康德九十一年訪日日誌(十月十三日)
作者:薩里達克氏阿斯蘭
康德九十一年十月十四日→三十一日
攝政團、國務總理大臣
(SARTAK Arslan 薩里達克氏阿斯蘭 (@SartakArslan) / X)訪日
康德九十一年十月十三日 加奈陀
大同元年三月一日に,滿洲國が建國されました。滿洲國の建國の淵源は,惟神の道に發され,天照大神の神庥と日本帝國天皇陛下の保佑に仰て賴る。大同元年,日本帝國は滿洲國の友邦、盟邦なり。康德二年と康德七年,皇帝陛下は兩回日本に訪問し,滿日兩帝國の永久の基礎を强固し,更に建國元神として天照大神を奉祀し、國本を惟神の道に奠め,以て滿洲帝國の國體の建設を完全にしました。康德九年,日本帝國は滿洲國の友邦、盟邦、親邦なり。日本帝國は滿洲帝國の親邦であり,滿洲國の建國の天業は日本帝國の仗義の援助に倚賴しました。しかして,戰後に憲法を『日本國憲法』に變更した日本國はなほ滿洲帝國の最も親密な友邦である。以上の大義に基づき,康德八十五年四月の滿洲帝國の復國の天業が正式に發足した以來,我薩里達克氏阿斯蘭(SARTAK Arslan)等の滿洲帝國流亡政府の同仁と協和會の同志は,皆滿洲帝國の流亡政府首腦の早期訪日の宿願あり,以て滿日兩國關係の恢復の促進竝に滿洲帝國復國の事業が日本に局面を展開させることを期す。康德八十七年三月一日に,滿洲帝國流亡政府が完全に樹立されました,それから,滿日兩國關係の恢復及び滿洲帝國復國の事業が日本に局面を展開させることは眞正に可能なり。本次の訪日の緣起は,初めて四年前卽ち康德八十七年に全球が武漢肺炎の大流行に陷った際滿洲帝國流亡政府が日本友人達にマスクを公義の心をとり寄贈したことに遡る。
康德八十七年,全球が武漢肺炎の大流行に陷り,當時の日本ではマスク特に不足してゐた。それ時に,滿洲帝國流亡政府は臺灣から二萬枚醫療用マスクを獲得し,それを靖國神社、偕行社等日本の組織及び個人に寄贈しました。マスクを寄贈する過程で,滿洲帝國流亡政府は關聯する日本の友人達と深い緣分を築きました。それ後二年間,雙方の關係は徐々に發展していきました。日本の友人達は滿洲國の眞實の歷史に關する瞭解及び滿洲國に對する原來の情感を一步ずつ蘇生しました。我々は初めて日本帝國が現今の日本になほ精神的な忠良な臣民を存在する事實を知曉し,また初めて日本帝國の精神的遺產が現今の日本の愛國者達に傳承される情況を瞭解しました。
康德八十九年,滿洲國は建國九十周年でした。滿洲帝國流亡政府は滿洲國建國九十周年記念行事を主宰しました。滿洲國建國九十周年記念行事には,若干項の日本向けの活動あり,其の中で最大の者は,建國九十周年を紀念して滿洲帝國協和會中央本部が編纂した『建國の精神』文獻集である。該文獻集は滿洲帝國の國務院總務廳法制處が康德十年に編纂した『滿洲國法令輯覽』の編纂例に依り,各々の揭載された文獻の滿洲文版及び日本文版を揭載しました。滿洲帝國流亡政府は建國九十周年紀念《建國の精神》文獻集を我國と緊密な關係を建立してゐる日本の友人達に贈呈し,滿洲國建國九十周年を紀念して禮物としてました。日本友人達は此の禮物に對して熱烈な歡迎と感激の意を表示しました。それとは別に,康德八十九年の際に,滿洲帝國流亡政府は滿洲國建國九十周年を紀念する爲に,康德九年の滿洲國建國十周年の際に我が皇帝陛下が先國務總理大臣張景惠を以て謝恩特派大使に充ち日本を訪問した先例に基づき,滿洲帝國流亡政府は我を以て謝恩特派大使に充ち日本を訪問する豫定し,以て滿洲國の建國元神である天照大神及び親邦日本帝國の皇祖皇宗に謝恩してゐました。しかし加奈陀政府が時間通りに難民旅行證明書を發行しない爲,康德八十九年の滿洲國建國九十周年紀念の訪日は實現しない。
