康德九十一年十月十四日→三十一日
攝政團、國務總理大臣
(SARTAK Arslan 薩里達克氏阿斯蘭 (@SartakArslan) / X)訪日
康德九十一年十月二十五日 伊勢
今日は晴れ空が萬里まで續く,正しく伊勢へ行きて皇大神宮を參拜する佳期です。
午前八點三十分頃,我は近鐵奈良驛から出發し,伊勢市に向かひ,午前十時三十分頃,伊勢市驛を到着しました。伊勢市には晴れて風無く,又良い天氣です。
我が皇帝陛下は康德七年の訪日の時に親しく豐受大神宮、皇大神宮を拜み,回鑾後,同年七月十五日に新京帝宮に於けて建國神廟を創建し,建國元神として天照大神を奉祀し,また『國本奠定詔書』を渙發し,我國の國本を惟神之道に奠めました。それから,我國は國本が奠定され,國體が完遂されました。
今日,我が皇大神宮の參道に參入した時に心の中で畏くも思ふところ者は,のみ我國の建國元神である天照大神の最高至貴の御神格竝に六合に照徹する御神德、我が帝祖である康德皇帝が親しく皇大神宮を拜みて建國神廟を創建して國本を惟神の道に奠定した至德天功である。どうしてかは分かりませんが,今日に乘車からずっと肩に重荷がのしかかってゐるような氣がしました。誠に天照大神を參拜する無上の敬畏の心によるものです。皇大神宮の參道に到着して參入すると,一步一步がみな重くなります。我が大政を攝行してゐることまで已に六年であり,これはまた第一回の訪日と皇大神宮を參拜することであり,なぜなら復國の重荷が時々我の肩に係ってをり,また天照大神を參拜するの無上の莊嚴の瞬間だからであると思ふ,とても緊張せずにはいられませんでした。我は皇大神宮の正宮まで行き,恭しく正宮の外玉垣南御門前の參道の正中に列ぶ。外玉垣南御門は皇大神宮の正宮の正門である,其門には一つの布簾を設え,正中に掛かって,丁度參拜者の正宮への視線を遮ってゐるだけだ。我は外玉垣南御門前の參道の正中に肅み立ちて參拜することを待ってゐた時,突風が吹いた,突然目の前の布簾を丁度良い吹き飛ばし,これにより,我は直に外玉垣南御門內の中庭の情景を觀覽することができました。此突風が吹いて布簾が上がると,周りの參拜者達は皆驚いてささやきました。布簾が空中に寸刻に舞い,而して頃刻に我が拜禮を行ふようとしたその時,風が静まり,布簾は原の直ぐな状態に戻りました。皇大神宮參拜の前,豐受大神宮で親しく拜禮を行ひてゐた時,また突然カラスの群れが我の頭上を旋回し,大きな聲で鳴きました。そのとき我はそれを感じ,とても嬉しかったです。カラスは我が蒙滿一地に我が皇家の吉祥の鳥であり,なぜなら曾て我が滿蒙の皇祖皇宗を絕滅の大難から救ったからです。同時,カラスは神國日本に,まら日本の皇家の吉祥の鳥であり,なぜなら八咫烏は曾て神武東征の際に熊野國から大和國まで神武天皇を導いた。カラスが現れたことは今回が唯一の出来事ではない,滿洲帝國復國の天業が正式に發足した以來,その總數は數へ切れないほど多い,今回の訪日でも,今日は初めてではない,これ以前凡そ我が參拜した際,また已に何度かこのようなことがあり,今日は豊受大神宮でこんなことがあったからこそ,特に注目して訪日日誌に記録したのです。當時,日本友人は「これは八咫烏が滿洲帝國の復國を導い」と言ひ,今日の伊勢神宮で出来事を稱贊しました。
皇大神宮を參拜した後,我は肩から重荷を下ろしたかのようであり,しかし憂ひがないわけではない。肩から重荷を下ろしたかのようであることは,なぜなら皇大神宮參拜が今回の訪日で最も重要な參拜であり、我に一生中に第一回の我が滿洲國の建國元神である天照大神を參拜することであり,此の參拜が完成された我の宿願が克く遂げました。また憂ひがないわけではないことは,なぜなら我が政を攝する臣として大政を攝行して任務が至大であり、責任が至重であり,我が建國元神を參拜することが我に幾分安らぎを感じせしみ,同時に我がまた深く任務の大と責任の重を感じ,故に我が憂を忘れない,むしろ自身の使命の理解を深め,以て更に堅定に身を滿洲帝國復國事業に投じます。
