Cartography

複雑なものは複雑なままに。


僕は自己紹介がひどく苦手で、自分のことを語る時はいつも後悔に苛まれる。私はこういう人間なんです、って正しく伝えようと言葉をたくさん重ねても、関係性をズタズタに切り裂きながら全体像の一部を掘り出したような感じがして、結局口を閉ざしてしまう。

だから、過去に取り組んできた出来事を雄弁に語って、満更でもない顔で自己主張を終える人を羨ましく見ていた。どうして、どうして自分に嘘をつかない自己紹介ができるのだろう?

僕は僕がやっている事に対して自信がないわけでもないし、凄いことを成し遂げてきたという自負もある。ただ、自己紹介に対する違和感を拭い去ることはどうしてもできなくて、諦めに近い感情と上手く付き合いながら言葉を紡いでいた。


そんな苦手意識に囚われていた僕を、掬ってくれた言葉がある。とある記事にひっそりと紛れ込んでいたその断片は、ゆっくりゆっくりと心に染みていって、今までの無力さを、納得感と安心感で包んでくれた。

複雑さを複雑さのまま抱きしめるということ

ヒトは、単純明快なストーリーを好む性質があって、綺麗で掴みやすい一面を、それが全てであるかのように捉えてしまう。別に悪いように言うつもりはない。ただ僕は、複雑なものを簡単に、分かりやすく伝えようとする行為が無差別無配慮に求められていて、欠けてしまった無数のピースが忘れ去られてしまうことに戸惑っていたんだと思う。

たしかに人に想いを伝える時、ストーリーに仕立てて、角ばらないように丸めて渡すっていう技術は大切だ。そうして凝縮された一連のお話は本当に美しいし、他者の共感を呼ぶことができる。きっとそれはみんなが待ち望んでいる物語で、みんなが大好きな物語に違いない。

でも、僕は、そうでもないみたいだ。

複雑に絡まった自分の文脈を、そっと抱きしめたまま、壊さないように、慎重に手渡ししてみよう。複雑なものは複雑なままにしておこうとする優しさを添えて、自分以外の誰かに、自分のことを伝える努力を。そうすれば自己紹介の度に惨めな思いをしていた僕を、ちょっとは慰めてあげられそうな気がするから。

今からすることは、過去の事象と思考の Cartography (地図制作)。せめて僕自身は、僕のことを包み込めるように。

01. Passion

100冊を1年間で読破すると宣言していた僕は、小さい頃から本の虫で、中学3年生の時には “よく本を読んだ人賞” のようなものを貰った記憶がある。特に好きだったのは歴史の本。フランス革命やナポレオン・ボナパルトに纏わるドラマチックな史実は夢中になって読んだものだ。

歴史は展開である。

ホコリをかぶった古い日記には、そんな言葉が書きつけられている。今では展開しないことも歴史だと理解しているが、未来に残される記録に “平穏” が書かれることはまずない。だからせいぜい中学生が読める程度の本の内容では、歴史は展開であり、事件が立て続けに起こるものだった。

本の山に埋もれていた僕は、展開の時期を経験した時代は新しい概念を修得する、といった観方も得ていて、その “新しい概念” という厄介なものに魅せられていた。例えばナポレオン戦争を経て近代ヨーロッパがナショナリズムという概念を獲得したように。英雄が起こした行動に魅力を感じることもなくはないが、どちらかと言えば彼ら彼女らがもつ思想や正義感、そうした欠片を体系的に繋いで得られる “概念” という抽象的なモノへと興味関心は向いていた。

今もその気持は変わっていない。僕が行動する背景にある熱の正体は、まだ見たいことのない新しい概念を観たい、この一言につきる。 (Passion)

だから、あなたは何者かと問われた時に「観察者」と答えることがある。モチベーションの述語が、観たい、だからね。

02. Curiosity & Vision

2016年の 2 月から始まった MAKERS UNIVERSITY というプログラムに 1 期生として参加したのは “観たい” を “創る” ことによって実現するためだったのだろうか。当時の志望動機を Evernote から引っ張り出してみたところ、選考面接のために用意した書類は “概念を生みたい” という想いで満ち溢れていた。

