イノベーションに対する親和性
去年の12月にシリコンバレーに引っ越してから、ぼくはここでいくつもの不便な思いを経験した。例えば、引っ越してから3ヶ月の間、担当者のほんの些細なミスのおかげでソーシャルセキュリティカードを受け取ることができなかった。ぼくが昨年の12月にアメリカに入国したとき、入国管理官は入国記録の名前のところに”SHINICHIRODR MATSUO”と入力したようだ。つまり、親切にも博士号(Doctor)を表すDRを名前の後に加えてくれたわけだ。この入国記録は、ソーシャルセキュリティオフィスとも共有されているが、パスポートにある名前とは文字列的に違うために、ソーシャルセキュリティオフィスは、ソーシャルセキュリティカードの発行のために、ぼくのビザと入国資格について移民局に問い合わせをしなくてはならなくなった。唯一のミスは名前にDRがついたことであるが、このようなオペレーションミスや運用の品質が個別の担当者の資質に依存し、一貫しないのはアメリカではよくある光景だ。他の例は、Amazonで注文した時の配達におけることだ。Amazonは商品の配達にUSPSを使うことが多い。USPSのオペレーションは安定していなくて、その品質はオペレーターによって変わる。配達する品が、再配達の紙なしにドアの外に置かれていることは普通だし、再配達されることになったとしても時間は不安定で長時間待たされて何もできなくなることも多い。ぼくの感覚では、アメリカの住民はこのオペレーションの一貫性のなさには不満であるが、一方でこのひどいユーザ体験を許容してしまっている人も多いと思う。日本でAmazonで物を注文するとその日か翌日には配達されるし、再配達においてもかなり細分化された時間帯で時間が指定できて、その時間は守られる。これは、運送会社の非常によく教育されたオペレーションによる賜物だ。
もし、日本とアメリカのどちらが住みやすいか、と質問されたら、ぼくは「日本」と即答する。ぼくたちは、日本においては、どこでもいつでも「おもてなし」の精神を経験することができる。大事な点として、アメリカの住民は非常に行き届いて一貫したオペレーションが常に存在することは信じていなくて、一方で日本の住民は誰がやっても、そのような行き届いたオペレーションがなされると仮定していることだ。これは、イノベーションというものが日本よりもアメリカにおいてリアリティを持つ理由の1つだ。Amazonの配達にドローンを使うというアイディアがアメリカにおいては多くの便益を提供できそうなのは、ドローンによる配達がUSPSに比べて信頼できる場合があると思えるからだ。日本においても、ドローンによる配達の実験が千葉県で行われているが、日本の住民にクロネコヤマトより便利だと納得させるのは簡単ではないと思う。
イノベーションという言葉は人によっていろんな定義があるが、ぼくが思う核心は「その手があったかと言わせる手を見つけること」だ。そして大事なのは、それが「手(手段)」であることだ。もし、ある問題への解決が手段としてデザインされていて、それがソフトウエアとして実装できれば、この手段は広い範囲の他のアプリケーションにも適用できる。アメリカでは、人によるオペレーションは信頼できる解決手段としては考えられていなくて、良いスキームと手段がサービスをより良くすると信じられている。もちろん、国の文化は国によって異なるし、あるイノベーティブな解決が他の国で受け入られる保証はない。しかし、あるイノベーティブな解決が、複数の国の共通的な課題を解決するものであれば、その手段はいろんな国の産業を破壊する原動力になり得る。イノベーションに対する文化的な親和性というのはソフトウエアの時代においては非常に重要である。
ぼくが日本の環境について少し心配にしているのは、新しい手を見つけるというイノベーションではなく、より多くの労働を働いている人に求めることで問題を解決する傾向があることだ。非常に良い規律を持ち、勤勉であることは日本人の特筆すべき、そして誇るべき性質だ。これも、様々なサービスの質を高めることには大事なことであり、「手段」とともに車の両輪となる。しかし、そのことについ甘えてしまうことは、イノベーションを生み出すという思考には邪魔になるし、これはソフトウエアの時代には時に欠点となる。
昔から「必要は発明の母」というが、もしぼくが付け加えるなら「不便さに敏感であることがイノベーションを促進する」ということだろう。そして、この感受性を曇らせてはいけない。人間の勤勉さに過剰に甘えることは、時にこの感受性を持ち続けることに邪魔になる。今、日本人の良い性質に過剰に甘えるのをやめる時なのではないか。今こそ、追加の労働に依存できるという仮定を捨てて、その甘えなしに問題を解決する手を考える時なのだと思う。