情報と計算機に関する考察

Keisuke Okumura | 奥村圭祐
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31 min readAug 11, 2016

Why — 箱の中から箱を俯瞰してみよう

東京工業大学 情報理工学院のHPより

僕は大学で情報工学科という所に所属してるのだけれども、具体的に何をする学科なのか、何を学ぶ学科なのかというとイメージが非常に浮かびにくい分野だなーと考えている。他の人に言わせると、コンピュータ・サイエンスとかやるんでしょ?確かにそうだけど、それはあくまで一部分だ。だからこの分野を切り開いた先人たちの偉業に触れながら、情報を科学するという学問がどう成り立ってきて、どこを目指しているのかということを、自分の拙い言葉と妄想力で表現してみたいと思う。専門用語が多く難解かつ長文ではあるが、なるべくコンパクトに、かつこの学問の面白さを損なうことがないように気をつけたので、一読していただければ幸いである。楽しく広大な旅になることを担保したい。

Information — ただそこに存在する概念

そもそも論をしよう。情報とは何か?情報という単語を使う機会は非常に多い。情報社会、インフォメーション・センター、バイオインフォマティクス(生命情報科学)、情報共有・交換、交通情報、受験情報サイト、情報過多、情報工学科。そういえば高校の授業で情報という科目もあった。

改めて考えてみよう。情報とは何か?目に見えない概念というやつの一種ではある。日常で使用している言葉を再定義することは非常に難しいことだ。Wikipediaにはこう載ってる。

  1. あるものごとの内容や事情についての知らせのこと。
  2. 文字・数字などの記号やシンボルの媒体によって伝達され、受け手において、状況に対する知識をもたらしたり、適切な判断を助けたりするもののこと。
  3. 生体が働くために用いられている指令や信号のこと。
  4. (情報理論(通信理論)での用法)価値判断を除いて、量的な存在としてとらえたそれ

情報を科学するという観点で話を進めたいので、この記事でのスタンスは4番だ。情報とは何かと訊かれた時に、そこに価値判断は含まれない。”Hello” は “こんにちは” という意味を内包する単語なのではなく、アルファベット5文字が並んでいるだけ。これが情報理論の根底に流れる考え方だ。

もちろんこの話はちゃんと数学的なバックグラウンドのものに成り立っている。情報に関しての衝撃的な理論が成立したのは今から約70年ほど前で、それは最初からほぼ完成された形で現れた。

Shannon — 情報という概念の夜明け

1948年、天才クロード・シャノンが “A Mathematical Theory of Communication” という論文を世に送り出したことによって, 情報というものが数学的に定義された。和訳すると「通信の数学的な一理論」という簡潔で壮大なタイトルになる。現代社会, 特にコンピュータに依存するIT社会は、シャノンが情報という、モールス信号の出現以降徐々に輪郭を見せ始めた概念を数式で表したことから始まったといっても過言ではない。

モールス信号

モールス信号は “ー” と “・” の二つの記号を用いて電線で繋がれた相手にメッセージを伝える。この装置の情報から見た歴史的価値の一つは「ものを伝える」行為のタイムラグをほぼゼロにしたことだろう。モールス信号の出現以前は、遠隔地にメッセージを伝える手段には送信側と受信側の間に時間差が存在していて、今伝えたいと思ったメッセージを遠くに伝える手段はないに等しかった。(狼煙などはその例外だが、これは伝えられるメッセージが限られていた)

もう一つモールス信号の歴史的価値をあげるとすれば、言葉の符号化・復号化というプロセスを可視化したことだ。モールス信号で相手にメッセージを伝えるためには “ー” と “・” の記号列に自分の言葉を変換しなくてはならない。モールス信号を受け取ったらその記号列を言葉に変換しなくてはいけない。つまり自分の “言葉” を “符号化” し、相手の符号を “復号化”し “言葉” にする必要があるのだ。(僕自身の意見を言わせてもらうと、言葉も思考を符号化したものに過ぎないので、思考→言葉→モールス信号なのだが)

