はじめての就職

私にとっての趣味、仕事、そして学び事。


前書き 初めての就職を振り返りながら、社会人になって3年目に入った2014年まで仕事に関してどう思っているかを書き留めたものです。この考えは今後の経験に拠って変わるかもしれませんし、変わらないかもしれません。これが正しいと主張するつもりは更々無いですし、3年後にはこれを読み返して新しいメモを書くかもしれません。どこかの誰かの独り言として読んで頂ければ幸いです。

The truth is that even if you’re lucky enough to make a living off doing what you truly love, it will probably take you a while to get to that point. Until then, you’ll need a day job.
By Austin Kleon, from Steal Like an Artist

たとえ貴方が好きな事で食べて行ける様になれたとしても、そこに辿り着くまである程度時間が掛かるかもしれない。それまで生活費を支える事が出来る程の収入と、残りの時間で好きな事をする為の力を根こそぎ奪い取らない様な仕事につくのが望ましい。簡単に見つける事はできないかも知れないが、探せばある。

Austin Kleon氏の著書、Steal Like an Artistにその様な事が書かれていた。

Kleon氏はテキサス州のオースティンに居て、私はニュージーランドのウェリントンに住んでいる。そしてこれを読んで下さっている方はまた別の場所に住んでいるかもしれない。「簡単に見つける事はできないかも知れないが、探せばある」といった発言は一人一人が置かれている環境に拠って大きく異なるだろう。それでも私はこの考え方が大好きだ。

社会人になったら仕事が第一になり、趣味はあくまでもその次の次になるのだろうと思っていた。仕事にも寄るだろうけれど、少なくともグラフィックデザイナーとして就職した私はそう思っていた。それまで励んでいた絵やお話作りも、社会人になれば一年に3〜4作描ければ良い方だろう。仕事の間を縫って描いているのだから仕方が無いと思う様な自分になるのだと薄ら感じていた。

卒業したら仕事につく。当時はそれしか頭に無かった。両親は自営業だった為、小さい頃は人の下で働くのは嫌だと散々言っていたが、やはり社会勉強も兼ねて就職はしようと思っていた。そんな考え方をしていたからか、初めて会社勤務した時は経験重視で給料の事を考えずに仕事に打ち込もうと考えていた。

就職したタイミングは卒業した直後だった為、私はまだ学生ビザを所持していて一週間に20時間以上働く事はできなかった。けれどそれは20時間分以上の給料を貰う事が違反であって、それ以上の時間はボランティア扱いであれば 問題は無いという事だ。

その事を社長に話し、ビザ更新するまで20時間分の給料で働かせて下さいと頼んだ所社長は了承して下さったが、私を推薦してくれた友人は少し難しそうな顔をしていた。

「この会社はまだ小さいし、このチームは良い人達ばかりだ。良心で皆を手伝いたいと思い易い場所だろう。経験も重要だし、勉強も良い事だ。でも君の時間は価値のあるものだという事を忘れてはならないよ。」

「今日は晴れているし、こんな日には暗いオフィスに籠っているよりも君自身の為に時間を使ったらどう?」

当時の私にはその言葉の意味が分からなかった。

思えばその時はいつか自分に役立つだろうと思って社会勉強に励んでいたが、その社会勉強の期間がいつ終わるのかという事まで考えていなかった。ただ漠然とこれも勉強だ、経験の為だと思って、その経験がどの様に将来に繋がるかという事を考えもしなかった。

勿論、経験した時は意味が分からなくても後々「あの経験をして良かったな」と思う事も今まで沢山あった。けれどそれはどんな事も全て良いものだと信じて鵜呑みにする事とは少し違うのかもしれない。

私はそのまま仕事に励み、時には残業して、ずっと欲していた経験を重ね続けた。その会社でのグラフィックデザイナーの主な仕事内容は人様のロゴや写真をブランドのルールに沿って加工する事だ。美しい物を、楽しいものを作るという拘りを持って取りかかったのは最初だけで、次第に次々と舞い込む仕事をただただこなす日々を送る事になっていた。

気付けば絵をあまり描かなくなっていた。絵を描こうとしても何も思い浮かばない。前に絵を描く理由を見失っていた頃と似ていた。その頃と違う点は、表現する道に気付けても表現する物が見つからないという事だった。

学生時代あれだけ喜んで学んでいたデザイン、念願のデザイナーとして就職したにも関わらず自分の手で作る物に誇りを持てなくなり、感覚も感性も麻痺しかけていたのかもしれない。

このままでは駄目だと思い、その週末にスケッチブックを持って近くのカフェに入って閉店時間までずっと絵を描いた。ぎこちなかった線も段々滑らかになり、店員が掃除をし始める頃には紙が楽書きで埋まっていた。アイデアが止んだのでは無く、私が好きと思っていた事に打ち込む事を止めたのだと初めて気付いた。

