康德八十九年度滿洲帝國流亡政府施政方針大綱説明(日文)

國務總理大臣 薩里達克氏阿斯蘭 康德八十九年十二月八日

※滿洲國の公式文字(滿洲語と日本語の字體)は正字體であり、戰後日本政府が簡略化した字體でも、中共政府が簡略化した字體でもありません。 正字體は戰後日本では所謂「旧字体」。

協和會康德八十九年度全國聯合協議會が開催した時,滿洲帝國流亡政府の施政の方針の大綱に關して說明します。

康德八十九年は,滿洲國建國九十周年の年である。康德八十九年度に,滿洲帝國流亡政府の施政の中心は建國九十周年祝典及び記念事業である。帝國流亡政府は謹んで康德九年の建國十周年祝典及び記念事業の成憲に遵ひ,復國の事業の當下の形勢を結合し,建國九十周年祝典及び記念事業を展開しました。康德八十八年策令第一號『建國九十周年祝典及記念事業ニ關スル件』に依り,建國九十周年祝典及び記念事業が國務總理大臣に由って全權的に之を主宰しました。

建國九十周年を慶祝する爲に,滿洲帝國流亡政府は兩場の建國九十周年祝典を擧行しました:建國九十周年の建國忠靈廟臨時奉告祭、建國九十周年式典。建國九十周年の建國忠靈廟臨時奉告祭は已に康德八十九年十月十九日に擧行された,祭祀府總裁薩裏達克氏阿斯蘭が北米に壇を設け祭を致した。建國九十周年式典は已に康德八十九年十一月六日卽ち夏曆康德又壬寅年十月十三に擧行された,國務總理大臣薩里達克氏阿斯蘭が之を司會し,國務總理大臣以下の滿洲帝國流亡政府の全體の特任官が之を參列しました。建國九十周年祝典に關するより多くの情報は,滿洲帝國流亡政府の公式ウェブサイト (https://ManchuriaGov.net) をご覽ください。

建國九十周年を慶祝する爲に,滿洲帝國流亡政府は以下の五件の記念事業を擧行しました。

康德八十九年一月,滿洲帝國流亡政府は本を正せ源を淸ませる爲に,畏くも國父と帝祖である 康德皇帝が滿洲國を創建する聖德神功を敍述し,敬て謹んで『今上皇帝陛下聖德紀要』を編纂することを開始しました。『今上皇帝陛下聖德紀要』は實錄體を以て,國務總理大臣薩里達克氏阿斯蘭に由って編纂の事務を主宰され,簡要に恭しく我が皇帝陛下の聖壽の三十九載の偉德を述べたものでした。『今上皇帝陛下聖德紀要』は本年二月六日に初版を完成し,本年八月に全部の編纂を完成し,已に本年の康德皇帝の忌辰卽ち八月十九日に公表されました。

康德八十九年三月三十一日,滿洲帝國流亡政府の公式ウェブサイトを開設されました。滿洲帝國流亡政府の公式ウェブサイトのURLはhttps://ManchuriaGov.netです。先在の滿洲國の法制に依り,滿洲帝國流亡政府の公式ウェブサイトは弘報事務に歸屬し,內容と形式に於ける全く同じ品質に二つの平等な公用語である滿洲語と日本語という滿洲國の法令と同じバイリンガル標準を實行してゐます。康德四年六月五日勅令第百十九號『國務院官制』に依り,弘報事務は國務總理大臣の掌理に歸屬します。本大臣は已に,本年七月五日に,manchuriagov.netを滿洲帝國流亡政府の公式ウェブサイトとして制定しました。

康德八十九年八月,協和會中央本部は國務總理大臣の委託を受け,康德六年に協和會中央本部が『建國の精神』文獻集を編纂した成憲に依り,また康德皇帝が治世中に國務院總務廳法制處に由って編纂し、滿洲行政學會に由って發行した『滿洲國法令輯覽』の體例に基づひて,また復國の事業の當下の形勢を結合し,建國九十周年記念版の『建國の精神』文獻集を編纂することを開始しました。康德六年に協和會中央本部が編纂した『建國の精神』文獻集と比較して,此の建國九十周年記念版の『建國の精神』文獻集は,康德皇帝が治世中に欽定した滿洲國の國家神道に關する法令を追加され,滿洲帝國流亡政府の康德皇帝の忌辰及び復國大業中の帝室事務に關する法令を收錄しました。建國九十周年記念版の『建國の精神』文獻集は,五十篇の法令を收錄し;この內,四十五篇は康德皇帝の治世の十三年によるものであり,五篇は滿洲帝國流亡政府の法令によるものでした。此の版の『建國の精神』文獻集は,本年十二月に印刷され,非賣品であり,滿洲帝國の盟友にのみ寄贈され,優良なの帝國流亡政府要人及び協和會員にのみ給予されます。

