「ブレイキング・バッド」を読み解く

H.I.P.S.
11 min readOct 14, 2014

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2. 糸を紡ぐグレートヒェン

*以下の考察は当該ドラマを最後までご覧になった方に向けて書かれております。所謂「ネタバレ」があることをご承知下さい。

スカイラーと結婚する前、学生ベンチャー時代のウォルターには恋人がいた。エリオット・シュヴァルツとグレイマター社を始めた時の仲間だが、彼女の家族に引き会わされ、ということは結婚を前提とした交際へと踏み出そうとした時、突然ウォルターは彼女のもとを去り、グレイマターの株をエリオットに売り払って、ロス・アラモスに移った。彼女はエリオットと結婚し、現在ではグレイマター社の共同経営者である。名前を、グレッチェンと言う。Gretchen。マグダレーナの愛称から来た名前であり、由緒正しい古典的名作に倣ってドイツ語読みするならば、グレートヒェンだ。

グレッチェンの口から語られるこのエピソードは、家でさえ主導権を握り切れない温厚で小心そうな高校教師の、また別な性格上の特徴を語っている。即ち、激烈な倨傲だ。父親をハンチントン氏病で早くに失ったウォルターは苦学生であり、まだ成否のわからないベンチャーを立ち上げたところであり、社会的な背景も信用も財産もない。グレッチェンの親が実際にどう彼を扱ったかは語られていないが、娘がどこの馬の骨とも知れない男と結婚することに難色を示した — — と、ウォルターは解釈し、おそらくは、ドラマの中で何度となく観客が目にすることになる憤激に駆られて、何もかもを投げ捨てた。久しぶりに二人だけで再会し、過去のことに触れたグレッチェンをウォルターが非難するところから推測するなら、そういうことになる(この場面でのブライアン・クランストンの、哀れなくらいに傷付いた目から化け物じみた倨傲が身を擡げる表現は秀逸だ)。ロス・アラモスを離れるに至った事情も同じようなものだろう。洗車場のレジ係を辞める状況はドラマに描かれている。花嫁に選んだスカイラーは、若さと美しさは兎も角としても、文化的背景においてはやや不釣り合いで(夫婦それぞれのナイトテーブルに置かれる本に注目されたい)、この結婚にはやや当て付けめいた気配も感じられる。スカイラーという名前から連想される色 — — 青がこのドラマで示す特殊な意味に照らしてもそうだろう。ただし、スカイラーは彼を何とか馴致することに成功しているが。

自尊心を傷付けられ怒りに駆られる度に自滅的な選択を繰り返して来た結果、ウォルター・ホワイトは現在の境遇にある。この境遇に対する苛立ちは、それを簡単には動かせないものにしている家庭にも向けられる。家庭は愛着の対象であると同時に、彼をドラマ開始時の苛立たしい境遇に閉じ込めておく檻でもある。

この人生に、他の選択肢はなかったのか。

洗車場で初めて倒れる直前、ウォルターが見ているのは車から降りて来た見知らぬ女の腰だ。次に彼が女性に関心を示すのは、余命二年の宣告を受けた後、メタアンフェタミン密造に使われている民家 — — 敢えて魔女の厨と呼ばせていただくが — — を、DEAの摘発に同行して訪れる時だ。現場検証が終わるまで車の中に残るよう言われたウォルターは、自動車のウィンドウ越しに、ハンクらが踏み込んだ密造所の隣家の二階の窓から下穿き一枚の若者が現れるのを見る。若者は屋根の上でこちらに背を向けてジーンズを履こうとし、植え込みに転げ落ちる。若者の着衣の残りが投げ落とされる。窓を見ると、全裸の女が胸を剥き出しにして立っている。とうの昔にウォルターからは失われた、青春の愚かしさと幸福を絵に描いたような光景だ。若者は怪我一つなく着るものを着て立ち上がり、用心深く辺りを見回し — — 目が合った瞬間、二人はお互いを見分ける。

欲望は横滑りする。魔女の厨の鏡に映ったのは美しい乙女ではなく、元生徒のジェシー・ピンクマンが体現する野放図な若さだ。

次の場面でウォルターは、夜を待ってピンクマンの家を訪れ、半ば脅すように共同事業の立ち上げを持ち掛ける。僅かな残り時間の中で、青春の愚かしさと幸福そのものを連れにして、指の先くらいは掛けながらみすみす棒に振った富と成功を今度こそ手に入れること。グレイマターの時点に遡って人生をやり直すこと。ジェシー・ピンクマンは第二の、ただし今度は名前だけではなく本当の、グレッチェンであり、最初のグレイマターの構図 — — ウォルターとグレッチェンとエリオット・シュヴァルツ — — は、第五シーズン前半の、ウォルターとジェシーにマイク・エルマントラウトを加えた起業として再現されることになる。