康德九十年十一月になって初めて,難民旅行證明書が加奈陀政府から送付され到達されました。同十二月,滿洲帝國流亡政府は我が康德九十一年から九十二年の間に訪日の構想に就いて初めて日本の友人と意見交換しました。日本友人は我が康德九十一年十月に日本を訪問するよう建議しました。その後數か月間,滿洲帝國流亡政府は全面的詳細な調查して硏究したことを經過して,最終的に康德九十一年四月二十九日である天長節に我が康德九十一年十月に日本を訪問することを決定しました。その後,關聯する日本の友人達は此度の訪日爲に必要な手配を進行し,滿洲帝國流亡政府は此度の訪日爲に充分な準備を進行しました。
此度の訪日は,滿洲帝國復國事業が正式に發足された以來我國の官民による初めての訪日です。我は此の幸を得でき,我國の官民を代表して友邦に訪問し,欣々然と之に憧れ,甘く啟行し,以て恬然と邦交が促されるを期す。
康德九十一年十月十三日 加拿大
大同元年三月一日,滿洲國建國。滿洲國建國之淵源,發於惟神之道,仰賴天照大神之神庥、日本帝國天皇陛下之保佑。大同元年,日本帝國成爲滿洲國之友邦、盟邦。康德二年、康德七年,皇帝陛下兩回訪問日本,强固滿日兩帝國永久之基礎,更奉祀天照大神爲建國元神、奠國本於惟神之道,以完全滿洲帝國國體之建設。康德九年,日本帝國成爲滿洲國之友邦、盟邦、親邦。日本帝國乃滿洲帝國之親邦,滿洲國建國天業倚賴日本帝國仗義援助。而戰後已變更憲法爲《日本國憲法》的日本國仍爲滿洲帝國之最親密的友邦。基於以上之大義,自康德八十五年四月滿洲帝國復國天業正式發足以來,我薩里達克氏阿斯蘭等滿洲帝國流亡政府同仁、協和會同志,皆有滿洲帝國之流亡政府首腦能早日訪日之宿願,以期促進滿日兩國關係恢復竝使滿洲帝國復國事業在日本展開局面。康德八十七年三月一日,滿洲帝國流亡政府完全樹立,自此,滿日兩國關係之恢復及滿洲帝國復國事業在日本展開局面眞正成爲可能。本次訪日之緣起,最初便是追遡到四年前卽康德八十七年全球陷入武漢肺炎大流行之際滿洲帝國流亡政府向日本友人秉公義之心捐贈口罩。
康德八十七年,全球陷入武漢肺炎大流行,當時日本口罩特別不足。是時,滿洲帝國流亡政府自臺灣獲得二萬枚醫療用口罩,將其捐贈給靖國神社、偕行社等日本組織及個人。在捐贈口罩的過程中,滿洲帝國流亡政府與相關日本友人築下深深的緣分。此後二年間,雙方關係徐々發展。日本友人關於滿洲國的眞實歷史的瞭解及對滿洲國的原來情感一步一步地復蘇。我們初次知曉了日本帝國在現今日本仍存在精神上的忠良臣民的事實,竝初步瞭解到日本帝國之精神遺產於現今日本愛國者中的傳承情況。
康德八十九年,滿洲國建國九十周年。滿洲帝國流亡政府主持了滿洲國建國九十周年記念行事。滿洲國建國九十周年記念行事之中,有若干項面嚮日本之活動,其中最大者,就是由滿洲帝國協和會中央本部編纂建國九十周年紀念《建國之精神》文獻集。該文獻集依滿洲帝國國務院總務廳法制處康德十年編纂之《滿洲國法令輯覽》之編纂例,各刊登各文獻之滿洲文版及日本文版。滿洲帝國流亡政府將建國九十周年紀念《建國之精神》文獻集贈呈給與我國已建立緊密關係的日本友人,作爲紀念滿洲國建國九十周年的禮物。日本友人對此禮物表示了熱烈的歡迎和感激之意。另外,康德八十九年之際,滿洲帝國流亡政府爲了紀念滿洲國建國九十周年,預定基於康德九年滿洲國建國十周年之際我皇帝陛下以先國務總理大臣張景惠充謝恩特派大使而訪問日本之先例而以我充謝恩特派大使訪問日本以向滿洲國建國元神天照大神及親邦日本帝國之皇祖皇宗謝恩。但因爲加拿大政府沒有按時發行難民旅行證明書,康德八十九年滿洲國建國九十周年紀念訪日沒能實現。
直到康德九十年十一月,難民旅行證明書才被加拿大政府寄達。同十二月,滿洲帝國流亡政府就我在康德九十一年至九十二年間訪日之構想與日本友人第一次交換意見。日本友人建議我於康德九十一年十月訪問日本。隨後數月間,滿洲帝國流亡政府經過全面詳細的調查硏究,最終於康德九十一年四月二十九日卽天長節決定我於康德九十一年十月訪問日本。而後,相關日本友人爲此度訪日進行了必要的安排,滿洲帝國流亡政府爲此度訪日進行了充分的準備。
此度訪日,乃滿洲帝國復國事業正式發足以來我國官民首次訪日。我能得此幸,代表我國官民訪問友邦,欣々然而憧之,甘然啟行,以期恬然而邦交促焉。