あなたは「フェルマーの最終定理」を知っているだろうか。
フェルマーの最終定理とは、3以上の自然数nについてXのn乗+Yのn乗=Zのn乗(X^n+Y^n=Z^n)となる0でない自然数の組が存在しないという定理である。
一見簡単に証明できそうだが、オイラーやガウスなど時代を代表する数学者たちがこの定理を解き明かそうとし、敗れ去っていった。
そんな難問の中の難問をなんと、ある男が解いたのだ。
360年間、天才たちが苦しんだ定理をいったい、この男はどうやって解いたのだろうか。
10歳の時に「フェルマーの最終定理」を解いてやると決意する
彼は1953年4月11日にイギリスにて生を授かった。
10歳の時算数が大好きだったワイルズ少年は、図書館で己の人生をかけてまで解きたい問題に出会ってしまった。そう、その問題こそが「フェルマーの最終定理」である。その時ワイルズ少年は「この問題は自分が説かなければならない」と決意する。
その後ワイルズはケンブリッジ大学に進学し、数学に明け暮れる日々を過ごしていた。
しかし、この定理に挑むことを周囲の人々は反対していた。
なので、ワイルズは「楕円曲線」という分野の研究に挑み、成果をだす。その後、プリンストン大学の教授に就任し穏やかな日々を過ごしていた。
しかし、皮肉なことに、この楕円曲線の研究が再びワイルズの「フェルマーの最終定理」に対する情熱に火をつけるのである。
世間の超絶と7年の研究
彼の心に火をつけたのは、日本人が発表した谷山志村予想である。谷山志村予想は「すべての楕円曲線はモジュラーである」という数学の予想であり、この予想を見てワイルズは、ヒントを得る。
このモジュラー形式を関数として解くことと楕円方程式をとくこととのあいだに密接な関係があること、さらにはそれはフェルマーの最終定理の謎を解くことにつながるのではないかということを予想したのが、「谷山=志村予想」である。
それからというもの、ワイルズはそれまで行っていた研究から身を引き、誰にも自分の研究をうち明かさず、自宅にこもって7年間ひたすらこの難題に挑戦した。
引用:松岡正剛の千夜千冊
なんと彼は自分が取り組んでいた研究から身を引き、フェルマーの最終定理に関する証明に取り組むことを妻以外の誰にも話さず、7年間ひたすらこの定理に臨んだ。
彼は後に、こう述べている。
大事なのはどれだけ考え抜けるかです。とくに袋小路に入り込んでしまったり、未解決の問題にぶつかったりしたときには、定石になったような考え方は何の役にも立たないのです。新しいアイディアに辿り着くためには、長時間とてつもない集中力で問題に向かわなければならない。
引用:ニュースjp.net
人生のすべてを賭けた戦いの終止符
7年の歳月を費やした彼の研究はついに、最終決戦に向かう。
7年もの間、世間との関わりを絶っていたため、研究者の間では、彼は死んだのではないかという噂までもが流れるくらいであった。
1993年。ケンブリッジ大学ニュートン研究所にて、まったく関係のない内容で、ワイルズは講演を設けた。講演の内容は「楕円曲線とガロア表現」
実はワイルズはフェルマーの最終定理に関する発表を隠していた。
発表が進むにつれて、ある噂が駆け巡る。ワイルズはフェルマーの最終定理を解いたのでは!?
3日間の講演の最終日。彼はついにフェルマーの最終定理を証明しきった。
ある部屋に入るが、そこで何か月も、ときには数年も家具にぶつかって足踏みしていなければならない。ゆっくりとだが、全部の家具がどこにあるかがわかってくる。そして明りのスイッチを探す。明りをつけると部屋全体が照らし出される。それから次の部屋へ進んで、同じ手順を繰り返すんだ。
引用:人生に役立つ名言