無視した拙速な直情型の人物にも見える。”対米ケツ舐め路線”の先頭を行く旗振り役にも見えれば、自らが犯した過ちを決して無視して安穏を決め込まない率直な一言居士の姿にも見える。

おそらく小泉さんの主観に立てば、仮に今後、元米兵の健康状態と被ばくとの限りなく薄い因果関係を立証する医学的結果が出たとしても、大量破壊兵器の存在を裏付ける証拠が全くなかったことを示す発表に接した時と同じように、ただあっけらかんと「知らなかった」と悪びれず答えるだけかもしれない。それが許せないと思えば仕方ないし、必ずしも時間的猶予のない判断に政治決断を果敢に行なうことの意義に重きを置けば、その他の好ましいパーソナリティにより目が行くのかもしれない。

One clap, two clap, three clap, forty?

By clapping more or less, you can signal to us which stories really stand out.