あたりまえに生きていること

年末には糸魚川地域での火災や各地での地震、トルコでのテロなど突然の不幸も起こりました。また、そうでなくても日常的に生きていくのにくる死んている人たちがいる。こうしたことはわかっている。でも、それでも自分とはちょっと遠いことのように感じて目をそらしてしまっている、いやむしろ考えなければわからないことになっていると改めて感じました。

先日。iLEAPの同期のゆうから突然のようにメッセージが来ました。それはお風呂のお誘いでした。足を運ぶと、そこにはもじゃもじゃヘアのゆう…だけでなく、欧米人の方もいました。その方の名は、アーサー。その身なりからは想像ができなかったのですが難民ということでした。彼が今どこで生活をしているのか、どうして国を迫害されてしまったのか、など最初は躊躇いながらも、しかし、聞かせていただくことができました。日本にいる難民の実態、そして日本政府の対応、政治的圧力…普段いかに目を向けていなかったのか、恥ずかしいくらいに知らないことだらけ。同時に、どうなるかわからない暮らしをしている人を目の前にして、今自分が大学に通えて、勉強ができていることが本当に特別なことなのだと知りました。

今、僕らがこうしてこの記事に目を通していること、すなわち生きていると言うことはあたりまえのことかもしれない。でも、この生きている中で何かに勤しむことができていることは実は当たり前のことではないのだなと感じました。

だからこそ、生きとし生きる者、皆に生きていることの責任があると思っています。
 まずは当たり前の生活に感謝を。そしてその上で、自分が生きているということの使命を。1年の初めに考えて見てはいかがでしょうか。

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