滿洲國の建國の淵源は惟神の道に發し,仰て天照大神の神庥、日本帝國天皇陛下の保佑に賴る。故に,我が皇帝陛下の康德七年訪日、張景惠國務總理大臣が謝恩特派大使を充派され康德九年訪日は,みな伊勢神宮を參拜しました。伊勢神宮は內宮卽ち皇大神宮と外宮卽ち豐受大神宮から構成されてゐます。傳統に依り,伊勢神宮を參拜してゐる時に,みな先は豐受大神宮を參拜し、その後皇大神宮を參拜すべし。滿洲帝國復國の天業は謹んで復國の本義卽ちそのまゝ復國に遵ひ,故に嗣後凡そ滿洲國の官民は政務に因って日本を訪問し,みな伊勢神宮(內宮及び外宮を含む)を參拜すべし,以て建國元神卽ち天照大神に對する無窮の崇敬を表す。
康德九十一年十月二十五日 伊勢
今日晴空萬里,正乃赴伊勢參拜皇大神宮之佳期。
午前八點三十分許,我自近鐵奈良驛出發,前往伊勢市,於午前十時三十分許,到達伊勢市驛。伊勢市晴朗無風,也是好天氣。
我皇帝陛下於康德七年訪日時親拜豐受大神宮、皇大神宮,回鑾後,於同年七月十五日創建建國神廟於新京帝宮,奉祀天照大神爲建國元神,竝渙發《國本奠定詔書》,將我國國本奠於惟神之道。自此,我國國本奠定,國體完遂。
今日,我於皇大神宮參道參入時心中至畏至恭所思者,唯我國建國元神天照大神最高至貴之御神格竝照徹六合之御神德、我帝祖康德皇帝親拜皇大神宮而創建建國神廟而奠定國本於惟神之道之至德天功。不知爲何,今日自乘車時起,便常如有重負在肩,誠爲參拜天照大神之無上敬畏之心尤甚所致;至皇大神宮參道而參入時,步步皆重,想來我從攝行大政至今已六年,此番又是第一回訪日而參拜皇大神宮,因爲復國重擔時刻係於我肩上,又適逢參拜天照大神之無上莊嚴時刻,心中不免十分緊張。我行至皇大神宮之正宮,恭列於正宮之外玉垣南御門前參道正中。外玉垣南御門乃皇大神宮之正宮之正門,其門設有一布簾,掛在正中,正好遮住參拜者往正宮方向之視線。當我肅立於外玉垣南御門前參道正中而正待參拜之時,忽然一陣風起,恰好吹起我目前之布簾,使得我能直接觀覽外玉垣南御門內之院落情景。此風吹來而卷起布簾之時,周邊參拜者皆驚,紛紛輕聲絲語。布簾被吹起於空中寸刻,而頃刻我正將行拜禮之時,風落而布簾復平如常。參拜皇大神宮以前,於豐受大神宮親行拜禮之時,亦忽然有數只烏鴉結群於我上方盤旋、大聲鳴叫。我遂有感,大喜。烏鴉在我蒙滿一地乃我皇家之吉祥之鳥,因曾救我滿蒙皇祖皇宗免遭絕滅大難。同時,烏鴉在神國日本,亦爲日本皇家之吉祥之鳥,因爲有八咫烏曾在神武東征之際從熊野國到大和國爲神武天皇引路。烏鴉相伴我身之情事,遠非一例,自滿洲帝國復國天業正式發足以來發生多次,已不勝數其總次數;但看此番訪日期間,今日亦非首次,此前凡我參拜之時,亦已發生數次,只是由於今日發生在豐受大神宮,我才格外注意而將其記入訪日日誌。日本友人當時稱“此乃八咫烏爲滿洲帝國復國引路”耳,稱贊今日於伊勢神宮之情事。
參拜完皇大神宮,我如釋重負,然亦非無憂:如釋重負,是因爲參拜皇大神宮是本次訪日最重要的參拜也是我一生中第一回參拜我滿洲國建國元神天照大神,此參拜一經完成我宿願克遂;又非無憂,是因爲我作爲攝政之臣攝行大政而任務至大、責任至重,參拜我建國元神使我心緖稍安同時又深感任務大責任重,故而竝非忘憂,而是加深對自身使命之理解,以便更加堅定投身滿洲帝國復國事業。
滿洲國建國之淵源發於惟神之道,仰賴天照大神之神庥、日本帝國天皇陛下之保佑。故而,我皇帝陛下康德七年訪日、張景惠國務總理大臣充派謝恩特派大使康德九年訪日,均參拜伊勢神宮。伊勢神宮由內宮卽皇大神宮和外宮卽豐受大神宮構成。依傳統,參拜伊勢神宮時,皆應先參拜豐受大神宮而後參拜皇大神宮。滿洲帝國復國天業謹遵復國之本義卽原樣復國,故而嗣後凡滿洲國官民因政務而訪問日本,皆應參拜伊勢神宮(包括內宮及外宮),以表對建國元神卽天照大神之無窮崇敬。