「ブレイキング・バッド」を読み解く

  1. ネグロ・アロヨ・レーン308

*以下の考察は当該ドラマを最後までご覧になった方に向けて書かれております。所謂「ネタバレ」があることをご承知下さい。

ニュー・メキシコ州アルバカーキ、ネグロ・アロヨ・レーン308番地に一軒の家がある。まっすぐな通りがもう一本の通りにT字型に行き当たったところだ。近隣は全て住宅であり、通行人は殆ど見当たらない。家の正面片側を二台収容可の車庫が占め、車庫の前には自動車が二台停まってる。戸口のある窪みを挟んで反対側には窓があり、その前にはかなり大きな樹木が植えられているが、根元には砂利が敷き詰められ、芝生はない。

家の裏には近隣の家に囲まれた裏庭があり、タイルが敷き詰められ、小振りだがかなり深いプールがある。ドラマが始まる時点では、プールの水は濁り、枯葉や塵が浮いている。同様に、この家は致命的な問題を抱えている — — タンク式温水器の内部は錆び、水位が下がった時、温水の蛇口を捻ると出てくるのは赤く濁ったお湯だ。タンクには穴が空き、下には漏れた錆水が溜まって、床板は腐っている。後に、家の主は自ら温水器を取り換え、床を張り直し、上げ蓋を設置するために床下に潜って、土台の木部が黴びている、と興奮気味に宣言するだろう。

家の内部を見てみよう。もともと、この家の内壁の大部分は白く塗られていた。ただしリビングの暖炉の煙突が通っている部分に石が、戸口を入った右側とその向い側には木の板が張られている。この部分は現在に至るまで同じ状態だ。その奥は幾らか改装を試みた痕跡がある。リビングとはキッチンカウンターを隔てた台所と、奥の寝室へと続く廊下の壁は緑色に塗り替えられた。この緑色は寝室まで続き、扉を入った右側、鏡張りの扉のあるクローゼットの周囲までは同じように塗られているが、部屋の大部分は花柄の壁紙が貼られている。つまり、リビングの壁面は三種類、寝室は二種類の異なる壁面からなる訳だ。

カーテンの色調はリビング寝室共通で、薄茶・焦茶・オレンジ色の格子柄だ。寝室のカーテンには薄青が、リビングのカーテンには細い緑色が入っている。ただし、緑色がはっきりと見えるのは光線の加減でだけだ。同じ色合いのかぎ針編みの毛布が革の長椅子には掛けられているが、普段は半分に折られて、緑色が見えることは滅多にない。もう一脚のソファは布張りでこちらは深い緑色だが、同色の安楽椅子同様、大抵は影に入っていて色は目立たず、人が座る時は例の編んだ毛布を掛けられる。他に、くすんだ色調の安楽椅子もあるが、緑色の縞は殆どの場合、目立たず、長椅子の前のラグには褪せたような緑色が入っているが滅多には映らない。食卓とその椅子は木製で茶色く、キッチンスツールの背もたれと座面の張り布も緑が基調だが、ここには殆ど誰も座ろうとしない。緑色に塗ったラティスのような衝立はひどく浮いている。全体として言うなら茶系が中心で、緑色は場面によっては浮き上がって見える程度だ。

家は十六年前に購入された。ドラマが始まった時点ではまだ10万ドル以上のローンが残っている。

このちぐはぐな家の主はウォルター・ハートウェル・ホワイト50歳だ。

かつて、ウォルター・ホワイトの未来は洋々たるものだった。カリフォルニア工科大学在学中に友人らと共にグレイマター・テクノロジー社を立ち上げた。当時保有していて退職時に5000ドルで売り払った株式は、今日では21億ドルになっている。その後、ロス・アラモス研究所に移り、1985年にはノーベル賞を受賞した研究に貢献があったとして表彰された。在職中に、近くのレストランでウェイトレスのアルバイトをしていたスカイラーという女性と結婚、第一子の出産を控えて、ネグロ・アロヨ・レーンの家を購入した。

当初の予定では遠からぬうちにもっと大きな家に引っ越す筈だった。十六年後の2009年現在、彼は相変わらず同じ家に家族と住んでいる。職業は高校の教師。何故そういうことになったのかは不明だ。年俸は4万3000ドル。加えて、洗車場のレジに立って幾許かの副収入を得ている。時には洗車をすることもある。

家族は三人だ。自分と、妻スカイラー。彼女は経理の専門家だが、四年前に勤めを辞めた。息子のウォルター・ホワイト・ジュニアは十六歳で、ウォルターの勤務先の高校に通っている。脳性まひによる障害があり、両腕で杖を使って歩行する。スカイラーは妊娠中で、やがて第二子を出産予定だ。

スカイラーには妹がいる。マリーという妹と、その夫であるDEAの捜査官ハンク・シュレイダーは頻々とウォルターの家に現れる。事実上の家族と言っていいだろう。シュレイダー夫妻には子供がいない。

ハンク・シュレイダーは禿頭のがっちりした男で、薄青い目は鋭い。一見では豪放磊落そのものだ。ただし、演じるディーン・ノリスはこのキャラクターに更に微妙な味を付け加えている — — 時折、感じやすすぎる表情が目に浮かび、豪放磊落そのもの、を裏切るのだ。時として彼の豪放磊落は過剰すぎて偽物臭く、しばしば、生まれ持った感じやすさと豪放磊落のポーズの板挟みになる。手配中の大物覚醒剤ディーラーを射殺した後に感じるのは、恐怖と、自分は称賛には値しないほど臆病だ、という自責だ。その業績を認められて最前線のエル・パソに栄転ということになると、エレベーターの中でパニック障害の発作を起こす。同じ発作を「ソプラノズ」のジャージー・マフィアのドン、トニー・ソプラノが起こしたことを思い出す人も多いだろう。あれもまた、捨てるに捨てられないポーズと素の自分のずれが露呈したが故だった。そうした矛盾を前提にしなければ、ウォルターの正体を悟った時の激怒も執拗さも理解は難しい。ウォルター・ホワイトはこの、実際には豪放でも磊落でもない人物を非道く傷付けたのだ。

