モハメド・アリがボクシングに残した遺産はあるのか

現代のボクサーがモハメド・アリのスタイルを真似することは、たぶんほとんどない。

真似とはいったい何なのか。

たぶんアリ・シャッフル、ダンス的フットワーク、腕を下げてジャブ、ブロッキングはほとんど使わず上体でパンチをかわす

などだろうか。

アリの第一期王朝で見られた華麗な身体さばきが特徴的だったので、それを真似するボクサーが20年くらい前まではいたような気がする。

ナジーム・ハメドはアリを尊敬していたという話を読んだような気がする。

ハメドはアリのスタイルを真似たというより独自のスタイルを築いていたと思う。

腕を下げてダンスをするスタイルは見た目が美しいのである。

残念ながら実用性に乏しいのである。

ボクシングは戦闘であり

「殺るか、殺られるか」の世界である。

盾を使わずに鉾を刺すという技術は理想としては存在しても実際にはリスクが高い。

世界戦が15回から12回に短縮されテンポが速まったリングでは飛び交う弾丸の質と量が上がった。

そういうリスクの高いスタイルは「勝ち」を重視する世界では使いにくくなったのだ。

ディフェンスマスターと賞賛され49連勝で引退したフロイド・メイウェザーのスタイルは腕を下げることはあってもL字ガードだった。

美しくはない。

メイウェザーはダンスをすることもなかった。

実はアリも華麗に蝶のように舞うことができたのはベトナム戦争の徴兵拒否で王座を剥奪される前の時代の話である。

3年のブランクを経てリング復帰した後のボクシングでは、華麗なフットワークを披露することはまれとなっていた。

ブランクと加齢による必然だったと思う。

どう考えても柔らかいマットの上でダンスを披露し続けるのは大変なスタミナのロスにつながる自殺行為でしょう。

アリが良く言っていた言葉に「俺は美しい」があった。

I am pretty.

対戦相手をなじる時は「あいつは醜い」だった。

He is ugly.

このHeの部分がリストンだったりフレイジャーだったりフォアマンだったりしたわけだ。

つまりナルシストである。

美しいものは好きだが醜いものは嫌いだった。

これを貫いたボクサーだった。

リングシューズに房を付けていたのは華麗なダンスを際立たせるためだった。

ダンスをしなくなったアリのシューズからは房は消えていた。

ボクシングを本当に美しい見世物にしたかったのだと思う。

全身全霊でボクシングを美しい見世物にしたかったのだ。

そんなことを考えるボクサーは今はいない。

そういうことを考え実行に移した瞬間に敗北する。

それがわかっているからアリのスタイルは廃れた。

いや、スタイルは廃れたかもしれないが、「美しいものを見せたい」という心意気はあるはずだ。

それを実現させるボクサーがアリ以降には存在しないだけだ。