「ブレイキング・バッド」を読み解く

H.I.P.S.
6 min readOct 15, 2014

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3. ホワイト家の水周り

*以下の考察は当該ドラマを最後までご覧になった方に向けて書かれております。所謂「ネタバレ」があることをご承知下さい。

このドラマにおける色彩の象徴性については複数の解釈がある。

緑色については既に論じた。ウォルター以外の誰かが緑で装う時、その人物はウォルターの側にある。青がウォルターの作るブルー・メスの色だというのは論者の一致するところだ。仮設トイレに落ちたジェシーが汚物を溶解した消毒液で青く染まり、その匂いに耐えかねて移動ラボに使っているキャンピングカーに潜り込み、防毒マスクを被って眠るところが典型的だ。ピンクは無垢を示すとも言われる。マリーが好む紫色は女帝の色であり、贅沢と威厳への熱望と同時に、不安定な精神状態をも示しているが、黒 — — 偽装と欺瞞と隠蔽、更に言えば喪 — — に汚染されたピンクとも解釈できる。彼女は病的な万引きの常習犯だ。紫は同時に、余命を宣告する医師が白衣の下に身に着けているシャツとネクタイに見える色であり(白衣の襟にはマスタードが付いている)、ウォルターがジェシーにゲイル・ベティカー殺害を指示し、ガス・フリントとの関係が悪化するに及んで、至る所に、時としては光線の加減によって(これは特に地下のラボに顕著だ — — 床が赤く塗られたラボでは、青は時として紫色を帯びる)現れる色でもある。補色関係にある黄色は、ガス・フリントの好む黄色いシャツも含め、メス・ビジネスの関係者がしばしば身に付けると同時に、DEAのジャンパーに書かれたロゴの色であり、最終回では廃墟と化したリビングの壁の、Heisenberg、の文字として現れる。紫色 — 黄色はどちらも罪と罰の色、裁きと有罪の烙印の色、と見てもいいだろう。そこからすれば、ピンクは必ずしも無垢そのものではなく、僅かに罪の色に染まっている、と見ることもできる。ジェシーの姓がそうであり、プールに落ちて来た縫いぐるみの色でもそれは確認できる。白は一般には無垢を示すが、このドラマではシュヴァルツ夫妻のパーティの客たちの着衣のように、偽善的な無垢、を示すことが多く、その意味では黒に近い。ウォルター・ホワイトの名前も、S1E1のウォルターの着衣も、そう解釈することが可能であり、だからウォルターが足を洗うと、夫妻は揃って白やオフ・ホワイトで装う。ホワイト家のリビングで、差し色である緑が場面によって見え隠れしてその場の主導権の在処を示すように、これらの色彩は場面によって濃淡を変えながら見え隠れし、時としては視点人物の目に映る人や物に投影されて、様々な関係やあり方、その帰結、を示す。

青は、この悲喜劇の主題であるウォルターのエゴの色だ。ホワイト家にはプールがあり、高校教師の家の設備としてはやや贅沢に過ぎる訳だが、ドラマが始まる時には淀んで塵が一面に浮いている。おそらく、その夏は一度も使われていない。プールの脇でまんじりともせずに夜を明かしたらしいウォルターは、ハンクのところに電話を掛けて摘発に同行したいと告げる。メスの密造を始めてからは、プールは常に青々と澄んだ水を湛えることになる。ドラム缶ごと盗み出したメチルアミンを原料に使うようになると、ウォルターの精製するメスはプールの水と同じく青味を帯びた透明なものになる。

このプールには、基本的には誰も入らない。本人を除けば例外はスカイラーだけ、それも一度きりだ。金は二度、中に落ちる。最初はクレイジー8をバイクのロックで絞殺した後、精製を再開させようと訪ねて来たジェシーが、ウォルターの冷淡さに怒って分け前として持って来たドル札をプールに投げ散らす。二度目は、夫の金の出処に気付いたスカイラーが退去を申し渡して出て行った後で、一人で家に残されたウォルターは収益をバーベキューのコンロで焼こうとし、思い止まって火の点いた札をコンロごとプールに投げ込む。いずれの場合も、ウォルターは躊躇いながら精製を続けることになる。他にも様々なものが、プールの水に落ちる。コンロを投げ込む前には、苦り切ってマッチを擦ってはプールに投げ込むし、その後、上空で衝突し爆発した旅客機からは事故の犠牲者の所持品が落ちてくる。中にはピンク色の半ば焦げた熊のぬいぐるみもある。メスの産直密売で自信を付け、癌も寛解まで持ち込んだウォルターが、祝いの席でハンクに逆らって息子にテキーラを飲ませると、息子はプールに吐く — — 自分ではそれと知ることなく、父親の自我の肥大と簒奪の試みを拒絶する訳だ。

同じエピソードで、ウォルターは家の水周りにも手を付ける。老朽化した温水器をタンクなしのものに付け替え、漏れた水で腐った床を張り替え、床下に潜って土台まで黴びていることを発見する。建造物としての家は「家庭」の具現であり、安泰に見えても実は土台から腐っていた、と宣言することで、ウォルターは今までの体制を否定する。確かにこの家には、ウォルターに固有の空間はなかった(生まれて来る末娘の部屋に当てるべく追い出されたのだろう。ドラマが始まった時点でこの家には、本を納めておくまともな書棚さえなく、ウォルターがシュヴァルツ夫妻の豪邸で羨むのは吹き抜けの図書室と稀覯本だ)。今や家の床下全てが家族の立ち入らない空間で、彼はそこに不織布の繋ぎと防護メガネに大仰なマスクという、メス精製の時に着けるのとほぼ同じ装備で潜っている。稼いだ現金の備蓄場所にも使われる。これは非合法活動で家庭を死後に至るまで支える計画の視覚化だ。ウォルターの普請熱を家族は分かち合わない。これもまた、メス・ビジネスの収益を享受しながら、ウォルターのエゴの肥大を警戒する家族のあり方そのものだ。

このホームドラマそのもののエピソードの結末で、黴止めを買いに出たウォルターは、メス精製の材料を仕入れるジャンキーに遭遇して、正しい材料はこれではない、また買う店は分散するように、と注意し、それから我に返って逃げ出した男を追う。俺の縄張りから出て行け、と脅す暗鬱で威嚇的な顔は、既にメス・ビジネスの帝王ハイゼンベルクの顔だ — — が、注意深く見ていれば、同じエピソードでウォルターが同じ顔をした瞬間があったことを思い出すだろう。寛解祝いの席でハンクに公然と挑戦した時、ウォルターは同じ顔をしている。

ウォルターの最終目標は、死後にいたるまで家を丸ごと、青い水の底に沈めることにある。逃げ出そうとして逃げ切れず、進んで資金洗浄に関わることになったスカイラーは、やがてシュレイダー夫妻の目の前でプールに入る。泳ぐでも溺れるでもなくただ水の中で目を開いている姿は、夫のどこまでも肥大するエゴに沈められて浮かび上がることのできない彼女のあり方そのものだ。

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