康德八十九年十月,滿洲帝國流亡政府の國務院總務廳は『建國九十周年史綱』を編纂することを開始し,以て本を正せ源を淸ませて,滿洲國建國と復國の天業を明示しました。『建國九十周年史綱』は編年體を以て,簡要に滿洲國建國以來九十年の歷史を敍述しました。『建國九十周年史綱』は康德十二年八月二十日から康德二十一年までの滿洲全土淪陷初期の滿洲帝國の復國運動の歷史を初めて公表し,將軍張海鵬、原任參議孫其昌、參議丁超、原任外交部大臣張燕卿、原任駐獨逸國滿洲帝國公使呂宜文等々の滿洲帝國の文武重臣が共匪の不法の軍事占領に屈せず、滿洲帝國の復國を謀畫した英雄的事蹟を明確に記載し,滿洲帝國の復國の天業の開端を全世界に知らしめました。『建國九十周年史綱』は,已に康德八十九年十一月六日卽ち夏曆康德又壬寅年十月十三に擧行された建國九十周年式典に於けて,國務總理大臣薩里達克氏阿斯蘭を由って國務院を代表して公表しました。

康德八十九年は建國九十周年の佳年であり,故に滿洲帝國流亡政府は特に本年度の滿洲國の四大節及び元神祭節に於けて各々公式の記念ビデオをしました。この內,元旦、萬壽節の記念ビデオは滿洲語ビデオであり,建國節、訪日宣詔記念日、元神祭節の記念ビデオは滿日バイリンガルビデオでした。帝國流亡政府は先在の滿洲帝國の雙公用語の國策に依り滿日バイリンガルのビデオ製作の經驗を獲得しました。帝國流亡政府の本年度の滿洲國の四大節及び元神祭節の公式の記念ビデオは,より多くの日本の友人に滿洲帝國の眞相を瞭解され,日本に於ける滿洲帝國の復國の事業の知名度を强力に促進しました。

以上は建國九十周年祝典及び記念事業に關する說明です。

建國九十周年祝典及び記念事業を除く,本年度の滿洲帝國流亡政府の施政は以下の他に三件の大事あります。

第一,康德八十九年四月,國務總理大臣は政治亡命を認められました。此後,國務總理大臣は渡航文書を使用して友邦を訪問することができます。これは,滿洲帝國の復國の事業の外交の發展を有力に促進するでしょう。國務總理大臣が康德皇帝が治世中に欽定した制度に依り自動的に協和會會長を兼任し,それで國務總理大臣が政治亡命を認められることは,滿洲帝國流亡政府及び協和會の國際的認可度が大幅に高まりました。協和會員はまた此の先例に依り自由世界で政治亡命を取得することできます。これは自由世界に於ける滿洲國の復國の事業の基礎を强化するものです。

第二,康德八十九年度,滿洲帝國流亡政府の施政の整備は已に顯著なの成效を取得しました。その具體は下の如し:

本年三月,國務院は康德十二年八月二十日に滿洲全土が淪陷した時に滿洲帝國の行政區畫に依り,滿洲帝國の全國の各々縣旗市の名稱を明あきらかにしました。十月,國務院總務廳弘報處は謹んで滿洲國の邊界が講解し,滿洲國の疆域を再び明あきらかにしました。

本年七月初,國務院は御用蘭花紋章及び御影の制度の强化嚴行を主宰しました。

本年八月二十日,攝政團の三人の全員は攝政團制度に對する必需な調整を行ふことを全會一致で決定しました。三人で組成されてゐた攝政團から一人で組成される攝政團に改めしむ。舒穆祿氏昂古利と完顔氏塞繆爾の二人は,それから攝政團成員の職務をもう擔任しない,それぞれが其の本職に返ります。

本年秋,滿洲帝國流亡政府は共匪が僞組織を成立したことを對する情報の初步なの蒐集を完成しました。帝國流亡政府の內部安全の關連規定に依り,政府は協和會、滿洲の聲、滿洲基督敎聯合會に關連する人士に之を傳達し,また關連する盟友に通報しました。

本年九月,國務院總務廳は滿洲全土淪陷後中共によって略奪された全滿の資源を統計して整理することを開始しました。

本年十一月,攝政團は康德八十九年十一月四日策令第一號『康德八十六年八月二十日策令第一號ノ題目ノ改正ノ件』を以て,康德八十六年八月二十日策令第一號の題目を改正し,法令の文辭がより嚴謹になった。

第三,滿洲帝國流亡政府は「逆統戦」テーブルゲームを繼續して助力しました。康德八十七年八月,滿洲帝國協和會が製作全過程を參與させた「逆統戦」テーブルゲームが正式にリリースされました。文化分野での滿洲國に對する共匪の誹謗に抵抗する爲に,滿洲帝國流亡政府は該のテーブルゲームを充分に支持しました。今年十二月一日迄に,該ボードゲームの支那文版、日本文版の兩方がリリースされ,其の販賣量も大成功を收めて,其の英文版また近日公開豫定。現在,我は協和會中央本部長を兼任し,丁度今『協和會康德八十九年度全國聯合協議會·會運動方針大綱說明』中に,該テーブルゲームの情況に關する已に講述してゐました。此處では贅言しません。

滿洲帝國流亡政府(満洲帝国流亡政府)
國務總理大臣(国務総理大臣)

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滿洲帝國流亡政府

His Imperial Majesty’s Government of Manchuria in exile. 滿洲帝國政府=皇帝陛下政府,簡稱滿洲國政府。 攝政團暨三權の長: 國務總理大臣 @SartakArslan 參議府議長 @ShumuruAngguri 最高法院院長 @WanggiyanSamuel