彼はすごい剣幕で怒りだした

昼休みに車のガソリンを入れに一時外出した。本当はそんなことしたくなかったのだが、今日も午後8時すぎまで残業だということが午前中の業務進捗具合から見て明らかになったので致し方ない措置だった。無論、佐渡じゃ午後8時以降に開いているSSを探すのは至難の業なのだ。

仕事中それとなしに昨日の日記のことを考えていた。ネタがないとぼやいていたが考えてみればそれなりに重要な論点があったのにみすみす見逃していたということに気づいた。イスラム国についてのマル激の番組をながら勉強しながら見たと書いていたが、そのことだ。どうしてもっと番組の内容に突っ込んだことを書かなかったのか。それなりに重大な気づきというものはいくつかあったはずだ。

まずイスラム国の首領、アブバクル・アル・バグダディがカリフを名乗ったということについて番組では興味深い考察がなされていた。番組出演者の同志社大学神学部教授の中田考教授(彼自身ムスリム)がムスリムにとってカリフ(イスラム教指導者)を戴いていない状況はそれ自体が罪である、と言っていた。カリフを戴いてカリフの統制の下に信仰生活を送ることこそが正しいムスリムのあり方とされているのであって、カリフ不在の状態はすなわちムスリムの義務の不履行に他ならないというわけだ。これには驚いた。知らなかった。そしてそのカリフがどのように選定されるのか、ということははっきりとした取り決めは無く、イスラム法学者並みの知識と立派な人格と健康な身体を兼ね備えた人物が多くのムスリムからカリフに相応しいと認められることによってカリフが誕生するというのだ。そういう意味でどこの馬の骨か分からない人物だとしても人望が厚く多くのムスリムの支持を得られればカリフになり得るというわけで、今回のアブバクル・アル・バグダディがカリフになり得るわけがないということはできないのだ。しかもカリフ不在の現状がムスリムにとって罪ならば今カリフと名乗る人物が出てきたということは罪を背負った状態を解消できるまたとないチャンス、ということになるわけで、多くのムスリムがこの状況に大いに刺激を受けることになったとしても不思議ではない。それにしてもアブバクル・アル・バグダディの名前を分解してみると面白い。アブ=「父」、アル・バグダディ=「バグダット出身の」、という意味だから日本語にするとアブバクル・アル・バグダディとは「バグダッドのバクル親父」といったニュアンスになる。こうするとちょっと親しみが湧くかも。

それからもう一つ。国家とは何か。法とは何かという問題についても今回のイスラム国は大きな問題提起をしているということが番組内で言われていた。僕たち日本人を始めとする近代国家といわれているものの中で生活する人間にとって何が正義で何が不正義かということは一応国または法が決めるということになっている。僕の実体験から言ってもこれはそうだと言える。実は僕の親類には検察庁に勤めている人がいて、去年の暮れに彼と飲む機会があった。そこで彼がしきりに「悪いことをした奴を俺は許さない」と言っていたのを僕は覚えている。このとき僕はすごい違和感を感じたのだけれど、何故かというのは今回のイスラム国の問題と密接に関わっていることだから後で話すことにして、とにかく今は「検察庁の人間がそういうことを言っていた」ということが事実としてあったということ。これが僕の実際の経験だ。

というのは近代国家に属する人間にとって「何が悪いことで誰が悪いことをした奴か」ということは近代国家の枠組みの内側で決まるというのが一応共通の前提としてある。そしてどうしてそれが悪いことなのかということに関しては考えなくていいことになっている。理由?刑法の◯条に書かれているからだ、以上有罪。で事は済む。

しかしここで少し立ち止まってみて何かおかしいと思わないか。所詮刑法も人間が作ったものじゃないか。どうして人間が作ったものに善悪の判断がつくんだ?おかしいじゃないか。もしこれがおかしくないとしたら、人間は善悪の判断ができる、ということになるがそれは怪しくないか?いくらなんでもそれは傲岸不遜というものだろう。

法だけじゃない。国家というものも所詮は人間が作ったものじゃないか。国境線だって一体誰が決めたんだ?国民も、国籍も、誰が何国人かだなんてことは所詮人間が勝手に決めたことだろう?

イスラム国はサイクス・ピコ協定で決められたシリアとイラクの国境線にある土手をブルトーザーで破壊し両国の往来を自由にした。所詮人間が作った国境線など尊重するに値しないからだ。そもそも近代の国家なるものをイスラム国は認めない。国家や法は人が作ったもの。そんなものに従うということ自体イスラムに反する行為だ。なぜならイスラムとは神のみに従う行為であるから、神以外の何かに従うことは不信心そのものなのだから。

この考え方こそが西洋の近代国家が最も受け入れられない宗教原理主義的態度だろうし、信教の自由と世俗国家の分離を定めたウェストファリア体制への真っ向からの挑戦と受け止められても無理はない。検察庁の親類の話に僕が違和感を感じて「だれが善悪を決めるんですか?」と問いただしたら、彼はすごい剣幕で怒りだした。僕は驚いて「まあ、ちょっと落ち着いてください」と言ってトイレに行くために席を立った。

これだ。今世界で起こっていることは。