魚と虫。

白井太一朗
Aug 5 · 2 min read

常識とは、なんとなくみんなが「こうだよね」と思っている共通認識に過ぎない。そんなことに悩まされるのは勿体無くて仕方ない。

とある内陸国のとある民族は木に止まっている僕らが見たこともない虫を生で食べたり、すり潰して食べたりする。そういうものに免疫のない僕らは嗚咽したりすることさえある。気持ち悪いと思うこともある。

ただ、これは、逆も当然ある。

その内陸国の人たちは、魚を食べる機会なんて殆どないまま文化が形成されてきた訳だから、当然生魚を食べる我々日本人のことは見るに耐えないかもしれない。ネギトロなんて以ての外なのかもしれない。

「こんな美味いのに何故食べないの?」とお互いがお互いのことを不思議に思うのだ。


自分の理解出来ない物事を、非常識だ。馬鹿げている。と虚仮にする人は悲しい。

これ、虚仮(コケ)って読むんやね。

それが、本当かどうかを調べもしないで、知ろうともしないで、自分の常識の範囲でしか物事を語ろうとしない。悲しいね。と思う。

「まとも」になるように教育された人は、他者にもその「まとも」を強要するのかもしれない。真実を知ることよりも、常識を妄信することで安心してしまうのかもしれない。

僕らの世代(80〜90年代生まれ)は、学生時代に「インターネットは虚構だ。騙されるな」みたいな価値観を散々テレビで訴え続けられたのに、結局のところテレビも嘘ばっかりでした。というのをまざまざと見てきた訳で。

世の中が「権力者の意図」によって動かされてきたのだということを、半人前ながらも少しずつわかり始めたからこそ、常識を価値判断にせずに、相手の心と向き合うことを第一歩として対話がしたい。

99人が拒絶したとしても、たった一人でも虫を食べて「美味しい」というのであれば、僕はひとまず食べてみる、ということを貫ける人でありたいなーと思う次第。

    白井太一朗

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    グッドメロディとポエトリーの弾き語り 白井太一朗のブログ兼その他諸々。 文章で残しておきたいアレコレをここに残します。notインスタ映え, butテキスト映え。 ひとつひとつ飲み込んで、ようやくたどり着いた志半ば、まだまだバタ足で泳いでいます。