メッセージの送受信のタイムラグをなくすことと、言葉の符号化・復号化を可視化することに成功したモールス信号は、情報の伝達モデルというものを浮き彫りにした。情報の伝達モデルとは即ち、送信者が情報を符号化し、受信者が情報を復号化するという至ってシンプルなものだ。暗号通信を思い浮かべてもらえば非常にわかりやすいだろう。しかしこの抽象的なモデルの応用性はもっともっと広範であり、モールス信号はこのことを認知させるのに一役果たした。

情報の伝達モデル

シャノンという人の人生をなぞってみると、彼が情報理論を生み出したことに納得させられる。幼い頃からモールス信号に触れ、時代は電話やラジオを新たな通信手段として認める中、大学では微分解析機という論理と電気を組み合わせた奇妙な機械に携わり、遺伝学と代数学に関しての論文を書いた。大学を卒業するとベル研究所(電話会社の研究所)に飛び込み、第二次世界大戦中は暗号通信の研究(チャーチルとルーズベルトとの電話が安全であることが示された)に従事。電気技師でもあったシャノンはベル研究所で、メッセージを制限ある状況の中で効率よく伝えること、通信の途中に入るノイズ(電話のノイズ)の中でもメッセージを間違いなく伝える手法も研究し、その中で情報に関する普遍的な理論、情報理論を編み出した。相手にメッセージを”伝える”ために生まれた分野だとも言えるだろう。

情報理論に少しだけ触れよう。まずビットという単位が生まれ、情報が計測できるものとして定義された。情報の定義から “意味” を削ぎ落とし、この理論の中ではメッセージの意味は重要性をもたない。情報は不確実性(つまり確率)と密接に関係を持つ。例えば英単語において、”t” に続く次の文字は “h” である可能性が高い。そしてこれが一番厄介なのだが、情報はエントロピーである。

投げたようで申し訳ないが、これ以上の説明は本筋から外れるため行わない。次に情報理論と密接な繋がりがある、コンピュータ・計算機という機械が生まれた場面も覗いておきたい。我々のIT社会はこの上に成り立っているのだから。(これ以降コンピュータの大枠として、計算機という単語を用いることとする)

Turing — 空想の計算機がばら撒いた種子

チューリングマシンのイメージ

歴史で初めて情報という概念が定式化されたのが1948年とすれば、計算機という奇妙な機械が生み出されたのは1936年、チューリングの論文 ”On Computable Numbers, with an Application to the Entscheidungsproblem” の中で、と定義してもよいだろうか。(チャールズ・バベッジの歴史に埋もれた解析機関はここでは取り扱わない) こちらは和訳すると「計算可能数、ならびにそのヒルベルトの決定問題への応用」。高名なチューリングマシンの登場だ。計算機と聞いて電卓のようなものを思い浮かべるかもしれないが、チューリングマシンは一見変わった計算機で、3つのパーツからできている。

  1. 無限に長いテープ
  2. テープに0と1を読み書きする機械
  3. 機械の状態を記憶するメモリ

さて、この奇妙な機械は現実には存在しない空想の機械である(少なくとも論文が出た当時は)。 だがこの3つのパーツをルールに従って操作すると、加減乗除の計算を行うことができる。1から50までの和を計算させることもできるし、ユークリッド互除法を組み込んで2つの数の最大公約数を求めることもできる。さらに面白いのはチューリングマシンでチューリングマシンを作ることができるのだ。つまり、一通りの ”計算” ができる。

さて、チューリングマシンの詳細には触れずに、ここではその学術的意義を記したい。チューリングマシンは後世に3つの数学・コンピュータ科学的に重要な種を撒いた。

1つ目、計算可能性という計算機の限界を示したこと。これは非常に面白いのだが、計算機に何ができるのかということを示したのではなく、計算機に何ができないのかということを示したのである。

2つ目、万能チューリングマシンの構成を示しアルゴリズムのシュミレーションを行う計算機の存在を示したこと。チューリングマシンには様々なチューリングマシンがある。与えられた数をインクリメントするチューリングマシンがあれば、与えられた数を2倍にするチューリングマシンもある。万能チューリングマシンはそれらのチューリングマシンをシュミレーションするチューリングマシンなのである。現代のコンピュータは理想的な万能チューリングマシンである、といえば想像しやすいだろうか。そう、2つ目の種は密接にコンピュータと関係しているのだ。

