叔父さんと僕と甥

白井太一朗
Sep 25 · 6 min read

今日、施設に祖母の見舞いに行った。もう僕のことを誰だかわからない以前に、目の前に人がいるかどうかもわからない状態だった。病気で苦しんでいる訳ではない。老衰だ。一つの生命が終わりを迎えようとしている。寿命を全うする。不思議と悲しいという気持ちはない。最後の一息を迎えるその瞬間まで呼吸を止めないでいる祖母に敬意の気持ちでいっぱいだ。

昨年、祖父がこの世を去った。「後を追うように」という表現があるけれど、まさにその「後を追うように」死に向かっている。

10代後半くらいまでは、死に対して得体の知れぬ恐怖心があったのだけど、近親者の死をいくつか経験していくうちに、その恐怖はなくなっていった。


祖母の末っ子が僕にとっては叔父にあたる人なのだけど、叔父さんは東京で生活をしている。施設の職員さんから「面会時間を超えても祖母に会いに来ても良い」という連絡が僕の父に入り、それはつまりどういう意味なのかは誰もが推し量ることが出来て。

叔父さん以外の親族はみんな大阪にいるから、祖母の様子をたまに見に行ったりしていたので、緩やかに少しずつその事実を受け入れていた。僕はと言えば、祖父母孝行は全然出来てなかった愚孫なので、直接その姿を見ていたわけではなかったけれど、話は聞いていた。

前日、前々日と、代わる代わる親族が見舞いに来ていた個室。13時、誰もいない時間に僕は祖母の部屋に入った。老人ホーム特有の匂いが漂いながらも、穏やかな時間が流れていた。

ベッドに横たわる祖母は、ずっと一点を見つめていた。祖父と一緒に写っているいくつかの写真。たぶん「そこを見ている」訳ではなくて、「そこに視点があるから」という理由で施設の職員さんが貼ってくれたのだろう。その壁の写真を遮る形で僕は祖母に声を掛けた。たぶん聞こえてはいない。声帯を閉める筋肉も衰えているのだろう、息を吐く度に声が漏れている。変なウソを吐いても何の意味もないだろうなと思い、「誰かわからんよな?たいちろーやで。聞こえてないか。ははは」とだけ語り掛けてソファに腰を下ろした。

しばらく祖母をぼーっと眺めていると徐々に親族がその部屋に入ってきた。それほど親戚付き合いをしていないので2〜3言の簡単な挨拶をして、また黙って祖母を見ていた。母が到着し、父と叔母さん(父の妹)と母で、容態について施設のドクターから話を聞くということになって、僕も特に話すこともないので、一人で昼食を取りにいった。

軽めの食事を済ませた後、急激な眠気に襲われて実家に戻り2時間ほど眠った。

実家から施設までは10分ほど。少し暗くなってきた空。東京から叔父さんが到着したと連絡があったので、僕ももう一度施設に向かった。

祖父の葬儀以来の親族も何人かいて、簡単な挨拶を済ませた。父も部屋にいた。父は祖父母と共に自営業をしていたし、叔母さんも大阪に住んでいたから、祖母の衰弱していく姿を受け入れていた。だけど、叔父さんは違った。

久し振りに向き合った自分の母が、見た目に明らかなほど衰弱しているという事実と、これまで離れて過ごしていた時間にギャップがあったのだろう。こちらから見てもわかるほどに感情が揺れていた。この時、自分が妙に冷静にこの状況を見ていることにも気付いた。

それからしばらくして僕の姉の家族も到着した。姉の一人目の子供は中学生なのだけど、僕が中学生の時に生まれて、幼少期を同じ家で過ごしたので、すごく気にかけているし、心配している。もう中学生で身体もかなり大きくなり、明らかに思春期丸出しの言動で生意気なのだけど、やはりかわいいものだ。甥には歳の離れた妹と弟が全部で3人いるのだけど、自分がしっかりしないといけないと自覚しているからか、遊びたい年頃の子供たちの悪戯を注意する立場にある。要するに「良い子」なのだ。

だからこそ心配をしている。やんちゃをしていたり奔放に生きていたら抱え込まないで良いストレスを抱え込んでるんじゃないかと、叔父さん(これは僕のこと)は少し心配だったりする。とは言えど男子中学生。僕がそうだったように思春期特有のプライドもあるだろうし、こちらから余計なことを言ってナイーブな心を傷付けてしまう訳にもいかない。

叔父さんが祖母とのしばしの時間を終えて、僕のもとに話しかけに来てくれた。「まだ音楽はやってるのか?仕事は何をしてるのか?ちゃんと生活は出来てるのか?」

これは勝手な憶測なのだけど、兄弟の中で叔父さんだけが、地元の大阪を離れてふらふらしながらも東京で生活基盤を作ったから、親族で唯一、未だに夢を追う僕に自分を重ねてくれているのかもしれない。

自分がふらふらして30歳を超えてようやく仕事に就いてしんどかったから、早く就職した方が良いぞ、とアドバイスをしてくれた。そう、ふらふらしながらも最終的に安定した世界を見つけたのだ。

祖母は曽孫が11人いる。孫は僕を含めて8人。曽孫にあたる小さい子供たちがたくさん来ていた。僕は結構小さい子供が好きなので、子供たちをあやしながら、一緒にふざけたり遊んだりしていた。死を前にした祖母の前できゃっきゃと騒ぐのは良くないという人もいるかもしれないけれど、僕としてはむしろ重たい空気になるよりは子供たちの笑い声がある方が良いと思ったので、しばらく子供たちと遊んでいた。子供たちときゃっきゃとしていた大人は僕だけだった。笑

それが恥ずかしかったのか、それとも、この状況で「それは違うだろう」と思ったのか、件の甥が子供たちを注意した。甥なりの思いやりと空気を読んだわけだ。

そんなこんながあって、そろそろみんな帰ろうかとなった。

挨拶を済ませて自転車を漕いで、一日のことを考えながら家路に着いた。


叔父さんの見ている社会はどんなのだろう。甥の生きている世界はどんなのだろう。と、ずっと考えていた。

世界という言葉を使うより、社会という言葉をよく使うようになったことにも気付いた。大人になった証拠なのかもしれない。

叔父さんはもともと世界に自由を見ていたのではないだろうか。その過程で安定という社会と出会い視点が切り替わった。そしてその安定の社会に一定の満足感を抱いているからこそ、その生き方を説いてくれたのかもしれないなと。

甥の世界に自由はあるのだろうかな。真面目に生きないと「いけない」という固定観念に縛られてないと良いのだけど。

それぞれの世界の価値観をどれも否定せずに、自分で選び抜いていける社会になればいいなと、そんなことを思った。烏滸がましくも、僕ならそういうメッセージを届けていけるんじゃないかな、とも思った。

叔父と甥という距離感だからこそ感じれた感覚な気がして、文章の順番も汚いけれど、なんか残したくなったから書いておこうと思った訳でござる。

    白井太一朗

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    グッドメロディとポエトリーの弾き語り 白井太一朗のブログ兼その他諸々。 文章で残しておきたいアレコレをここに残します。notインスタ映え, butテキスト映え。 ひとつひとつ飲み込んで、ようやくたどり着いた志半ば、まだまだバタ足で泳いでいます。