30分読書〜ベーコン『ノヴム・オルガヌム』〜
近代になって帰納法を初めて大々的に喧伝したことで有名になった本。経験哲学の祖。おお、ようやく来たかアリストテレス=スコラ学批判。トマス・アクィナス『神学大全』はザ・スコラ学のような本だったけど、本書は打って変わってアリストテレス以後は全部暗黒だったと高らかに宣言する。
アリストテレス批判とはどういうことか。端的にいうと観念論批判だ。ベーコンはむしろソクラテス以前のソフィストたちのほうがまだ実験主義的であったとして評価している。となると、諸悪の根源はプラトンのイデア説か。ものの本質は感覚的な知覚では計り知れないものであるという主張(「アカタレプシア(無理解)」を公然と主張するような、言って見れば開き直りの姿勢。ソクラテスの無知の知が曲解された結果か?)が受け入れられてしまえば実験なんてナンセンスになってしまうから自然科学が成り立たなくなる。
アリストテレスは『自然学』で実験重視の姿勢を取り、イデア説批判を展開しながらも、形相(エイドス)ー質料(ヒュレー)の議論のなかで観念論を断ち切る事に失敗している。その失敗が中世スコラ学の成立を招き、“最も優秀な知能の最大部分が神学に向か”(P128)うこととなって科学の停滞を招いたとベーコンは批判する。
じゃあ実験さえすればそれでOKかというとそうではない。実験によって得られてあ結果をどのようにして認識・評価するべきかという問題に向き合う必要がある。ベーコンは人間の認識には4つの誤謬要因があると言って注意を喚起した。それがイドラidolaと呼ばれるものだ。「種族のイドラ」、「洞窟のイドラ」、「市場のイドラ」、「劇場のイドラ」に分類される。idolaはidleと同系統の言葉である。idleと言えばもちろん、偶像のことを指す。転じて「偏見」とでも言おうか。偶像が偏見の始まりだというのは含みのある表現で興味深い。
トマス・アクィナスは『神学大全』で偶像崇拝を許容したが、『出エジプト記』が禁止している偶像崇拝を神の似像を礼拝するタイプのものと、神そのものを礼拝するためのきっかとしての偶像を礼拝するタイプのものと分けて考え、後者であれば許容されるとした。
ベーコンのいうイドラidolaの語源である偶像idleはトマスの議論で言えば前者の許容されないタイプのものであろう。すなわち神ではなく神の似像を崇めるという誤った行為であり、その誤謬を指して人間の注意すべき4つのイドラidolaとしたという経緯にはこのようなテキストの積み重ねによる繋がりがあるように思われる。
話が脱線したが、実験によって得られた結果をどのようにして正しい結論に結びつけて行くのか。その困難性に無自覚でいるようでは経験哲学の名が廃る。しかし、そこのところを突き詰めすぎればヒュームのような懐疑主義に陥ってしまう。(経験論の罠としての「西から昇る朝日」問題。)その点、ベーコンはそこまで悲観的ではなかったように思われる。少なくとも彼は実益重視型の人だと思う。その証拠にこんなことを言っている、
“最も普遍的なものに正当に到達するまでは、宣言しかつ確実な原理を立てることを、或る意味で禁止することによって、我々は判断の或る意味の留保を主張し、ことをアカタレプシア(Acatalepsia)に導くというのである。しかし我々は「アカタレプシア」(不可解)をではなく、「エウカタレプシア」(Eucatalepsia—よき理解)を考え提唱するのである。”(p190)
難しいことはいいから、とにかく分かるところを一つ一つ知っていって一刻でも早く(古代ギリシア以来停滞している)科学を進歩させましょうよ、っていうのがベーコンの言いたかったことだ。本書こそが長らく続いた中世スコラ学への死刑宣告文なのである。