3つ目、ゲーデルの不完全性定理と同等の結果を導き出したこと。数学は自己の無矛盾性を証明できないことをチューリングマシンを使用して示したのである。与えられたチューリングマシンが停止するかどうかを判定するチューリングマシンが存在しないことを扱った停止性問題がこれにあたる。

チューリングマシンはコンピュータと同等の計算能力をもつ、”計算機” である。チューリングマシンは空想上の計算機ではあるものの、コンピュータの歴史はここからスタートしているのだ。

そしてもう一つチューリングの論文は一つ、重要な問いかけをしている。機械が思考することは可能なのかどうか、という疑問だ。この疑問については後ほど扱う。

Coding — 事象の01世界への還元化

この記事の2大テーマはタイトルにも書いてある通り情報と計算機である。 両者の生まれを覗いた次に、クロード・シャノンとアラン・チューリングとの共通点である、符号化という行為について取り上げたい。

チューリングはチューリングマシンでも有名だが暗号破りの人間でもある。第二次世界大戦中、彼が主導したチームはドイツ軍が用いていたエグニマという機械を用いた暗号通信の解読に成功している (興味をもった方はイミテーション・ゲームという映画を見ることをお薦めする)。

両者の興味で共通のことを抽象的に表すとすると、ある事象の集合を別の集合に写像する、という行為だ。シャノンはメッセージを機械の言葉に(符号化)、チューリングは暗号を人の言葉に(復号化)、写像していた。言葉と01列との変換、とでも言おうか。私たちが行っている符号化・復号化はそれこそ身の回りに溢れていて、その行為を意識することは珍しい。想いを言葉にするのだってそうだし、絵を描くのもその一つと言える。こうやって僕が記事を書いてるのも一種の符号化なのだ。コミュニケーションと呼ばれるものは結局、人間の思考の符号化、復号化というプロセスとも言うことができるのかもしれない。

さて、符号化において究極的にどこまで符号にすることができるかというと、0と1の二つの値になる。0を偽に、1を真に当てはめれば、これはブール代数、論理学と相性がいいのがわかるだろう。AND, OR, NOT, NAND, NOR, XOR などの素子を組み合わせることで関数を作り、与えられた01値に対して答えを出す。そしてこの関数が真空管/トランジスタを用いて紙の上の理論から電気仕掛けになると、論理回路と呼ばれるようになる。

紙の上と違って電気を用いた回路は実際は時間という概念を取り除くことができない。電気が伝わっていくのは一瞬のことではあるものの、真空管/トランジスタが01を切り替えるのには時間がかかるし、その他にも時間が混入する要素はある。しかしこれを上手く利用すると、回路の状態を一時的に “記憶” させることができる。フリップフロップがこれにあたり、時間を意識した論理回路は順序回路と呼ばれる。

この順序回路を使って、先ほどのチューリングマシンを実装することができないだろうか?チューリングマシンが実際に記述するのは01の値であり、外部とのやり取りはパンチカードを使えばいい。実際の設計手法はチューリングマシンとは異なるが、1945年にジョン・フォン・ノイマンという怪物が中心となってノイマン型コンピュータと呼ばれるアーキテクチャを発表し、1947年に世界で初めてのコンピュータ(ENIAC)が真空管を利用して完成した。こうして01世界を扱う電子計算機、コンピュータが誕生したのである。

Brain — 唯一無二の情報の捕食者

計算機及びコンピュータに一歩踏み込む前に我々の内部に目を向けてみよう。ここでの主役は三人称から観察した人間である。更に踏み込むとすると、頭蓋骨に包まれた身体の宇宙、脳の役割を今一度確認したい。(この章は情報工学とは無関係ではあるが、後々役立つ)

なぜここで脳を扱うのだろうか。コンピュータの仕組みは脳と似ている一面がある。例えば記憶には二種類の記憶があって、短期記憶と長期記憶と呼ばれるものがそうなのだが、これはコンピュータにおけるメモリとハードディスクにあたる。ニューロンのスパイクは01のパルス信号を生み出し、これはコンピュータの素子であるトランジスタも同様である。

