重要なのは、死ぬ程その仕事が好きであること。日本初の学生ベンチャー起業家「堀場雅夫」の軌跡

#Genius50
5 min readOct 1, 2015

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出典:BS JAPAN

京都大学在学中、日本初の学生ベンチャー誕生

堀場氏は「元祖学生ベンチャー起業家」として知られている人物である。京都大学在学中、戦争によって勉強できる環境を失い、その中で自分の研究を続けていくために個人の研究所(堀場無線研究所)を設立。堀場氏がこの逆境の中設立した研究所が、日本発の学生ベンチャーと言われている。

大学は憧れの先生がいるからと、京都大学の物理学科を志望。物理学科には就職口がないと周囲は猛反対。しかし反対する周囲を一蹴し、進学を決める。そんな風に、若い頃から好きなことならトコトン追及した

出典:ニッポンの社長

日本が敗戦で負けて、原子核の実験装置がことごとく壊されてしまった。それで戦時中、満足に出来ていなかった実験が、さらに出来なくなってしまったんです。実験装置がないから、大学に行ってもしょうがない。かといって家でゴロゴロしていたって、なおしょうがない。

それならば何か自分で好きなことをやらなければと思いましてね。それで電気仕掛けが好きでしたから、電気や電子に関係することを仕事にしようと。そして、「堀場無線研究所」というのを作ったんですよ。それが今日の発端ですね。

出典:ニッポンの社長

会社の方針は「おもしろおかしく!」

出典:産経WEST

1953年(昭和28年)に、計測機器メーカーの堀場製作所を設立。会社の方針であり口癖は、『おもしろおかしく!』である。

もっと利己主義でいいというか、自分を大切にせないかんと思います。人生80年のうちの最も貴重な40年間を使う仕事が、「おもしろおかしく」なくて、何のために生きるのか。

出典:地球の名言

分析・計測機器の専門メーカーとして事業を拡大し、自動車の排ガス測定装置で世界的な企業に育て上げた。主力の自動車排ガス測定器は、世界シェア7割にのぼる。

出展:JCAST

VCは「個人の思い込み」でやらなければいけない

出典:日経ビジネス

53歳になり堀場製作所の会長に就任し、経営の第一線を退いてからはベンチャー企業の育成に注力。堀場氏は村口和孝氏が代表を務める独立系VCの日本テクノロジーベンチャーパートナーズ投資事業組合(NTVP)の思想へ共感し、個人出資も行っている。村口氏は初期のDeNAへ投資、創業当初から外部役員として経営を支えてきた人物として知られている。

まず、日本はもうダメだ、アメリカのベンチャーに投資せよと、当時、大手は一生懸命言っていましたが、それに対して、いや、日本こそがベンチャーに向いていて世界に先駆ける国だ、というのが私の主張です。

出展:ベンチャー座 村口和孝インタビュー

村口氏の思想は、日本のテクノロジーこそが世界を創るというものであった。テクノロジーはリスキーであり、日本よりアメリカの企業への投資を積極的に行おうとしている当時の大手VCとは全く逆の考え方であった。

個人資金を個人の責任で投入するファンドという私の考えに本質的に賛同してくれる人も、何人か出てきてくれています。その典型的な人が、掘場製作所の創業者である堀場雅夫さんですね。私がコンセプトを話したら、「ほれや!」と叫んだ堀場さんの声は、とても印象的で、いまも耳に残っています。

出展:ベンチャー座 村口和孝インタビュー

起業とは「自分の好きなことに一生たずさわることが出来る」ということ

ベンチャーを興す条件としては、その仕事が好きで好きでたまらないということ。寝ても覚めても私はこれが無くなれば死んでしまうというくらい好きなことでなかったら、たぶん失敗する。お金儲けは、二の次。大事なのは、三度の飯も忘れるくらい没頭できるものを探すことです。

出典:ニッポンの社長

まず自分が「おもしろい」と思えることを見つける。そしてその分野で一流になるためにフルスロットルで走る。そうすれば、世界の舞台で戦える。

出典:地球の名言

彼は「仕事ができる人できない人」「おもしろおかしく生きろ!」「もっとわがままになれ!」など多くの著書を残しており、多くの名言を残している。まさに人生を「おもしろおかしく」生き抜いた堀場氏の言葉からは、ベンチャーとして生きていくための大切なことを多く学ぶことができるのではないだろうか。

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