「ブレイキング・バッド」を読み解く

H.I.P.S.
8 min readOct 17, 2014

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4. 無垢の虐殺

*以下の考察は当該ドラマを最後までご覧になった方に向けて書かれております。所謂「ネタバレ」があることをご承知下さい。

ウォルター・ホワイトが直接・間接を問わずその死に関与した犠牲者の数は200人にのぼる。そのうち167人は旅客機の衝突事故によるもの、1人は事故の責任を取っての自殺、更に1人は薬物摂取中の事故を故意に放置したことによるもの、16人が第三者への依頼によるものであり、本人による殺害は15人である。ここには共犯者トッド・アルキストによる目撃者の少年ドリュー・シャープの殺害は含めていない。

全くのアマチュアの、六ヶ月ほどと推定される休止期間を挟んだ二年弱の活動の被害としては相当なものだ。が、その殆どについて本人が気にしないのは、大半が広義の正当防衛か、抗争下の死と見ることが出来るからだ。ウォルター・ホワイトが幾らかでも悩むのはドリュー・シャープの死であり、一時なりとも心にのし掛かるのは、ジェシーの恋人であるジェーン・マゴリスが薬物摂取による意識不明の状態で吐瀉物を喉に詰まらせ窒息死するのを放置したこと、娘を失ったマゴリス氏の管制ミスが引き起こした飛行機事故、及びマゴリス氏の自殺だけだ。この四件の犠牲者はいずれもメス・ビジネスの外の人間であり、その意味では、無垢な人間を一方的に死に至らしめた、ということになる。

ピンク色のテディベアとその目玉は、この主題に絡んで出現する。このドラマにおけるピンク色 — — 及び紫/黄色の意味を考えるには重要なモチーフだ。

元美術家志望のジェーン・マゴリスは自分の寝室の壁一面に絵を描いていた。この絵が出現するのは、悲嘆にくれるマゴリス氏が妻と電話で話しながら、棺に収める際に着せる服を探す場面においてだ。

生前のジェーンはほぼ常に黒づくめだった。染めた可能性のある黒髪も含めて、ゴス好み、ということだろう。黒は喪の色であり、死の色であり、何かを隠蔽する欺瞞の色だ。ジェーンはジェシーより更に深みに嵌った薬物常用者であり、十八ヶ月間薬を断って更生中だったが、ジェシーが離れていくのを食い止めるために、メスとヘロインを混ぜて注射する、という最悪の方法を教え、自分も再び常用状態に陥った。電話のむこうで母親が、明るい色の服を着せて葬りたい、と望むのは、黒を纏う以前、欺瞞と隠蔽を纏う以前、薬物常用を隠し始める以前の姿で葬りたいという希望だろうが、そこで黄色というのは余りにも悲劇的な選択だ — — このドラマにおいて黄色は烙印の色であり、意図せずに娘を罪の女として葬ることになる。幸い、ジェーンのクローゼットに黄色はない。父親は紺色の服を、とても綺麗な青い服があるからこれにしよう、と言って取り出す。ウォルター・ホワイトのプールに沈められた犠牲者には相応しい色だ。その背景には、壁一面にジェーンの描いた絵がある。様式化された女性が何かに絡め取られて恍惚としているナルシスティックな絵の中には、少女性を——無垢を示すようにピンク色のテディベアが描かれている。

そして実際、ピンク色の熊が半ば焼け焦げた状態で、他の様々なものと一緒に、ホワイト家のプールに落ちてくる。娘を失ったマゴリス氏が職場に復帰した当日、一瞬の放心で管制を誤った結果、家の上空で二機の飛行機が衝突するからだ。犠牲者167名。ホワイト家には遺体さえ二体、落ちて来て、ホワイト氏の愛車である何とも付かない薄緑色のポンティアック・アズテックのフロントグラスを粉砕し、処理班によってボディバッグに収められ、横たえられる。彼らが概ねにおいて無垢なのは事実だろう — — 成人が完全に無垢であることは滅多にないが。

ところで、この縫いぐるみはウォルターの三番目の犠牲者であるジェーンの無垢を象徴しているのだろうか。そうとも言えないのは、この時、たまたまプールサイドにいたウォルター自身が殆ど同じ色のセーターを着ているからだ。既にメスの精製に手を染め、業界関係者二人を殺し、大物との取引に成功して大金を手中に収め、ジェーンを見殺しにし、真相は掴めないまま怯えた妻から家を出るよう申し渡された男は、到底無垢ではあり得ない。とすれば何故、プールに落ちたテディベアはジェーンの絵に描かれたテディベアと同じ色をしているのか。