ちなみにパーソナルコンピュータという概念を生み出したアラン・ケイはこんな言葉を残している。

未来を予測する最善の方法は、それを発明することだ

僕も “観る” を “創る” によって実現することを、無意識のうちに考えていたのだろうか。

さて、僕が MAKERS でやっていたことは “思想” を創ること。まだまだ発展途上だけども、プログラム開始からちょうど1年間が過ぎた今、2 つのコンパスをもつようになった。

まず 1 つ目の指針、好奇心について。


人間の知能とは何か? (Curiosity)

“なぜ” という疑問、“知りたい” という知識欲は理学に由来していると思うのだけれど、僕は自分なりの、人間の知能の解釈を探し求めている。そこに至るまでの簡単な経緯は、 Tumbler のプロフィールが物語っている。

人工知能への興味と父親がエンジニアであったことの影響から東京工業大学工学部情報工学科に進学。コンピュータサイエンス、情報理論などの学問を通して人工知能について学んでいくうちに、知能そのものに対して疑問をもつようになり、

前章でも触れたとおり、僕の動機は “新しい概念を観たい” であって、ここから大きく外れた行動を取ることはない。

高校でサッカーに明け暮れていた当時は、人工知能研究が日の目を見ているとは言えない状況で、まだ Google が静止画から猫を認識する技術を発表する前だったし、AI は 一種のお伽噺のような感覚だったと思う。困ったことに本をたくさん読んで偏った知識を身につけていた僕は、読書家であると同時に野心家でもあり、未開拓のように思われた人工知能の分野に携わることで、新しい概念を観ることができるのではないかと高を括って、情報工学の門を叩いたわけだ。

コンピュータサイエンスと情報理論を主として扱うこの学科を選んだのはもうひとつ理由があって、それは Display の世界 に対する憧れがあったから。Apple 創業者のスティーブ・ジョブズが iPhone を発表してソフトバンクが日本に導入したのが、たしか僕が中学 2 年の時。今日では右を見ても左を見てもみんなスマートフォンを片手にパーソナルスペースを作り上げているわけだけど、中高生の僕ももちろん例外ではなく、 Display の世界の虜となっていた。ただ、自分でその世界観を創りたいなという感情も持ち合わせていて、Display の向こう側と繋がるツールとしてプログラミングがあり、その魔法の道具を学ぶのが情報工学科、という認識で、先入観であった。父親がエンジニアであったことも色濃く影響しているとは思うが。


大学に入って、それなりに専門分野の知見を得て、また世間の人工知能ブームとやらに火がついた結果、僕は脳科学・神経科学の方面に興味を持ち始める。理由は単純で人工的な知能を造るのであれば、そもそも人間がもっているとされている “知能” を定義する必要があり、宇宙よりも神秘的な、人間固有の聖域と向き合わなくてはならない。定義されていないものを造りました!とドヤ顔をされても、納得感はないわけで。

そう、目の前に横たわる異常に大きな丸太の存在に僕は気づいたわけだ。一体全体ヒトの知能ってやつはなんなんだろうかと。この壮大な問いかけを踏み越えなければ、僕は人工的な知能に辿り着くことはできない。

潜在的な興味は、たぶんあった。その証拠に東工大工学部第 5 類への願書にはこんな一文が残っている。

人工知能と人間の脳が相互に作用し合うことによりどのような社会が形成され、そしてどのような進化を遂げていくのか。可能性は未知であり、自らの手でそれを造っていくことを考えると武者震いが止まりません。

改めて解釈してみれば、“脳” という単語が入っているのは無意識の現れとも捉えることができる。


そんなふうにして、自分の好奇心を発見した結果、昨年から “奥村圭祐” としてプレゼンテーションをする時は、スライドの 1 枚目に神経細胞のネットワーク = コネクトームのイラストを使っている。人間の知能の大部分は脳に依存しているだろうからね。

さらに、晴れ舞台であった MAKERS UNIVERSITY THE DEMO DAY の壇上では、渋谷ヒカリエに集まった 350 人の観客に対して、

僕のことは、知能とは何か、という壮大な疑問を抱えた研究者だと思ってください。

と声高々に宣言している。

実は同じ場で僕自身の Vision として謳ったものがもう一つの指針にあたり、これが僕のコアコンピタンス、唯一無二の武器にあたるのだ。


人が主体のシンギュラリティ (Vision)

