Kinya Tagawa
3 min readDec 21, 2015

私はこの10年ほど本棚を持たずにたったひとつの箱に入るだけの本しか持たない生活を送っています。

最初は20代の頃の“毎年のように引越さなければならない”という状況があって、もう本をたくさん持って回るのは無理だと。最初は頑張って段ボールに詰めて運んでいたのだけれど、重くなりすぎて途中からそれを諦めたんです。それで、ある日、本を入れるための箱を買い、引っ越しの度に、この箱に入らない本は捨てたり売ったりするルールを決めました。そこから今に至っていて、だから、私の家に本棚はありません。本箱の中で最初から生き残ってる本は2冊くらいです。

大量の本を身近に保管しておくことで、安心を感じる部分もあるけれど、結局のところ、保存しておける本の量って、部屋の大きさといった分かりやすい制限もあって無限には持てない。増えていくうちに検索性が落ちて、知識の保管庫としての機能も下がります。そこで、私は自分が身近に置いておく本の量を、自分が完全に管理できる量に絞ってみることにしたんです。そしてその量を一つの「箱」に入る量ということに決めました。これは分かりやすく、そして継続しやすい仕組みでした。(本箱からあふれた本はBookOFFに行きます。)

取捨選択を徹底するのも、それはそれで潔いかと。そのかわり自分が「これだ」と選んだものに対しては、100%の信頼をおいておけるような高いアクセス性が確保されているのです。

最近はAmazonがあるから、昔読んだ本でまた読みたくなったら、Amazonで注文すれば次の日に家まで届けてくれます。しかも数百円で。私は地球上で最も巨大な本の保管庫を持っていて、そこから蔵書を引き出すのに数百円を払っていると思うことにしています。本箱+Amazonのシステムは私に取って腑に落ち感の高い組み合わせなのです。

それともう一つ、本箱システムが面白いのは、本のセレクションをする際の判断材料として「体積」というファクターが顕在化することろ。情報の価値が体積で計量カップのように計られてしまうということが興味深く面白いのです。ハードカバーの分厚い本は文庫本数冊との天秤に掛けられてしまいます。立派な本ほど捨てられやすいバイアスがかかるのです。「ゲーデル・エッシャー・バッハ」などは、その淘汰圧に耐えている珍しい一冊です。

本箱は私に引越しの度にギリギリ入らない何冊かについて、どれを捨てるべきかという決断を私に迫ります。これは人生の縮図です。この本箱で生き残った本達を見ていると、自分の生活や興味の移り変わりが本のセレクションの中に表れるような気がしています。

Kinya Tagawa

Director, takram design engineering / Visiting Professor at the Royal College of Art