コンピュータが果たす役割と脳との関係も微妙な立ち位置だ。例えば我たちの心は「肉でできたコンピュータ」と呼ばれることもある(強いAI論)。コンピュータ上で動く人工知能と呼ばれるアルゴリズム(これも後で扱う)はまさに脳の役割を模倣しようとしている。さらに困ったことにコンピュータは脳の演算速度を遥かに超えていて、コンピュータに対して恐れを抱く人間もいる。

だから今一度、脳というものが何をしているか解釈してから先に進む必要がある。僕たちの脳は一体何をしているのだろうか。身体に司令を出している、学習するための機関、中枢神経系、感覚システムを知覚する、心の在り処。色々な見方がある。ここでは生物の歴史から脳がなぜできたのかということを書くのが最適だろう。

脳をもつメリットは何だろうか。僕たちの歴史をずっとずっと遡ると、バクテリアのような細胞にたどり着く。そしてその細胞の中には、遺伝子と呼ばれる自分自身を複製する能力をもった物体があった。彼らの唯一の興味は自分自身の情報をどんな形であれ生存させること。もちろん生きるためには栄養がいるから、長い年月をかけて外部から栄養を取り込むことができるような機能を発達させ(光合成はこれにあたるだろう)、環境に対する適応能力をより高めるために、自ら動く能力を身につけた(動物)。動くためには幾つかの器官を動かすために司令部を置く方が効率的であり、ここで中枢神経系としての脳が誕生する。さらに異なる状況においては異なる反応をする判断を下すために、意識としての脳が生まれる。やがて同一種同士ではコミュニケーションを取り合った方が生存確率が高まることが分かり、言葉を生み出す脳が生まれる。これが人類の脳だ。

「情報を解釈し、判断を下し、行動の司令を出す」こと。これが自己の生存確率を高めるために遺伝子が進化の過程で人間にもたせた脳の役割だ。脳は情報の捕食者であり、情報を糧として、人体を操る。情報の解釈者で、情報のコネクターで、人を動かすのだ。

ところで脳は情報をINPUTとして、行動をOUTPUTとする関数としてみなすこともできるかもしれない。扱う情報の種類と情報量が巨大な関数だ。そう考えると計算機も似たような挙動をしていないだろうか?符号化という強力な概念を用いて扱う情報を全て01に落とし込み、与えられた情報を解釈し計算結果を出す計算機は、あたかも脳のように振る舞っているように見える。情報そのものを解釈するのは脳という物体が唯一無二の存在だったのだが、計算機もその役割を担うことができるのではないか。

ここでチューリングの疑問が私たちに重くのしかかってくる。機械は思考することができるのか。特にコンピュータと呼ばれる計算機は演算処理に優れ、やがて人工知能と呼ばれる人間の知能そのものに疑問を投げかけるアルゴリズムを生み出した。そのプロセスについては次の章で扱う。

Algorithm — 機械流の計算のやり方

アルゴリズムというのは日本語に訳すとすれば演算手法というのが適切だろうか。コンピュータに問題を解かせるにあたって、まず人間は人間の思考法を振り返る必要があった。人間はどうやって四則演算を行い、精緻な科学計算を行い、さらに発展して、限定条件下で最適な行動を見つけるのだろうか。これを機械に組み込んだ、即ち人間の思考法を機械に落とし込んだのがアルゴリズムと呼ばれるものだ。もちろん機械と人間では実装されているハードウェアが色々と違うので、アルゴリズムは機械に適したものでなければならない。そこでコンピュータサイエンスという学問が生まれてくることになる。

例えばコンピュータで負の数を最も効率よく扱うにはどうしたらいいのだろうか?知っての通りコンピュータは0と1しか扱うことができないので、正数は2進数表現をすれば問題ないのだが、-1という負数が入り込む隙はどうも見込めそうにない。そこで現実のコンピュータでは2の補数表現を用いる。補数をイメージするには時計の針を考えたらいい。-1時は11時のことだ。コンピュータの針は12で一周することはないが、原理は全く同じである。時計の針が256で一周するとしたなら、コンピュータは-128から127まで表現することができる。

4ビットにおける2の補数表現

他にも機械の制約はある。機械は無限を扱うことができない(もっとも人間も無限を扱う時には注意が必要なのだが)。そこで上限、下限という残念な制約がついてしまう。そんな制約を少しでも弱めようと、扱う数の大きさに従ってデータの型を変更するという取り決めができた。浮動小数点型などはその一例である。