ゼミ生としてリバネスの丸さんにお世話になりながら創ったこの思想は、僕自身も未だに首をかしげている一面もあるのだが、れっきとした研究成果である。あまりにアカデミックの形式からは逸脱していて、第三者に指摘されるまで自分のやっていたことが研究だとは思っていなかったのだけれど。

さすがに全部の思想を載っけるわけにはいかないので、かいつまんで背景だけ。


みんなシンギュラリティ = 技術的特異点を怖がりすぎていると思うのだ。2045年に人類の予想し得ない科学技術革命が起きるから、それに備えてほげほげしなくてはならない、とか唱える人の思考はネガティブなものばかり。(PEZY Computing の齊藤さんなんかは違いますが。)

科学技術が高度に発展していった先の未来像が、ヒトに受け入れられないような状態を創り出すことが本当に悲しいと僕は思う。どうして悲観的なのか、原因はシンプルで、それはサイエンスとエンジニアリングに対して人間がコントロールを失った世界を思い浮かべているから。

僕は新しい概念がどんどん生まれる世の中を観ていたいから、科学技術が人の限界や境界線といったモノを広げて、人類のグランドチャンレンジを次々に踏破していく未来が来て欲しいと願っている。だったら人が主体のシンギュラリティを僕が引き起こせばいい。

この新しい技術的特異点を迎えるための方法はタダ一つで、人の情報共有/コミュニケーションの基盤を、人ひとりの思考力を最大限活かすことができるように設計して、創発が引き起こされやすい環境をつくること。そのために人に纏わる問題を 5 つのレイヤーから考えていきましょう…


この続きが気になる人は keisuke.oku18 [at] gmail.com に個人的に連絡をしてほしいものだが、

  • 物事を構造化すること
  • 抽象的に思考すること

の2つが僕の得意技で、人間の知能と情報の関係を考察して行動し続けた結果、勝手に出来上がっていたのが “人が主体のシンギュラリティ論” 。振り返ってみたら未来像ができていたという不思議なトリックだ。

僕はこの思想体系を発展させていきたいし、最終的には社会実装したいと考えている。だから THE DEMO DAY の発表の目的は思考を発展させるための仲間集めであって、 2 つのコンパス(好奇心と未来像)を 3 分間に詰め込むのは骨が折れたが、まあまあ成功したのではないだろうか。

こうして、“観たい” を “創る” ことによって実現しようと考えて足掻いた僕は、「観察者」の属性の他に、好奇心と未来像を追い求める「探求者」としての性格を持つようになった。

03. Approach

4象限の真ん中に立ちたい — 目指すべき自分の立場として、そんな言葉を使うことが多い。

好奇心と未来像の 2 つのコンパスが指す方向に、どのようにオールを漕いでいくべきなのか。その答えがこの図 “創造性のクレブスサイクル” で、MITメディアラボ所長の伊藤穰一さんの記事から着想を得ている。

http://jods.mitpress.mit.edu/

4つの象限とは、サイエンス(理学)・エンジニアリング(工学)・デザイン(建築)・アート(芸術)のことを指している。

これから僕が大海を小舟で航海していくにあたって、この 4 つの観点からバランスよくアプローチすることが大切なことのように思うのだ。そういう意味で上図は、偉大なバベルの塔を建てる重要な土台であり、僕の根本的なモノの捉え方である。


どうしてこの図が僕に突き刺さったのか? 1 つの真理を追い求める単科の科学者もしくは研究者ならたぶん、ふーんそんなのがあるんだね、と言って忘れ去ってしまう。ただ僕の好奇心と未来像のどちらもが、タコツボ化された従来の探求範囲を超異分野的に捉えることによってはじめて到達可能であることを、はっきりと自覚しているからだ。

伊藤穰一さんが “脱専門空間” という言葉を、巨大な白い紙と黒い点を使って説明しているのだが、タコツボ化という言葉を上手くラップしている。

ぼくたちの作り出した「空間」について、ぼくとしては「あらゆる科学」をあらわす巨大な紙を考えたい。各種の学問分野はこの紙の上の小さな黒い点だ。その点の間の莫大な白い空間が、脱専門空間だ。

