映画版『エル ELLE』をご覧になったのなら是非原作も(1)

試写以外ではフランス映画祭での上映が日本では初めてとのこと。ちょうど今頃上映中なのでしょう。前売りチケットも早々と完売で映画ファンの皆様の期待の高さを感じております。試写で見せていただいたとはいえ、監督や主演女優が来るならばまた見に行ってみようかな、などとのんきに構えてるうちに完売でした😢 でもそれでいいのです。少しでも多くの人に見てもらったほうがいいのですから。


原作を私が初めて読んだのはちょうど1年前に遡ります。その時点ですでに映画予告編はネットで見られる状態でした。ところがどう見ても、どう考えても、私が原作から読み取れるイメージと、目の前のディスプレイに映し出されている動画の様子がかなり違う。きっと大幅に脚色したのだろうと想像はついていました。

そういうことは当たり前のようにあると思います。たとえば私も12年ほど前に訳した小説が3年ほど前に映画化されたことがあり、公開時にはその映画を見に行きましたが、登場人物の特徴や人間関係、話の展開が割と違ったものになっていました。2時間なら2時間で観客が理解できる範囲に描きたいことを絞りに絞って、コンテクストをシンプルにする。そのためには原作に書かれていることはかなり削られますし、そのために設定が正反対になることすらあります。

去年の秋頃から世界の各映画賞でイザベル・ユペールが主演女優賞のコレクションを始めまして、日本でも映画の配給が決定し、今年に入ってから原作の出版も決まりました。ここ10年で私が読んだフランス語書籍では一番面白かったといっても過言ではなく、しかも翻訳に携わることができてそれはもううれしかったです。早川書房のご担当の編集者の方、校閲者の方や、普段お世話になっている翻訳会社の方々も、私のあらゆる至らない部分に辛抱強くお付き合いくださり、日本語版をよりよくするために様々なフィードバックをくださっています。相乗効果というのでしょうか、私自身もそれを受けてこういうふうな言い回しをしたらいいだろうか、ああしたらもっと伝わるのではないだろうかと考えを練りましたし、短い期間ながらも試行錯誤した結果の日本語版になっています。

毎月色々な出版社から数多く出版される文庫本のなかの単なる1冊かもしれませんが、それでもほかのどの本とも同じように、多くの人々の手がかかり、そうした方々の「思い」と「苦労」が詰まっている作品です。しかも私が書いたあとがきにいたっては、その仏語要約を著者側のエージェントがチェックしてくださったそうです。そんないきさつもありまして、これまで私自身、面倒くさがってやらなかった自分が関わった仕事について「発信」というものを少し積極的にしてみようと思いたちました。

さて、前置きばかり長くなりましたが、そんなこんなで先月試写で『エル ELLE』を拝見しました。へえ、ジョジーをこういうキャラにしたの? ヴァンサンをここまでにする? レベッカ全然違うタイプになってるね。アンナの存在感は? などと、ほかにも登場人物に関しては驚きの連続でしたが、なるほど、訴えたいことを絞ったら、ここまでそれに合わせて大胆に脚色しないと映画というのは2時間ではおさまらないわけです。さもなくば言わんとしていることがぼやけてしまう。そのおかげで、映画版も非常に面白いアプローチの作品に仕上がっているように思います。にもかかわらず、思い返してみても観客の解釈を必ずしも一つに絞らせていない。その辺の余白の持たせかたというのでしょうか、そのあたりの絶妙さに感心しました。映画好きな方ならなおさら、どうやって監督や脚本家は原作をアレンジするのか、『エル ELLE』に限らず映画に原作がある場合は、原作もお読みになれば参考になると思います。

そして肝心の主人公のミシェル。イザベル・ユペールの実年齢から「60代でもすごい」といった話になっている感はありますが、原作ではまだ50歳にも届いていない女性です。それも含めてユペールの有無を言わせないような役作りは圧巻ですね。一方で、原作でのミシェルは矛盾したキャラクターになっています。映画では描かれなかった元夫との出会い、親友との友情関係、自分の両親に対する割り切れない思い、子供の長所に気づいていく過程も興味深いです。職業を持っていて、結婚の経験があり、親の存在感が大きく、しかも子供がいて、さらには更年期にさしかかりつつある女性は特に「ああ、わかる気がする」といった部分が多少なりともあるのではないでしょうか。

ミシェルの過去も、通報しなかった理由も、どうしてああいう最後になってしまったのかという展開も、原作と映画では違います。フィリップ・ジャン(”ディジャン”と表記されていましたが、このたび原語の発音に近い形になりました)にとって、「女性主人公に成り代わって」書いたのは本作が初めてだそうです。男性作家だからこそ、かえって遠慮なくああいったアプローチで書けたのかもしれません。映画とは違う形で著者が描いたアラフィフ女性の現実やその現実に対する向き合い方は、本質的なところで必ずしも実際とはかけ離れていないのではないかと私は思っています。原作では「暴力」とは話を進めていく上での材料のひとつ、といえるかもしれません。性暴力に限らず様々な類いの、大小様々な「暴力」を通して登場人物それぞれのエゴが描かれています。でも、それも単に私の解釈であって、きっと色々な受け止め方があることでしょう。

ほかにも、今回の翻訳については、追々、映画のネタバレにならない程度に書ければなと思っております。どうぞよろしくお願いします。

7月6日発売です。映画を見る前でも見た後に読んでも、映画も原作も両方がっつり楽しめると思います。とはいえ、映画はその……探偵的な要素が濃いようにみえますので、映画をご覧になる場合は、自分はどういうタイプのファンなのかを見極めた上で、どちらを先にするか決めたらいいのかもしれません。

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