天才の空、凡人の窓辺にて

Being yourself. Doing myself?

渦
3 min readDec 15, 2016

僕は中高生だった頃に失ってしまった「僕」の輪郭を取り戻しつつある。

それは、「俺」と名乗る前の自分のことだ。

天才の空、凡人の窓辺にて

2年前に天才に会った。彼の見る世界には大きな空が広がっているらしい。ともかく、ひょんなことから一時期ほんの数週間だけ行動を共にしていた。

彼と話したことの多くはどこかへ置いてきてしまったけれど、その時に抱いた気持ちはまだ残っている。

「ああ、こいつはこれまでずっと痛ましいほどに自分自身でい続けたのだな」

彼と行動を共にしている間に、何度も感ずる瞬間があった。頭の出来はさておき、僕は人生の最初の頃に彼と同じような世界の捉え方をしていたことを思い出したのだ。街中にある「古びた看板」を見つけた時のキラキラした笑顔。好きな本の話や将来の夢の話を語る時の真剣さ。偏屈な友人についてしゃべる時の本気で嫌そうな顔。

その全てが「彼自身」から発せられたものだった。彼はずっと彼なのだ。

僕はそのままの僕であり続けることを拒んだ。

自ら、その感性を殺した。そうして、いつしか、神童は死んだ。

僕はかつて持っていた僕自身の上に、「俺」を塗り固めてきた。それは例えば映画やアニメの主人公だったかもしれないし、実在の、身近にいた兄貴分たちからもらったエッセンスだったかもしれない。そういうものをどんどん「僕」に塗布し、まるで漆器に何度も漆を塗るかのように、剥がしにくい表面「俺」を作っていた。自分も周囲も満足していたと思う。唯一、18歳まで一番親しかった人にはそれも見抜かれていたようだが。

ともかく、天才との出会いからの2年間でそれは瓦解した。

俺と僕は分離した。天才性を求める僕と、社会性を追求する俺が完全に離反し、さらに、今は「僕」が勝っている状況にある。

諦めきれないのだ。

かつて凡人の窓辺に映ってしまった天才の空の美しさに、眠っていた「僕」は目を覚ましてしまった。

僕は「俺」をするのをやめて、「僕」でありたいと思い始めた。

そうして、だんだんとそうなってきている。無理のない自分、丁度いいサイズ感で息をしていられる自分。ここからようやく、もう一度始められるんじゃないか。そんな予感がしている。

かつて見た空を探しに、やっと窓を開く決心がついたのだ。

長年世話になった「俺」の跡地に礼をし、「僕」は旅に出た。

--

--