そしてバベル級の課題に対しては、共同的な “一つの科学” が必要だと説いている。

さらに、伝統的な分野のアプローチだと、多くのおもしろい問題――さらには「ヤバイ問題」――はますます取り組みづらくなっているようだ。人体の複雑性を解きほぐすというのがその絶好の例だ。急速なブレークスルーを実現する最大の可能性は、共同的な「一つの科学」を通じてのものだ。ところがぼくたちは、「多くの科学」から先に進めないようだ――実に多くの学問分野が複雑なモザイクとなっているおかげで、用語もちがうし注目するための顕微鏡の設定もあまりにちがうから、同じ問題を見ていてもそれに気がつかない。 — デザインと科学より

僕が取り扱いたいモノはどちらも “ヤバイ問題” であり、ムーンショット、月を穿つ試みだ。次に示す図は、巨大な白い紙の比喩にインスパイアされて描いた、新しい思想が生まれるイメージをイラストにしたもの。僕は多数の分野に囲まれる虚ろな点にいて、サイエンス・エンジニアリング・デザイン・アートの 4 象限を切り口に、好奇心と未来像の山をよいしょと持ち上げて、共同的な “一つの科学” を作りたいのだ。


脱専門空間の話をした次に、 4 象限の中心に立つ意味を考えてみよう。

確かなことは、革新的な出来事は 4 つの性質を統合して成立しているという事実だ。サイエンスとエンジニアリングは相互補完の関係にあるし、アートとデザインは混同されることの多い紙一重の概念だ。いつの時代もアートはサイエンスがもたらす世界観に問題提起をして存在意義を問うてきたし、デザインなくして社会にエンジニアリングは届かない。それぞれの領域は独立して浮いている島ではなく、水面下で繋がっている 1 つの大陸である。月を穿つ革命行為は、どの要素が欠けていても成功しない。

僕は全ての 探求者 の姿勢が “創造性のクレブスサイクル” のどこかにプロットされると考えていて、中心に近づけば近づくほどより脱専門的に、標準的な言葉を用いると、学際的になる。全員が真ん中にいるのはただ単に多様性の喪失を意味するので必要がないことだけど、壮大な夢をかかげるのであれば、各領域の探求者を束ねる指揮者の存在が事欠かせない。そして自分の好奇心と未来像を鑑みると、僕自身が指揮者になって進めるしか方法はないように考えられるのだ。

だから 4 象限の中心、すなわち領域を超えた指揮台に僕は登りたい。そのためには理学工学建築芸術の全てに足を踏み入れる必要があるし、異なる分野に橋をかける能力も磨かなくてはならない。よく、人からよくバランスのいい人間だと言われるその理由は、行動の背景に自分が目指すべき理想像があるから。全体を見て取捨選択しているだけなのだ。


これでようやく僕という人間の、根っこの部分を語ることができた。次に4 領域の行動の部分と、越境的な試みを整理していこう。

04. Science

Pure な知的好奇心に由来する探求行為を、サイエンス (理学) と呼びたい。もちろんそうでない定義もあると思うが。

最初に重心がサイエンスに偏っている過去の取り組みを幾つか紹介する。

まず僕の専門分野、情報工学という学問を体系的にまとめた記事がこちら、“情報と計算機に関する考察” 。僕自身のバックグラウンドはあくまでエンジニアリング、工学だがこの記事は “情報” と “計算機” というキーワードを理学的姿勢で考察してみた。(非常に長いので注意)

次に、上記事と対をなす思考に触れておこう。“人が主体のシンギュラリティ論” にも繋がる、“情報共有 / コミュニケーションの未来。”。こちらは随分と未来志向である。(非常に長いので注意)

本文中で考察対象とされている “相互侵入型ネットワーク” の様子はYouTube にアップロードされている。

また、今取り組んでいる研究は自己身体認知、脳が自分の身体をどう認識しているのかを明らかにしようという、認知神経科学の 1 分野をやっている。研究テーマはここに紹介したことをアカデミックに延長したものであり、実験計画書の目的を抜粋しておく。ちょうど今実験中なもので。

本研究では, 自己のものではない身体情報, 特に第三者の視覚情報に対して, どのような条件下で自己帰属感が生まれ, 身体拡張が発生するかを, ラバーバンドイリュージョンと呼ばれる錯覚現象を用いて調査する.

