アカデミアの知を社会と接続する「デサイロ」が人文・社会科学研究の先に見るもの
2022年10月、人文・社会科学領域の研究をエンパワーする一般社団法人「デサイロ(De-Silo)」が誕生した。とりわけ日本においては「文系不要論」が話題となったように人文/社会科学領域のプレゼンスが下がりつつあるなか、編集者としても活動するデサイロ代表・岡田弘太郎氏は、この状況をどのように変えようとしているのだろうか?
一般社団法人デサイロ
デサイロ(De-Silo)は、人文/社会科学領域の研究者を支援するアカデミックインキュベーターです。「いま私たちはどんな時代を生きているのか」を研究者と探り、研究のなかで立ち現れるアイデアや概念の社会化を行います。財団、出版、コミュニティという3つの機能を通じて、研究資金の提供や、その知を社会に届けるサポートをしています。
https://desilo.substack.com/
時代を読み解く視点をもつ研究者たち
――岡田さんが2022年10月にローンチした「デサイロ(De-Silo)」はアカデミアと社会の接続を考えるうえで非常に魅力的なプロジェクトだと感じていました。岡田さんはどういった経緯でデサイロを立ち上げることになったんですか?
自分自身は編集者としても活動しており、デサイロの共同設立者でフィランソロピスト/社会起業家の久能祐子さんとも『WIRED』日本版の仕事で出会ったのですが、これまでも研究者の方との接点が多くありました。その際、時代を読み解くための視点をもっている研究者の方が多いように感じていました。たとえば関西外国語大学の戸谷洋志先生はドイツの哲学者ハンス・ヨナスを研究対象としながら、現在の世代から未来の世代への責任や道徳的な配慮を考える「未来倫理学」などについて研究されています。それは現代の気候変動や放射性廃棄物処理の問題ともつながりますし、21世紀においても非常に重要な概念といえるはずです。いまわたしたちがどんな時代を生きているのか考えるうえでも、研究者の方々とともにさまざまな研究を社会と接続する取り組みが必要だと感じていました。
――他方で、とくに日本の社会においては人文/社会科学に関する研究のプレゼンスが下がっているようにも感じます。見過ごされてしまっている価値を社会へ届けるために、具体的にはどんな活動を展開されているのでしょうか。
デサイロには「財団」「出版」「コミュニティ」という3つの機能があります。(助成)財団機能は、研究資金の提供や編集的観点を用いた研究プロジェクトへの伴走を通じて研究者を支援すること。現在は磯野真穂さん、柳澤田実さん、山田陽子さん、和田夏実さんの4名の研究者と活動を共にしていて、今後は、より幅広い研究者の方を支援するための助成金プログラム「デサイロ アカデミックインキュベーター・プログラム」の立ち上げも準備しています。
2つめの出版機能は、ニュースレターでさまざまな研究者の方に寄稿をいただいたり研究のプロセスを共有していったりすることで、研究者の方々の知を社会へ開いていくものです。今後は「De-Silo Publishing」と題してアカデミックインキュベーター・プログラムの採択研究者による研究成果を書籍として出版していくことも想定しています。
最後のコミュニティ機能は、オンライン/オフラインの交流の場をつくることで、学際的な知が結集するコミュニティを醸成するもの。デサイロのDiscordには人文/社会科学領域の研究者の方々が集まっており、分野横断的な議論を行う場を目指して運営しています。また、今後は知の拠点となるようなオフラインの場もつくっていければと思っています。
異なる専門領域が混じり合うサロン
――第1期では4名の研究者の方がデサイロに参画されていますが、この4名はどのように決まったのでしょうか。
デサイロとしては「いま私たちはどんな時代を生きているのか」を研究者の知を頼りに探っていくことを重視しているため、研究分野と社会の接続というものを重視して今回の4名の方にお声掛けしました。議論するなかでデサイロにおける研究テーマを定めていったのですが、いま振り返ると、フィールド=現場の知を思想として編み上げ、また社会に介入していくような研究者のみなさんに参画いただけたのかと思っています。
関西大学特任教授の清水展さんと九州大学准教授の飯嶋秀治さんが編者を務めた『自前の思想: 時代と社会に応答するフィールドワーク』にて語られた「自前の思想」という考え方がありまして、そこでは文化人類学者の波平恵美子さんから医師・土木技師の中村哲さんまで、10人のフィールド=ワーカーの紹介を通じて、自前の思想を紡ぎ、社会に向き合う術が語られています。
そこで紹介されている方々の特徴として、「具体的で手触りのある現場から的確な言葉を自ら紡ぎ出し、自前の思想を編みあげてゆきました。さらにその先には、人々の暮らしに直接に関わるような政治社会状況に積極的に関与し、問題の解決や状況の改善に寄与するために積極的な介入を行ったりしました」と書籍には書かれているのですが、まさしくこの「自前の思想」を立ち上げているようなみなさんに参画いただけたのかなと思っています。
――みなさんはどんなことを研究されているんですか?