ハンク・シュレーダーが、実のところ、ホワイト=シュレーダー一族の家長、群れのアルファ雄である。これはハンクが好むオレンジ色や茶色のシャツが、ホワイト家のカーテンや調度の色としっくり馴染むことからも推察される。一方、ウォルター・ホワイトは緑色を好む。ただしこの色合いは、控え目に、小声で抗議するように、衝立に、スツールの背と座面のクッションに、光線の加減で細く光る程度にカーテンに、影になって見えにくい廊下の壁に現れるだけで、寝室においてさえ花柄の壁紙とオレンジ色/茶色のカーテンによって戸口の方に追いやられている。この緑色は自宅でジェシーを相手に大芝居を打つ S4E12では殆ど炸裂するほどの強烈さを帯びる。

叔父と実父のこの力関係は、息子ウォルター・ジュニアにも影響を与える。子供のない叔父は甥を可愛がる。一見ではまさに望ましい「父」の特性を具え、相応の社会的な役割を担い、「家」においてもそのように振舞い、実際に何かが起った時(例えば未成年でありながらビールを買おうとして捕まった時)にもすぐに助けてくれる。しかしそれでは実父の立場がない。息子にとっては情けない事態だ。父には「父」であって欲しい、自分はその「父」に対し、あるべき「子」として振舞いたい — — これがウォルター・ホワイトJr.の切なる願いであり、彼の言動は、父親への愛着を示しているように見える時でも、実際には、父らしく振舞うこと、を求めている。それが叶わないと悟った時の反応は激烈だ。抗ガン治療を諦めて静かに死にたいと言った時にも、指名手配されて逃亡中に電話をして来た時にも、父親に向かって、死ね、と言う。一度目は、「父」らしい雄々しい抵抗を示さないためであり、二度目はハンクという族長=「父」殺しを、後継者であるJr. は許すべきではないからだ。この判決は、事が露見した瞬間、一族に共有される。ハンクの死を告げて一家で逃亡生活に入ろうとウォルターが提案した時、妻スカイラーがウォルターを追い払うために包丁を構え、息子は家から出て行けと言うこともまた、この複合家族の実質的な長が誰であり誰に引き継がれるか、を浮かび上がらせるだろう。

ちなみに、シュレイダー夫妻単独の関係に目を向けるなら、支配的なのは妻マリーであって、ハンクではない。これは紫づくめのマリーが家まで紫色で埋め尽くしていることからも知れるだろう。妻が近所の子供のラジコンカーを自動車で轢き潰した時、後で申し訳なさそうに弁償するのはハンク、妻が姉と険悪な関係になった時、こっそり出向いて、電話してやってはくれまいかと頼むのもハンク、妻と姉が騒ぎ立ててウォルターの治療問題を家族会議に掛けた時、妻の顔色を窺いながらでないと思ったことを言えないのもハンクである。

ホワイト夫妻に同様に目を向けるなら、倦怠し切った友達夫婦ぶりには微妙に危ういものが見え隠れする。スカイラーには微かに病んだところがある。ドラマの中にそういう影は特には見当たらないにも拘らず、幾らかDVの被害者に似た気配があるのだ。夫婦の愛情は細やかなものであり疑念の余地はないが、彼女は夫の中の何かを恐れている。実際に”I am who knocks” と口にする遥か以前から、そういう人物であることを、スカイラーは薄々知っている — — 十六年一緒に暮らして毛ほども感じたことがないとしたらその方が不自然だ。シュレイダー夫妻を家族の中に引き込んでおくのは彼女の知恵だろう。夫の秘密に対する疑念が恐怖心にまで発展すると、夫を家から追い出し、不倫に走り、兎も角逃れようと足掻くが、離婚届に呆気なく署名されて折れるのはスカイラーであり、以後は逃れるどころか積極的に資金洗浄を担当し、自分は人質だと言いながらも事が露見した後は夫の側に付いてシュレイダー夫妻と対立する。

ハンクとウォルターの関係に戻ろう。話の発端、ウォルター・ホワイトの50歳の誕生祝いの席で、ハンク・シュレイダーは家長然とDEAの仲間を従えてテレビの前の長椅子に陣取り、銃を見せびらかして大喜びする甥とおっかなびっくりのウォルターに手に取らせ、お前は実に頭のいい男だが心根の良さ故に愛されている、と、王が側近を褒めるような演説を行い(シェイクスピアならこれは叛乱勃発のフラグだ)、ニュース番組を点けて自分の指揮したメチルアンフェタミン密造場の摘発の様子を客一同に見せる。押収品の中には丸めて輪ゴムで止めた緑色のドル札の山が映る。総額七十万ドル。ぽつんと離れて酒を飲んでいたウォルターはハンクに近付いて、あれは多い方か、と訊き、ハンクは最高額ではないと答え、今度摘発の現場に連れて行ってやる、と約束する。何かぼんやりしたものが、ウォルターの顔には浮かぶ。手にはハンクから受け取ったままの銃がある。連れて行って欲しい、と実際に求めるのは、肺癌と診断され、手術は不可能、余命は最大二年という宣告を受けた後のことだ。

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