GMを世界最大の製造業にした男 Alfred Pritchard Sloan, Jr. (アルフレッド・プリチャード・スローン・ジュニア)
出典:http://ameblo.jp/makoto-at/entry-10591720017.html
自伝『GMとともに』は、経営学者として名高いピーター・ドラッカーに、世界最高のビジネス書と言わしめ、彼の経営方法は、50年経った今もなお社会に浸透している。今回は、そんな世界で最も偉大な経営者の一人であるアルフレッド・スローンの姿を追う。
エンジニアとしての才能
アルフレッド・スローン・ジュニアは1875年に、アメリカコネチカット州で裕福な家庭の5人兄妹の一番上として生まれた。
入学するには若すぎると言われても、その入学願書を取り下げずに粘っているうち、ついにマサチューセッツ工科大学で電気工学を学ぶ道が開けた。クラス最年少のスローンは1895年、わずか3年で卒業している。
引用: アルフレッド・スローン・ジュニア [ゼネラルモーターズCEO]
弱冠20歳で、MITを卒業し、エンジニアとしての才能を発揮していた彼は、ハイアット・ローラーベアリング社で働くことになる。
経営者としての才覚
その会社では将来の見込みがまったくなかった。そこで、家庭用冷蔵庫のビジネスに飛び込んだ。ところがそこでもすぐに心変わりをしてハイアットに戻り、1889年、資金面で苦しい状態にあった同社の経営権を父の援助を得て買い取った。
大望を抱くこの若者は、すぐに影響力を発揮し、24歳で社長になると、自動車向けの摩擦の小さいベアリングの製造を提案した。急成長している自動車市場に向けた製品を製造するというこの戦略のおかげで、スローンはその後自分自身を偉大な経営者にまで押し上げることになる業界とのつながりを構築した。
引用:アルフレッド・スローン・ジュニア[ゼネラルモーターズCEO]
自動車業界へ
1916年、スローンは自分自身とハイアットの将来に封印をする。ハイアットの経営権を譲り渡したからだ。ハイアットはいくつかの企業と合併してユナイテッドモーターズ社となり、スローンはその新会社の社長に就任した。ユナイテッドモーターズは1918年、今度はGMに吸収された。
引用:アルフレッド・スローン・ジュニア[ゼネラルモーターズCEO]
そして、48歳のとき、GMの社長に就任する。
GMの社長として、スローンは同社の組織の機構改革に着手する。このとき創案した同社の組織構造が、産業の歴史におけるスローンの地位を確固たるものにした。会社の組織を独立した事業部に分割したのである。スローンはそれ以前のマネジメントのあり方を見直し、財務の実態に基づいた意思決定に重点を置いた本当の意味でのプロの仕事に変えた。
引用:アルフレッド・スローン・ジュニア[ゼネラルモーターズCEO]
こうして、彼の経営者としての評価は最高のものとなった。その影響力の大きさは、現在のMITのビジネススクールの名前が「スローン・スクール・オブ・マネジメント」であることからも分かるであろう。
最後に、ピーター・ドラッカーが「GMとともに」に寄せた序文を以下に紹介する。
「GMとともに」はまさに記念碑的な書物だった。表面的には自伝であり、そのように読むこともできるが、その実質はケーススタディの宝庫と呼ぶのがはるかにふさわしいだろう。訓話としての狙いがあったにもかかわらず、生き生きとして楽しく、読みやすい。そのうえ「人」に焦点を当てている。ここに浮き彫りにされているのは、アルフレッド・P・スローンの実像ではなく、プロフェッショナル・マネージャーの模範としてのスローンである。・・・・これ以上の経営書を私(ドラッカー)は知らない。