アキレスと亀的ここまでの軌跡。その54

2011年、10月。

寝屋川Vintageで「ボクらの」というイベントが開催された。当時、寝屋川を中心に活動をしていた若手バンドが複数組と先に出てきた岩田氏が共同で開催するイベントだった。

お客さんとして足を運んだイベントだったのだけど、同じ世代のたくさんのバンドが「何かしてやろう」と開催したイベントに、感化されない訳がなかった。ボクらのに出演していた先輩と岩田氏から、「次の2回目に全能の逆説出る気ないか?」と誘ってもらえた。安井も僕も即答で「イエス」だった。そして、その第2回には、Chrome Cipherも出るとのことだった。2回目は、この日から約半年後の話。


同月、寝屋川Vintageでのライブで僕はとある人物と出会うことになる。この大学時代のネガティブまっしぐらな僕の人生観をまるごと変えてくれた人。

内藤重人こそ、その人物だった。

当初の印象はとても怖い人だった。怖いというよりも「異質」と形容した方が的確かもしれない。あくまでも僕の抱いた印象だけど。鍵盤の弾き語りで、ほとんど朗読だった。ポエトリーリーディングという表現を目の当たりにしたのも内藤重人との出会いからだった。toitoitoiと対バンしたのもその日だった。


夏休みが終わって、

大学、バイト、スタジオ、ライブという日々を過ごしていた。塾のバイトは受験シーズンに入り少しずつ忙しくなってきていた。中3の生徒が多くいたから内申点云々。前期試験云々。偏差値がどうこう。生徒の学力と志望校を照らし合わせてどこまでならできるのかと塾長は頭を悩ませていた。

そんな折、新しい社員の講師が入ってきた。地方出身の真面目で誠実そうな、でも頼りなさそうな男の人だった。その頼りなさそうな雰囲気が災いしたのか、受験生でない生徒たちが、その社員講師をイジるようになった。もちろん注意をするのだけど、未熟な子供たちにとって方言が面白かったのか、ますます面白がった。後から入ったとは言え、上の立場の社員さんのプライドを傷つける訳にも行かないので、僕や他のアルバイト講師も代わりに注意することを憚った。大事な受験シーズンに教室は荒れ模様となっていった。


2011年、11月。

いよいよ学校に通う気持ちが失せてきた。東進衛星予備校のお金も出してもらって、大学の学費も出してもらって、留学生との寮のお金も出してもらってる分際で、本当に最低な考えだなと、今となってはわかる。当時は一年分の学費を得るのにどれほどの労力が必要なのか、なんてこと、全くもってわかっていなかったのだ。

友人はほぼおらず、独りぼっちで過ごす学生生活。楽しい訳がない。いやいや、そもそも楽しいってなんやねん。勉強しにきたんとちゃうんかい、と。いや、わし音楽したいねん。いやいや、卒業してからでもできるがな。いや、その卒業するまでの時間が勿体無いねん。いやいや、どの立場で物言うとんねん、無名も無名やないか。いや、だから頑張らなアカンねんやろ?

みたいな脳内会議をよくするようになった。

実際、安井が大学を辞める決意をしていた。安井は安井で少しずつ決意を固めていっていた。気が早くないか?と言われればそうなのかもしれないけれど、数年後の安井の行動を考えれば色々と納得のいくことが多い。

ただ、僕は中途半端にどっち付かずの気持ちのままだらだらと学生生活を続けることになっていく。

その55へ続く。