丁度その頃職場では、デザイナーはお手透き状態だったが、フロントエンドエンジニアが足りていなかった。中学の頃HTMLを少し眺めていただけで専門的な知識等ほぼ無かったが、簡単なものなら出来るかもしれないと手探りで状態で手を出してみた。やっとの思いで1ページ完成させた所、それを見た上司がウェブ上で学べるコースを紹介して下さったのだ。フロントエンドのパズルの様な面白さ、表現できる物の多さに惹かれ、次第にデザインの仕事よりもエンジニアとして仕事を任して頂ける事が増えた。

楽しかった。久しぶりに仕事内容がとても面白く感じた。デザイナーが作った美しいデザインをどれだけ正確に再現できるかという事にも燃えたが、それ以上に仕事から毎回沢山の事を学び、自分で作れるものの範囲が広がるという事が何よりも嬉しかった。これでしらたま(著者の創作キャラクター)のウェブアプリを作る事ができるかもしれない。これで簡単なアニメーションをページに組み込む事ができるかもしれない。その時初めて自分が働く理由と自分のやりたい事が繋がり、頭の中の霧が晴れた気がした。

小学生の頃は中学校に行く為に、中学高校の頃は受験合格の為に勉強していた。就職したとたんに次の扉が定年退職しか思い浮かばず先を見失っていたが、改めて振り返ってみると学校を卒業したのは就職する為では無く、私がやりたい事をして、幸せだと思える人生を歩む為の道だったのかもしれないと今は思う。

年齢や肩書きなど全て忘れて自分のやりたい事を考えた結果、絵を描いたり、わくわくする事をやって、自分が好きな物を作り続けるという事だった。

今の私にとって楽しい事やわくわくする事は、定期的に描いている絵や話、しらたまというキャラクターやその世界観なのだという事もはっきりした。

フロントエンジニアになって仕事の量は増えた。忙しい時は夜通しパソコンで作業していたり、中々直せないバグに苦戦する事も多い。けれど不思議と辛いと感じる事は無かった。チームが素晴しい人達ばかりというのも大きかったが、ただ純粋に新しいスキルを得られる事が嬉しかった。絵でいうと今までクレヨンと色鉛筆しか無い所へ、新たに水彩セットが加わった感じかもしれない。これで何が作れるだろう、表現できるだろう。そんな気持ちが溢れて本当に楽しかった。

その後プログラマの友人が「学ぶ事が残されていない仕事程つまらないものは無い」と言っていたのを思い出し、笑ってしまった。フロントエンドエンジニアの肩書きを頂いたばかりの頃の自分に当てはまった様な気がしたからだ。

こんな事を書いてしまってはまるで私がデザインでもう学ぶべき事は無いと言っている様だが、それは違う。私はデザイナーとしてまだまだ修行不足だ。思い浮かべる様な素敵なデザインを中々形にする事ができない。デザイン学科出身でも、自分の事をグラフィックデザイナーと呼ぶのに気が引けてしまう程だ。寧ろ恐れ多くて言えないかもしれない。

ただ私がやりたい事に使うツールとして今は、困っていないという事であるだけだ。デザインの基礎や考え方は、定期的に描いている絵本に本当に役立っている。気付かれる程使いこなせていないかもしれないが。文字入れ位ならお茶の子さいさいだ。仕事のフロントエンドエンジニアとしてもデザイナーと会話する時に相手の話や拘りを理解し易くなるというのもあって良い事だらけだ。私が学んだ事を全て使いこなせる日が来れば、次に学ぶべき事に時間を費やす事になるだろう。

社会人としての私の暮らしは学生の頃とあまり変わっていないのかもしれない。課題の代わりに仕事をする。クラスメイトや教授はチームメイトや上司。学科を選択する様に仕事も選択する事ができる。学生の頃に比べたら休みが少ないけれど、仕事はお小遣いが貰える。でも今も学生の頃も、一番情熱を注ぎたいと思うものは変わっていない。

やりたい事に必要な技術や経験を職場で身につけ、生活費も確保できるなんて一石二鳥だ。無論これは理想の職場に巡り会えて初めて実現できるもので、そんな夢の様な話を可能にしてくれたこの職場の方々には今でも頭が上がらない。出逢えた事が奇跡的とも感じる。いつかまたこの会社のチームの様な人々と巡り会える様にと願って止まない。

いつか私が壷作りに心を奪われたら、壷作りの名人に弟子入りするかもしれない。お裁縫に目覚めるかもしれない。フードアートに惹かれるかもしれない。自分がワクワクする事なら、好きなものを作る為ならこれからもどんな形であろうと学び続けるだろう。

後に私は解雇され、別の会社で絵本のイラストやアニメーション作成、ラジオの広告や企画書の翻訳に携わる事はまた別の話。

Email me when Karen Uji publishes or recommends stories