だから、夫の挙動不審に疑念を抱いたスカイラーが、まず大麻を買ったと言う夫の弁明を真に受けてジェシーのところに乗り込み、次にグレッチェンとの関係の再燃を疑ったのは、必ずしも見当違いではない。治療費と遺族に必要な資金の捻出はウォルター自身も信じたふりをしている口実で、「グレッチェン」に惹かれて、DEA捜査官ハンク・シュレーダーを家長とする家の拘束を逃れ、あるべき自分に立ち返ろうとしている、という点を、スカイラーは正確に見抜いていたことになる。ウォルターの結婚指輪は、第二シーズンの精製を再開する直前の場面で、簡単に回るほど緩んでいる。これは最終的には眠っている間に抜け落ちるほど緩くなるだろう。

ドラマにおけるメス・ビジネスの市場は、社会的な上昇と下降の交差する場所として現れる。乱用者が次第に社会の最下層まで転がり落ちる一方(これは視覚的には、乱用者が集まるモーテルを仕事場とする娼婦ウェンディと、スプージの女、とだけ呼ばれる薬物乱用者夫婦の片方に具体化される — — どちらも非常に美しかったであろうと思わせる瞬間をカメラはきちんと捉えている)、国境を越えて来て無限になり上がるドラッグ成金たちがいる。その交錯の中に、際どい線に踏みとどまりながら、多くの普通の生活者が — — 長距離トラックの運転手から昼間は家政婦勤めでもしているであろう深夜のコインランドリーの移民女性まで — — 生息している。特に貧しくはないが未来もない堅気の環境に見切りを付け、上昇気流に乗ろうと参入してくる者もいる。例えば大学で経営学を専攻したと語る覚醒剤密売の元締クレイジー8であり、ガス・フリントの化学者ゲイル・ベティカーであり、ウォルター・ホワイト自身がそうだ。これは、ある意味、ホワイト家がウォルター発症まで煮え蛙のように浸っていた、99%にとっては縮小を続ける社会、の縮図だ。

ジェシー・ピンクマンとその仲間たち — — バッジャー、スキニー・ピート、コンボ — — は、そうした下降と上昇の交錯する乱気流の中に、なんとなく漂っている。沈むこともないが、浮かび上がることもない。歳を取ることもなく、成長することもない。まるで十代のように見えるジェシー・ピンクマンの設定上の年齢は二十代後半である。

小柄で子供っぽい外見と、気紛れな落ち着きない態度と、時折露呈する確かに愚かとしか言いようのない物言い(「牛の家」は非道い)のせいで全くの愚か者のように見えるジェシーは、その実必ずしも愚かではない。RVを使った移動ラボでメタアンフェタミンを精製することを考えたのも、クレイジー8を地下室に監禁する際、オートバイに使っていたロックでパイプに首を繋ぐ事を思いついたのも(車庫で自分の首に嵌めてみて、周到に抜けないかどうかを確認する動作は印象的だ)、暴力的な元締を排しての産直売買を言い出したのも、三頭体制での起業で次々に難問の解決策を思いつくのもジェシーだ。ドロップアウトは薬物乱用のせいらしいが、それ以前に、もともと落ち着きのない性格が(マイク・エルマントラウトの自動車に同乗させられた時の、片時としてじっと座っていることのできない七転八倒ぶりはすさまじい)学校教育に馴染まなかった為だと思われる。ウォルター役のブライアン・クランストンがああいう種類のよくいる「おっさん」に、シットコムの何となく気の毒な駄目パパから倨傲の権化までの色彩を同時に含ませて、一瞬で一方から他方へと移って見せたり、恐ろしいことに同時に両方だったりすることでこのドラマの複雑な悲/喜劇性を体現するとしたら、ジェシー役のアーロン・ポールはこの永遠の未成年の、思わず見惚れずにはいられないような愚かさと柔軟さ、ナイーヴさと未熟さ、可能性と脆さの並存を体現している。

