エッセンス代表・西村勇也が考える、研究者と社会をつなぐメディアとプラットフォームの価値
あらゆる分野の研究者がもつ知をインタビューによって掘り下げるメディア「esse-sense(エッセンス)」。独自のレコメンドアルゴリズムやコミュニティ機能を備えた同メディアは、研究者と社会をつなぐプラットフォームをめざしているという。しばしばビジネスとは無縁の世界と捉えられがちなアカデミアの知は、今どんな価値をもっているのか。エッセンス代表の西村勇哉に尋ねる。
研究者の魅力を発信する
――西村さんはもともとNPO法人ミラツクをつくり領域横断的なイノベーションに取り組まれていたと思うのですが、なぜエッセンスを立ち上げられたのでしょうか?
これまでのミラツクでの活動を振り返ってみたとき、企業のイノベーション創出を支援する文脈であらゆるセクターの方と関わってきたにもかかわらず、振り返ってみると研究者の方々とあまりつながっていないことに気づきました。特に理研での仕事がはじまった2017年がひとつの契機でした。それは翻って、企業やビジネスセクターが研究者とつながる機会が非常に少ないんだという気づきでもあります。もしここにすごくもったいない断絶があるのであれば、残りの生涯をかけた事業として取り組みたいと考え、2つめの組織として株式会社エッセンスを立ち上げたのが2021年3月でした。
――エッセンスはこれまでの西村さんの実践ともつながっているのでしょうか。
そうですね。もともとぼくは大学で人格心理学を研究していて、心の構造の分析に取り組んでいました。その際に理論の研究だけではなく現場でさまざまな人や出来事と直面した方がいいように思い、研修会社やシンクタンクなどに勤めながら人の能力開発や組織開発に携わるようになったんです。もともとは人の心を考えていたわけですが、人をよくするには職場を変えないといけないし、職場を変えるには組織を変えなければいけない。組織をよくするためには組織間の関係、さらには社会……とどんどんアプローチする対象が広がっていきました。2011年にNPO法人としてミラツクを立ち上げ、今では多くの企業のイノベーション人材の育成とイノベーション創出の実装支援をしています。そして、その取り組みの先にエッセンスがあります。
――NPOの取り組みがエッセンスにもつながっていったんですか?
NPOでは主にプラットフォームづくりを行っていて、人や組織をつなげようとしていました。たとえばこれまでは研究をしていたけどビジネスセクターと何かしたい、アパレルでモノをつくっていたけど空間を使ったサービスをつくりたいといった方々に対して、別領域の知識を集め、整理し、構造化することでスムーズに活用するためのサポートを行ってきました。そこには、知の活用というエッセンスと共通するテーマがあります。
――領域を超えてプラットフォームをつくる活動がアカデミアの領域にも広がっていったわけですね。エッセンスではどんな事業を展開されているんですか?
メディアとしてのエッセンスは、あらゆる分野の研究者を読みやすく十分な内容量のある長い記事で紹介するものです。またプラットフォームとしてのエッセンスは研究者とさまざま人をつなげるものです。今、研究者に企業や企業人を中心にさまざまな非アカデミアの人たちがつながれるシステムの開発を行っています。
目的に囚われないからこそ生まれるもの
――近年はSTEAMのように領域横断的な考え方が重視されるようになっていますが、領域を問わずさまざまな研究者とつながっていくと、分野横断的なコラボレーションも進んでいくものなのでしょうか。
明確な目的を前提としたコラボレーションもありますし、予期せぬつながりから発展するプロジェクトもあります。たとえば、北海道大学の渡邊剛先生が取り組む喜界島サンゴ礁科学研究所のプロジェクトでは、喜界島のサンゴ礁を起点に人文学や文化人類学、海洋学、考古学、地球科学などさまざまな分野の研究者が集まり、平田オリザさんが率いる劇団「青年団」とともに『ユラウ』という演劇作品が生まれました。こうしたプロジェクトは短期的な利益や目的を追求するだけでは生まれないものです。
――VEILでも目的をカチッと設定した取り組みを行うことはあるのですが、無目的なまま何か新しい価値をつくるのはなかなか難しいなと感じます。どうすればいろいろなものを面白がれる態度を育めると思われますか?