まだまだたくさんあるのだが、見せられる範囲で僕のサイエンスの大筋はこんな感じ。

05. Engineering

Goal が人を向いている創造行為をエンジニアリング (工学) と呼ぼう。お金に結びつきやすい領域でもある。

僕の育った畑は一応ここ。プログラミングも多少はできるしね。

典型的な例は、東工大メンバーで作成した Walky という視覚障碍者に音声で障害物を知らせるスマート白杖。

スマート白杖 Walky

別のプロダクトに言及しよう。スター・ウォーズのホログラム通信やってみたくない?そういってハッカソンで作成した Holochat 。

ホログラムコミュニケーションシステム Holochat

Microsoft Student Partners というマイクロソフトが全世界で展開する学生向けのパートナー プログラムのメンバーでもあるので、こんなふうにエンジニアのイベントで登壇したこともある。

授業課題が面倒だったからコードを書いてパソコンにやらせたり、友人のWeb サイトを作ったり、NAND 素子からコンピュータのモデルを作ったりと例を挙げればキリがないので、ここら辺で留めておく。

大事なのは 僕が机上の空論を振りかざす人間ではなく、手を動かしてモノを作るプレイヤー でもあるということだ。

06. Design

Designing Design という大変美しい本の中で書かれた、著名なデザイナーである原研哉さんの姿勢をここでのデザイン (建築) の定義としたい。

デザインは情報の建築であり、その建築は情報の受け手の脳の中に立てられるものである。

設計という言葉でなく、建築という言葉を Design の和訳に当てているのはここから影響されている。

そして何を隠そう、僕が最も苦手な領域である。Web デザインをやったりすることはあるものの、基本的に下手なのだ。

努力はしている。例えばパワーポイントで作るスライドのデザイン。色を白黒に限定することで形のみにフォーカスし、頭の中の難しい概念や複雑な経緯をビジュアライズすることはそれなりに極めている。

左 : 自分の略歴, 右 : 文化の定義
左 : MRIの仕組みの説明, 右 : 臨場感についての過去の考察

僕はデザインするための強力な技術をもっているわけではないが、頭の中に浮かんでいる情報の断片を繋いで “見える化” することはできる。

07. Art

MFA (Master of Fine Arts) の取得に興味があるのだが、僕なりのアート (芸術) の定義は自己感性の表現である。

“創造性のクレブスサイクル” で見ると、エンジニアリングよりでサイエンスにも足を踏み入れている僕は、アートとは離れた位置にいる。ただ個人的にはこの領域が好きで、大学一年生の時は必須科目ではない “社会の理工学、そして芸術” という授業をわざわざ履修して簡単な物語を創ったりしているし、テスト期間の忙しい時期にも関わらずいわゆるアートのゼミ、 “創造と思考のレッスン” に参加していたりする。その時の自主レポートを載せておく。(非常に長いので注意)

僕にとってデザインは苦手な分野だが、アートは好きだが触れる機会の少ない分野である。だから、アーティストの人と話す機会があることは、実はかなり嬉しい。

08. Team

4 つの領域には得手不得手があったり、もともとの自分のポジションなどで偏りが生じがちだ。何をするにせよ、個人で考えられること、できることには限界がある。全ての象限に足を踏み入れ特性を知ることは、僕の好奇心と未来像には欠かせないものだが、重要なことは、異なる領域に橋をかける能力と、ムーンショットに本気で取り組もうと声を上げる「提唱者」になることだ。

リバネス という会社でインターンしているのは、彼らが科学技術をわかりやすく伝えるというコアコンピタンスをもっていて、そこから学べることが本当にたくさんあるから。僕自身も “異分野GO!” なる企画を立てて足掻いてみたりしている。

Microsoft Student Partners で取り組んでいるのは、もちろんエンジニアリングの一面もあるが、バックグラウンドが異なる人間でチームを形成することである。この記事が詳細に触れている。(そこまで長くない。)

そして多々ある挑戦の中から、最も自分らしい取り組みはと言えば、“知能会” の活動だと思う。MAKERS UNIVERSITY の実践期間中に偶然が積み重なってできたこの会は、文字通り異分野融合を成し遂げている個の集まりだ。そこには異なる分野の探求者 (研究者や医者、哲学者と芸術家とかとか) がいて、それぞれ固有の立場から意見をぶつけ合うおかげで、かなりカオスな場が形成されているのだが、全員が “人間の知能” という共通の関心をもっており、一定の秩序が保たれている。その証拠に知能会のアウトプットとして “Bug Generator” という 1 冊の本が誕生した。(下記事はそれなりに長い)