計算量という計算の大変さの概念も生まれ、同時に問題の難しさという話も出てきた(P=NP問題はあまりに有名だろう)。コンピュータの演算能力は凄まじく、人間のそれを凌駕する。だからといって全ての計算を行うことができるほどの万能でもない。何百日もかけて最大の素数を探索するよりは、数分で結果が見れた方がいいにきまってる(素数探索はRSA暗号と密接に繋がっているので取り上げた)。アルゴリズムに工夫を施し、機械が計算を高速に行うことができるようにするのは当たり前のことだ。並び替えのアルゴリズムであるソートについて調べてみるといい。クイックソート、バブルソート、マージソートなど、単純な並び替えの問題でも無数のアルゴリズムが存在し、アルゴリズムの高速化・最適化を図ってきた痕跡を見ることができる。

当然ではあるのだが、コンピュータと人間のデータの取り扱い方には違いがある。しかしアルゴリズムそのものは人間の思考法を再解釈したものであり、人が問題を解く過程で何をしているのかが可視化されるようになった。そんな中、人間の思考法そのものの再解釈をしようとする流れがでてきてもおかしくはないだろう。つまり人間の思考そのものをアルゴリズムにするのだ。これが人工知能と呼ばれる分野を切り開いていくことになる。AIについては情報工学でも欠かせない話題の一つで、後々詳しく取り上げよう。先にコンピュータ・アーキテクチャと呼ばれる人類のグランドチャレンジについて触れておきたい。

Abstraction — 巨大なアーキテクチャへの挑戦

ムーアの法則という集積回路を語る上で外せない話題がある。(これに収穫逓減の法則が組み合わさるとシンギュラリティ論に繋がる) ある一定の面積に格納されるトランジスタ数は1年半から2年程で倍増するという有名な法則のことだ。そしてこの法則はコンピュータという巨大なアーキテクチャを設計する上で一つの指標となっているのは間違いない。

初期に現れたコンピュータは部屋まるまる一つ潰して計算をしていたが、現代では片手に収まるほど(つまりスマートフォン)に縮小された。もちろんハードウェア面での技術進歩には目を見張るものがあるが、そのハードウェアを最大限に活かすべく、人類の叡智をかき集めて作られたコンピュータの設計概念は、それそのものが非常に美しい。そしてその設計概念において重要な考え方が抽象化である。

プログラミング言語における抽象化を取り上げよう。機械は01列しか理解しないが(機械語)、人間が理解しやすいかといえば断然NOである。だから命令の一つ一つを人間が理解できるような言語が開発されることになった(アセンブリ言語)。ただ機械のデータ解釈が人間のそれとは異なることは先程も触れた通りで、機械の計算法を人間が記述できるように、”高級”な言語が生まれることになる(高級言語)。この言語同士の変換を行うのがアセンブラでありコンパイラである。機械のデータ解釈を抽象化していった結果できたのが、大部分の人が想像するプログラミング言語なのだ。

もう一つ抽象化の例として、OS(オペレーティング・システム)を取り上げよう。OS の役割はと訊かれて皆さんならどう答えるだろうか。ここではハードウェアの抽象化をしていると答えたい。?が浮かんだ人も多いことだろうから、具体的にするために Windows を思い浮かべよう。Windows は Microsoft が制作している OS なのだが、Windows が動いている PC はこの世に数えきれないほどの種類がある。ディスプレイ、キーボード、マウス、もっと踏み込むと、HDD/SSD、メモリ、プロセッサはそれぞれの機種によって違うのに、どのPCも同じように Internet Explorer が稼働し(今はEdge)、Word/Excel/PowerPoint などの Office 製品を使用することができる。これは Windows というOS がハードウェアを抽象化していて、その OS の上で走るソフトウェアはどんなハードウェアも同じように扱うことができるからだ。ここでも抽象化という概念の強力さを垣間見ることができる。

