「距離感」の話。

白井太一朗
Aug 25 · 3 min read

「仲の良さ」アピールをされるのが苦手だ。学生時分から斜に構えていた時期が長くあった。ここ最近は随分と理解を示せるようになったことも多いのだけど。それでも「仲良しアピール」や「一体感」を求められることが苦手だ。

所謂「連れション」とかとても苦手だった。トイレくらい一人で行けよ、と思っていたし、そういう人は「一人でいる奴」と思われるのを避けたいが為に人と一緒にいるのだと思っていた。実際にそうなのかどうかはわからないので偏見ではあるのだけど。

例えばライブを見ている時、後ろの方でゆっくりと見たいと思っているのに、「前に来てくれ」と言われたり、お客さんから「もっと楽しもうぜ!」と言わんばかりに無理やり前に連れて行かれることとかもすごく嫌だ。

こういうことの多くに共通して思うことがあって、それは全て「そういう声かけや行動を勧める人に悪意がない」ということだ。だから困る。そして悪意がない故に、それらを断ることで酷い奴・冷たい奴・ノリが悪い奴扱いをされる。

別にどうだっていいのだけど、それを避けるために生み出される強制的な一体感や、一方的な仲の良さアピールに違和感を感じ続けている。

それぞれの人間関係毎に最適な距離感というのが存在する。近付けば近付くほど良いというものではない。コミュニケーションの上手い人というのは、誰とでも距離を詰めれる人のことを指すのではなく、相手との距離感をキチンと測れる人なのだと思っている。ライブの例だって、僕が見たい位置というのは、ある意味では僕の中での最前列でもある。

僕は「優しい」と言われることもあれば、「冷たい」と言われることもある。それはあくまでも、その人と距離感のうえで作られる僕の印象なのだ。

連れションを断る僕は、連れションに誘う側の人間からすると、要求を受け入れてくれない冷たい人かもしれない。

土足で踏み込まれるのが苦手な人からすると、気遣いの出来る優しい人に映るかもしれない。

その距離感を無視した仲良しアピールや一体感を強要される限り、僕は抗い続けていくのだろうなぁと思う。思った。とは言え、決して塞ぎ込むという意味ではなく、大前提として理解を示す方向で。

とりあえずは挑戦したうえで、無理だなと感じたら、「残念だけど、肌に合わないや」と素直に言える気持ちを育みたいなと思ったアラサー男子なのでした。アラサーってもっと大人だと思ってたけど、未だにしょうもないことで悩んじゃうね。笑

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    グッドメロディとポエトリーの弾き語り 白井太一朗のブログ兼その他諸々。 文章で残しておきたいアレコレをここに残します。notインスタ映え, butテキスト映え。 ひとつひとつ飲み込んで、ようやくたどり着いた志半ば、まだまだバタ足で泳いでいます。