【VR列伝】Oculus Japanを作った漢たち

中の人になる方法

第一章 Kickstarter すべてはそこからはじまった

2012年 だっただろうか?私はPebbleというスマートウォッチの存在をとあるガジェット系サイトで知った。その時計はメモリ液晶を使い、非常に電池の持ちもよく、軽量で自分でアプリケーションもつくれるというガジェットだった。その時にクラウドファンディングという仕組みが存在することをはじめて知った。クラウドファンディング Kickstarter そこでは世界中の人々が自分のアイデアや商品を形にするため、ファンドを世界中から募る仕組み。「なるほど。こんな資金調達の方法があるのだ・・・」私は一人で関心した。「おもしろいじゃないか。そんなに高くもないし、届けばラッキーかな?」そんな気持ちで私はKickstarterに新規登録し、Pebbleという時計にBack(出資)した。いつ届くのだろう?ワクワクしながら、定期的にKickstarterをチェックする日々がスタートした。

そして同年8月1日。衝撃的なプロジェクトに出会う。Oculus Riftである。私は昔からゲームも好きだ。どれくらい好きかと言うとバーチャファイター2をアストロシティ2(注.ゲーセンにあるゲーム筐体)毎買ってしまったくらい好きだ。バーチャという言葉にもワクワクし、いつの日かゲームの中に入れる日が来ると信じていた。自分でもSONYのHMDであるHMZ-T1を改造してSkyrimというゲームにTrackIRというデバイスでヘッドトラッキングをしたり。ファミコンの立体視システムはケーブルを改造してX68000というパソコンに繋いだりするくらい立体視やHMDが好きだった。おっと脱線した話を戻そう。

そのOculus Rift。そのPVには一人の青年が写っていた。まだあどけなさの残る青年の名はPalmer Luckey。青年は熱くOculus RiftというVRデバイスや自分の生い立ちを語っていた。そのプロモーションビデオに登場したデバイスこそがまさに自分が求めて(しかも勝手につくったり)していたデバイスその物であった。「なにこれしゅごい・・・」。しかも$300。当時は円高で1ドル80円に近い。これは騙されてもほしいと思った。PVを見た瞬間私はPebbleの時に作ったアカウントにマッハでログインし、クレジットカード番号を入力したのであった。

だがしかし、Oculus Riftは発送予定日を過ぎても届くことはなかった・・・。

第二章 あすなろ編 DK1

2013年になり、ほとんど存在を忘れていた。だが、E3だっただろうか?GDCだったろうか?Oculus Rift(Development Kit 1=DK1)の体験レポートがあがる。トロ父でお馴染みのビサイドの南治さんの記事だった。そこには私が期待した通りのデバイスでVRの体験したというレポートだった。期待は高まった!。もう早く届いて欲しすぎる。そう思い私は当時わりとマイナーだったUnityを起動し、おもむろにOculus Rift SDKをインストールした。まだRiftは手元にない。とりあえず、SDKに慣れておこうかな?くらいの気持ちであった。RiftのUnityプラグインは非常に簡単に組み込むことができた。当時は高額なUnity Proライセンスが必要であったが、たまたまProライセンスを個人で買って持っていたことも大きかったと思う。Unity+Rift SDKでまだ届かぬRiftを夢見てアプリをつくったり、簡易スマフォを改造してタブレットに張り付けて無理やり予習した。

毎日発送ステータスをひたすらチェックした。無常にもステータスには Processing と書かれる日々。。。なかなかモノは届かなかった・・。。

4月末日。そして時は動いた。なんと自宅に香港から荷物が届いたというのだ!これはアレに違いない。仕事も途中で投げ出し、高鳴る胸の鼓動を感じつつ地下鉄南北線に飛び乗った。「ここで死んだらすべて終わりだ…」緊張感が高まる。頼む家まで生きて帰ってくれ俺。

自宅につくと無造作にダンボールが置かれていた。「間違いない。Riftだ・・・」。気が付けばクリスマスプレゼントをもらってしまった瞬間包装紙をビリビリに破く5歳児のようになっていた。。。あとちょっとで会える。
ダンボールを開封するとまるでテロリストの道具のような黒いケースがあらわれる。やっと会えたね。

説明書も読まずマッハで、USBとHDMIを接続する。すでに自作アプリはUnityで作ってある。サンプルのトスカーナも準備万端だぜ。さっそく起動し、HMDを装着する。リンクスタートだ。その瞬間、俺は川崎市からトスカーナ地方に間違いなくテレポートした。Kickstarterで見たPVのイメージそのものがあった。

「父さん!ラピュタは本当にあったんだ。。。」

次に自作アプリも起動する。トスカーナ地方にミクさんが現れた。

「人類はなんてものを作ってしまったんや・・・」

この瞬間、家族に「ごめん。ゴールデンウィーク返上していい?」と尋ねた。
ゴールデンウイークを返上し、ノンストップでアプリをつくる。このデバイスはやばい。もっと知ってほしい。
プロトも作り動画も編集し、ニコニコ動画にアップした。が、残念ながらすごさは伝わらなった。。。そのアプリはまだ名前がなかったが、後のMikulusというアプリになった(最初に展示されたのはなんと日本でなく台湾である)

とにかくこれはいろんな人に見せよう。と、会う人会う人にかぶせる日々。ふとTwitterを検索し、タイムラインを見ると何人かはKickstarterでRiftが届いていた。一度もあったことのない人たちだが、同じOculus Rift Backer組として妙な連帯感が芽生えていた。

そして一通のDMが届く。桜花一門氏という人であった。彼もBackerだという。体験イベントみたいなのができないか?との相談DMであった。なんかおもしろいじゃないか。知り合いが秋葉原のカフェを紹介してくれると言っていたし、なんかやってみっか?これが後のユーザーイベント OcuFes 0回目となる。