コンピュータ・アーキテクチャにおける抽象化は例を挙げれば尽きることはない。カレーを料理するのにジャガイモに含まれる原子一つ一つを考慮する必要があるだろうか。コンピュータ最小の素子はNANDであるが、コンピュータの開発者及び使用者がそのレイヤーを意識する必要はない。それは度重なる抽象化の末に生み出された人間が使うためのコンピュータを使用しているからであり、より高度な計算を行うために低レイヤーを考慮する必要性は、排除した方が効率的だ。

もちろん抽象化のみが今日のコンピュータの繁栄の要因ではないことは強調しておきたい。ただこれほどまでに巨大な建築物を稼働させるには抽象化という概念が必要不可欠であったということを理解してほしい。

次に巨大化したコンピュータが生み出した、インターネットについて見ていこう。

Network — 創発を引き起こす方法論

蜘蛛が作る網上の巣に由来しているのがネットワークという言葉だ。ネット、と一言だけ単語が投げられて多くの人が想像するのはインターネットのことだと思う。インターネットは使用が開放されて以来(もともとアメリカ軍のもの)、世界を劇的に変えてきた。

インターネットはコンピュータのネットワークだ。コンピュータ同士を繋いで通信をする。一箇所のコンピュータが故障しても全体としてストップさせたくないから、それこそ蜘蛛の網目状にコンピュータを繋ぎ、中央集権と呼ばれる部位を分散化した。インターネットは世界中を覆い、今ではスマートフォンで富士山の山頂からでも友達にLINEすることができる(もっとも機種によるが)。

こうして張り巡らされたネット網を使って、世界は文字通り一変した。IT社会と呼ばれるものは一応 Information Technology の略語から来ているが、Internet Technology と解釈しても変ではないと思う。ネットは新たなビジネスを生み出し、ソーシャルネットワークという人同士のネットワークを作り、シェアリングエコノミーと呼ばれる柔軟な経済社会を作ろうとしている。Google という極めて野心的な企業はインターネットの検索サービスから生まれ、様々な問題を投げかけている Bit Coin はネット上の仮想通貨だ。インターネットはそれそのものが巨大なデータベースでもあり、Wikipedia は全人類の言葉を公平にかき集めていて、IoT という現実世界にインターネットを拡張していく時代の流れも生まれてきた。アラブの春と呼ばれる現実の革命は Twitter というネット上のサービスによって支えられ、20世紀を支えた技術の一つである電話も今ではネット上の電話ともいえる Skype に取って代わられようとしている。

シロアリの蟻塚

創発という単語をご存知だろうか。個体の集合が単体では考えられないような動きをすることである。シロアリはある一定数の集団になると、アリ塚を作る。これはアリ単体では考えられないことだ。インターネットが僕達にもたらした一連の出来事は、創発の一例と捉えることができるのではないだろうか。そう、インターネットはネットワークという概念の強力さを僕たちに教えてくれたのだ。ネットワークを作るということは創発という偶然のような出来事を引き起こす方法の一つである。

ICT (Information and Communication Technology) という単語が台頭してきたのはネットワークの強力性が浸透したからではないのかと個人的には考えている。Communication とは人同士のネットワークの形のことだ。僕たち人間が創発を起こす時に必要なのはコミュニケーションである。これは多くの同意を得られるはずだ。そしてこのコミュニケーションを支える技術の一つとして IT が存在する。

さて、インターネットによって大量のデータが世にばら蒔かれた。情報過多という単語は専らインターネットが犯人である。人間は情報飽和の状態に陥り、情報の取捨選択の重要性が声高に叫ばれるようになった。情報の価値に優劣をつけるようになり、情報のフィルタリングの手法が求められるようになってきたのは時代の流れだ。

そんな中、演算処理に優れ大量のデータを扱うのに優れたコンピュータに、Deep Learning (深層学習)というアルゴリズムの風が2012年頃に出現した。

Intelligence — 知性の高座に座る人間

果たして知能と呼ばれるものはどのように定義されるのだろうか?チューリングテストと呼ばれる、アラン・チューリングが生み出した「機械が考えているかどうか判断する」テストがある。コンピュータと人間に対して、質問者が質問を投げかけ、どちらがコンピュータか判別する、といった内容のテストだ。考えられたのはもう随分と前のことだが、コンピュータが発展した今でもチューリングテストより有名な「知能を計る」とされるテストは存在しない。