ウォルターの罪はウォルター自身が一番良く知っている。ガス・フリングとの取引で得た収益の半分をジェシー・ピンクマンに渡した後、彼がおそらくジェーンを選んでウォルターのもとを去るだろう — — そのままドラッグに溺れていくだろう、と予期しながらも(実際、二人は、この金で何処か遠くへ行ってドラッグを断ち更生しよう、だって自分たちは賢いから、と可憐に囀り合いながら、荷物を纏めに寝室に入った途端、まだ置いたままのメス/ヘロインを打つことになる)彼を解放するつもりになっていた。それが、後にウォルターが語るところでは、死ぬには完璧なタイミングだった、ということになる。が、帰途、偶々立ち寄ったバーで、偶々翌朝にはジェーンを更生施設に入れようと考えているマゴリス氏に遭遇し、偶々お互いを知らないまま双方の子供の話をし、偶々ウォルターがジェシーのことを「甥」として話したらマゴリス氏が見捨ててはいけないと忠告した結果、ウォルターはジェシーの家に戻り、意識不明状態で寄り添っているジェーンとジェシーを発見する。

黄色いシーツを掛けた寝床に横たわる二人の初々しい美しさは信じられないほどだ。が、ジェシーをゆり起こそうとした拍子に仰向けになったジェーンは吐瀉物に噎せ始め、一瞬、助けようと動いたウォルターは、そのまま手を止めて、彼女が窒息するまで見詰め続けることになる。

おそらくこれはウォルター・ホワイトの最も罪深い瞬間だ。これほど美しいつがいを目にしながら、その結び付きを死によって断ち切るのは、あり得ないほど惨たらしい。そこから引き起こされる夥しい死を考えれば尚更だ。

テディベアはピンク色をしている。ウォルターも同じ色のセーターを着ている。両者を一致させるために意図的に選ばれた色だ。ジェーンの寝室の絵を考えてみよう。何かに絡め取られて眠っている女は、そのナルシスティックな描き方からして、ジェーン自身だ。ピンク色の熊はその外にある。彼女自身のものでありながら、絡みつく何かによって外に放り出されたもの、だ。

ピンク色はまた、ウォルターの生まれたばかりの娘ホリーがしばしば着せられる色でもある。無垢を意味する、という一般的な解釈はそこから来るが、ウォルターが生まれたばかりのホリーを夜中にこっそり抱き上げて車庫に連れて行き、隠した金を見せる場面からすれば、また別な解釈も可能だ — — ホリーが後々、ウォルターとスカイラーの、更にこの二人とシュレイダー夫妻の争奪戦の対象になること、どちらも理由は「ウォルターから保護する為」であること、にも関わらず、物語の進行につれてホリーはピンク色だけではなく薄緑色も着せられることからするなら、彼女の着衣の色はむしろ、ウォルターの影響下にあることを示す、と考えることもできる。

とすれば、ホワイト家の青いプールの水に飲み込まれたのはウォルター自身 — — 或いは彼の魂であり、半身が焼け焦げた姿はそのあり方を反映している、と考えるのが妥当だろう。テディベアはピンク色なのではなく、ピンク色になったのであり、それは、僅かに紫色に染まった、に等しい。いわば烙印を押されたのだ。ジェーンの絵の中の熊に関しても同じ解釈が適用できる。何かに絡み取られて眠る女の魂は、薄い罪の色に染まって放り出される。更に、後にガス・フリントがこの熊と左右逆転した鏡像の状態で顔面片側を抉り取られて死ぬことも同様に考えることができる。彼もまた、過去のやり直しに動機付けられた人物であり、死に及んで、本来の状態を曝すことになる。家の前に落ちた遺体がボディバックに収められるのと同様、テディベアはビニールの証拠品袋に収められて処理班に運び出される。

ウォルターは回収を免れた目玉の片方を拾い上げ、以後暫くは住まいを変える度に持ち歩くが、いつの間にか忘れてしまう。これがウォルターが自分自身に向ける目、いわば良心であることは比較的わかりやすい。だがそれは既に彼の外にある。だからこそ、飛行機事故の後、分かち合いによって生徒のトラウマを軽減するために開かれた学校での集会で、ウォルターは、忘れよう、事故を越えて進もう、と言うことができる。これは支離滅裂さにおいても、彼が後にジェシー・ピンクマンに繰り返す弁明の雛形だ。S4E9の、ラボに入り込んだ蝿を追うだけの異様な回はこの延長線上に出現する。殆どカトゥーンのように滑稽化された、たった一匹の蝿に対する執拗な敵意には、ラボが汚染される、という理由が与えられている。実際、ラボは悔恨によって汚染される。理解不能な固執に困ったジェシーはウォルターに睡眠薬入りのコーヒーを飲ませ、識域の下がったウォルターは、ジェーンを死なせる前に死ぬのが理想的だった、と語り、済まない、と詫びる(ただし、何を意味しているのかジェシーにはわからない)。クレイジー8を絞殺した後も、何度も繰り返し、済まない、と呟き、マイク・エルマントラウトを衝動的に撃った後にも詫びて、死にかけている本人に呆れられることになるが、この三回が、言い訳なしに彼が謝罪した数少ない例外だ。ただし蝿は蝿であり、マイク殺害後に現れた蝿は一時的な凝視の対象にはなりこそすれ、もはや追うべきものでさえなくなっている。

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