たとえば山田先生は「感情資本」について研究されています。アンガーマネジメントのように職場での感情管理が求められるような時代において、感情資本の研究から学べることは多いはずです。実際に昨年末にウェルビーイング(Well-being)や感情労働のモヤモヤを考えるワークショップを実施したところ、参加者の方からは山田先生の研究ともつながるような現場の課題がたくさん挙がってきて、改めてその重要性を感じさせられました。
――専門の異なる研究者の方々が集まると、お互いの研究にもいい影響が生まれるかもしれないですね。
そうですね。私たちとしては、2007年から2011年まで活動していた東京財団仮想制度研究所(VCASI)のような場所をつくれたらと思っているんです。理論的経済学の世界的権威である青木昌彦先生が主宰されていたこの研究所には『なめらかな社会とその敵』を書かれた鈴木健さんを筆頭に、いま活躍されている研究者の方々が集まっていて、異なる専門領域の研究者が集まるサロンのような空間が生まれていたそうです。デサイロのインキュベーションプログラムとしてもそういう場所をつくれると面白そうだな、と。
――他方で、デサイロが財団機能を有しているように、研究者の方々が活動を続けるためには研究資金など経済的な問題についても考える必要がありますよね。
そうですね。実際に研究者の支援を考えるなかで、「研究資金」という枠組みの難しさに直面しました。大学であればベースとなるサラリーがあったうえでいろいろな研究資金を集めるわけですが、独立研究者の場合は大学から給料をもらっているわけではありません。しかし直接的に給料や生活費として使うことが認められていない「研究資金」の枠組みも多いため、独立研究者の方々が持続的に活動を続けていくための、新しいシステムやプラットフォームについては今後より考えていく必要があると感じます。
「自前の思想」をつくるために
――VEILはSTEAM人材による事業価値の創造を推進するなかで、多様なアカデミアのコミュニティとの連携を進めてきました。デサイロを通した、アカデミアと企業活動との接続についてのイメージを聞かせてください。
企業と研究者のコラボレーションに関しては、さまざまな可能性を試して、まずはモデルケースになる事例をつくっていく段階だと思っています。今後の展開についてはまだ検討中の部分も多いのですが、たとえばある企業が新しく研究者を支援する財団をつくろうとしたときにデサイロとして立ち上げから支援して一緒に枠組みをつくっていくなど、企業との連携の形もさまざまな可能性を考えていきたいですね。
――企業との連携によってできることも増えていくかもしれませんね。デサイロを通じて岡田さんは社会にどんな影響を与えていきたいですか?
デサイロではよく「概念の社会化」という言葉を使っているのですが、一般の方が人文・社会科学の研究って面白いんだと思えるきっかけをつくっていきたいですし、鈴木健さんの『なめらかな社会とその敵』のように強度がありつつ社会に大きな影響を与えられるような思想がここから立ち現れていくとうれしいなと思っています。同時に、研究者の雇用においては大学のポストが減っていくなかで、研究者同士の横のつながりを生んだり新たな仕事を生んだりするプラットフォームへとデサイロを成長させていきたいです。
――VEILやデサイロなど領域横断的にアカデミアの可能性を広げるプロジェクトが発展していくことで、ビジネスとアカデミアの関係性も変わっていくといいですよね。わたしたちはビジネスとアカデミアには、より多様なコラボレーションの機会があると思っています。今後、活動を広げていくうえで、海外との交流や展開なども想定されているのでしょうか?