知能とは一体何か?このような疑問は人工知能の発展とともに無視出来ないレベルに成長してきた。人間は言わば、知性の高座に座っている状態で、そこから引きずり降ろされることなど想定していなかったのだが、コンピュータという機械がその座を脅かすようになってきた。人が、人の生み出したものによって、自身の立ち位置を把握し始めたのは何とも皮肉的な構図である。

人工知能にはいくつかブームというものがあって、現在は3度目のブームを迎えている。チェスのチャンピオン、カスパロフを破った Deep Blue は第二のブームにあたる。どのブームの時も人間を超える知能が現れるのではと期待されたが、そのような結果が出ることはなかった。

3度目のブームを生み出したきっかけは Deep Learning (これ以降は深層学習と書く)と呼ばれるアルゴリズムの流行と、インターネットの普及によって大量のデータが取得できるようになったことが原因であることは間違いない。深層学習と従来の人工知能の最大の違いは特徴点抽出にある。大量の写真から猫がどんな特徴をもっているかコンピュータ自身が見つけてしまうのである。これは一体何を指し示すのか。端的に言い表すとすると、知能に不可欠な要素、認知の能力を習得したのだ。(ちなみに IBM の人工知能 Watson は Cognitive という単語、日本語訳すると認知にあたる言葉、で表現されることが多い)

深層学習は一つ問題を抱えていて、中身がブラックボックスでどうして上手く計算できているのかわかっていない。これが人間の恐怖を煽る一要因ではあるのだが(ターミネーターのスカイネットとか)、面白いことに深層学習のアルゴリズムは人間の視覚野の神経ネットワークをモデルとしている。つまりよくわかっていない人間の脳を模倣したら、コンピュータが認知能力を獲得したのだ。もちろんコンピュータの認知能力といっても現段階では到底人間には叶いそうにない。しかし一部分では人間を凌駕している。

こうして人工知能に突き上げられる形で、人間は改めて自分自身のことを評価する必要に迫られている。おまけに2045年にはシンギュラリティ(技術的特異点)という、人類が体験したことのない大革命が起きると言われている。シンギュラリティを語るには人工知能は欠かすことは出来ない。人間の知能を超える人工知能の出現を予知しているからだ。

未来に話を飛ばしすぎたが、僕がこの章で言いたいのは、情報と計算機が発展してきたことによって、僕たちは僕たち自身の価値を見直さなくてはならなくなったということだ。もし人間が知性の高座から降ろされたら、その時、人間は何者であるか。この疑問を胸に抱いたまま、最終章へと進もう。

Me — 僕は何者なのか?

ここでいう “僕” は2種類ある。一つ、人間のこと。一つ、僕自身のこと。まずは人間のことに着目しよう。

人間は一体何者であるか。パスカルは人間は考える葦であると言った。人工知能というアルゴリズムが出てくる前は知能をもつのが人間の最大のステータスだった。宇宙に他の知的生命体がいないかどうかを確かめるために、ボイジャーという人工衛星を、人類と地球に関する大量の情報を積み込んで打ち上げた。しかし、どうやらボイジャーより可能性の高い方法が見つかったらしい。人間が人間の手で機械の知性体を生み出すのだ。

もし本当に人工知能が人間を超越することになったら、人類の価値は何であるか。この問いかけは果てしないもので、それこそ様々な人に答えを訊いてみたいものだが、僕自身の拙い思索を披露しよう。(あまり突っ込まれても困るのだが笑)

まず、どんなに計算機が発展して、強力な人工知能ができたとしてもできないことが一つある。既にこの記事でも触れているのだが、停止性の問題だ。つまり計算機は解なしかどうかを判別することはできない。解決不能の問題をほったらかして前進する柔軟性を獲得することはないと考える。

次に僕たち人間の仕事として残るのは、疑問をもつことだ。欲求には2種類のものが存在していて、生物由来の欲求(食欲、睡眠欲、性欲)と知能由来の欲求(知識欲)に分割される。もし仮に機械が知能をもつのであれば、それは生物由来の欲求をもつことはなく、従ってその欲求に従った疑問をもつことはない。よくデザインとアートの違いは何かという疑問に対して、デザインは問題解決、アートは問題提起と言われることがある。この視点に立つと計算機は問題解決を行うことができるが、問題提起は行うことができない。だから僕たちはデザイン思考からアート的な思考へと移行していくことが必要になるのではないだろうか。