そして来る日も来る日もいろいろな人に見せてまわった。二宮金次郎バリに背中にDK1とMac Book Proを背負い。常に持ち歩いていた。

有名クリエイター、大手企業、ゲーム会社、アニメ会社、IPホルダー。どんどん見せた。講演もめちゃくちゃした。
そのときある出版社の専務に見せる機会をいただいた。これはおもしろい。日本に持ってこないか?
そんな流れができた。

ちょうど同じようなタイミングでUnity社の伊藤氏がカナダのカンファレンスにいた。そこにはOculus社も出展していたという。伊藤氏はOculusの米国スタッフに次々と質問を浴びせていたようで、その解答はtwitterに実況された。「日本のOculus社はないの?」その解答は「ないよ、つくっちゃえば」だった。そのツイートを見て謎の義務感が襲ってきた。日本にもつくろうじゃないか。半分は冗談、半分は本気。そんな心境だった。

10月だろうか、いろいろコンタクトを企業を通し進めていた。しかし返事はなかったようだ。
そして12月突然の連絡が来る。「返事がきました。CES行きます?」。CESでプライベートで最新プロトタイプを見せるという。うおおおおおおおおおおおおおおお超みたい。CESというのはアメリカ最大の家電の見本市である。ラスベガスのコンベンションセンターやホテルを貸し切って展示をする巨大なイベントだ。「行きます!」そう返事した。

そして気づく。パスポートが切れている。。。10年モノで取ったから油断していた。全力で切れていた。5日で手配しないとCESには間に合わない。ほぼあきらめていた中で、特例で取ることができるとパスポートセンターの人から聞く。責任者と面談し、商談のメールを見せる。奇跡的にOKが出た。5営業日という最短での取得だ。

第三章 立志編 数々の渡米

2014年 そしてラスベガスCESへ。CESではプライベートブースでプロトタイプであるCrystal CoveをUnity伊藤氏他と共に体験することができた。ポジショントラッキングと有機EL、改善した解像度。DK1との違いに興奮を覚える。その時、部屋に突然ある青年が入ってきた。Palmerである。もともとのアポは取っていない。まさかの登場に驚く。VRの話が聞けるのか? 新製品の話が聞けるのか? その期待を全力で破壊して彼はひたすら「ソードアートオンラインの2期が・・・、ナーブギアが、PSP版がどうたら、そうだ、ミクのロサンゼルスのコンサートもいったよ!!」マシンガンのように話すPalmer。(なんだこの超オタクは・・・)

「あ、そろそろ時間だ」と帰ろうとするPalmer。
せっかくの機会だしと、まだ発売されて間もないTHETAというカメラを見せ一緒に記念撮影をした。(彼は後に購入していた)。

なるほど、SAOが好きか・・・。ここでひとつアイデアがひらめいた。日本に帰って相談しよう。そういえばkoukiwf君が超SAO好きだったなあ・・・。

ラスベガスで帰る直前、Steam Dev Daysとイベントが米国シアトルであるということを知る。5日後そこらだったと思う。Steam Dev DaysにはPalmerの講演もあるという。

「よし、行こう!」

直前のシアトル行き飛行機それはめちゃくちゃ高かった。ラスベガス行きも年始なので軽自動車が買えるくらいの飛行機代だった。お金のことはいったん忘れよう!

シアトル在住の知人(Yoiさん)に頼りSteam Dev Daysチケットを依頼する。とっくに応募は締め切られていた。「OK, わざわざJapanから来るのか?特別にチケットを出そう」そんな感じでチケットを貰い単身シアトルへ。
Yoiさんに通訳してもらいながら、日本のデモの説明やSAOグッズと共にコンタクトを取る。Oculusを日本に持ってきたい。日本にもファンも開発者もたくさんいる。とにかく伝えられることは全部やったと思う。

この時期になるともう自分の中ではOculusを日本に持ってくることしか考えられなくなっていた。

ロサンゼルスのE3へも渡米し、とにかく持ってきたいとみんなで伝えた。プランもその時の仲間皆で考えた。
Unite JapanではPalmerが基調講演のため日本に来ることになった。これはUnityの大前さんのアイデアだった。
彼のリハ当日、関西からVRデモコンテンツ発表で有名だったNao_uさんが東京に来るという。それならとVR仲間で自分の会社のオフィスを開放して、集まってデモを見せあっていた。ふとTwitterのタイムラインを見た。そこになんとPalmerが遊びに来るという(当日とても疲れててホテルで寝る予定だったらしい)。ここで多くのデモや交流ができたと思う。

そして、CESの時おもいついたアイデア。それはSAOのVRデモをつくることだった。日本に戻り企画書を書く。関連企業にプレゼンし、許可を得るべくデモする。収録現場もいく。関係者にひたすら合う。

SAOデモの話が進展した。OKが出たのである。開発費なんてもちろんないのですべて手弁当だ。そしてそのデモは当日ギリギリで完成した。(これが後のロサンゼルス Anime Expo 2014のOculus Riftブースのデモ展示につながる。)

当時の記事
http://dengekionline.com/elem/000/000/879/879708/

これがきっかけなのかなんだかわからないが、Oculus Japan Teamがひっそりと誕生した。2014年7月であった。
ついに中の人になったのである!

(よく考えたら、2014年だけでも、CES, Steam Dev Days, GDC, E3, Anime Expoと5回も渡米した)

第四章 青雲編

実際にはここに書ききれないくらい多くの人々が登場し、協力を得て実現したと思います。心から感謝します。
来年はいよいよRiftの製品版が登場します。日本のパーソナルVRもどんどん盛り上がることでしょう。

最後に

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