実在と非実在の狭間

GOROman
6 min readOct 14, 2016

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ふとtwitterをやっていて、そもそもネットの相手は実在するのか実在していないのかbotなのか、その判断はなんなのか?。ネットを通したコミュニケーション、考え方のルーツはどこにあるのか?と思っていたら色々思い出したので備忘録として書いておこうと思った。

今から26年前の事だと思う。突然家族でディズニーランドに旅行に行くという。自分は、愛知県の豊橋市(一応新幹線は止まる)に住んでいた。そこから家族総出で行くとなると結構お金がかかることは当時中学生だった自分にはなんとなく予想ができた。ディズニーランド。風のうわさでは夢の国。行ったことはない。ただ、そのディズニーランドに行くより行きたい世界はあった。ネットの世界だ。

1984年。当時インターネットは当然名前すら知られてない時代。今みたいなe-mailもホームページも当然無い。でもパソコン雑誌でなんとなくパソコンと電話を使って通信をするパソコン通信という仕組みがあることは知っていた。

「俺、ディズニーランド行かないから、モデム(*1)を買ってくれ!!」

そう母親に嘆願した。

[注*1: 電話回線を使ってパソコン同士を繋ぐ装置]

普通に考えたら、「家族一緒の旅行に来ないなんて何を考えてるんだ!!!」と怒られるのが一般的な家庭だろうけど、我が家はわりとロックで自由主義な一家だったのでこの一方的な交渉は成立した。

ディズニーランド旅行代相当(?)でオムロンのMD1200 II(*2)というモデムと通信ソフトを買ってもらった。

[注*2: たしか24,800円くらいした。消費税ははまだ導入されてなかったと思う。あまりイメージできないかもしれないけど、体温計の会社がコンシューマー向けの通信装置を作っていた。]

そのモデム(MD1200II)はなんと、名前の通り1200bpsという今になっては超低速モデムだ。1200 bit / sec (秒間1200ビット)しか送れない。ざっくりいうと1秒間に120文字しか送れないのだ。映像を送るなんてまず考えれない時代。

でも、そのモデムをパソコンに繋いで電話番号でアクセスして繋がった時の嬉しさはほんと凄かった。

学校の授業そっちのけで、ネットの海に溺れた。当時BBS電話帳という本が出ており、北は北海道、南は沖縄のパソコン通信局に絨毯爆撃のように電話をかけアクセスしまくったのである。情報の山、ソフト(PDSと呼んでた)もダウンロードできる(当時X-MODEMという仕組)。まさに夢の国だった。

「父さん!ラピュタは本当にあったんだ・・・」



しかし・・・、その栄華は長くは続かなかった・・・。
(パリーーン! ガラスの割れる効果音)

二ヶ月で電話代が10万円を超えてしまったのである。

ディズニーランド旅行ってレベルじゃないことになってしまった・・・。当然のことながら禁止令が発令された。
また、あの世界に行きたい・・・。夢想する日々と虚無感。
つまらない日常。興味がない授業。。。

そこで閃いた!!

ネットがなければホストをつくればいいじゃない

(マリー・アントワネット)

そう、自分がパソコン通信局側(ホスト)になればいいのである。電話は掛けてもらえばタダだ。電話代はかからない。

幸い自分は小学校2年からプログラミングをしていたし、モデムの仕組み(ATコマンド)は全部マニュアルを読んで把握できた。ホストプログラムの開発開始である。事前にダウンロードしていたホストプログラム(BASICで書かれていた)を解析して、シリアル通信も勉強した。モデムとの通信はとてもシンプルだし、当時はフロー制御もない(そもそも1200bpsで遅い)

こっそり市内のパソコン通信局にアクセスし(これなら3分10円だ。バレない)、自分のホスト局の宣伝を書き込んだ。

GORO-NET 誕生の瞬間だ

日中は電話を家族が使うから、夜中の10時から朝の7時までアクセス可能にした。それ以外にアクセスがあるとモデムの代わりに親が出るシステムだ(不機嫌な声で)。

この時点で、掲示板、メール、チャット(自分とだけ)、簡単なオンラインゲーム、人工無能チャットのシステムを用意した。

会員数は30人くらいだったけど、とても面白かった。夜中しかやってないので当然生活は昼夜逆転し、学校は寝る毎日となった。

そんなこんなで、ネットの中の人の方が現実の人とコミュニケーションする時代を当時14歳にして体験していたのだ。

もうこの頃にはリアルの知り合いや友人より圧倒的にネット側の知り合いの方が増えた。そりゃホスト局やってるんだからバーのマスターのようなものである。





ときは流れ2016年。パソコン通信を超え、インターネットが普及し、生活にはもはや無くてはならないインフラになった。リアルに話すより、SNSやメッセンジャーをしている時間の方が圧倒的に長い。

この先はいったいどうなるのだろう?そもそも、一度も会ったことが無い人とtwitterで普通にコミュニケーションを取っているし、そこに違和感も感じない。

このまま10年、20年いくとそもそも自分の分身のAIが代理人でコミュニケーションしてくれたり、相手も気づかないんじゃないか?マイクロソフトりんな の凄い版みたいなのだ。そうなると、もう死んでもSNS上ではbotとして永遠に電脳世界で生き続けてFacebookも更新されるんじゃないだろうか?人は 死を相手になんらかの手段で告知(たとえば葬儀)して認知するまでは死を認識できない。ある意味永遠の命だ。

2016年。コンシューマーVRの年。VRはまるで相手がその場にいるみたいに感じる(プレゼンス)テクノロジだ。でもまだまだAIは非力だし、どちらかというと予め用意されたシナリオを分岐するステートマシンでしかない。PSVRでサマーレッスンをやってもやはりそこにローレゾな女子高生は居るように感じられるが自分を認知してくれている感じがしない。顔に突っ込んだらおでこにごっつんして「いたーい!」と言って欲しいし、ローアングラーにはキックをかまして欲しい。まだまだ発展途上だと思う。この考え方で作るとモーションキャプチャの工数とプログラマのステート管理(Blueprintがスパゲッティ)と、デバッグ人員の悲鳴がラクに想像できる(再現性のバグの報告とのいたちごっこ)。恐らく発想の転換が必要だ。ステートマシンという考え方を捨てる。もうクラウド上のモーションライブラリから学習してプロシージャルに生成みたいな感じ。

相手のキャタクターが生きていると認知したら、失礼という感情が生まれそもそもVRでもパンツを見ようと思えない。現実社会でやったら「おまわりさん、この人です」となってGO TO JAILである。まだまだ実質的現実には遠いのかもしれない。

で、そんな過渡期の今を生きるのは本当に楽しい。そうそれはパソコン通信がインターネットになってもう空気みたいに生活の一部に溶け込んだみたいに。

「VRなんてそのうちすぐ消えてなくなるよ」

「だって使うのが当たり前になるからさ」

おわり。

詳しくは私の本をどうぞ!自伝も載ってます ⇒amazon

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GOROman

VR Creator / VR Enthusiast / Ricoh Theta Evangelist