また、高名な物理学者ロジャー・ペンローズは意識は非アルゴリズム的であるとも言っていて、意識を解明するには量子重力論を完成させる必要があると説いている。中国語の部屋という命題をご存知だろうか。英語しか理解できない人物が密室に閉じ込められていて、中国語の手紙が部屋に投げ込まれる。だが部屋には返信マニュアルがあって、閉じ込めれれた人物は手紙に対して返信を行うことはできるが、手紙の意味を理解することはない。これと同じことが人工知能に対して言えるのではないかというものだ。この手の話は多く、意味の理解を計算機が習得できるのかどうかに対しては疑問が投げかけられている。意味理解をする、意識や心といったものは計算機では表現できない事柄である可能性がある。

どれも曖昧で明瞭ではなく、断言できないことばかりだ。だからこそ考え続ける必要がある。2045年は僕たちが生きている間に起きることで(シンギュラリティが来るとは断言しないが)、先延ばしすることは許されない。科学者も哲学者も芸術家も技術者も医者もそれぞれ違った見方が存在すると思うけど、常に問いかけてほしい。知能とは何か、と。それが情報と計算機が生み出した、最大の問いなのだ。

さて、僕自身の話にシフトチェンジしよう。僕が所属する東京工業大学 工学部情報工学科の専門の授業科目の一覧は下記URLから見ることができる。これまで語ってきた話と組み合わせることで、情報工学という、広く深く面白い学問の体系を覗くことができるはずだ。(情報の加工についてはあまり触れなかったが、もちろん授業としてはある)

http://www.cs.titech.ac.jp/~syllabus/list.html

僕自身として、やりたいことは2つある。まず先ほども強調した疑問である、知能とは何かという問いに対して自分なりの答えを見出すことだ。もともとは人工知能に興味をもって情報工学科へ進んだが、今は知能そのものに惹かれていて、研究は認知神経科学の分野にあたることをやってる。いずれ、知能のベースとなっている記憶についての研究や、思考と密接に関連のある言語についての研究もしてみたい。

もう一つ、こちらは野望ではあるのだが、IT時代の終焉のシナリオを描きたい。外部脳と呼ばれるものは(Google や Evernote などがそうだろう)形を変えながらもっともっと発展し、脳情報を直接デコードできる技術が開発されれば、いずれ記憶力という言葉は存在しなくなる。そうすると大量のデータが貯蓄されるわけだが、ここで人工知能が鍵となってくる。人工知能は大量の情報を取捨選択し、曖昧さを調整するフィルターになることができ、適しているからだ。情報の解釈者としての人間の立場はまだまだなくなりはしないだろう。さらにこれらの技術が発展してくると、人間が手にした情報を直感的・シームレスに扱うインターフェイスが必要だ。今のディスプレイの存在ははっきり言って不快であり、情報のインターフェイスとしてはもっと相応しい形があるはず。究極的には脳に情報を直接エンコードする未来がやってくるのかもしれない。

つまり情報のデコード、フィルター、エンコードの3種類の技術を発展させていった次に訪れる世界観を見てみたいのだ。これらが発展した未来は、もはや今の純粋なIT社会は終了していて、情報最適化型の社会になっていく。このシナリオを描き上げることに惹かれていて、是非とも達成したいことでもある。

ここでこの長い思索の旅を終えよう。ここまで目を通してくれたことに感謝を述べたい。議論は大いに望む所であり、この旅が更に発展していくことを期待しよう。

参考文献として以下の書籍をあげる。

  • 皇帝の新しい心 : ロジャー・ペンローズ著
  • インフォメーション・情報技術の人類史 : ジェイムズ・グリッグ著
  • 情報理論 : 甘利俊一著
  • 深層学習 : 岡谷貴之著
  • WIRED VOL.20 / 特集 A.I.(人工知能)
  • 利己的な遺伝子 : リチャード・ドーキンス著
  • 東工大の情報工学科の授業一連

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