デサイロとしては先ほど「自前の思想」をつくっていくことが大事だと思っています。もちろんグローバルで注目されているテーマや概念を国内にもってきて議論することも重要ではありますが、それらを踏まえた自前の思想を国外へと発信できるとよいですよね。現にいまの世界を見ていても、欧米以外の地域や文化のプレゼンスが向上していると感じます。
たとえば今年のCoachellaではBLACKPINKがアジア人初のヘッドライナーに選ばれましたし、べつの日のヘッドライナーにはBad Bunnyというラテン系アーティストが選ばれています。グローバルな音楽シーンでアジアやラテンアメリカの音楽が大きな影響力をもっているように、アカデミアの領域でも「脱西洋化」という言葉が用いられ、欧米の思想家だけではなくアジア圏の考え方や文化が世界でプレゼンスを発揮していくと、また異なる景色が見えていきそうです。
人文知は豊かな可能性を秘めている
――そういった活動を行ううえでは岡田さんのような編集者の役割も重要になりそうですね。
研究者の方を支援する際に編集者にできることは何か、を常日頃から考えているのですが、名古屋大学出版会の編集長である橘宗吾さんの『学術書の編集者』という本に出合いまして。そこでは、「専門家の盲点に、外部からの声をさしむけて『挑発』することで、編集者は、専門と社会とのあいだの媒介者の役割も果たすわけです」と述べられているんです。
私たち編集者はどの学問分野の専門家ではないものの、多分野の専門家と協働する職能だからこそ、社会の関心事と研究を結びつけたり、あるいは他の分野で起きている現象を伝えることで、多分野の研究テーマを社会一般の目線から「時代」として切り取ることで、その知を頼りに「いま私たちはどんな時代を生きてるのか」を明らかにしていけると考えています。
――活動の領域も多岐に渡っていますね。コミュニティが広がり、多様になればそこから新たなビジネスのアイデアなども生まれそうです。
デサイロが介在することで、研究の価値をビジネスの領域につなげられたらと思っています。たとえば、事実婚などの研究をされている研究者の方と話した際におっしゃられていたのですが、ご自身の講演に不動産や食品メーカーの方々が来るそうなんです。事実婚を含めて婚姻制度が変われば、家族のあり方が変わり、旧来の「家族観」をベースとしたビジネスも必然的に変わらざるを得ない。だからこそ、そうした産業に関わる方が学びに来るそうなんです。
――研究者の方々の活動も多様化していくのかもしれませんね。
大前提として論文を書くことや論文の引用数による評価も重要だと思いますが、文化人類学の知を生かした「メッシュワーク」や「ideafund」、あるいは経営学や学習科学などの学術研究に基づいた「MIMIGURI」、経済学やマーケットデザインの知をビジネスへ実装する「Economics Design Inc.」など、学術的な知を活用する取り組みも増えているように感じます。あるいはIDEOが以前刊行した『イノベーションの達人!―発想する会社をつくる10の人材』という本でも10人のひとりとして文化人類学者が挙げられていて、デザインファームの領域でも文化人類学の知見が役立てられているんです。ビジネスエスノグラフィを活用したユーザーリサーチをはじめ、まだまだ人文・社会科学の知を活かせる場はあるはずだと感じます。
――面白そうですね。VEILも渋谷というフィールドを通じて実践の場を広げていきたいと思っているので、研究者の知恵が社会に価値を生み出す機会を、共に協力しながらつくっていけたらと思います。
ありがとうございます。デサイロとしては今後、公募制の助成プログラムである「デサイロ アカデミックインキュベーター:プログラム」をもうすぐ始めるのでぜひたくさんの方に応募いただきたいと思いますし、年内には第1期に参画した研究者の方々の研究発表やアーティストの方々とコラボレーションした作品を展示するカンファレンスを開催予定です。アートやクリエイティブを介することで普段は学術論文や学術書を読まない方にも研究の価値や魅力を伝えていけると思いますし、今後も人文・社会科学の知を社会とつなぐさまざまな回路をつくっていきたいと思います。
Edit,Text:Shunta Ishigami
Photographs:Ryo Yoshiya