“人が主体のシンギュラリティ論” も知能会の集合知をベースに考えたものが多い。知能会はだいぶクローズドな会だが、先日はオープン知能会なるものを開催して、ちょっとした発展を試みている。今後どう展開をしてくかはお楽しみに。

バベルの塔がモチーフ

その他にも世界征服を掲げる “秘密結社” を創ったり、幾つかのプロジェクトを回しながら、チームを創って壊してを繰り返して、集合的な知能というものを観察してきた。僕は、 4 領域を跨いで存在する指揮台の上に立って、強い集合知をもったチームを形成して、目指すべき所に向かって進んでいきたい。以前書いた記事の結びが、この意思をよく言い表している。

人類の最大の特徴は言葉をもったことである。これは最古のメディアで、人類が発達したのは言葉があったからだ。進化したいなら、たぶん、一人で考えていても行き詰まる。速く進むには一人で十分だが、遠くに行くには仲間と歩くしかないのだから。 — 情報共有 / コミュニケーションの未来。
09. Mirror

2014 年に大学に入学してからというもの、はっきりとした興味がないのに、継続して関わってきた分野が、教育である。この記事の中でも一切そのようなことを匂わせていないにも関わらず、下の年代と触れ合う機会は非常に多い。例えば Life is Tech! というところで中高生にプログラミングを教えていたりとか、リバネスでも出前実験教室という形で 3Dプリンタを使った授業の講師を務めたことがある。MAKERS UNIVERSITY の高校生版のプログラムである、THINK BIG CAMP ではテクノロジー領域の伴走メンターをやっているし、この間は友人が取り組んでいる教育のプロジェクトを手伝いに行ったり。ヒトに誘われたから断れなかったという単なるお人好しではなくて、そこにはちゃんと狙いがあって教育に携わっている。

教育は、僕にとって鏡なのだ。

これから自分が野心的な試みをしていく中で、将来一緒に事を仕掛けていくであろう仲間の多くは、僕より下の年代のはず。その層に受け入れられないことは、未来の取り組みが不合格の判子を押されたに等しい。今自分がどんな人間で、自分の取り組みは人に寄り添っているか。これを客観的に見ることは一人称である限り難しいから、鏡を見て判断する必要がある。曇りなく自分の像を反射してくれるのは、自分より下の年代だ。

僕は極めて利己的であるから、誰かのためじゃなく、自分のためにしか行動はできない。だから押し付けがましい教育はしないし、できれば教え子が、その先に友となって、同じ立場になってほしいと願っている。

10. Map

9 章にわけて僕という人間を考察してきた。人からよく「研究者」と紹介されたり「エンジニア」とタグ付けされたりするのだが、どれも微妙にずれているなという違和感が拭い去れない。

そこで改めて自己紹介をしてみよう。


僕は現在 3 つの属性で表現される人間だ。

  • 観察者
  • 探求者
  • 提唱者

その背景には以下のような文脈がある。

まだ見たことのない新しい概念を観たい

という 01. Passion のもと、

人間の知能とは何か (02. Curiosity)
人が主体のシンギュラリティ (02. Vision)

この 2 つをコンパスにもっている。

そのための 03. Approach として 04. Science —05. Engineering —06. Design —07. Art で定義された、

4 象限の中心に立ち、
強い集合知をもった 08. Team を形成して、目指すべき所に向かって進んでいく。

そして自分のことを省みるために、教育という 09. Mirror を置いている。


冒頭に自己紹介は苦手だと書いた。今でも苦手だし、これからだって苦手だろう。

ただ、複雑な文脈を複雑なままに紐解いていった結果、自分という人間の地図ができた。その地図を手にしたおかげで、僕自身は僕のことを包み込める。一つ気をつけなければならないのは、更新のタイミングを忘れてはいけないということだ。人の環境変化のスピードは、地球と違って随分と速いようだからね。


バネを押し込む時期は終わった。さて、行動しますか。

2017.3.5, written by Keisuke Okumura