成功と失敗のギリギリのところに行かないと面白くないなと思っています。成功することや失敗することではなく、両者の境界線を知ることを目的にしていて。とくにエッセンスに出てくださる研究者は、当たり前ですがギリギリのところにいます。領域の縁がどこにあるかを知らないと新しいものを生み出せないし、縁を知るからこそ踏み込むこともできるはずです。それに分野ごとに縁の場所は異なっていて、ある分野の人にとっては当たり前のことがほかの分野においては縁に来ることもあります。だからこそ異なる分野の人々が出会うことで普段それぞれがやっていることよりはるかにすごいことに挑戦できるんです。
――近年は教養ブームとも言われますし、ビジネスパーソンも積極的にビジネス以外の知を取り入れようとしていますが、こうした流れが続くと社会全体としてもイノベーションが生まれやすくなるのでしょうか。
教養の結果として、社会のレジリエンスが上がって、変化へ適応したり新しい変化を起こしたりしやすくなりますよね。だからこそ人類は700万年生き延びてこられたのだと思います。人類は必ずしも生物として強いわけではありませんが、いろいろな物事に興味をもったり試してみたりする力があったからこそ、成長してきた。人類という種がほかの生物種じゃないことを担保する上でも、新しいことに興味をもつことは重要ですね。
――なるほど。特にビジネスの領域ではつい慣習や常識に囚われてしまいがちですが、より大きなスケールを設定すると考え方も変わりそうですね。
たとえばジェームズ・C・スコットという人類学者は農業がどうやって国家と結びつき人々の暮らしを変えたのか記しているのですが、人類700万年の歴史に比べると、現代の「当たり前」は、近代以降のほんの短い期間の話が多くあります。人類のレリジエンスを考えたときに、その感覚だけに合わせることが最善ではないと思っていますし、well-beingと言われるように一人ひとりの個人にとっても必ずしも心地よいものではないことも多くあります。
コラボレーションを増やしていくために
――研究者と出会うためのシステムはどのようにつくられているんでしょうか。
2つの取り組みがあり、ひとつは物理学者の大関(真之)先生とランダムすぎず固定もされていないゆらぎのある出会いをアルゴリズムでどう生み出せるか考えています。同時に経済学者の安田(洋祐)先生とも取り組みを進めています。安田先生とはどうやって研究者が参画できるエコシステムをつくれるか議論を重ねているところです。
――ビジネスパーソンの方々に興味をもってもらう上では、新規事業をつくられようとしているような方をターゲットにするのがいいのでしょうか。
必ずしもそういうわけではないと思います。たとえば今は新幹線の中にワークスペースがつくられても違和感はありませんが、5年前に同じことをしようとしたら受け入れられなかったと思うんです。むしろそんな危ないことはできないと批判されたでしょう。でもコロナ禍を経てあらゆる場所で働けるようにすることが当たり前になると、みんなむしろ新幹線の中で働ける方が普通だと思うようになった。これは新幹線に変革を起こそうと思って変えたわけではなくて、世の中の文脈の変化に自然に乗ったからこそ生じた変化だと思います。アカデミアとのコラボレーションについても同じで、研究者の人々はなんとなく面白い人が多いから付き合ってみた方がいいという文脈さえ生まれれば、自然とコラボレーションが増えていくはずです。
――たしかにエッセンスの記事を読んでいると研究者の方々って面白いんだなと感じられてきますね。
エッセンスでは必ず研究者の背景を聞くようにしています。もちろん今取り組んでいる研究の内容も重要ですが、なぜその研究に取り組んでいるのか知ることでその人とコミュニケーションも取りやすくなります。これは、対話というコミュニケーションのなかにある技術です。お見合いだって、まずは相手の背景を知らないと成立しないですよね。
――そんな「お見合い」を成功させるためには、双方が相手に興味をもつことが大事だと思うのですが、研究者の方々もビジネスへ興味をもってくれるものでしょうか。
自分の領域や知を広げてくれるものに多くの人は興味をもちます。一方で、一人ひとりの研究者が一体どんなことに取り組んでいるのかを示していく必要がありそうです。また、日常的に研究者と関係性をもてるような仕組みも必要です。そして、研究者に何か依頼を行いたいときにどのように行えばいいのか、その明示も必要になると思います。そうした手間を研究者に投げるのではなく、社会として整備していく。エッセンスでは、その整備のための取り組みを事業として進めていこうとしています。
研究者の知を社会と接続する
――ビジネスパーソンや企業が研究者の方々へアクセスしやすくなるだけでも、大きな変化につながっていきそうですね。
もちろんこれまでもLinkedInのようなサービスを使えば研究者とコミュニケーションできたわけですが、研究者向けに設計されているサービスではないですよね。研究者は母数も少ないしビジネスとは関わりがないと思われがちですが、研究者を対象としたサービスは大きなポテンシャルを秘めていると思っています。
――企業サイドへのチャネルを開拓するという意味では、実際に企業とのプロジェクトも進んでいるものなんでしょうか。
住友商事とはMIRAI PALETTEで研究者と直接会える場を一昨年からつくり始め、その開催は計10回を数えました。徐々にコラボレーションが起こるたてつけもわかってきたので、毎回の場から具体的なMTGが複数設置されるなど、成果につながり始めています。その他にも、三井不動産の方々や、ベネッセの新規事業チーム、ドコモのグループ会社のdocomo gacco、そして政策投資銀行、日経新聞、大日本印刷などともディスカッションが進んでいます。自社でR&D的な研究所を構えるタイプの企業ではないことも多く、そうした企業が大学との連携にそれぞれが価値を見出している点が非常に面白いと思います。何かをつくるための価値ではなく、物事を円滑に進めたり新たな価値の尺度をつくったりするために、研究者とのつながりを必要としている。そんな企業が少しずつ増えている気がします。
――企業の方々はどんなところに魅力を感じているのでしょうか。
コンテンツづくりの面では特に研究者の知が機能するように思います。コンテンツをつくるためには知識が必要で、研究者たちは変わった知識をもっている。たとえばテレビ番組でもいいし不動産開発を行ったあとのソフトウェアコンテンツでもいいし、自分たちが何か発信するためのものでもいい。知識をさまざまな分野から得られることは企業にとっても大きな価値になるはずです。
――研究者が企業と自由につながれるようになると、ビジネスもすごく豊かになるし日本全体が元気になる気がします。
しばしばアカデミアは閉じた世界だと考えられがちですが、むしろ開かれていると思うんです。たとえば大学に通う社会人は最近増えていて、この15年で66%増えたと言われます。博士課程の学生15,000人のうち約半分は社会人ですし、理工系だけでなく人文系も増えている。社会人の立場から考えてみても、50年前なら定年まで同じ仕事を続けることが当たり前でしたが、現代社会では知識や専門を拡張することこそが仕事において重要になっている。そんな時代だからこそ、研究者やアカデミアの知のもつ価値はこれからも重要になっていくのだと思います。
Edit,Text:Shunta Ishigami
Photographs:Ryo Yoshiya