アキレスと亀的ここまでの軌跡。その49

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前回の話

2011年、2月。

僕は、安井とゆっくんと3人で全能の逆説というバンドを組んだ。

どういう訳か結成当初は少し小難しいテクニックを取り入れた歌謡曲チックな曲を作っていた。複雑な和音を入れることが美しいと感じていたし、悲しい感じが出れば芸術的だと思っていた。

これは2013年の写真なのだけど、ヤバい。なんだこのがっつりキノコの髪型は。

当時、好きだったのは凛として時雨だった。冷えた音像が「めっちゃカッコいいや〜ん」と思っていた。まだまだステージ上ではカッコいい自分でありたかった。作り上げた世界を見せたかった。そんな思いで曲を作っていった。


そして、2011年、3月。

日本を未曾有の大災害が襲った。テレビ越しの映像に言葉を失った。

遡ること16年、当時2歳だった僕は途轍も無い揺れに対し、すやすやと寝息を立てていた。正直なところ震度6や7と言われてもイメージが出来なかった。

ただ、画面越しの世界が本当に現実世界で起きているものとして捉えるが出来なかった。無性に胸がざわざわしたことを覚えている。

3.11の翌日、Aさんの家に遊びに行っていた。テレビをつけて、どのチャンネルにしても、映るのは東日本の凄惨な映像と公共広告機構のコマーシャルだけだった。

Aさんに、「なんだか胸がざわついてる」という気持ちを伝えた。

「自分が被災した訳でもないのに、なにがわかるん?」という答えが返ってきた。

確かにその通りだ。

僕は何をもってそういう気持ちになったんだろう。被災された人は僕の胸がざわつこうが現状が変わる訳ではない。


そう言えば、高校の軽音の大会の時に阪神淡路大震災の時に作られた曲をカバーしていたことがあった。

ソウルフラワーユニオンの「満月の夕」という曲だ。

高校生の時はさっぱり何のことか意味がわからなかった。だけど、このときに思い出して聴いた。

歌い出しで気付いた。これは信念の歌だ。

本当にそういう気持ちの曲かどうかはわからないけれど、当時の僕はそう思った。「命まるごとそのままで最後には笑ってやるぞ」と、そういう歌だと感じた。

ここから更に7年後の大阪北部地震で、僕は「揺れる」ということの恐怖を知ることになる。


時が経ち4月。

全能の逆説は初ライブを迎える。

その50へ続く