ドラマの中でジェシーを特徴付ける要素は四つだ。まず定住志向で、上層中流の「いいお家」を、弟に悪影響を及ぼさないように出されてからは、老齢の伯母を看取った家を自己所有と見做して住み続けており、地下室での精製作業を知った親が追い出して家を売りに出すと、薬物売買で手にした有り金を叩いて買い戻す。第二は、ウォルターとの共同事業に乗り出すまで殆ど眠ったままだった向上心だ。薬物中毒者のリハビリテーションのサークルでは、一番幸せだった出来事を訊かれて、技工の授業の課題である木箱を、教師に挑発されて繰り返し作り直し、ついに満足のいくものを作り上げたこと — — その官能的でさえある喜びを語る。ウォルターとの最初の精製の後、単独で同じやり方を試みた時には、仕上がりに満足できず、その都度やり直しさえする。ガス・フリングのラボでの継続的な共同作業を経た後には、単独作業で純度96%を超えるようになる。彼には「挑戦」「達成」という概念があり、その成否を判断する基準が刷り込まれている。第三は極端な依存心だ。後ろに誰かが付いて目標を示し責任を取ってくれる限り、第二の特徴を具えたジェシー・ピンクマンのパフォーマンスは極めて高い。そうした誰かに対する依存をそう呼ぶなら、忠誠心も高い、と言うべきだろう。マイク・エルマントラウトがジェシーの敬意を勝ち得たのは、依存心を満たし達成感を与える術を心得ていたからだ。これはウォルターとの関係において数々の問題を生む。ウォルター・ホワイトにそういう意味でのハンドラーとしての資質が決定的に欠けていることを元生徒であるジェシーは知っていたし(落第点を取った生徒との会話で分かる通り、ウォルターの要求水準は高いが、それは誰でもクリアしようとする「筈」であり「べき」だというのが彼の思い込みで、それができない人間は無条件に「愚か」ということになる)、だからこそ、50/50のイコール・パートナーであることを要求した。これはウォルターにとっての本当の目的 — — 青春を取り戻し、やり直すこと — — にもぴったり合致していた。二人の間で繰り返される大人気ない蹴り合いや殴り合いはその物理的な表現だ。ところが悪いことにジェシーはそういう人間ではなく、ウォルターは何よりまずエゴイズムの人だ。結果として、ジェシーは常に依存しきれないフラストレーションを抱え、ウォルターは何より大切な「パートナー」を、取り敢えず他に使える人間がいないので騙してでも利用しては、嘘と言い訳を重ねて言い包める、ということになる。これはジェシーの四番目の特徴 — — 苦痛に対する共感と、場違いなくらい健全な正義感 — — にとっては大きな苦痛だ。特に子供の苦しみに敏感なのは、ジェシー自身がまだ子供の側にあるからだろう。ウォルターが咳き込むのに気付き、メス・ビジネスに参入しようと決めたのは癌が理由ではないかと訊ねるのは、このドラマではたった二人 — — クレイジー8とジェシーだけである。

つまりは住所不定無職のアウトローから彼ほど遠い人物はいない。そういう纏め方をするなら、おそらくジェシーほど奇跡的に純真ではないとしても、父親はタンピコ家具の店主だ、と打ち明けるクレイジー8もそうで、ウォルターに訊ねるのは思惑あってのことだが、そういう動作は自然に身に付いている。これが恐ろしく効率的なビジネスのやり方 — — DEAと影で結託して商売敵を次々に密告しながら縄張りを広げて行く — — にも繋がっている。彼らは、ドロップアウトはしたが未だに生粋の中産階級の子弟なのだ。

ここにはある種のトリックがある。内面化した自律や苦痛への共感/罪悪感は大多数の視聴者にとっては非常に馴染みやすい近代の心性であり、特に後者は、次第に、ウォルター・ホワイトにはほぼ欠落している — — ないし、諸々の事情に簡単に蹴散らされてしまうものであったと判明するものだ。ジェシーにとってのモラルが内在するものだとしたら、ウォルターにとってのそれは、自分が遠因となった飛行機事故の残骸に混じって裏庭のプールに落ちたピンク色の熊の目玉として外に出され、暫くは取っておかれるが、何時の間にか失くしてしまうものだ。極めて市民的に善良だったウォルターは犯罪を重ねるにつれてどんどん解放され、ウォルターが解放されるにつれて、元は心も罪も軽い自称アウトローだったジェシーは振り回されてぼろぼろになっていく — — ドラマの粗筋を簡単に纏めるならそういうことになるし、それは同時に視聴者にある種のアリバイを提供することになるだろう — — ウォルター・ホワイトのエゴの解放を眺めながら、その報いをジェシー・ピンクマンが一身に引き受けるのを見ることになる、とはそういうことだ。ファウストがグレートヒェンとの関係を堪能しワルプルギスの一夜を満喫する一方で、グレートヒェンが母親を殺し、産み落とした子供を殺し、牢に繋がれるように。

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