行き場を失う「超エシカル」な思考。

社会における組織やコミュニティ、もっとミニマムなところでは家庭とか、そういう場におけるエシカルな思考は行き過ぎないことが大切なんじゃないかと最近思います。別の言い方をするならば「絶対的正義感」の行使の歯止め、あるいは寸止めと言いましょうか。

超倫理、超絶倫理、それはもう思想の領域。その思想から外れてしまったら、たぶんだけれど、行き場のない人や病んでしまう人が増えるだけだと思うわけです。

手間はかかるけど、管理という名のもとに倫理を一元化するのではなく、絶対的正義感をブンブンと振り回すのでもなく、人は多様性に満ちているのだ、という前提の議論で倫理を説くべきではないのかな、と。

おそらくですが、この世に同じ人間はひとりもいないはずですから、だからこそ、誰にでもひとつ、もれなくチャーミングなところがあるんじゃないかと僕は思うのです。

おこがましいですが、できることならば、個々人の「それ」をくすぐり、伸ばしてあげる。僕にはそんなやり方のほうがしっくりときますね。

腑に落ちる、という感じで。

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